くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

ニャチャン散策

2019年01月30日 | Weblog

■朝は奥さんのリュウ方が先に仕事に出る。僕はフオン・ティン君のバイクに乗せてもらい、まずニャチャンンセンターに行った。しかし、9時オープンなのでイェルシン博物館に行ったが7時半にはオープン予定なのだが閉まっていて人がいなかったのでビーチの木陰でベトナム語学習。11時ごろ、市内を散策しようとレ・タントー通りと中央ロータリーからニャチャンセンターに行く道を歩いた。ロータリーの高台にある教会は観光客も多く立派だが中に入れるのは午後1半だというから外だけ見てきた。

ニャチャンセンターの3階のフードコートは昼時なので海の見える席が満席だったので「北海道ラーメン」という店に入った。日本人は皆無で中国人ばかり。醤油ラーメンを頼む。まずくはないが甘くて脂っこいベトナム味になっていた。センターの2階にはAEONのシティマートが入っていた。1階のATMでプレスティアのカードが使えるのが分かった。

午後パスツール病院前のベンチに座って2時になるのを待ってイエルシン博物館に行った。病院の奥の階段を上がって2階にあるがまだ人がいないドアを開けると開いたのでライトをつけて勝手にに1人で見て回った。このイエルシンという医者は尋常な人物ではないことを知って感動した。若い時に海に魅せられ船医として航海するうち、天文学をはじめ、物理、電気工学、自動車、船舶、航空機、、各種測定器の開発、など、、。仏領インドシナのベトナムのニャチャンには1895から病院・研究所を、サイゴン、ハノイ,ダラット、フエさらに、ビエンチアンやプノンペンにまで広げて防疫治療に貢献した。彼の書斎の本棚をみると各種専門書の他に英仏、ラテン文学書やギリシャローマの古典、さらに膨大な推理小説が目を引く。彼の病院の屋上には天文台があり、使われた天体望遠鏡が陳列されていた。その病院は真っ白な建物で、「ニャチャン(白い家)」の名はここにゆらいするという説さえある。北里と同様パスツールの弟子の病理学者だがその活動は医者の域をはるかに超えたものだ。

それにしても博物館としてはさみしいかぎりで彼のことを知る人にまだあったことがないし、病院の二階の1室もわかりにくく展示の表記も英仏越の3か国語で表示されている展示は少なく未整理のフランス語だけという感じだ。僕がまわり終わって部屋を出ると,ようやく受付の職員に会えた。事情を話し25kの入場料を払って出るときはじめて、数人のフランス人観光客が来た。

ティン君は会社の忘年会で遅くなり、リュウは5時半ごろに帰宅すると聞いたので、ニャチャンセンターのフードコートで海を見ながら「指さしベトナム語」を読み返していた。そこからタクシーで家まで130K。夜、テレビでスターウオーズをやっていた。その他英語放送も色々入って飽きない。

 

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