「白黒かカラーか?」によせられたコメントのなかにいくつか「フィルムかデジタルか?」という問題提議がでてきたので、あらためて考えてみた。
実は、フィルムとデジタルについてはほとんど意識して考えたことなどなかったのだ。
デジタルが出始めた頃はやはり画質の問題があったので、僕も含めて多くがフィルムを好んで使っていたが、現在ではフィルムとの差などほとんどないし、特に報道写真に関しては、もうデジタル抜きでは仕事自体が成り立たなくなったといってもいいだろう。スタジオで撮る友人のコマーシャル・カメラマン達でさえ、その多くはすでにデジタルに移行している。
イラクやアフガニスタンの電気も水道もない荒野で撮った写真を、その場から翌日の新聞の発行に間に合うようにやすやすと電送することができるのもデジタルならではのことだし、これをフィルムでやろうと思ったら現像器具や使用する水を含め莫大な荷物をはこんでいかなくてはならなくなる。
僕は正直にいって極端に細かい写真の画質などにはこだわっていない。巨大に引き伸ばす芸術写真を撮っているわけではないし、並べて見比べてみなければ分からないほどの些細な違いなどどうでもいいと思っている。ノイズがなく、色がある程度自然でクリアに写っていればそれで十分なのだ。
だから今の僕にとってはデジタルは便利この上ない存在で、もうフィルムで写真を撮ろうという気などはさらさらないが、いまだに頑固にフィルムで撮っている友人もいることだし、「白黒かカラーか?」と同様に結局は個々の好みというところに行きつくのだろう。
僕にとってカメラは所詮僕の見たものを記録するための機械であり、手段にすぎない。使いやすく、その役割さえきちんと果たしてくれるのならデジタルだろうがフィルムだろうがどうでもいいのだ。
写真は、「どう写っているか」よりも「何が写っているか」のほうが重要だと思っているから。
実は、フィルムとデジタルについてはほとんど意識して考えたことなどなかったのだ。
デジタルが出始めた頃はやはり画質の問題があったので、僕も含めて多くがフィルムを好んで使っていたが、現在ではフィルムとの差などほとんどないし、特に報道写真に関しては、もうデジタル抜きでは仕事自体が成り立たなくなったといってもいいだろう。スタジオで撮る友人のコマーシャル・カメラマン達でさえ、その多くはすでにデジタルに移行している。
イラクやアフガニスタンの電気も水道もない荒野で撮った写真を、その場から翌日の新聞の発行に間に合うようにやすやすと電送することができるのもデジタルならではのことだし、これをフィルムでやろうと思ったら現像器具や使用する水を含め莫大な荷物をはこんでいかなくてはならなくなる。
僕は正直にいって極端に細かい写真の画質などにはこだわっていない。巨大に引き伸ばす芸術写真を撮っているわけではないし、並べて見比べてみなければ分からないほどの些細な違いなどどうでもいいと思っている。ノイズがなく、色がある程度自然でクリアに写っていればそれで十分なのだ。
だから今の僕にとってはデジタルは便利この上ない存在で、もうフィルムで写真を撮ろうという気などはさらさらないが、いまだに頑固にフィルムで撮っている友人もいることだし、「白黒かカラーか?」と同様に結局は個々の好みというところに行きつくのだろう。
僕にとってカメラは所詮僕の見たものを記録するための機械であり、手段にすぎない。使いやすく、その役割さえきちんと果たしてくれるのならデジタルだろうがフィルムだろうがどうでもいいのだ。
写真は、「どう写っているか」よりも「何が写っているか」のほうが重要だと思っているから。
「デジタルなんて味がないよ。」
けど、そういう友人の多くはプリントを見て、デジタルかフィルムかの区別がつきません。未だに多くの人がデジタルはきざぎざという観念があるのだと思います。
デジタルという響きが持つ機械的な響きが敬遠されるところが大きいのだと思います。
あと、デジタルはいくらでも加工できるから嘘っぽいという意見も多く聞きますが、それは何もデジタルに限ったことではないと思います。
僕もデジタル大好きです。特に僕の世代はちょうどプロが仕事でデジタルを使いはじめた世代で、僕は写真学校を出た訳ではないため、暗室作業の技術はありません。これからは、フィルムを知らない優秀なカメラマンがたくさん出てくる時代なのかもしれません。
印刷の媒体が新聞紙(十条高白紙)であれば、フィルムで撮ろうがデジで撮ろうが、受け取る側は違いがわからないと思います。ただ、被写体の顔からにじみ出る歴史みたいなものを伝えたい、と真剣に思ったとき(それが情報としてどうかとは思いますが、そういう視点や思い入れがあっていいと思うので)、何で撮ろうかと考えてしまうことはあるかもしれない、とは思いました。撮って伝えたいと思う側の気持ちだけの問題で、受け取る側は印刷の状態でわからないとは思います。けど、私も事故現場を記録で撮っていますが、時々手間をかけて撮る方がいいのかもしれないと思うことがあるのです。しかし、情報はデジタルがいいと思います。早さがモノを言うので。しかもカラーがいいです。色が見たい。
しかし、フォトジャーナリストの歴史を見続けてしまうと、モノクロがカッコいいと思うのかしらん......それもまた撮る側の思い入れなんでしょうね。勉強になります。
しかし、そうすれば情報としてどうなのか。そんなことを考えたりしました。
白黒フィルムのニーズが減ってしまって、将来の存続が危ぶまれているそうですね。
ぼくが仕事をもらっているクライアントのなかには「まだデジタルだとフィルムの質感がでない…、画質の問題がねぇ」という方がいます。特に学校写真やブライダルの方が多いです。
でも、そういうことを言ってくるクライアントの多くがデジで撮ったものとフィルムのものの作品を並べて見せてもどっちがどっちと言い当てられなかったりもします。少し大きめに引き伸ばしてたりすると中判で撮影したと思う人も…。
感覚的な問題なのかもしれませんが、何よりも高感度で撮影する場合やさまざまな条件下で撮ることを考えているとデジタルのほうが格段に便利で優れたカメラだと感じてます。
スピードが求められる報道写真でデジタル中心なのは当然だと思いますが、昨日今日で変わる状況でない社会問題を伝えるといったプロジェクトでは、訴求力や効果を考えて、いろんな見せ方があるのかな。そこでモノクロを選んだり、フィルムを選ぶ人(場合)も出てくるのかなと思います。
また、いろんなタイプのものがあっていいんじゃないか、とも思います。紙面が同じような写真ばかりじゃ、平坦な印象になりますし。
一眼レフ、今壊れていて修理したいんですけど、修理できる場所が限られていて困ってます。
デジタルアレルギー(とかいいながら、PC使ってますが)ってのもあるんですが、なんとなくすぐ消せるデジタルが何だかなぁと思って
ぼくは学生の頃、DPE屋でアルバイトしていたのですがその店で使っていたラボ機は、ポジでもネガからでもプリントできるものでした。でも、印画紙を薬品につけるとはいうもののポジやネガをデジタルスキャンしてプリント。
ということは要はデジタルデータをプリントしているのと変わらないんですよね。フィルムのときのようにデジタルでも印画紙にこだわったら表現も変わると思います。
それにしてもよくデジタルで撮影していると写真が下手になると言われますが、ぼくはそう思わないんですよね。デジタル機になってから余計にプロとアマの違いを見せるための技術がシビアになったと思います。