熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ふだんのちゃわん 2日目

2017年03月09日 | Weblog

今日からは搬入がないので、職場に出勤するように会場へ向かう。10時開店なので、世間一般の会社の出勤時間よりは遅い時間帯だと思っていたが、京王線は思いの外混んでいた。明日は少し早めに家を出て、各駅停車に乗ろうと思う。埼京線のほうはさすがに空いている。

昨日の来客は閉店前の1時間に集中したが、今日は午前中か昼過ぎにかけてに集中し、午後3時過ぎの来客はひとりも無かった。私も妻もお世話になっている整体師の先生が「研修のついで」と称して来店してくださった。「ついで」ではなくわざわざ遠方から寄って頂いたのは明白で、頭が下がる。このカフェ兼ギャラリーのオーナー夫妻も来店していただき、久しぶりにお話をさせていただいた。

前回は会場に自分の紹介とか挨拶文を掲示し、購入していただいたものには更にお礼の文章を付けて商品をお渡ししたのだが、今回はそういうものは無しにした。自分の領分は作ることと売ることで、そこから先のことは買った人の領分だ。あれこれ余計な能書きは野暮ではないか、と考えた。伝えたいものが伝わるように作るのが自分の仕事であって、それがうまく伝わらないとすれば自分にそれだけの力量がないというだけのことなのである。それをうだうだと語るのは見苦しい、そう思ったのである。前回と今回の間の社会の変化かもしれないし、自分のほうの変化や老化かもしれないのだが、世間が妙に喧しいと感じている。テレビや新聞雑誌の類は身の回りに置かず、世間一般よりは雑音の少ない生活だと思うのだが、それでも世の中が煩くなったと感じる。それは何故だろうかと考えると、いらんことを言う奴が多すぎるのではないかと思うのである。このブログも「いらんこと」なのだが、もっとツーカーでわかりあえるのが文化や歴史を共有するということであり、そのための教育なのではないかと思うのである。銭金ばかりに執着するしみったれた世の中になり、教育は職業訓練と同義に成り下がってしまったのが今という時代のような気がする。そうではなく、自分として当たり前に話が通じる世界を求める試みのひとつとして、ものを作って世に問うているのである。そこで能書きを垂れているようではいけない、と考えた。他人を喧しいと思うなら、まず自分が静かにするべきなのである。


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