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先週から続いている騒乱によるチベットでの死者が80人とも100人とも伝えられているが、今日はそれに関連してシカゴでおこなわれた中国に対する抗議デモを撮影。
普段シカゴにいるときは、記者会見とかビジネス・ポートレートなどのつまらぬ撮影が多いので、久しぶりに撮りがいのある仕事がまわってきた。
インディアナやウィスコンシンなどの近郊から駆けつけたチベット人たちも合わせた500人ほどがシカゴのダウンタウンを行進し、中国領事館前でチベットに対する弾圧を抗議、熱気のあるデモになった。
シカゴ在住のチベット人をすべて集めても300人ほどしかいないし、正直言ってこれほど人が集まるとは思っていなかったので、僕としては嬉しくなる。やはりデモは人数が多ければ多いほどいい。
チベットといえば、ダライ・ラマ。もう10年以上前になると思うが、ボストンにいたときに僕は彼を撮影したことがある。あれだけ高名で、チベット人たちにとっては崇高なリーダーである彼も、実際目の前にしてみると、ジョークは飛ばすわ、なんだかひょうきんなおっちゃんだなあ、と思ったのを覚えている。
まあそれはいいとして、今回のラサでの暴動は1989年以来ということなので、20年ぶりの大暴動ということになる。しかし今回の死傷者数のほうがはるかに多いし、また暴動は他の地区にも飛び火しているようで、これからも犠牲者は増えるかもしれない。
中国は今年はオリンピックも控えているし、あまり過激な弾圧には出られないは思うが、それでも鉄拳をふるうことには慣れている政府だし、平和的対話を求めているダライ・ラマを「嘘つき」よばわりしているくらいだから、ちょっと心配ではある。
この先の展開の如何に関わらず、僧侶の理不尽な拘禁を始めとする、チベットでの中国政府による武力弾圧は許されるべきではないだろう。アメリカやドイツもすでに中国に対してダライ・ラマとの対話を促す声明をだしていることだし、日本もあやふやな態度を続けていないで、たまには人権尊重の確固とした態度を示してほしいものだ。
(お知らせ:写真展19日からですhttp://www.apple-tree.biz/)
普段シカゴにいるときは、記者会見とかビジネス・ポートレートなどのつまらぬ撮影が多いので、久しぶりに撮りがいのある仕事がまわってきた。
インディアナやウィスコンシンなどの近郊から駆けつけたチベット人たちも合わせた500人ほどがシカゴのダウンタウンを行進し、中国領事館前でチベットに対する弾圧を抗議、熱気のあるデモになった。
シカゴ在住のチベット人をすべて集めても300人ほどしかいないし、正直言ってこれほど人が集まるとは思っていなかったので、僕としては嬉しくなる。やはりデモは人数が多ければ多いほどいい。
チベットといえば、ダライ・ラマ。もう10年以上前になると思うが、ボストンにいたときに僕は彼を撮影したことがある。あれだけ高名で、チベット人たちにとっては崇高なリーダーである彼も、実際目の前にしてみると、ジョークは飛ばすわ、なんだかひょうきんなおっちゃんだなあ、と思ったのを覚えている。
まあそれはいいとして、今回のラサでの暴動は1989年以来ということなので、20年ぶりの大暴動ということになる。しかし今回の死傷者数のほうがはるかに多いし、また暴動は他の地区にも飛び火しているようで、これからも犠牲者は増えるかもしれない。
中国は今年はオリンピックも控えているし、あまり過激な弾圧には出られないは思うが、それでも鉄拳をふるうことには慣れている政府だし、平和的対話を求めているダライ・ラマを「嘘つき」よばわりしているくらいだから、ちょっと心配ではある。
この先の展開の如何に関わらず、僧侶の理不尽な拘禁を始めとする、チベットでの中国政府による武力弾圧は許されるべきではないだろう。アメリカやドイツもすでに中国に対してダライ・ラマとの対話を促す声明をだしていることだし、日本もあやふやな態度を続けていないで、たまには人権尊重の確固とした態度を示してほしいものだ。
(お知らせ:写真展19日からですhttp://www.apple-tree.biz/)
なんと申しましょうか,あらゆる意味で中国政府は「通常運転」のご様子。天安門の時と比べて,自重したのは戦車でなくて装甲車にしたというくらいか(いや普通の人には戦車も装甲車も区別つきませんが)。
ほかと違って民衆側の装備が悪すぎるらしいなかの暴動です(同時期のコソボでは警官が死んでますね)。同じ暴動の一言で語られてはいても,チベットはより絶望的な感があります。
報道があるだけまだましかもしれませんが。
ぼくは、京都の学生です。今は3回生で、東京によく就職活動でいきます。今回も東京で面接があり、その帰りに立ち寄りました。
写真はどれも強烈なインパクトを放っていました。ぼくもよく写真をとるので「このアングルで写真を撮るにはどうやってカメラを構えたのだろう」などと、想像しながら写真を見て回りました。その中でも、ムスのコーナーの一番最初にあった写真、あれはどんな気持ちでシャッターを押されたのか気になりました。完全にレンズ越しに目が合っていますよね。ぼくも経験があるのですが、レンズ越しに被写体と目が合い、しかもその目が強烈にこちらに何かを訴えているというとき、ぼくはなぜか怖くなります。責任の重さを感じるというか、(ぼくは仕事で撮るわけではないですが、)その瞬間被写体の人生と関係を持ってしまったような感覚に陥ります。高橋さんはどんな気持ちをお持ちでしょうか?
もうひとつ、感動したことがあります。それは写真展がボランティアの方によって運営されていたことです。ぼくは、製造業が一人を100幸せにするのに対して、メディアは100人を1でも幸せにする仕事だと思っていました。しかしその1は、一人の人を大きく動かす力を持ちうることに気づきました。そして、その力は京都の一人の学生にまで届きました。
本当に勇気を与えられました。高橋さん、ボランティアの方ありがとうございました。
これは実にうまく撮る側の心情を言い表していますねえ。。。僕の場合、そんなときは、自分の心構えというか、その写真を撮る意味というものを被写体から問われているような気になります。ですから、自分の中でその写真を撮ることに対する理由付けがはっきりしていないと、被写体と眼があってちょっと躊躇してしまうこともあります。ムス(リベリアの少女)のときは僕も夢中だったし、この惨状は記録しなくてはならないという強い思いがあったので、躊躇している余裕はなかったですが。
fujiさん、寒い雨の中お越しいただきましてありがとうございました。
実はご記入いただきましたメールアドレスの件でelmoryatokyo@hotmail.co.jp までご連絡いただきたいのです。。。よろしくお願い致します。