写真の整理に疲れて、コンピュータからはなれて背伸びをすると、本棚に立てかけてあった本の背表紙がふと目に入って来た。
「バー・ラジオのカクテルブック」。。。もう20年近くも前に買った一冊だ。
渋谷にあった老舗バー「ラジオ」(現在もあるかどうかはわからない)でだしているカクテルのレシピ本なのだが、カクテルにまつわるエッセイもふんだんにちりばめてあり、読み物としても粋な本である。しかし何よりも、本の全編にわたって掲載された、きらきらと光る個性的なグラスに注がれた、色とりどりの魅力的なカクテルの写真がなんともいえず美しい。
ページをめくっていくと、すこしカビ臭くなったような古本の匂いとともに、この本を買った頃のことを思い出した。
大学1年のときに、友人の紹介で千葉市内のバーでアルバイトをするようになった僕は、だんだんとその世界にひきこまれ、そのうち授業にもほとんど顔を出さずにバイトの時間ばかりが増えていくようになった。夜の仕事だったので他のアルバイトに比べて遥かに賃金が良かったこともあるが、それだけではない。もともと腕一本で生きる「職人」というものに憧れていた僕は、酒もろくすっぽ飲めないくせに、バーテンダーという職人気質の仕事に惹かれていったのだ。
白いジャケットをスマートに着こなして、シェーカーをふり、ピカピカに磨かれたグラスにカクテルを注ぐバーテンダーの姿はなんとも格好がいい。店の先輩と東京の一流ホテルのバーに客として見学にいったり、またバーテンダー講習会に参加したりしているうちに、バーテンダーとして身を立て、将来自分の店をもちたい、とまで思うようになっていった。
子供時分からの「思い込んだらつっぱしってしまう性格」で、大反対する親の説得も聞く耳もたずに、浪人までしてはいった国立大学を中退。プロとしてバーテンダーの世界に足を踏み入れた。22歳の頃だったと思う。
その頃は、とにかく一流のバーテンダーになりたい。。。そんな一心で、休日には他のプロの仕事を見に行ったり、本を買い漁っては酒やカクテルの勉強をしていた。「バー・ラジオのカクテルブック」は、そんなときに手に入れた一冊だったのだ。
その後数年がたち僕は、バーテンダーとはまるで接点のないような、報道写真家を職業とすることになった。
それでも、毎日のようにシェーカーの振り方やバースプーンのまわし方を練習していたあの頃の自分が、いま僕の撮る写真のどこかに反映しているんだろうな。。。そんな気がするし、そう信じたいとも思う。
ここ数年間開いたこともなかったこの本のせいで、一途だったあの頃をこんな年の瀬にしみじみと思い出すはめになった。
「バー・ラジオのカクテルブック」。。。もう20年近くも前に買った一冊だ。
渋谷にあった老舗バー「ラジオ」(現在もあるかどうかはわからない)でだしているカクテルのレシピ本なのだが、カクテルにまつわるエッセイもふんだんにちりばめてあり、読み物としても粋な本である。しかし何よりも、本の全編にわたって掲載された、きらきらと光る個性的なグラスに注がれた、色とりどりの魅力的なカクテルの写真がなんともいえず美しい。
ページをめくっていくと、すこしカビ臭くなったような古本の匂いとともに、この本を買った頃のことを思い出した。
大学1年のときに、友人の紹介で千葉市内のバーでアルバイトをするようになった僕は、だんだんとその世界にひきこまれ、そのうち授業にもほとんど顔を出さずにバイトの時間ばかりが増えていくようになった。夜の仕事だったので他のアルバイトに比べて遥かに賃金が良かったこともあるが、それだけではない。もともと腕一本で生きる「職人」というものに憧れていた僕は、酒もろくすっぽ飲めないくせに、バーテンダーという職人気質の仕事に惹かれていったのだ。
白いジャケットをスマートに着こなして、シェーカーをふり、ピカピカに磨かれたグラスにカクテルを注ぐバーテンダーの姿はなんとも格好がいい。店の先輩と東京の一流ホテルのバーに客として見学にいったり、またバーテンダー講習会に参加したりしているうちに、バーテンダーとして身を立て、将来自分の店をもちたい、とまで思うようになっていった。
子供時分からの「思い込んだらつっぱしってしまう性格」で、大反対する親の説得も聞く耳もたずに、浪人までしてはいった国立大学を中退。プロとしてバーテンダーの世界に足を踏み入れた。22歳の頃だったと思う。
その頃は、とにかく一流のバーテンダーになりたい。。。そんな一心で、休日には他のプロの仕事を見に行ったり、本を買い漁っては酒やカクテルの勉強をしていた。「バー・ラジオのカクテルブック」は、そんなときに手に入れた一冊だったのだ。
その後数年がたち僕は、バーテンダーとはまるで接点のないような、報道写真家を職業とすることになった。
それでも、毎日のようにシェーカーの振り方やバースプーンのまわし方を練習していたあの頃の自分が、いま僕の撮る写真のどこかに反映しているんだろうな。。。そんな気がするし、そう信じたいとも思う。
ここ数年間開いたこともなかったこの本のせいで、一途だったあの頃をこんな年の瀬にしみじみと思い出すはめになった。
私の彼も昔、いきなりウィンドサーフィンの
セイルを作ると言い出してひとり突っ走ったことがありました。彼はそれまではレストランバーの店長をしていたのですが、仕事以外はウィンドサーフィンにどっぷりで、休みといえば二人して海に通う日々でした。そのうちどうしても自分でセイルを作りたいと仕事をやめ、知り合いから工業用ミシンを借りてきて、必要な材料を揃え本を読みあさり、そういう関係の仕事をしている人から話を聞いたりして本当に1枚オリジナルのセイル作り上げたのでした。それからそのセイルを持って何件もショップや工場を回ったのですが、感心はされたものの仕事として形に出来るところまではいきませんでした。何年も経った今ですが、思い出すとやっぱり同じように一途だった彼の姿が目に浮かびます。
好きなことを仕事にしてしかもそれで食べていける、理想ですよね。
こちらはもうすぐ年が明けます。シカゴでもどうか良いお年をお迎えください。
誰の言葉か分かりませんが、僕の好きな言葉です。
今はまだ18歳。いつか僕も同じような経験をするのでしょうか?
なんだか、それはそれでワクワクします。
実は私もバイトでシェイカーを振っていました。夜のお店の灯りとあのカクテルの色どりに私も魅了されてしまったのです。果物とかの皮を飾りにしている飲み物を見てると嬉しくなる(笑)。
今でもシェイカーが家にはあります。今日も作ってしまいました。今でも、お祭りとかでスピリッツ持って行ってやっちゃうんですよ(笑)。みんな喜んでくれます。邦さんもまた振ってみてはいかがですか?なんかあの音と匂いで、嬉しい気分になります。
『バー・ラジオのカクテルブック』は私がカクテルに魅せられたきっかけの本です。お酒同士の相性、果物などとのバランス、グラスとのマッチング、そして、バーテンダーの醸し出す雰囲気・・・。そのすべてが完璧な調和を描いた時、グラスの中に小さな宇宙が生まれる・・・なんて、ちょっと大げさかな(笑)
青山に尾崎さんがやっている「セカンド・ラジオ」というバーがあります。嵐の夜に、必死に探して行ってきました。苦労したご褒美は、尾崎さんの独り占め。私のためだけにシェイカーを振ってくれました。「お奨めを」とお願いしたら、「マリリン・モンロー」を、129ページに載っているグラスを奥から出してきて作ってくれました。その日の私は、突風に裾が舞い上がるようなワンピース姿・・・。一流の接客業の方の機知には頭が下がります。
松本には、なかなかいいバーがあります。帰国の折には、ぜひいらしてください。今年も、お元気で、益々充実した仕事をなされることを祈っています。