今日は終日、民芸関連施設を見学して回る。訪問先は以下の通りだ。
久野染工場
有松・鳴海絞会館
瀬戸蔵ミュージアム
(「窯垣の小径」経由)
瀬戸本業窯
小原和紙のふるさと
小原の後、足助の香嵐渓というところにある旅館で鮎料理の夕食を頂いた。
染工場は、5月に見学した都内の注染工場とは様子がだいぶ違う。工場の施設を作家など外部の人たちにも使用料を取って開放しているのだそうだ。多様な使われ方をするということで、誰にでも使いやすいような状態になっているのだろう。工場と同じ敷地内にショールームや販売施設もあり、生産施設でありながら観光施設のような色彩も帯びている。
有松・鳴海絞会館は景観保存地区に立地する観光施設だ。館内では絞作業の実演を見学できるが、作業をしていた90歳だというご婦人は、実演では同じ作業だけしかさせてもらえないと語っていた。こうした伝統工芸には後継者難という話題が付きものだが、「至れり尽くせり」で養成した結果、そのご婦人は3人の後継者を育成できたのだそうだ。やはり意図して育成しないと後継は育たないということなのである。ふと、鴇を思い出した。
陶磁器のことを「瀬戸物」と呼ぶことがある。どちらかといえば、「瀬戸物」は陶器のイメージだが、瀬戸は陶磁器産業の町である。その産業としての陶磁器生産という視点で、陶磁器やその生産工程をわかりやすくまとめて展示しているのが瀬戸蔵ミュージアムだ。陶磁器関連の展示施設というと陶磁製品だけが並んでいるところが少なくないのだが、昔の窯場の様子を再現してあったり、出荷拠点であった鉄道の駅の様子を展示で表現したり、陶磁器生産の現場の雰囲気までも含めて来館者に伝えようとする意欲的な博物館である。
瀬戸が焼き物の産地として発展したのは、原料である土と、焼成燃料となる木材(アカマツ)に恵まれたからだ。日本には各地に「ナントカ焼き」という陶磁器があるが、その殆どの特徴は原料の土の性質に由来している。瀬戸近辺には、多治見や常滑といった焼き物の産地もあるが、少なくとも、今日、瀬戸で話を伺った人たちの意識には、瀬戸は瀬戸、という自負心のようなものがあるようだ。
ちなみに、陶磁器と言えば食器類を想像することが多いのではないかと思うのだが、電子部品や自動車部品といった経済全体の競争力を左右するようなものに陶磁器あるいはその生産加工技術が用いられている。目で見てわかるものでは、コンデンサ、ICチップのパッケージ、スパークプラグなどがすぐに思いつく。愛知県は世界最大の陶業企業集団である森村グループの本拠地で、その系列の上場企業には以下のようなものがある。
ノリタケ (株式コード(RIC Code):5331.T 本社:愛知県名古屋市)
TOTO (株式コード(RIC Code):5332.T 本社:福岡県北九州市)
日本碍子 (株式コード(RIC Code):5333.T 本社:愛知県名古屋市)
日本特殊陶業 (株式コード(RIC Code):5334.T 本社:愛知県名古屋市)
共立マテリアル (株式コード(RIC Code):1702.NG 本社:愛知県名古屋市)
このほか、INAX(本社:愛知県常滑市)も2001年にトステムと経営統合をするまでは森村傘下だった。
日常生活の道具として使っている茶碗類と、そうしたものとは無縁のようにも見えるハイテク製品の基幹部品とが、歴史を辿ればひとつにつながるというのは面白いことだ。
和紙は日本の至るところで作られていた。原料の楮、三椏、トロロアオイなどが日本中の至るところで生育可能だからだ。これらは、農閑期である冬場を利用して加工するのに都合が良い(トロロアオイの粘液は気温が高い時期にはすぐに腐敗してしまう)ということもあり、本業の収穫を終えた農家の収入源として和紙が作られていた。近頃は伝統工芸として和紙の生産を行っているところもあるようだが、本来、和紙は本業となる農業があって成り立つ副業なので、和紙の生産を主としてしまうとコスト面で厳しい状況にならざるを得ない。それでも和紙を作ろうというのなら、その価格に見合った需要を創造しなければならないということになる。和紙に限ったことではないが、手仕事ほど割高につくものはない。割高な仕事によって作られるものを流通させようとすれば、需要も作り出さなければならないのである。和紙の産地に、需要を作ることまで求めるのは酷というものだ。民芸や工芸は、作り手の生活やその地域だけによって支えられるのではなく、もっと広範に社会や経済とつながっているのである。原材料や技術といった個別要素だけに注目している限り、民芸や工芸の衰退を止めることはできない。
久野染工場
有松・鳴海絞会館
瀬戸蔵ミュージアム
(「窯垣の小径」経由)
瀬戸本業窯
小原和紙のふるさと
小原の後、足助の香嵐渓というところにある旅館で鮎料理の夕食を頂いた。
染工場は、5月に見学した都内の注染工場とは様子がだいぶ違う。工場の施設を作家など外部の人たちにも使用料を取って開放しているのだそうだ。多様な使われ方をするということで、誰にでも使いやすいような状態になっているのだろう。工場と同じ敷地内にショールームや販売施設もあり、生産施設でありながら観光施設のような色彩も帯びている。
有松・鳴海絞会館は景観保存地区に立地する観光施設だ。館内では絞作業の実演を見学できるが、作業をしていた90歳だというご婦人は、実演では同じ作業だけしかさせてもらえないと語っていた。こうした伝統工芸には後継者難という話題が付きものだが、「至れり尽くせり」で養成した結果、そのご婦人は3人の後継者を育成できたのだそうだ。やはり意図して育成しないと後継は育たないということなのである。ふと、鴇を思い出した。
陶磁器のことを「瀬戸物」と呼ぶことがある。どちらかといえば、「瀬戸物」は陶器のイメージだが、瀬戸は陶磁器産業の町である。その産業としての陶磁器生産という視点で、陶磁器やその生産工程をわかりやすくまとめて展示しているのが瀬戸蔵ミュージアムだ。陶磁器関連の展示施設というと陶磁製品だけが並んでいるところが少なくないのだが、昔の窯場の様子を再現してあったり、出荷拠点であった鉄道の駅の様子を展示で表現したり、陶磁器生産の現場の雰囲気までも含めて来館者に伝えようとする意欲的な博物館である。
瀬戸が焼き物の産地として発展したのは、原料である土と、焼成燃料となる木材(アカマツ)に恵まれたからだ。日本には各地に「ナントカ焼き」という陶磁器があるが、その殆どの特徴は原料の土の性質に由来している。瀬戸近辺には、多治見や常滑といった焼き物の産地もあるが、少なくとも、今日、瀬戸で話を伺った人たちの意識には、瀬戸は瀬戸、という自負心のようなものがあるようだ。
ちなみに、陶磁器と言えば食器類を想像することが多いのではないかと思うのだが、電子部品や自動車部品といった経済全体の競争力を左右するようなものに陶磁器あるいはその生産加工技術が用いられている。目で見てわかるものでは、コンデンサ、ICチップのパッケージ、スパークプラグなどがすぐに思いつく。愛知県は世界最大の陶業企業集団である森村グループの本拠地で、その系列の上場企業には以下のようなものがある。
ノリタケ (株式コード(RIC Code):5331.T 本社:愛知県名古屋市)
TOTO (株式コード(RIC Code):5332.T 本社:福岡県北九州市)
日本碍子 (株式コード(RIC Code):5333.T 本社:愛知県名古屋市)
日本特殊陶業 (株式コード(RIC Code):5334.T 本社:愛知県名古屋市)
共立マテリアル (株式コード(RIC Code):1702.NG 本社:愛知県名古屋市)
このほか、INAX(本社:愛知県常滑市)も2001年にトステムと経営統合をするまでは森村傘下だった。
日常生活の道具として使っている茶碗類と、そうしたものとは無縁のようにも見えるハイテク製品の基幹部品とが、歴史を辿ればひとつにつながるというのは面白いことだ。
和紙は日本の至るところで作られていた。原料の楮、三椏、トロロアオイなどが日本中の至るところで生育可能だからだ。これらは、農閑期である冬場を利用して加工するのに都合が良い(トロロアオイの粘液は気温が高い時期にはすぐに腐敗してしまう)ということもあり、本業の収穫を終えた農家の収入源として和紙が作られていた。近頃は伝統工芸として和紙の生産を行っているところもあるようだが、本来、和紙は本業となる農業があって成り立つ副業なので、和紙の生産を主としてしまうとコスト面で厳しい状況にならざるを得ない。それでも和紙を作ろうというのなら、その価格に見合った需要を創造しなければならないということになる。和紙に限ったことではないが、手仕事ほど割高につくものはない。割高な仕事によって作られるものを流通させようとすれば、需要も作り出さなければならないのである。和紙の産地に、需要を作ることまで求めるのは酷というものだ。民芸や工芸は、作り手の生活やその地域だけによって支えられるのではなく、もっと広範に社会や経済とつながっているのである。原材料や技術といった個別要素だけに注目している限り、民芸や工芸の衰退を止めることはできない。