Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

奇形児にカメラを向けて

2009-08-09 03:10:53 | アジア
ベトナムで枯れ葉剤の被害者である子供たちを撮影しているとき、例の如くカメラマンとしての葛藤を感じるときがままあった。

良く葛藤する奴だなあ、などと言われそうだが、仕事でこういう境遇の人間たちと接していると、いろいろ考える事は多いものだ。

ホーチミン・シティーのトゥ・ドゥ病院にあるピース・ビレッジには、障害を持った50人あまりの子供たちが収容されている。その多くが、枯れ葉剤による影響であると認定された子供たちだ。眼球をもたずに生まれてきたり、頭蓋骨の異常形成など、重度の奇形障害を持った子供たちも少なくない。

ここの子供たちに限らず、それまでインタビューしてきた多くの犠牲者の子供たちにカメラを向けながら、僕の心には常になにか割り切れない思いがつきまとっていた。

カメラマンとしての僕は、その子供たちの外見上最も「醜い」部分に焦点をあてることになる。写真一枚で、枯れ葉剤の散布がいかに非人道的な行為であったかを子供たちの姿を通して伝えなくてはならないからだ。

しかしその反面、家や病院など、実際の現場で子供たちに接していると、彼らも単に一人の人間である、ということに気づかされる。手を握ったり身体を擦れば、好き嫌いはちゃんと反応してくるし、嬉しい時には彼らなりの表現方法で「笑う」ことさえできるのだ。

そんな「人間」である彼ら達を、僕は写真のなかでまるで「モンスター」であるかのように描写しようとしているのではないか。。。そんな、矛盾のような罪悪感のような、複雑な思いが払拭できないでいた。

もし、彼らが伝える言葉を持っていたら、こんなことを言われていたかも知れない。

「私のこんな姿を撮らないで。。。」

勿論、母親や看護婦などとの交流をとおしながら、彼らを血の通った「人間」として撮影することも可能だし、そんな写真も撮ってきた。

しかし究極的には、犠牲者の子供たちの「非人間的」な描写によってのみ、この戦争犯罪の「非人間性」を直接視覚的に伝える事はできないのでは、という思いもある。

この葛藤に対する答えを得るためには、さらなる経験を積まなくてはならないのかも知れないな。

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5 コメント

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Unknown (Unknown)
2009-08-11 21:57:15
あああ、これは被写体が強すぎる・・・。レンズを向ける勇気に敬意を払います・・。」
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Unknown (dumbo)
2009-08-12 00:10:50
ご無沙汰しています。

この話に何かコメントしたいと思って
何度か来ては何も書けずにいました。

> 矛盾のような罪悪感のような、複雑な思いが払拭できないでいた

これで良いんじゃないですか?!
素人の私が感じることは・・・
もし複雑な思いが払しょくできたら怖い気がします。

> 究極的には、犠牲者の子供たちの「非人間的」な描写によってのみ、
> この戦争犯罪の「非人間性」を直接視覚的に伝える事はできないのでは、
> という思いもある

これも素人だからよくわかりませんが、
犠牲者の子供達にカメラを向けて
こういう思いにならなかった瞬間って
今までにありませんでしたか?
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目的で手段は変わる (Unknown)
2009-08-12 18:23:31
いつも携帯で高橋さんのブログを拝見しているので、写真がはっきり見えない状態でテキストのみ読んでいました。
が、今日PCからこの画像を見て、思わず息を飲んでしまいました。
もの凄いインパクトですね。

高橋さんの葛藤もごもっともだと頷けました。

もしこれが、救済や援助を求めることを第一の目的としていたなら、また違うものになったかもしれませんが、枯れ葉剤による被害の惨さを知らしめる。という目的では、方法として間違ってはいないのだろうと思います。
この写真一枚で伝わりました。
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Unknown (Kuni Takahashi)
2009-08-13 21:22:01
救助や援助をもとめることが目的だとしても、僕の場合は恐らく同じアプローチで写真を撮ると思います。悲惨さを訴えなくてはならないのは同じですから。唯一撮り方を変えるのは、被写体自身やその家族にプレゼントとして写真を贈る事を前提とした時くらいかな。そういうときはやはりやはりもっと温かいものをあげたいですからね。
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Unknown (A)
2009-08-16 08:12:37
i've experienced something similar from time to time in africa... i'm not always running after lions and elephants. though I'm not the person pointing the lens at the person interested whatever that case maybe, HIVAIDS, disability, disformity, poverty, crime victoms, i make a living out of navigating camera to these subjects interested. many a times, i hated moments like that cos i simply didnt have answers for how i felt when i encounter these people, and i hated myself for feeling like that... but then sometimes i reach a fraction of rationalising that experience... that at least i'm lucky enough to be in that position, to be able to be part of a rare opportunity to pass that person's life on to others... isnt it what its about partially?
anyway, mostly i just go by but on a rare occasion, your pics & words are so strong that i have to leave a trace of me behind... lol
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