日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

日米安保もいらないし、世界最強でない軍隊も要らない  追記有り

2010-06-17 00:48:30 | Weblog
かって元在朝日本人が読んだ「ある朝鮮総督府警察官僚の回想」で次のように述べたことがある

敗戦時、私は疎開先の江原道鉄原国民学校の5年生で、ソ連軍がそこまで迫っているとの噂にせき立てられる形で鉄原を這々の体で逃げ出して京城に舞い戻った。11月の末に日本に引き揚げるまでいわゆる『難民生活』を送り、その間朝鮮の激動的な動きをそれなりに体験したのである。

疎開先の鐘紡鉄原工場の周辺を軍隊が警備していたが、戦争に負けたかと思うと早々と姿を消してしまい、取り残された民間人だけが列車に乗り込むべく早暁の田舎道を急いだのである。今の感覚で云えば、こういう非常事態においてこそ『皇国臣民』を保護すべき任にあたる朝鮮総督府に軍隊が、なんとなんと民間人より先に逃げ出したという芳しからざる噂がその後根強く流布した。

当時の朝鮮でも満州でも、最後まで日本国民を守ってくれるはずの日本軍が、戦争に負けたとなると民間人そっちのけでいち早く逃げ出した現実をこのような形で私たちは目にした。それを「芳しからざる噂がその後根強く流布した」と控えめに表現したが、その実例が思いがけず15日付け朝日朝刊の投書欄に次のような形で現れた。とくに最下段に注目していただきたい。


旧帝国陸軍将校の当時の行動を自ら記している貴重な記録である。上官の命令に従ったと言えばそれまでであるが、このような軍隊のために(天皇に)忠良なる大日本帝国臣民は莫大な戦費を献じ、その揚げ句戦争には負けるし、負けたら負けたで民間人をほったらかしにして真っ先に逃げ出してしまった。戦時中、私たち子どもは次の歌の文句を心から信じて歌っていたのに・・・、である。



事業仕分けでスーパーコンピューターの性能が何故世界第一でないといけないのか、と問われたことが切っ掛けで世界一論議がわき起こったが、軍隊こそ世界最強のものを持たないと意味が無い。必ず世界最強国にやっつけられるからである。かっての無敵大日本帝国がそうであったように、かなりの戦力を備えているつもりでも負けてしまえば、はいそれまでよ、である。中途半端な戦力はなんの意味も持たないのである。負けるために戦うだけだからだ。それはわれわれ戦前・戦中世代が身を以て体験したことである。

スーパーコンピューターではいざ知らず、日本がどう転んでも世界最強の軍事大国には未来永劫なり得ない。であれば中途半端な戦力の整備に毎年子ども手当とほぼ同額の何兆円かを注ぎ込むのはまったくの無駄である。必ず強い相手に負けるのだから。そのための日米安保である、と言う人がいるだろうが、無敵と言われた同国人の軍隊ですら結局は頼りにならなかったのに、なぜ他国の軍隊が信頼出来るのだろう。お目出度いにもほどがある。いまこそ日本人は叡智を集めて軍隊無しで生き延びる道を探し求めるべきなのである。その道は必ずある。

追記(17日午後)
朝日新聞へのの投書を見てこれだけはぜひ書き残しておかなくてはと思い小文にまとめたが、夜も更けて推敲の間もなく投稿したのでその後少し手を加えた。Youtubeも追加した。日本はどう生き延びていくべきか、折に触れて考えを述べていきたいと思う。


菅内閣不信任案の行方が菅総理の正体をあらわす

2010-06-16 15:37:03 | Weblog
昼過ぎに自民党が菅内閣不信任決議案を衆院に提出した。曲がりなりに筋を通したと言える。


これは15日朝日朝刊第四面の記事である。自民党谷垣総裁は菅首相の旧著「大臣」(岩波新書、1998)の中の記述を取り上げ、衆議院解散を迫った。確かに55ページには次のように著されている。

政策的に行き詰まったり、スキャンダルによって総理が内閣総辞職を決めた場合は、与党内で政権のたらいまわしをするのではなく、与党は次の総理候補を決めたうえで衆議院を解散し、野党も総理候補を明確にしたうえで総選挙に挑むべきであろう。

鳩山内閣は普天間基地問題では政策的に行き詰まり、政治とカネのスキャンダル漬けになった。まさにこの著者の述べる通りである。もっとも菅氏は53-54ページで

内閣の任期は衆議院議員の任期に連動すべきで、それは原則四年だという認識から、不信任案が可決されたときと総理が交代したとき以外、衆議院の解散はやたらにすべきではないと考えている。

と述べて、衆議院の解散に慎重な姿勢は示しているが、それでも「総理が交代したとき」と明記して、衆議院の解散と総選挙を容認している。決して上の主張と矛盾するものではない。そして民主党は野党時代にこの論法で自民党政権を責め立てた。

この谷垣氏の質問に対して菅総理は「国民の信を参院選で問うていきたい」と答えたのにとどまる。総理大臣になってから気が変わったので、とでも言い訳をした上での返答ならまだしも、これでは対話が成り立たない。それに誰しも考えれば分かることであるが、参院選はそもそも国民の信を問う場ではない。衆議院と参議院の誰にでも分かる唯一の違いは、衆議院が議員の任期半ばでも解散される場合があるのに対して、参議院は解散されることがない。そう定まっているからである。だからその時の風の吹き具合で議員に一度選ばれると、世論がどのように大きく揺れ動こうと6年間その席を温めることになる。国民に信を問うのであれば、衆議院の解散・総選挙しかありえない。

日本国憲法第69条(衆議院の内閣不信任)には「内閣は,衆議院で不信任の決議案を可決し,又は信任の決議案を否決したときは,10日以内に衆議院が解散されない限り,総辞職をしなければならない。」とある。自民党が不信任案を提出しても可決される可能性はないだろうが、これを引き金に菅総理が決断すれば衆議院解散・総選挙は現実のものとなる。菅内閣はなぜ衆議院解散・総選挙をしないのかとは私のかねてからの主張であるが現在午後4時前、もう答えは出たのだろうか。菅総理がかって清新の気持ちで政治に真摯に立ち向かっていた頃に著した本で宣言したことを今こそ実行し、自分の言葉に忠実な政治家としての根性を国民の前に示して欲しいと思う。

「はやぶさ 輝き帰還」と「比例投票先民主43%」

2010-06-14 17:26:44 | Weblog
ともに朝日朝刊一面の見出しである。

小惑星探査機「はやぶさ」が約60億キロの旅を終えて7年ぶりに地球に帰ってきた。この探査機が着陸した小惑星イトカワは全長が500メートルほどだから、かって建造された最大の船とされるノルウェー船籍の石油タンカー、ノック・ネヴィス、の全長458メートルを少し上回る程度である。このように小さい小惑星が地球上での観測で発見されることすら驚きなのに、そこまで探査機「はやぶさ」送り込み、さらに地球に連れ戻したというのだから興奮してしまう。回収カプセルも落下箇所もすでに視認されたそうである。この計画に携わった多くの方々の達成感と喜びは筆舌に尽くしがたいだろう。心からおめでとうと申し上げたい。

実を申せばここ最近の報道で私は始めて小惑星探査機「はやぶさ」のことを知ったような気がする。実際はこの探査機が2003年5月9日に打ち上げられた時は大きなニュースになっただろうし、その後も折に触れてその活動が伝えられただろうが、恥ずかしながらその記憶が全然無いのである。夢のようなことをようやる、とこの探査計画を本気に受け取っていなかったからかも知れない。ところが日本の科学技術はそういうことを鮮やかにやってのけるレベルに達していることを今あらためて知らされ嬉しくなった。これこそ文句なしに世界一ではないか。こう言う時は素直に浮かれることにしよう。

ところでこの約60億キロの旅とはどのようなものだったのか、ちょっと気になった。地球と太陽の平均距離はおよそ1億5000万キロメートルで、地球から土星が13~16億キロ、天王星が27~30億キロだそうであるから、往復60億キロの距離というと遙かに遠く離れた天体のイメージが浮かぶ。しかし一方、「はやぶさ」が独自の回転軌道をただくるくる回っているのが積算されただけでは、地球からの距離のイメージが大きく変わってくる。「はやぶさ」の7年間に亘る航跡を地球を中心に置いた三次元空間に再現できるのならそれを見てみたい。それによっては私の疑問への答えはかなり変わったものになるような気がする。

第二の話題、朝日新聞の直近の世論調査によると、参院比例区の投票先は民主が43%、自民が14%と民主が圧倒したそうである。鳩山・小沢辞任直前の民主への低支持率がまるで嘘のようである。鳩山・小沢体制の時は参議院で民主に絶対に単独過半数を与えるべきではないと思っていたし、世論の動向もそうであったので参院選挙の成り行きをある程度楽観視していたが、その動向が変わったのが気になる。

参議院で民主に絶対に単独過半数を与えるべきではないと私が考えるのは、ひとえに小沢一郎前幹事長の政局への影響力を排除したいからである。そこで警戒するのは来る参院選挙で民主党が過半数を制し、小沢前幹事長が権謀術数を講じて権力の座に舞い戻ることである。その可能性が排除されない限り、簡単に民主に過半数を与えるべきではない。前にも菅内閣はなぜ衆議院解散・総選挙をしないのか  追記有りで述べたことであるが、小沢拒否反応がまだ根強い間に政界再編を究極に目指しての衆議院解散・総選挙に踏ん切って欲しいものである。今の菅民主党にはそのエネルギーがマグマとして蓄積しているように思う。


英国の友人夫妻との二日間 広島原爆資料館 厳島神社 北淡震災記念公園 すき焼き

2010-06-13 22:44:57 | 旅行・ぶらぶら歩き
かっての仕事仲間で友人でもある英国人が会議で京都にやってきた。皇太子さま どうか親孝行をの中で「London大学King's Collegeの友人を訪問した。共同研究の打ち合わせである」と述べたことがあるが、その友人である。二回ほど自分で試料を持って京都の研究室までやって来て、私の考案による当時世界で一台しかないユニークな装置を使って一緒に実験をし、何編かの論文にまとめたものである。現在はSheffieldで研究をすすめているが、その彼が夫婦でやって来た。六年ぶりの再会である。

11日は京都から新幹線のぞみに乗った彼らと打ち合わせどうり新神戸で合流、と言っても自由席の別々の車両に乗ったのか車両内を見回した限り見つからない。車上で、でなければ広島駅の降りたプラットフォームで、と取り決めていたのでそのまま広島に向かった。後で聞くと彼らは3号車でに乗っていて、私たちが2号車に乗り込む後ろ姿を見て安心したそうである。


広島駅からタクシーに乗って原爆ドームに行き、原爆死没者慰霊碑を訪れて改めて碑文の「過ちは繰返しませぬから」にしっくりしないものを感じた。何故か、を以前に述べたことがある。「あなごめし」の昼食を済ませて広島原爆資料館に向かう。すべての展示とそれに添えられた英文の説明書を丹念に読んで行くものだから私は時々失礼して椅子に腰をかけたりしていた。彼女が特に関心を持ったのは、何故広島が原爆投下地として選ばれたか、ということであった。と言うのも彼女の父親は軍人で戦争中日本軍の捕虜となり、仙台にある捕虜収容所に入れられていたのである。そのようなこともあってか、彼女は日本に対して複雑な思いを持っていたようであるが、6年前に私たちと数日過ごし、また日本を旅行して回って日本に対する見方をが変わったとは後で聞いた話である。原爆投下地として候補に上った三箇所のうち、広島だけが捕虜収容所の無いことから最初の候補に選ばれたということを説明文で知り、納得したようであった。原爆資料館で2時間はたっぷりと費やしたがまだ日は高い。タクシーで広島駅に戻り今度はJRで宮島口に向かい、フェリーで宮島に渡った。


ちょうど大潮の干潮時に出くわしたものだから厳島神社の大鳥居の周辺は干潟になり、参拝客が歩いて鳥居まで行っている。私たちもそれに加わった。私自身厳島神社を訪れたのは今回が初めてなので、こういう機会を彼らに与えられたことになる。ところが彼らにとって厳島神社はガイドブックを見ただけでは行こうと思うような対象では無かったようである。しかし風光明媚なことと厳島神社の朱色のたたずまいは印象的だったようで、昔ながらの機械式ライカを愛用している彼には大鳥居などはよい被写体であった。一方、彼女がめざとく見つけたのが後白河法皇行幸松(遺木)のひび割れの隙間に硬貨が押し込まれていたことだった。Sheffieldの家は築230年で、その頑丈な梁のひび割れに古い硬貨が沢山埋め込まれているとのことで、似たような風習?に興奮していた。再び広島駅に戻り新幹線で帰途につく。私たちは新神戸で降り京都に向かう彼らを見送った。後で聞くと、私たちと入れ替えに新神戸から乗り込んだ日本人夫婦の男性が横に座り、彼らが話し合っているの聞いて英国人と見当をつけて話しかけてきたそうである。その男性はかってロンドン大学に留学していたとのこと。すでに京大を退職しているが、神経科学?の会議を神戸で開くための相談に神戸を訪れ、京都に帰るところであったそうである。旅での思いがけない出会いを喜んでいた。

二日目の12日は正午に在来線で神戸駅まで来てもらい、車で明石大橋を渡って北淡震災記念公園を訪れた。英国ではいわゆる地震はなくて、あっても弱いtremorであると言っていた。辞書で引くと「弱い地震」とある。断層のずれの大きさと地震の規模との関連が今ひとつ飲み込めないようであったが、震災体験室で震度7と余震震度4の揺れを体験して言葉を失っていた。わが家に戻ってきたのはもう4時で、あとはのんびりと寛いでいただくことにした。

Sheffieldは鉄鋼業の栄えた都市だとのこと、だから戦争中はドイツ軍の空襲で大きな被害を受けたそうであるがあまり古い建物は少なく、被害を受けた大聖堂などもヨーロッパの他の都市、特にドイツの都市で行われたようなすっかり元の形に再建するようなことはされずに、すっかり新しい建築物となったようである。現在も金属加工業が主要産業で、刃物産業が栄えているとのことだった。ということでペーパーナイフをお土産に頂いたが、イギリスの言い伝えではナイフや鋏のような刃物をプレゼントとして人に贈ると、それまでに築き上げてこられたつながりが断ち切られるのだそうである。でも刃物が土地の名産品であるだけにどうしても人に上げたくなる。ではどうすればいいのかというと、一番安い値段で買い上げて貰うことにするそうである。そこで私も1円で譲っていただいた。これで目出度しめでたしである。お返しには夫婦がほぼ同じ背丈なので、二対がほぼ同じ長さになるような輪島塗の夫婦箸を選んでおいた。

すき焼きでもてなしたが、脂の多いいわゆる霜降りの肉と、肉質が多いもも肉とを用意した。見慣れていないと霜降りは異様で、脂を警戒する人にとっては敬遠したくなるような代物でもあるからだ。ところがそれがKobe beefなのかと聞くので(本当は何肉なのか知らないが)そうだと答えると、好みがそちらに集中するので驚いた。やはり美味しいものは美味しいということなのだろうか。

彼らと話していると英国人と話しているような気がしない。日本人と同じようなことを言うからである。仕事に就かずぶらぶらしている若者が多い。働く意欲が減退しているので徴兵制度を復活して社会への貢献を忘れないよう鍛え上げるべきだと過激なことを仰る。政変に国の借金もまたしかり、日本も英国病を患うぐらい成熟したということなのかと思ったりする。研究予算も厳しいらしいが、それでも今回の会議には研究室から女性研究者ばかり4人も連れてきて、と彼女が彼をからかうように言う。対抗意識を出すわけではないが、私も先日生野コリアンタウンを朝鮮語教室の女性4人と探訪した時の写真を見せた次第である。

彼はあと3年半すると定年ということなので、一弦琴を奏で庭にも案内したりして今の暮らしをいかに享受しているかを身を以て少しは示したつもりであるが、さあ、どのように伝わったことやら。時間があっというまに過ぎ9時になったので、地下鉄の駅まで歩き、JR三宮駅の新快速まで送り届けた。最初は三日間お付き合いをする予定にしていたが、今日13日ぐらいは二人でゆっくりしてもらった方がいいだろうと思い、その代わり昨夜は遅くまで引き留めたのであった。今日は梅雨入り初日で一日中雨であったが、休養にはちょうど良かったと思う。





菅内閣はなぜ衆議院解散・総選挙をしないのか  追記有り

2010-06-10 09:50:03 | 社会・政治
菅内閣がこの8日、正式に発足した。首相と閣僚計18人のうち同じポストへの再任は11人にも上るし、菅さん自身も副総理からの格上げだと見ればそれほど新しさを感じさせない。再任がそれだけ多いのは民主党の手持ちの駒がこれで尽きたことを悲しくも語っているかのようである。しかし菅さん自身が「私も普通のサラリーマンの息子。普通の家庭に育った若者が志を持ち、努力をすれば政治の社会でも活躍出来ることが民主主義のあり方だ」と語るように普通の家の出で、閣僚も日本社会党の衆議院議員を父に持つ中井洽国家公安・拉致大臣以外はいわゆる世襲議員でないのが新鮮に映る。自民党の麻生世襲議員内閣で7割が世襲であったのとは大違いである。原口一博総務大臣のようにかって週刊誌で小沢一郎に急接近する「ごますり三人衆」と揶揄されて人や、元来小沢氏ともども姿を消すべき亀井静香金融・郵政改革大臣の存在が気に掛かるが、いずれにせよ小沢色の希薄なのがよい。

それにしても正式に組閣をする前から菅さんが米軍普天間飛行場移設問題に関して、名護市辺野古周辺への移設を明記した日米共同声明を尊重するとはやばやとぶち上げたこと、また国民新党代表の亀井静香氏と会談し、郵政改革法案の速やかな成立を期すことを確認したことの二点はどうにも解せない。「最低でも県外」の鳩山さんが去ればすべてが終わりになったような姿勢がうかがわれて、薄ら寒い思いをする。郵政改革法案にしてもそれが会期を延長してまでも参議院を通過させなければならないほど成立に緊急を要する法案でもあるまい。郵政法案を廃案にしてあらためて国民の前でその理非を論じて欲しい。それで国民新党が連立から離脱するのであれば大歓迎である。社民党がまず抜けて国民新党が抜ける。これでスッキリする。私は民主主義を破壊しかねない民主党・社民党・国民新党でも述べたように、この連立には最初から反対であった。

当面菅内閣への支持率が大きくなったようであるが、上にも述べたように普天間の基地問題は鳩山内閣時代の問題点をそのまま引き継いでいるからには、新たな展望を示さない限りいずれはじり貧の道を辿るのは目に見えている。過去の自民党が民意を問うことなく次から次へと総理大臣の首をすげ替えてきたことに対して、国民の信を問うべしとその度に迫ったのは民主党である。それが同じように自民党の轍を踏むことに、民主党内から何一つ声が上がらないのは、政権をとればそんなもの、と分かっているつもりでもなんとも情けない。普天間基地問題にどのように取り組むのか具体的な施策を正面に掲げ、今こそ衆議院の解散、総選挙を早急に打ち出すことで菅内閣は心ある国民の力強い支持を得ること間違いなしである。ついでに300名を超える民主党所属衆議院議員から小沢一郎前幹事長の追随者を一掃できれば御の字であるし、その結果、政界再編成により小沢一郎党とそれへの反対党が生まれることになれば政治も活気を取り戻すことであろう。

追記(10日 23:50)
政府・民主党は会期末を16日に迎える今国会を延長しない方針を決めたとのことである。郵政改革法案の今国会成立を求める国民新党は当然反発するだろうが、いったん権力側について味わった旨味には勝てず、連立離脱はただの脅し文句に終わり、いぜんとして国民新党は政権に居座ることだろうと思う。万が一連立離脱をしたならその時は亀井静香氏を少しは見直すことにする。


JR「奈良万葉きっぷ」をなぜ利用日当日に買えないのだろう

2010-06-08 16:51:58 | 旅行・ぶらぶら歩き
昨日の「山の辺の道」をぶらぶら 大神(おおみわ)神社のことでは触れなかったが、実は出かける前にあるハプニングがあった。JR西日本が「奈良万葉きっぷ」を発売していることをポスターで宣伝しているのでそれを買おうとしたところ、JR三宮駅の窓口で係員に「今日は乗れませんよ」と言われた。乗車日の一日前までに買わないといけないそうなのである。ポスターにはこのような文言は見つからなかったが、利用制限があるようなことが書かれている。多分それなんだろうと思い、仕方なくICOCAを遣って桜井線三輪駅まで行ったのである。片道運賃は1450円であった。

帰ってから調べるとネット上に次のような説明があった。


確かに「乗車日の1日前までの発売となります。※ご利用日当日の発売はいたしません」とルールがちゃんと記されている。それを確認しなかった手落ちは私にある。しかしこの切符を利用すると往復1300円で済むところ、その倍以上の2900円を私は払ってしまったのである。この違いはきわめて大きい。確かにルールはルール、つい最近も米大リーグで審判の世紀の大誤審により完全試合記録をふいにしたタイガースのガララーガ投手が、審判をとがめずにルールに従ったことで男を上げたばかりである。そこで私もルールを認めて静かにすれば男も上がるのだろうがそこが凡人の浅ましさ、このルールにちょっとイチャモンをつけたくなった。このルールの必然性が素直に理解出来ないからである。

50%以上の割引率は大きい。しかし専門家が検討してこのきっぷの発売を決めたのはそれなりに営業利益が確保できる見通しがあってのことであろう。それなのに利用日当日の発売をしないというのはどういうわけだろう。利用者の身になるどころか意地悪をしているとしか思えない。私のようなうっかり者相手に、売ってはやらないよ、とかっての統制経済時代の売り手のように、ある優越感を顧客に誇示することでなにかの鬱憤晴らしでもしているのだろうか。これ以上言うと私の恥ずかしい品性をさらけ出してしまうことになるのでここで止めるが、利用日当日に売る、売らないの違いが一体何なのか納得のいく説明が欲しいものである。

ちなみに、先月は阪神・近鉄電車で奈良まで「せんとくん平城京1日電車乗車券」で出かけたが、この1500円の割引切符は当日阪神三宮駅で買うことが出来た。私鉄で出来ることがJRではなぜ出来ないのだろう。


「山の辺の道」をぶらぶら 大神(おおみわ)神社のこと

2010-06-07 20:26:18 | 旅行・ぶらぶら歩き
一昨日、思い立って「山の辺の道」のぶらぶら歩きに出かけた。JRで三宮駅を出発、大阪駅で大和路快速に乗り換えて奈良駅へ、さらに桜井線に乗り換えて三輪駅で下車した。大神(おおみわ)神社を起点に「山の辺の道」を北上して歩けるところまで歩こうというのである。途中で疲れたとしてもまずは最寄りのJR駅まではたどり着かないといけないので、覚悟を定めて出発した。

まずは腹ごしらえである。大神神社二の鳥居前、少し左に入ったところにある旧家をそのまま使ったというお店で冷やしそうめんを注文した。かちわり氷できりっと冷やされたそうめんの歯触りがなかなかのものである。そうめんと一緒に柿の葉寿司を注文している人が目立ったが、後になって謎がとけた(と思っている)。そうめんの消化がよすぎて?、この後てくてく歩き続けるとあっというまに空腹になってしまったのである。


まずは大和国一の宮三輪明神 大神神社にお詣りする。古事記崇神天皇にその謂われが出ている。

 この崇神天皇の御世に、流行病が盛んに起こって、人民が死に絶えようとした。それで天皇はこれをたいへんご心配になって、神託を得るための床におやすみになっておられたが、その夜、大物主大神がが御夢の中に現れて、「流行病が起こったのはわが意志でやったことである。だから、わが子孫の意富多多泥古(おおたたねこ)をもってわれを祭らせるならば、神の祟りも起こらなくなり、国もまた以前のように平安になるであろう」と神託を下された。

天皇は早馬の使者を四方に遣わし意富多多泥古を河内の美努村(みめのむら)で見つけ出す。

ただちに意富多多泥古命を神主に命じて、神が天降りこもるという三輪山に意富美和之大神(おおみわのおおかみ)を斎き祭らせられた。(中略)これによって疫病の流行はすっかりやんで、国家は平安になった。
日本古典文学全集(小学館)「古事記・上代歌謡」

境内に三島由紀夫揮毫の「清明」記念碑があり、その説明から彼が「豊饒の海」第二巻「奔馬」で大神神社を取り上げていることを知った。帰って調べてみると次のような記述が見つかった。



従って大神神社には本殿がなくて拝殿だけがあり、拝殿の奥の三輪鳥居(三ツ鳥居)を通してお山を拝むのである。神社で頂いた「三輪明神縁起」から次の写真を転載する。


この三輪鳥居を幸いにも直接に目にすることが出来た。参集殿で三輪鳥居を拝見したいと申し出たところ、神主さんに導かれて拝殿の上に登り、お祓いを受けたのち拝殿の左側奥に案内された。そこから三輪鳥居を拝見したのである。この鳥居は拝殿と神体山のうち特に神聖な場所とされる禁足地とを区切るものとされて、拝殿の奥正面に建っている。神の籠もる清明の地に古代より代を継いで生い茂っている立木を目前にすると、思いがけず感動で身が震えた。まさに神代から今に至る連綿とした人の営みに自分も繋がっていることを実感したのである。

この神体山には境内摂社の狭井神社から入山出来るとのことであった。距離は2キロほどでも登って降りてくるのに2時間はかかるらしい。「奔馬」には次のような宮司の言葉が出てくる。『もちろん一般人は入ることができませんし、ふだんはよほどの古い崇敬者に限って入山をお許ししてゐるわけでありますが、それは森厳なものですよ。頂の盤座(いはくら)を拝まれた方は、神秘に搏たれて、雷に打たれたやうな心地になると言っておられます』。「奔馬」の舞台は昭和7年で主人公の本多は大阪控訴院判事だからこその特別の扱いなのである。今は誰でも入山出来るようになったが、そのせいもあってかマナーのよくない人が増えて、と神主さんはこぼしていた。もっともこの本多にしても盤座の直ぐ上にある高宮神社で参拝をすませたあと、『汗を拭ひ、案内人に許しを乞うて禁断の煙草に火をつけて、ふかぶかと煙を吸った』のである。この神域ではたとえ禁煙との注意書きが無くても、火気を控えるのが常識と思うが、当時の超エリートがそういう配慮の働かない男として描かれているのが面白い。無神経なのか「特権」をひけらかしたのか。

拝殿の表にも案内された。きざはしの下では参拝者が柏手を打っている。それを見下ろす形なので申し訳なく思ったが神主さんの説明に耳を傾ける。正面中央の欄間に竜馬の彫り物があり、竜と馬が一体になったような動物である。神様の乗り物なのだろうか、今NHKの大河ドラマのお陰でこちらの竜馬もテレビなどでよく紹介されるようになったとのことであった。ちょっと好奇心を抱いたことから親切な神主さんに出会い、懇切丁寧な案内を受けて恐縮してしまった。神様にさし上げたのはお賽銭だけだったのに・・・。

またとない体験をした後、狭井神社で薬井戸からわき出た御神水のペットボトル入りを100円で買い求め、「山の辺の道」を北に向かって歩き始めた。まったくの山道だったり、割石を敷き詰めた道だったり、暗い道だったり明るい道だったり、道に変化があって楽しい。行き交う人も結構多くて挨拶を交わしては道を譲り合ってすれ違う。日差しは強いが木陰に入ると涼風にほっと一息つく。果樹園の点在しているのが物珍しかった。

桧原神社の高みからはるか西方を見渡すと二上山が見える。案内板によるとトロイデ式火山で、右側の雄岳の山頂に大津皇子のお墓があるとのことである。父天武天皇の没後、異母兄である皇太子草壁皇子に謀反を企てたとして捕らえられ死を賜ったとの話、また伊勢神宮斎王であった同母姉大伯皇女を伊勢に訪ねた大津皇子が大和へ帰るのを見送って、皇女が詠んだ歌として高校の時に覚えたものを今でも記憶にとどめている。二上山をはじめて目にして、そのようなことも思い出していた。

     わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし


次ぎに景行天皇陵を目指した。神武(じんむ)、綏靖(すいぜい)、安寧(あんねい)、懿徳(いとく)、孝昭(こうしょう)、孝安(こうあん)、孝霊(こうれい)、孝元(こうげん)、開化(かいか)、崇神(すじん)、垂仁(すいにん)、景行(けいこう)、成務(せいむ)、仲哀(ちゅうあい)、応神(おうじん)、仁徳(にんとく)、履中(りちゅう)、反正(はんぜい)、允恭(いんぎょう)、安康(あんこう)、雄略(ゆうりゃく)、清寧(せいねい)、顕宗(けんぞう)、・・・と延々人皇第一二四代今上(昭和天皇)まで、歴代天皇のおくりなを国民学校三年か四年の国史の授業で暗記させられた覚えがある。今でもここぐらいまではすらすらと出てくる。その第一〇代崇神天皇陵と第12代景行天皇陵がこの「山の辺の道」に沿ってあるので、これもまた昔を懐かしみこの二つの御陵だけは訪れることにした。景行天皇陵から崇神天皇陵に抜ける途中、暑さで少々ばてかけたが砂漠の中のオアシスよろしく、卑弥呼庵なる茶房で供された冷たい飲み物で息を吹き返した。



ここで「山の辺の道」は半分来たぐらいであるが今回はここまでとして、桜井線の柳本駅を目指した。その途中に史跡黒塚古墳・黒塚古墳展示館に差し掛かり、展示館に入った。この地域一帯の航空写真に数多くの古墳が記録されていたが、一番大きいのが渋谷向山古墳で二番目に大きいのが行燈山古墳である。折角その近くまで来ているのにこれらの古墳をどうして見逃したのだろうと思ったが、よく見ると行燈山古墳とは崇神天皇陵、渋谷向山古墳が景行天皇陵のことであることが分かった。もっとも考古学の遺跡名にどのようにして天皇由来の陵墓名を割り振ったのかそれなりの理由があるのだろうが、両所とも宮内庁の管轄になっている。それにしても崇神天皇陵で見かけた立て札の文字を含めて品のないことよ。と思うのも戦中の国史教育を受けた世代限定の反応なのかも知れない。


「山の辺の道」の残りは秋風の頃に歩くことにする。


機密費を貰った政治評論家の顔?

2010-06-05 09:01:35 | 社会・政治
政変のせいで報道番組と政治バライティを観る時間が増えた。政治評論家にもよくお目にかかるが、その話に耳を傾けるより喋っている顔をじっと見つめている自分に気がついた。雄弁なはずの政治評論家がなんだか控えめで精彩を欠く。私が見つめると目を逸らそうとする。やっぱり視聴者の目を意識している、さては・・・、と思うのである。話に耳を傾けるよりも表情や動作を観察する方がはるかに面白い。それというのもすでに旧聞に属するが、あの報道のせいなのである。たとえば、

野中・元自民幹事長:官房長官時代、機密費を月7000万円 「国対、評論家にも」

 野中広務元自民党幹事長(84)は20日、毎日新聞のインタビューに応じ、小渕内閣の官房長官在任中(98年7月~99年10月)、内閣官房報償費(官房機密費)を毎月5000万~7000万円程度使い、国会での野党工作のほか複数の政治評論家にも配っていたことを明らかにした。また、今夏の参院選で「第三極」が伸びる可能性に言及し、選挙後、政治情勢は流動化するとの見通しを語った。【聞き手・中田卓二】

 --官房機密費の使途の一部を公表した理由は。

 ◆国民の税金を表に出せない形で操作することはある程度必要かもしれないが、ちょっと大まか過ぎる。私も年だし、政権交代で変えてもらうのが一番いいという意味も含めて話した。

 --具体的には。

 ◆(総額は)月に5000万から7000万円。(自民党)国対委員長に与野党国会対策として月500万円、首相の部屋に1000万円、参院幹事長室にも定期的に配った。政治評論家へのあいさつなども前任の官房長官からノートで引き継いだ。1人だけ返してきたのが田原総一朗さん。「もうちょっと(金額の)ランクを上げてくれ」と言った人もいた。政治家から評論家になった人が小渕(恵三首相)さんに「家を建てたから3000万円、祝いをくれ」と言ってきたときは「絶対だめだ」と止めた。
(毎日新聞 2010年5月21日 東京朝刊)

この記事からは少なくとも野中さんの在任期間中、機密費を受け取らなかったのは田原総一朗さんただ一人、と受け取ることが出来る。表に出せないカネを受け取った政治評論家がそれをどのように始末したのか分からないが、「政治とカネ」に口出しする時はやはり忸怩たる思いがあるのだろうか。機密費を受け取った政治評論家の名前が具体的に挙がらないものだからテレビに出てくる評論家がどれもこれも怪しくて、この評論家を白状させるにはどのような攻め方が効果的なのか、特捜検事にでもなったかのような気分でつい想像してしまう。

この記事が出てすでに3週間近くなるが、その間、風評被害で商売があがったりになったからと野中氏に抗議した評論家の話を聞かない。この話の信憑性はかなり高いような気がする。

鳩山さんのよかったところと言えば

2010-06-04 10:40:32 | 社会・政治
鳩山さんの民主党両院議員総会における辞意表明演説で私が最も注目したのは『日本の平和、日本人自身で作り上げていく時をいつかは求めなければならないと思います。 アメリカに依存し続ける安全保障、これから50年、100年続いていいとは思いません』という発言であった。6月2日の午前10時過ぎにNHKテレビの実況放送で耳にしただけだったので、正確を期すためにその発言をYoutubeで確かめ、その旨を鳩山さんの真意はやはり日米安保破棄だったのかも・・・  追記ありの追記で記した。私がこの発言にこだわったのは「最低でも県外」は鳩山さんの本心だったと思ったからである。すると翌6月3日の朝日新聞朝刊の第一面に編集委員星浩さんの「理想迫った 古い政治」という署名記事の冒頭に、この発言が次のように取り上げられていた。


鳩山さんには四六時中この言葉を口にして欲しかったと思う。私が心の底から望んでいる「日米安保の破棄」を政治家のオブラートで包みながらでも絶えず発信し続けておれば、アメリカの干渉がどれほど露骨になるかを国民にもっと覚らせたのではなかったかと思う。しかし舞台での最終口上とは言え、時の総理大臣がこの言葉を発した意義はきわめて大きい。国民すべてが自国の安全保障を自分のこととして考えないことには米軍基地問題の根本的解決なんてあり得ない。普天間基地問題に矮小化すべきではないのである。鳩山さんはこの発言で自らの尊厳を取り戻したと私は評価する。

小沢幹事長を道連れにしたのも秀逸であった。「政治とカネ」の問題で特捜部が小沢幹事長を不起訴にしたことで国民が失望感を抱き、検察審査会の判断に一縷の希望を抱いたのも、要するにカネまみれの胡乱臭い政治家が依然として政界に居直り権力を振るうことへの嫌悪感があったからである。政治の舞台からとにかく去って欲しかった。必ずしも刑事罰の罪人としたかったわけではない。その意味では検察も出来なかったことを鳩山さんは民主党代表の権力で一挙に断行したと言える。幸い次期民主党代表・総理と目されている菅さんも小沢さんいついて「しばらく静かにして頂いた方がいい」との意向を明らかにしているのが心丈夫である。

♪啼くな小鳩よ 心の妻よ なまじ啼かれりや 未練が残る・・・、 

なんて古くさい流行歌がなぜか口をついて出た。


ジューンベリーにストローベリーそしてそら豆

2010-06-03 17:52:22 | Weblog
6月に入り、ジューンベリーの実が熟してきた。昨年は葉のみであったが今年は白い花が沢山咲き、そして実が成った。可愛くて甘酸っぱいがごまのような種がけっこう多い。毎日のように何房か食べて種を下にまき散らしている。幸い今のところ鳥の目から逃れている。




プランターで育てている3株のいちごも確か3年目で、今年は実も多い。ナメクジじゃないかと思うが、虫にやられないように気をつけていたお陰で二三日おきに二三粒ずつ口にしている。下のは先ほど庭での収穫である。



今年はじめてそら豆を蒔いたところ寒中は成長が遅くやきもきしたが、4株が立派に成長して何回にも分けて収穫している。今は最後の鞘の成長を見守っている。


これは最初の収穫で、そら豆ご飯にした。ほっこりとして皮も柔らかい。豊饒を味わった。


キュウリ、トマト、茄子、ピーマンも苗が生長している。二人家族には十分な収穫を与えてくれるはずである。そこで脈絡もなくふと思ったが、このような家庭菜園での収穫を農林水産省は把握しているのだろうか。少なくとも私は収穫高をどこにも申告していないので、その分わが国の食料自給率のデータは不正確になる(とは大きく出たものだ)。