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Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

正月早々

2007-01-01 22:17:33 | 報道写真考・たわ言
仕事初め。。。というか、大晦日も元旦も普通どおりのシフトで働いていたので、別に特別な感じはしない。新年といっても生活パターンはそのままで、大晦日の昨夜も年があける前に寝床にはいってしまった。

2007年最初の取材は、なんと、元旦からショッピングをする家族たち。。。とほほ。

シカゴのダウンタウンに、アメリカン・ガールズ・プレイスという女の子向け玩具店があるのだが、この店が元旦から2007年ガールズ・オブ・ザ・イヤー人形を売り出した。

僕はこの店には今日初めて入ったのだが(娘もいない僕が、仕事でもないのにこんな店に出入りしていたらちょっと怖いが。。。)、可愛らしい人形たちが展示され、ピンクや黄色に塗られた明るい店内は女の子を連れた家族連れでごった返していた。

当の女の子達や母親達はいいとしても、明らかに無理やり付き合わされてきたような父親の姿もちらほら。。。本当は家でくつろぎながら、アメフト観戦でもしてたかったんだろうなあ、などと想像を巡らしながら、僕は店内の平和な光景にレンズを向けていた。

昨日インドネシアでは飛行機が墜落し、タイでは爆弾テロが発生、そしてイラクでは昨年のイラク人の死者が1万6237人だったと発表された。

買ってもらった人形を、まるで自分の赤ちゃんのように抱きかかえている女の子たちの幸せそうな顔をみていると、確かに僕もなんだか嬉しくなってくる。しかし同時に、はっきりいってしまえばどうでもいいようなこんなショッピングの写真を撮っている自分に、苛立たしさを感じずにはいられなかった。

慌しい年の瀬

2006-12-29 23:30:05 | 報道写真考・たわ言
年の瀬が迫ってきた。毎年思うことだが、一年が経つのがあまりにも早くてげんなりする。やりたかったことの半分もできないうちに、時間ばかりが過ぎていく。。。

リベリアの写真の整理もつき、ようやく毎年恒例の各写真コンテストの準備(これがまたえらく時間がかかるのだ。。。)を始めることが出来たと思ったら、世間の様子が急にあわただしくなってきた。

東アフリカのソマリアの情勢がここ数日で急転換。ソマリアへは以前から取材に行きたいと思っていたのだが、この先1,2週間の状況次第ではいよいよその機会到来となるかもしれず、眼が離せなくなってきた。フライトのスケジュールを調べたり、準備を始めておかねばとばたばたとしていたら、今夜いきなりサダム・フセインが処刑になった。

このサダム処刑の反動で、アメリカへのテロが起こる可能性も高くなってきた。大晦日のタイムズスクエアなどが標的になったら、大惨事になることは間違いない。そんなわけで、いつでも出発できるように今夜は荷造りをする羽目に。。。

いやいや、年末年始をゆっくり過ごすなど、夢の中だけになりそうだ。

紅白歌合戦で興奮し、「行く年来る年」で除夜の鐘を聞きながらそばをすすっていた頃が懐かしいなあ。。。

サンクスギビングとパティー

2006-11-24 04:58:25 | 報道写真考・たわ言
サンクスギビング・デーには、いつもパティーのことを想いだす。

AP通信ボストン支局にステファンというスタッフ・カメラマンがいるが、僕がまだ駆け出しの頃、よく面倒をみてくれたのが彼だった。パティーはそのステファンのワイフで、彼らの間には4人の子供達がいた。

もう10年ほど前になるだろうか、伝統的に家族の集まりであるサンクスギビングのディナーに招待してもらって以来、僕は毎年決まってこの祝日はステファンの家で過ごすようになった。お決まりの七面鳥料理の他に、イタリア人であるステファンのつくるミートボール・スープは絶品で、これを食べるのが僕のサンクスギビングの楽しみだった。

パティーは、まだ永住権がとれなくて僕が悩んでいた時も、「それなら私達が養子にしてあげるわよ」などと言ってくれるほどに気にかけていてくれており、アメリカでひとり生活していた僕にとって、彼らはいわば第二の親のような存在だった。

2001年、そのパティが脳がんの宣告を受けた。

医者の予想では6ヶ月ほどの余命といわれていたが、未成年の4人の子供をおいていくことはできないという気持ちがあったのだろう、副作用の厳しい治療に耐えながらもそのあと2年間頑張った。

僕が初めてのイラクでの従軍を終え、ボストンに戻った直後、ついにパティーは帰らぬ人となった。戦場での報告をしようと彼らの家を訪れた僕の目の前で、ステファンと4人の子供達に見守られながら息をひきとったのだ。

その翌年僕はシカゴに移り、以来ステファンの家を訪れることができないまま、昨日でもう3回目のサンクスギビングを迎えてしまった。葬式のときから彼女のお墓参りにも行っていないし、なんだか申し訳ない気がしている。

「ステファン家の七面鳥と、特製ミートボールを食べに来なくちゃだめでしょう!」

そんなパティーの声がきこえてきそうだ。



まだ風邪

2006-11-15 08:35:27 | 報道写真考・たわ言
もう4日たつが、まだ風邪が治りきらない。

2日休んで出勤した昨日も、咳がでるので撮るものだけ撮ってさっさと家に戻ってきた。体を動かしていないので、欲求不満もたまってくる。

寝苦しい夜を過ごしながら、ふと高校生時代のことを思い出していた。

バスケットボール部に所属していたが、部員数が少ないうえにやたらと練習がきつい。人数が減るときついトレーニングの順番が回ってくる速度が増すので、多少の怪我や風邪などではとても練習を休める状態ではなかった。残ったメンバーに大ひんしゅくをかうことになったからだ。

だからあのころは、喉が痛くて鼻水をながしていても、練習だけは休めなかった。よくやっていたなあ、としみじみ思う。いまならそんな無茶をしたら、肺炎でも併発してえらいことになることだろう。

だけど、そんなきつい猛練習をこなしてきたから、体力にはある程度自信がある。

50度を超える真夏のイラクにいても、「アフリカ大陸の脇の下」とよばれるほど蒸し暑い西アフリカにいても、文句をいいながらも病気にもならずにやってきた。

しかし、いざこうやって風邪をひいてぐずぐずとしていると、気力さえもがでてこない。

さすがにもう高校時代のようにはいかないな。。。もう歳???

風邪?

2006-11-11 13:39:17 | 報道写真考・たわ言
風邪ひいたようだ。昨夜からなんとなく身体がだるかったんだけど、今日の昼あたりから鼻汁が出て喉が刺されるように痛くなってきた。

風邪なんて、ここ3、4年まともにひいていなかったのに。。。

毎年流行るインフルエンザの予防接種も、覚えている限り少なくともここ5年ほどうけたことがないし、それでも全然平気だった。ところが2週間ほど前、会社で社員のための集団予防接種があったので、どうせ只だし、などと思って気まぐれでうけてきた。

予防接種のために、逆に体が急に入ってきたインフルエンザ菌に反応してしまった?なんていうわけではないだろうが、いずれにしてもしんどい。

やらなきゃいけないことは山積みなのに。。。

明日からまた仕事が始まるし(僕は金曜、土曜が休みのシフトなので)、これが悪化しないように今日はさっさと寝床にはいることにしよう。

レビューを前に

2006-10-25 20:48:59 | 報道写真考・たわ言
いやいや。。。忙しいやら面倒やらで、すっかりブログ更新を怠ってしまった。しかしこんなに間隔をあけたのは初めてだよなあ。。。

そういう今も、レビューの準備のために、ホントはブログを書いている場合じゃないんだけれど。。。

レビューというのは、いってみれば社員評価のようなもので、他の部署がどういう形式でやっているのかは知らないが、僕らフォトグラファー達はそれぞれ担当になったエディターによって、ここ一年の仕事振りを評価されることになっている。

それで、レビュー用にここ1年分のなかから写真を選んでポートフォリオを作成し、それを担当者に提出しなくてはならない。僕のレビューは本来なら2ヶ月ほど前におこなわれるはずだったのだが、僕も担当エディターのアンドリューも忙しくて予定が合わずにずっとお流れになっていた。先日彼と話していて、「もう年末もせまってきたし、来週早々までに絶対にやらねばならない!」ということになって、僕はいまになってあわててポートフォリオをつくっているというわけだ。

毎年末にはいつも感じることなのだが、自分がこの1年間に撮った写真をあらためて見直してみると、「また今年もいろいろ撮ったなあ。。。」となんともいえない感慨がわいてくる。

今年は海外取材にも思うようにでられなかったし、決定的な自信作が撮れていないのは非常に残念だけれど、それでもまあ気に入ったものもちょこちょこでてきた。

外の取材にでていないときは、僕らは当然シカゴの日常を撮ることになる。

市長の記者会見や季節の行事、それから政治デモやら火事に事件。。。現場に向かう前に、これはいいのが撮れそうだ、と意気込んでいってもつまらないものしか見えなかったり、逆に、なんでこんなもの撮らなくちゃいけないんだ、などとぼやきがでるような仕事から、思わずいいものが撮れたりすることもある。

ある程度は予想できても、やっぱりその場にいかなくては実際に何がおこるかはわからないのだ。

1年間に撮りためた雑多な写真を眺めながら、それが報道写真の面白いところでもあるんだよなあ、などと、そんな当たり前のことをあらためて考えていた。




フィルムかデジタルか?

2006-09-24 07:41:37 | 報道写真考・たわ言
「白黒かカラーか?」によせられたコメントのなかにいくつか「フィルムかデジタルか?」という問題提議がでてきたので、あらためて考えてみた。

実は、フィルムとデジタルについてはほとんど意識して考えたことなどなかったのだ。

デジタルが出始めた頃はやはり画質の問題があったので、僕も含めて多くがフィルムを好んで使っていたが、現在ではフィルムとの差などほとんどないし、特に報道写真に関しては、もうデジタル抜きでは仕事自体が成り立たなくなったといってもいいだろう。スタジオで撮る友人のコマーシャル・カメラマン達でさえ、その多くはすでにデジタルに移行している。

イラクやアフガニスタンの電気も水道もない荒野で撮った写真を、その場から翌日の新聞の発行に間に合うようにやすやすと電送することができるのもデジタルならではのことだし、これをフィルムでやろうと思ったら現像器具や使用する水を含め莫大な荷物をはこんでいかなくてはならなくなる。

僕は正直にいって極端に細かい写真の画質などにはこだわっていない。巨大に引き伸ばす芸術写真を撮っているわけではないし、並べて見比べてみなければ分からないほどの些細な違いなどどうでもいいと思っている。ノイズがなく、色がある程度自然でクリアに写っていればそれで十分なのだ。

だから今の僕にとってはデジタルは便利この上ない存在で、もうフィルムで写真を撮ろうという気などはさらさらないが、いまだに頑固にフィルムで撮っている友人もいることだし、「白黒かカラーか?」と同様に結局は個々の好みというところに行きつくのだろう。

僕にとってカメラは所詮僕の見たものを記録するための機械であり、手段にすぎない。使いやすく、その役割さえきちんと果たしてくれるのならデジタルだろうがフィルムだろうがどうでもいいのだ。

写真は、「どう写っているか」よりも「何が写っているか」のほうが重要だと思っているから。







白黒かカラーか?

2006-09-21 21:07:20 | 報道写真考・たわ言
先日同僚とちょっとした議論をした。

「白黒かカラーか?」

メキシコからの移民を撮った一連のポートレートを、彼が白黒に変換しているのをみた僕が、カラーのままのほうがいいのでは、と言ったのが始まりだった。

情緒をだすため、ドラマティクにするためなど理由はいろいろあるが、カラー写真から色を抜いて白黒写真に変換するのは良くみられる手法だし、写真コンテストなどでもわざわざ白黒に変換して応募される作品も少なくない。

確かに目障りになる色をなくすことによって、主題(言いたいこと)がはっきりする写真もあるし、その効果は認めよう。僕の写真の中でも、これまで意識的に白黒に変えたものがいくつかある。

しかし、基本的に僕はそこに写っているものは色も含めてそのまま現実として受け止めたいと思っているから、報道写真に関しては「芸術的にみえる」とか「情緒がでる」というような理由でむやみに写真を白黒に変えてしまうことには抵抗がある。だいたいわざわざ白黒に変えるくらいなら、初めから意思をもって白黒フィルム(モード)で撮ればいいのに。。。とも思うのだ。

身体から流れ出る血の色は赤く、立ち昇る炎はオレンジ色。日に焼けた僕の肌は褐色で、晴れ渡った空は青色。。。それが僕らの接している現実の光景だ。

しかし、そこから色を抜き取ってしまうことで、写真がどこか気高い「芸術作品」のようになってしまい、見る人が普段の生活レベルで共有できる「日常性」を失ってしまうようなことはないだろうか。そこに写されているものは悲惨な現実なのに、どこか非日常で現実的でないような、ある意味美しくさえもある。。。そんな感覚に陥ってしまう恐れはないだろうか。

僕の同僚は、カラーは目障りになるという理由で一連のポートレートをすべて白黒に変えた。

それらは彼の撮った写真だし、彼自身の写真を通しての主張があるから、もともと僕がうんぬん意見することではなかったかもしれない。結局のところ、白黒かカラーかは個々のフォトグラファーの好みの問題ということになってしまうのだろうし、それがいいか悪いかなど、他人が判断できるわけでもないのだから。。。











ポールの帰米(2)

2006-09-11 15:57:39 | 報道写真考・たわ言
ポールが無事戻ってきた。

拘禁中に体調を崩していたと聞いていたので心配だったが、元気そうな笑顔で、ニューメキシコ州知事のビル・リチャードソンに続き、ワイフのリンダと飛行機を降り立った。

彼の姿を撮影しながら、僕らも抱きあって再会を喜んだ。もともと痩せていた彼が、牢屋のなかでハンガーストライキなど無理なこともやったようで、いっそう体重を落としていたようだ。それでもピューリッツアー賞2回受賞暦を誇るこの一流記者のスピリットは健在で、到着後の記者会見ではジョークを交えながら質問に答えていた。

今回の彼の釈放の舞台裏には、リチャードソン知事をはじめとした、相当数の政治家らによる働きかけがあったようだ。ジミー・カーター元大統領、将来の大統領候補と評価の高い上院議員のオバマ、それからU2のボノまでもが、スーダン政府にポール釈放を求める声明を発表していた。

ポール達はもともといわれのないスパイ容疑で拘禁されていたわけだし、これだけの多くの釈放要求のプレッシャーをうけて、スーダンのバシル大統領もこれ以上彼らを拘禁していても利益はないと踏んだのだろう。リチャードソンがバシルと個人的に親交をもっていたことも大きな助けになった。

ポールが拘禁されていたのは33日間。

この間、現地で任務にあたっていた米兵将校なども頻繁に彼を訪れ、必要なものの差し入れなどしてくれたという。

記者会見での彼の話を聞きながら、これがもし日本人だったらどうだったろうと、ふと考えていた。
僕は2004年に高遠さんら3人の邦人がイラクで人質になったときのあの「自己責任」バッシングの嵐を思い出していたのだ。

もし拘禁されたのが日本人記者だったら、アメリカの政治家たちがポールに対しておこなったほどの努力を、果たしていまの日本政府に期待できるだろうか?

ポールとの再会の嬉しさとは裏腹に、日本国籍をもつ一人の報道者として、僕は少々寒い思いを感じていた。


(写真:空港に降り立つポール)

ポールの帰米

2006-09-09 05:10:09 | 報道写真考・たわ言
ポールと、チャド人2人のスーダンでの釈放が決まった。
(詳しくは8月28日のブログ参照)
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/d/20060828

ポールの住むニューメキシコ州の州知事を含めた政治家たちをはじめ、トリビューン、ナショナル・ジオグラフィックのスタッフたちとスーダン政府との粘り強い交渉がようやく身を結んだのだ。

それで、急に僕にニューメキシコ行きの仕事が来た。

ポールの帰米を撮影するためだ。

彼のワイフのリンダはすでにスーダンにいっており、ふたりは一緒に帰ってくることになっているので、彼らの劇的な再会を撮る、ということにはならないが、まあ個人的にポールに会って、
「お疲れさま」
といってやれるだけでも、行くかいがあるものだ。

あと一時間ほどでニューメキシコに向かい、家をでる。




体調は万全だけど。。。

2006-09-03 07:47:15 | 報道写真考・たわ言
シカゴでくすぶっている日が続いている。

何度かブログにも書いているが、トリビューンの経営状況のために最近めっきり国外取材の数が減ってしまったからだ。

そんなわけで、ここのところジムに行く回数が随分増えた。トリビューンビルの地下にスポーツジムがあるのだが、社員は比較的安い会費でメンバーになれる。僕も今年に入って契約して、平均して週に2回ほど仕事帰りに汗をながしていた。

それがいまは週4回も通っている。出張取材が全然なくなったので、時間ができてしまったのだ。

先週の休みなど、同僚のカメラマンと一緒にミシガン湖でカヤックを漕いできた。

本当は、記事書いたり、写真の整理したり、もう1年も更新してないウェブサイトのアップなど、しなくてはならないことが山積みなんだけど、そういうことをする代わりに身体ばかり動かしている。取材にでれない欲求不満をせめて運動で解消しようとしているのか。。。

報道写真という仕事は、やっぱり身体が資本だから以前から運動不足には気をつけてきた。

最近は取材にでれないせいで、生活もやたら規則正しくなって、ジムに行く回数も増えて体調も万全。。。

皮肉なものだ、と思う。






















仲間の拘禁

2006-08-28 11:32:49 | 報道写真考・たわ言
石油プロジェクトを一緒におこなったレポーターのポールが、スーダンで拘置されている、との知らせをうけた。

一月ほどまえから、ナショナル・ジオグラフィック・マガジンの仕事でアフリカのスーダンで取材をしていた彼は、政府から正式に許可されていない西部のダファ地域にチャドから国境を越えてはいっていたところを、チャド人の通訳およびドライバーとともに拘束されたらしい。

スーダン政府はスパイの容疑だとしているが、そんなものは濡れ衣で、難民に対する虐殺の続いているダファ地域にジャーナリストをいれたくなかったのは明白だ。長い間続いているアフリカンーキリスト教系の難民に対するこの虐殺は、アラブーイスラム系の政府が裏で糸をひいているといわれているからだ。

現在、ポールたち3人に対する裁判が現地で開かれている。

イラクで人質になるような命の危険はないにしても、最悪の判決がでれば、何年も刑務所に拘禁されるということもあり得る。

ポールはこれまで2度もピュリッツアーを受賞したすぐれた記者だし、取材対象に誠実で、労を惜しまない彼の仕事ぶりは一緒にいた僕はよくわかっている。ナイジェリア、イラク、アラブ首長国連合、そしてルイジアナと、つい数ヶ月まで行動を共にしてきたかけがえのない仲間だ。

ジオグラフィックとトリビューンがスーダン政府との交渉にあたっているというが、彼らの一日も早い釈放を祈っている。





















ゲームプラン(その2)

2006-08-27 19:50:04 | 報道写真考・たわ言
先日トリビューンの社長にだしたメールの返事がきた。

恐らく無視されるだろうと思っていたので、少々驚いた。

2行の短いものだったが、内容はこういったものだ。

「意見をどうもありがとう。ゲームプランという言葉は、一般的に使われている戦略というような意味でつかっただけで、遊びのゲームという意味はなかった。それでもやはり他の言葉を使ったほうが良かったかもしれない。。。」

現在の新聞業界の行方には非常な危機感を感じているし、トリビューンの経営方針にも同意できないところはたくさんある。それでも、たかだか一カメラマンの意見に対しても、社長直々にきちんと対応してくれたその態度は嬉しく思う。

もしこれが独裁者社長だったら、眼をつけられてクビとか減棒になってたかも知れないしね。。。





















ゲームプラン

2006-08-25 18:13:58 | 報道写真考・たわ言
トリビューンの社長から社員にあてたメールが届いた。

相変わらず会社の景気が悪いので、幹部連中が建て直しのためにあれこれと策を練っているのだが、新しい動きがあるたびに全社員にメールが送られてくる。

今日は、カスタマーサービス部を本社から切り離して、その仕事をフィリピンにあるカスタマーサービス専門の会社に委託するという知らせだった。

いまやほとんどのカスタマーサービス業は電話でおこなわれるので、わざわざ会社にオフィスと人材を配置しておく必要はない。人件費が安く、かつサービス専門のインフラが整っている海外の専門会社に委託するこの方法はすでに多くの会社でおこなわれている。カスタマーサービスに電話をかけると、アメリカの会社なのにいつもインド訛りの英語を話す人間ばかりが応対にでるというのはよくあることだが、これなどはいい例で、インドにある専門会社にサービスが委託されているというわけだ。

まあそれはいいとして、この新しい動きのためにトリビューン本社のカスタマーサービス部門で働く社員のなかから、相当数がリストラされることになった。

これも仕方がない。。。といってしまうのは非常に遺憾だけれども、生き残りのために企業というのは血も涙もなく社員を切っていくものだ。僕だって明日は我が身、ということになるかも知れないし、こればかりは会社で働いている限りどうしようもない。

しかし、送られてきたメールの中で、どうしても見過ごせない言い回しがあった。

社長は、カスタマーサービス部のリストラを述べたあと、「次のゲームプランは。。。」として報告を続けていた。

「ゲームプラン!?」

この言葉にカチンときてしまった。

リストラされる人間にとっては、仕事がなくなる、すなわち生活にかかわる深刻な事件だ。そういうことさえも「ゲーム」の一部だということか。。。確かに会社の運営も、社長にしてみればゲームのようなものなのかもしれないが、リストラされる当の社員達はこんな言葉を眼にして一体どう思うだろうか?

「『ゲーム』というこの言葉はあまりに人の心情を汲んでいないのでは。。。」
僕は社長にメールをだした。

僕は社長という人間と面識はないし、ましてや彼の考え方や人間性など知る由もないから、この一件だけで彼を批判するつもりなど毛頭ない。ただ、なぜだかこの言葉だけはどうしてもやり過ごすことができなかったのだ。

ただの一カメラマンの声は届くだろうか。。。





















「考える」こと

2006-08-18 21:14:22 | 報道写真考・たわ言
ようやくアパートにガスが戻った。

原因はやはり大家の支払い滞納だったようだ。アパートの他の住人とともに大家に毎日何度も抗議の電話をかけた挙句、4日目にしてやっとガス局のおっちゃんがやってきて元栓を開けていってくれた。やれやれ、これで何とか水シャワー、冷凍食品の生活ともおさらばできる。

お湯がでるようになったので、ひさしぶりに風呂にはいることにした。普段はシャワーを浴びるだけなので、湯船につかるのは気が向いた時、せいぜい2ヶ月に1回くらいだ。

身体を湯に浸しながら、ふと思った。

なんか最近あまり「じっくり考える」ことをしてないなあ。

「思う」ことは沢山あって、いつも頭の中を渦巻いているんだけれど、その「思い」をつきつめて考えてみることを全然していない自分に気づいた。なぜか最近、面倒くさくて、「考える」ことから逃げているような気がするのだ。

頭を使って物事を組み立てるように考ることを避けているので、ひょっとしたらそれが先日ブログで書いた、「書くこと嫌い」につながっているのかなとも思う。

人間、考えなくなることは怖い。

考えないということは、どんどん脳が劣化していくことだ。

先日観た、渡辺謙主演の「明日の記憶」を思い出した。

アルツハイマー病をあつかった映画(ちなみにこの映画は年齢、性別を問わず、ぜひ皆さんにも観てもらいたい。僕としては5つ星の傑作)なのだが、これを見終わったあと、正直僕はかなり怖くなってしまったのだった。

ここ数年記憶力も落ちてきているようだし、話したいことも考えながらで、すらすらと口をでてこなくなった。このままではそう遠くない将来に、僕も映画の主人公のようになってしまうのではないだろうか。。。そんなことを真剣に思ってしまったのだ。いや、今でもそういう恐れの気持ちは持っている。

もっと頭をつかわなくては!もっと文章をかかなくては!

風呂に入ってリラックスして、ビールでも飲んで寝るつもりだったのが、結局ブログを更新する羽目になった。