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貧困問題プロジェクトの一環のため、ミズーリ、ケンタッキー両州との境に近いイリノイ最南端の田舎町カイロに来ている。
ここは州のなかでもっとも十代の妊娠率が高い地域だ。
3日前ここに到着したとき、旧メイン・ストリートであったコマーシャル・ストリートの荒廃ぶりをみて驚いた。3ブロックほどに立ち並ぶ建物のうち現在でも営業しているのは一件の酒場のみ。建物はみな朽ち果て、以前ボーリング場だったというビルは2年ほど前に崩れ落ちたまま瓦礫の山となっている。通りを歩く人の姿もなく、ここだけを見れば、それはまるでゴーストタウンのごとくであった。
ミシシッピー川とオハイオ川が交わる地の利を生かして、船舶と鉄道輸送の拠点として栄えたカイロだが、1900年代にはいって船の技術革新や橋の増設が進むにつれその主要停泊地としての需要を失い、この街の経済は衰退していった。全盛期には1万3千ほどいた人口も、いまでは3千5百人足らずになっている。
衰退しきったかのように見えるこの街は確かに貧しい。しかしなぜ十代の妊娠率がそれほど高いのだろうか?
「他になにもすることがないから。。。」
低所得者のためのハウジング・プロジェクトに住む若い母親や父親を含め、僕が話を聞いた人たちは例外なく口を揃えてこう答えた。
コマーシャル・ストリートから1ブロック離れた新しい目抜き通りにも、映画館やショッピング・センターはおろか、若者たちが集まれるようなカフェなど一軒もない。街全体をみても質素な食堂が4件ほど、それらも午後8時9時には閉店してしまう。
比較的規模の大きいの隣町までは車で40分ほどだが、プロジェクトに住む多くの若者たちは車など持っていないし、公共のバスや電車があるわけでもない。仕事がないから収入もなく車など購入できないし、逆に車がないから仕事を探しに隣町まで行くこともできない。
「職もないのに学歴をつけても仕方がないさ。。。」
ティーン・エイジャーたちは将来への展望もないから教育に対する目的も見出せず、その多くが高校さえも卒業することなくドロップアウトしてしまうことになる。
スポーツ施設や娯楽施設、コミュニティーによる若者たちのための活動もまったく存在しないこの街で彼らのすることといえば、プロジェクトの敷地内でたむろし、友人の家でビデオをみたり酒を飲んだりマリワナを吸ったり。。。それしか楽しみもないからカジュアルなセックスの機会も増え、十代の妊娠率が異常に高くなるというわけだ。
責められるべきはそういう環境ばかりではない。福祉のシステムもおかしなことになっている。
これはカイロに限らずイリノイ州全体に対して言えることだが、あえて低賃金の仕事に就くよりも、生活保護をうけているほうが楽な暮らしができるようになっているのだ。わざわざ隣街までいって仕事を探し、時給6ドルほどの労働をするよりも、無職で保護をうけているほうが収入がいいから、若者、特に女性たちの労働意欲も喪失してしまう。さらに、扶養家族が多いほど保護の額も上がるので、それを目当てに子供をつくるケースも珍しくはないという。
「ここには何もすることがないし、仕事もない。だけどここを離れる手立てもない。。。」
プロジェクトに住む18歳のシャロンダは淡々とこう語った。彼女には4歳と2歳、そして2週間前に生まれたばかりの赤ん坊の3人の子供がいる。
これではいけないと意識の奥底では感じながらも、保護を受けながらとりあえずは生活できるし、同じような境遇の友人たちに囲まれて居心地も悪くはない。将来の希望があるわけでもなく、なんとなく流されながら毎日を過ごしている。。。
この街にはそういう空気が蔓延しているようだ。
(写真:ハウジング・プロジェクトの若い母親たちと子供たち)
ここは州のなかでもっとも十代の妊娠率が高い地域だ。
3日前ここに到着したとき、旧メイン・ストリートであったコマーシャル・ストリートの荒廃ぶりをみて驚いた。3ブロックほどに立ち並ぶ建物のうち現在でも営業しているのは一件の酒場のみ。建物はみな朽ち果て、以前ボーリング場だったというビルは2年ほど前に崩れ落ちたまま瓦礫の山となっている。通りを歩く人の姿もなく、ここだけを見れば、それはまるでゴーストタウンのごとくであった。
ミシシッピー川とオハイオ川が交わる地の利を生かして、船舶と鉄道輸送の拠点として栄えたカイロだが、1900年代にはいって船の技術革新や橋の増設が進むにつれその主要停泊地としての需要を失い、この街の経済は衰退していった。全盛期には1万3千ほどいた人口も、いまでは3千5百人足らずになっている。
衰退しきったかのように見えるこの街は確かに貧しい。しかしなぜ十代の妊娠率がそれほど高いのだろうか?
「他になにもすることがないから。。。」
低所得者のためのハウジング・プロジェクトに住む若い母親や父親を含め、僕が話を聞いた人たちは例外なく口を揃えてこう答えた。
コマーシャル・ストリートから1ブロック離れた新しい目抜き通りにも、映画館やショッピング・センターはおろか、若者たちが集まれるようなカフェなど一軒もない。街全体をみても質素な食堂が4件ほど、それらも午後8時9時には閉店してしまう。
比較的規模の大きいの隣町までは車で40分ほどだが、プロジェクトに住む多くの若者たちは車など持っていないし、公共のバスや電車があるわけでもない。仕事がないから収入もなく車など購入できないし、逆に車がないから仕事を探しに隣町まで行くこともできない。
「職もないのに学歴をつけても仕方がないさ。。。」
ティーン・エイジャーたちは将来への展望もないから教育に対する目的も見出せず、その多くが高校さえも卒業することなくドロップアウトしてしまうことになる。
スポーツ施設や娯楽施設、コミュニティーによる若者たちのための活動もまったく存在しないこの街で彼らのすることといえば、プロジェクトの敷地内でたむろし、友人の家でビデオをみたり酒を飲んだりマリワナを吸ったり。。。それしか楽しみもないからカジュアルなセックスの機会も増え、十代の妊娠率が異常に高くなるというわけだ。
責められるべきはそういう環境ばかりではない。福祉のシステムもおかしなことになっている。
これはカイロに限らずイリノイ州全体に対して言えることだが、あえて低賃金の仕事に就くよりも、生活保護をうけているほうが楽な暮らしができるようになっているのだ。わざわざ隣街までいって仕事を探し、時給6ドルほどの労働をするよりも、無職で保護をうけているほうが収入がいいから、若者、特に女性たちの労働意欲も喪失してしまう。さらに、扶養家族が多いほど保護の額も上がるので、それを目当てに子供をつくるケースも珍しくはないという。
「ここには何もすることがないし、仕事もない。だけどここを離れる手立てもない。。。」
プロジェクトに住む18歳のシャロンダは淡々とこう語った。彼女には4歳と2歳、そして2週間前に生まれたばかりの赤ん坊の3人の子供がいる。
これではいけないと意識の奥底では感じながらも、保護を受けながらとりあえずは生活できるし、同じような境遇の友人たちに囲まれて居心地も悪くはない。将来の希望があるわけでもなく、なんとなく流されながら毎日を過ごしている。。。
この街にはそういう空気が蔓延しているようだ。
(写真:ハウジング・プロジェクトの若い母親たちと子供たち)
七夕の日、久しぶりに自分の願い事は何かな?と考えました。そしてそれは「この先どんなことが身に降りかかってお先真っ暗になっても、心を鎮めて目を凝らせば光が見えますように、その光に気づきますように」でした。それだけに高橋さんのこの報告は考えさせられます。
ように思うのですが、どうなのでしょうか?またいつも思うことですが、そういう福祉や保護政策が本当に必要な人にいきわたらず、それを悪用してしまう人もいるということ。その財源には私たちの税金も使われているということ。結構身近な問題なんですよね。
「とりあえず衣食足りてれば、治安や犯罪の面でもどうにかおとなしくしているだろう」と行政側は思っているのではないでしょうか?でも今現在のイリノイ州の財政状況はよくわからないですが、もし財政難になったときに最初に切られるのがこういう人たちの援助じゃないでしょうか?援助することに賛否両論あると思いますが、市民の身近な問題として提起するには行政側の思惑などもわかるといいですね。
若者がすることがない、仕事がないという状況というのはなんとも空しいように思えます。でもそれは紛れもない事実でその環境で生きていかなければならない。厳しい状況の中生きていく。そんな状態なのでしょうか。
私は実際にそういう状況の人たちを見たことがないし、自分の周りにもそのような環境はないので実感はしづらいというのが本音なのですが高橋さんのブログや写真を見るとその実情が伝わってきます。
若年失業対策に力を入れ始めて
単純に失業保険を出すのだけでなく、
就職のアドヴァイザーをつけたり、技術訓練したり
さまざまな就職支援をしていると聞きます。
アメリカでは、そういう制度は充実していないのでしょうか。