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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「研究助成受けたら小中で授業義務付け 文科省」とはなんとまあ・・・

2010-06-26 17:18:43 | 学問・教育・研究
旧聞に属するが次は日本経済新聞電子版の記事(010/6/22 21:12)である。

研究助成受けたら小中で授業義務付け 文科省

 文部科学省は22日、1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者に、小中高校での理科の出前授業などを事実上義務付けることを決めた。来年度から実施し、「競争的資金」を受ける約2000人が対象になる。国の科学研究を発展させるには研究者自身が成果を説明して予算配分に理解を得るとともに、「未来の担い手」を育てる努力をする必要があると判断した。

 競争的資金制度はテーマを研究者から募り、有識者らが優れたものを選定して助成する。文科省の科学研究費補助金(科研費)が助成総額の約4割を占める。

 文科省の方針では3000万円以上の助成を受ける研究者は最低でも年1回、小中高校で自身の成果を分かりやすく説明する出前授業をする。または一般市民向けの公開講座を開く。多忙な場合は共同研究者や外部講師に依頼できるが、発生する費用には研究費の一部を充てる。

 対象となる助成制度では、研究期間の途中段階で助成を続けるかどうかを審査するのが一般的。その際に研究の成果同様に、出前授業や公開講座も評価対象とする。実施しないと評価が1段階下がるため、事実上の義務付けとなる。

 科学技術政策の司令塔である総合科学技術会議(議長・菅直人首相)が22日に「国民との科学・技術対話の推進について」の基本方針を公表。この中に出前授業や一般向け公開講演会など「国民との科学対話に積極的に取り組むよう(競争的資金の)応募要項に記載する」と明記した。

 川端達夫文科相も同日の閣議後会見で「文科省として対応していきたい」と述べ、基本方針に沿う方針を明らかにした。これを受けて文科省は来年度分から、科研費などの応募要項に「出前授業を積極的にするように」と明記する。総合科技会議が直轄し、京都大学の山中伸弥教授ら30人が助成を受ける「最先端研究開発支援プログラム」では今年度から出前事業などを義務付ける。

 昨年秋の事業仕分けでは、スーパーコンピューターや宇宙開発の予算縮減判定に科学界が反発。研究者も研究の意義や成果を十分に説明していないと批判を受けた。必ずしも早期の実用化が期待できない研究予算に理解を得るには、説明機会を増やす必要があるとの声は多い。

私はこの記事を見て今時の研究者に同情してしまった。自分自身の研究成果を話す出前授業や一般向け公開講演会など、また余計な仕事を強いられそうであるからだ。『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』なんて、そうざらにいるわけではない。限られた人たちである。その域に達するまでにどれほどの厳しい研究生活を積み重ねてきたことだろう。文字どおり寝食を忘れるほどの精進があってのことである。寸暇を惜しんで研究に没頭する働き盛りの研究者に対して、『最低でも年1回、小中高校で自身の成果を分かりやすく説明する出前授業をする。または一般市民向けの公開講座を開く』ことが、いかに過重な負担を強いることになるのか、文科省の関係者は考えたことは無いのだろうか。研究者が毎年提出する研究成果報告書と、ここで要求されている出前授業とか公開講座で話す内容が同じであってよいはずはなく、児童・生徒や社会人に理解して貰おうと真面目に考えれば、それをやれるような研究者は100人に1人もいないのではないかと私は思う。それかあらぬか、『多忙な場合は共同研究者や外部講師に依頼できる』と始めから抜け道を作っているではないか。文科省も無理を承知で言っていることをこのような形で認めているのだから、一片の通達で研究者からただでさえ貴重な時間を奪い取るような愚行は即時改めるべきだと思う。

私はかって科学者は謙虚、かつ毅然たれで、『歴史は科学が「無用の用」でもあることを証明しているといえる。科学が「無用の用」であることをいかにスポンサーである国民に理解して貰えるのか、これこそ謙虚に地道な努力を重ねるしか術はないように思う。』と述べたことがある。その意味では『国民との科学対話に積極的に取り組む』ことは決して悪いことではない、と言うより、適切なやり方で大いに推進すべきであると思う。しかしその役割は『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』に担わせるのではなく、国民と研究者の間に立つ科学コミュニケーターに委ねるべきで、そのために優れた科学コミュニケーターの育成にこそ文科省の組織を上げての取り組みがあってしかるべきである。研究の遂行と国民との対話とはそれぞれが異なった次元での能力を要求するものだからである。

「天災は忘れた頃に来る」の箴言で知られる物理学者寺田寅彦は、大学の教育について「ファラデーのような人間が最も必要である。大学が事柄を教える所ではなく、学問の仕方を教え、学問の興味を起こさせるところであればよい。本当の勉強は卒業後である。歩き方さえ教えてやれば卒業後銘々の行きたいところへ行く。歩くことを教えないで無闇に重荷ばかりを負わせて学生をおしつぶしてしまうのはよくない」と述べている。もちろん高校以下での教育についてもその精神は合い通じるところがある。

私は最新科学の現状を国民に知らせるのは科学コミュニケーターに委ねればよいと思うが、一方、科学研究の未来の担い手を育てる努力の一貫としてなら『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』の出番もあるような気がする。自身の研究成果ではなく、いや、あってもよいが、主眼は「自分はなぜこの道の研究者になったのか」に置いて、話せばよいのである。これなら準備にかける時間は研究内容を話すのに比べて大幅に節約出来る。

先ほどの寺田寅彦であるが、このような話が残っている。寅彦は高知一中(旧制)の出身で当時は東京帝大の教授であったが、帰省中のえらい先輩と言うことで中学校で『物理学の基礎としての感覚』について1時間話をしたそうである。その話を中学一年生が聞いて『「何も用意してこなかったから」と前置きして、草稿一つ手にせず卓上の玻璃製の水差しの水と光線の屈折に関係した物理を講演された。もう細かいことはまったく記憶にないが、とにかく型破りのオリジナルなもので、私に物理は面白いものだと思い込ましたことに間違いはない』と後世語っている。事実、この中学一年生は東京帝大の物理に進み、寅彦の弟子の1人になったのである。

寺田寅彦は『尺八の音響学的研究』で理学博士の学位を得たかと思うと、後年、鉱物結晶の粉末にX線を当てて出るラウエ斑点を簡単に撮影する方法を発明して学士院恩賜賞を受賞した、というまことに融通無碍の研究者で、「自分はこれまでただ面白いと思って自分の興味に任せて学問してきた。何になろうなんのと、始めから考えていなかった」とその研究に対する姿勢を語っている。『1件あたり年間3000万円以上の研究助成を受ける研究者』のほとんどの方もそうであろうと私は推測する。だからこそ、どうしても出前授業を引き受けざるを得なくなったら、ご自身のこれまで歩んだ道を児童・生徒に語り、研究することへの興味をぜひかき立てていただきたいのである。それにしてもあれやこれや、余計な口出しする文部官僚が多すぎるようで、5割ぐらい人員削減すれば少しはすっきるすることだろう。