Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

未亡人の葛藤

2006-10-01 10:18:38 | 北米
取材でカンサス・シティに滞在してきた。

4日間で3つの関連のないストーリーを取材するというなかなかの強行軍だったが、そのなかのひとつにイラク戦争で夫を亡くした未亡人の撮影があった。

イラク戦争では2003年の侵攻以来3000人をこえる米兵が死んでいるので、未亡人や残された子供達の話はすでに随分と報道されているが(ちなみにイラク市民の死者は4万以上)、今回焦点をあてたのはまだ子供もいないひとりの若い未亡人だった。

カンザス・シティから西に車で45分ほどいった小さな町に住むケリーという名の女性はまだ22歳。昨年の夏にイラク北部のモズルでの戦闘で夫のルーカスを亡くした。保守的な中西部の田舎町という気風もあって、周りの人たちは若い彼女に同情し、まるで悲劇のヒロインのように扱ったという。

まだ子供もいないし歳も若いケリーは、夫の死後1年が過ぎた今新しい生活を踏み出そうとしていたが、どうしてもこの小さな町の人々の眼が気になってしまう。町の人々にとっては、いつまでもケリーは「ルーカスの未亡人」であり、この町におけるイラク戦争の象徴なのだ。だから彼女がようやく気持ちの整理をつけて新しく付きあうようになったボーイフレンドとも、あまり人目につかないようにしか会うことができない。

一生ここに住むつもりでルーカスと共に家まで建てたが、彼女は今この町を去ろうとしている。

ここにいてはいつまでたっても「ルーカスの未亡人」であり続けなければならず、第二の人生をはじめる事ができないからだ。

もともとは彼女に対する町の人々の「思いやり」だったものが、いつしか「思いこみ」にかわり、目に見えないプレッシャーとなってケリーを縛り付けていってしまった。。。ファインダーのなかに映る姿から、小さなコミュニティーに生きるこの若い未亡人の葛藤が痛いほどよく伝わってきた。















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4 コメント

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像を作り出す (**kom)
2006-10-02 12:22:57
 私は何も考えないで生きていて、ある日こういうことにぶつかってしまいました。障害者もそうなんですが、世間と言われる人たちの「障害者 像」と私が生活して見ている障害者の姿に大きく開きが有る事に気がついたのです。



 世間が見る「像」に苦しめられているヒトは、結構多くそしてまたその「像」を壊す手段を持たないことから追いつめられていくこともあります。像の作り出しは、意識的に行われることもあるけれど、そのほとんどは勝手に作り出され、複雑に膨らみ当人にぶつけられるという道を辿ると思います。実は、そのことから当人が自分の現実を見据え、充分そこに入り込み考るということができなくなる、ということも起こると思います。



 自分の代わりに悲しんでくれるヒトがいることによって、感情や過去にすっと浸れなくなるからです。そのため立ち上がりが早くなってしまう。早くなってしまうのは、周りで騒いでしまうから当人は冷静になりすぎてしまう、というようなことが起こるからです。うまく書けないけれど、情報が素早く広がることによって、私たちは恩恵を得ているけれどその中に折り畳まれるようにして不都合というかそういうものも得ているようにも思います。そして、それが加速化している、ということも言えるのではないでしょうか。こういう時こそ、公的機関のサポートが彼女のようなヒトを支える仕組みが必要となるのだとも思います。実は、同情している人たちも、同情しているという自分を作り出しているだけなのだけれど、それに気がつく迄に忘れてしまう。考え続けることができず、新しい同情ができる次の場所を探してしまう。



 こういうことは、彼女だけにでなく起こっていることなのだろうとも思いました。同じような気持ちになっているヒトが多分いますよね。戦争の被害者家族の方で。



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Unknown (Kuni Takahashi)
2006-10-02 22:56:22
非常に興味深い視点だと思います。「同情される」ような立場におかれたことがあまりないので、ケリーに会ったり、**komさんの意見を読んであらためてこういうものの見方に気づきました。逆に言えば、自分も無意識のうちに同情してある種の「像」をつくりだしてしまっている、いわば加害者になっている恐れもあるわけですよね。
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何回もすいません (**kom)
2006-10-03 00:33:11
 加害者、というのはどうかわかりませんが、私はこの集団の心理のシステムが「ヒーロー」や「カリスマ」を作りたがる心理状態に似ていると思っています。



 ヒーローはヒーローではなくちょっとした選択によってそうなってしまっただけなのだけれど、周囲に過剰に反応され困っているヒトがいたりします。あれにすごく似ていると思うのです。「ヒーロー」も「カリスマ」も都市伝説みたいなもので、あるようでないような、ないようであるような。



 けして同情が悪いものだとは思いませんが、それを行動に移す時、または移した後、移している時、その時々の相手の様子をしっかり視ることが必要なのではないでしょうか。もし、同情されるのが自分だったらと考えてもわからないことは沢山あると思います。一番いいのは、そのヒトと共にすごすことかもしれません。それこそ彼女の日常を伝えることによって、理解できることが増えると思うのです。



 記事の女性は、多分同情されることが心苦しいのではなくて、同情してくれる相手の気持ちが分かるだけにどうしたらいいのか分からないのだと思います。旦那さんを亡くしたヒトに対して、彼女も同じ気持ちを抱いただろうと考えます。ただ相手は、同情されたその後の彼女の気持ちがわからない。そして、彼女は同情された後のヒトの気持ちや日常を「今」経験していて、それを相手に「わかれ」とは言えないのだと思います。推測ですけれど、混乱が続いているのだとも思います。彼女の状態を記事にするというのは、彼女の世界をまた変える事になると思います。きっとその記事で、多くのヒトが何かに気がつくような気がします。そして、彼女の世界もそのことによって変化できればいいなあ、と思います。
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Unknown (dumbo)
2006-10-03 11:32:22
視点がずれているコメントだったら、どうぞ削除してください。



どういう経緯でケリーが取材を引き受けてカメラの前に座ったか、それがどういう記事になるのか知りませんが、ケリーが取材に応じたて今の状況を知らない人に話した(話の内容が記事に載るかどうかは別として...)ということは彼女の中で、過去から未来への比重が変わっている瞬間なのかもしれませんね。



以前、交通事故で息子さんを亡くした方が伝えてくださった言葉です。『人は話すことで救われます。 誰かに話したいのです。 誰もやさしい言葉をかけて欲しいとは思っていません。 自分が話しをしている間に自分自身に納得させているのです。 自分自らが悟るために人に話したいのです』
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