ルイジアナ州のバトンルージュにやって来た。
とはいっても、バトンルージュの宿がどれも一杯だったので、そこからさらに車で45分程西にいった小さな街のホテルに泊まっている。
この地を訪れたのは、ハリケーン・カトリーナの取材以来だ。
今回の取材はハリケーンとは関係ない石油問題プロジェクトの一環なので、ニューオリンズに立ち寄る機会はないだろう。それでも、被災し家を失い、帰る場所をなくした人々はいまだに多数存在している。そんな被災者たちは、バトンルージュを含めたニューオリンズ近郊の街で、いまだにホテル暮らしを強いられているのだ。
バトンルージュの宿がみな一杯だったのも、そんな理由があったのだ。
夕食を食べようと、近くにあったシーフードレストランに立ち寄った。
こじんまりとした作りの店には、僕の他に客は一人だけ。中年男性がだまって食事をとっていた。
食事を待っている間、店のオーナーである女性と話をした。
この夏まで店はニューオリンズの南部海沿いにあったという。親子3代続いていた老舗のレストランだったそうだ。
カトリーナが上陸し、付近にあった建物とともに、このレストランも全壊した。
レストランは再建されたが、土地も変わり、建物も変わってしまった。50年以上の歴史を刻んだレストランの母屋は消え去った。
彼女の話では、ニューオリンズの住民のなかには、浸水による環境汚染のために、この先5年間も住んでいた土地に戻ることのできない人々もいるという。
被災から4ヶ月近くたち、あれほどの大事件になったハリケーン被害もほとんど報道されることもなくなった。
それでも、カトリーナの傷跡は今も深く残っている。
とはいっても、バトンルージュの宿がどれも一杯だったので、そこからさらに車で45分程西にいった小さな街のホテルに泊まっている。
この地を訪れたのは、ハリケーン・カトリーナの取材以来だ。
今回の取材はハリケーンとは関係ない石油問題プロジェクトの一環なので、ニューオリンズに立ち寄る機会はないだろう。それでも、被災し家を失い、帰る場所をなくした人々はいまだに多数存在している。そんな被災者たちは、バトンルージュを含めたニューオリンズ近郊の街で、いまだにホテル暮らしを強いられているのだ。
バトンルージュの宿がみな一杯だったのも、そんな理由があったのだ。
夕食を食べようと、近くにあったシーフードレストランに立ち寄った。
こじんまりとした作りの店には、僕の他に客は一人だけ。中年男性がだまって食事をとっていた。
食事を待っている間、店のオーナーである女性と話をした。
この夏まで店はニューオリンズの南部海沿いにあったという。親子3代続いていた老舗のレストランだったそうだ。
カトリーナが上陸し、付近にあった建物とともに、このレストランも全壊した。
レストランは再建されたが、土地も変わり、建物も変わってしまった。50年以上の歴史を刻んだレストランの母屋は消え去った。
彼女の話では、ニューオリンズの住民のなかには、浸水による環境汚染のために、この先5年間も住んでいた土地に戻ることのできない人々もいるという。
被災から4ヶ月近くたち、あれほどの大事件になったハリケーン被害もほとんど報道されることもなくなった。
それでも、カトリーナの傷跡は今も深く残っている。
ほんとに経済優先ですよね。京都議定書にも調印しないし。地球温暖化の問題よりも経済優先が大事だと、はっきり言いましたもんね。たいしたもんですよ! なぜだ~!?
そして、今も区民の高齢化や都市集中の復興政策のため、長田区の復興はままなりません。
50年歴史も、100年の歴史も、天災は一瞬の内に吹き飛ばしてしまいますね。
自然の力の前には、人間なんて小さなものですね。
ハリケーン被害者の方々の、一日も早い生活の安定を祈っています。