■次の旅の予定はコスタリカなのでいろんな情報を集めているが、ひときわ迫力のあるのがコスタリカの非武装中立政策だ。コスタリカ憲法21条の国軍を廃止した平和主義と日本憲法9条の平和主義はどこがちがうか?最近の阿倍政権の動きや改正問題をどう考えるかのヒントになる。コスタリカの憲法と中立外交の歴史は感動的でもある。
今日の新聞はタイの軍事クーデターを報じている。シビリアンコントロールのなくなった軍隊は危険以外の何者でもない。コスタリカは時の政権が中南米の軍とアメリカの介入による政変の混乱を避け、自らの政権を守るために思い切って国軍を廃止し、軍事費を教育や社会保障にまわすという極めて実利的な決断をしたのだ。
軍備を禁止したコスタリカの国防は警察力にたよるという憲法は1949年、日本憲法は1947年に出来ていて、コスタリカの警察予算と日本の自衛隊予算はどちらもGNP2%ぐらいである。日本は戦争を放棄して自衛のための軍備をもつ。コスタリカは軍備は放棄するが、戦争は放棄しているわけではない。いつでも戦争になれば軍備をもつことができる可能性を残しているしコスタリカは集団的自衛権を定めたリオ条約にも加盟していて海外派兵ができる建前になっている(加入時に海外派兵を拒否し、集団的自衛権を封印している)。
そもそも日本憲法で言うところの侵略戦争または紛争解決手段としての戦争を禁止している憲法を持つ国はおとなりの韓国をはじめ独、仏、伊、フィリピン、ブラジル等々ざらにあるのだ。日本の自衛力は他国の軍備と実際的に何も違わないと言っていい。
僕の考えからすると、違いはコスタリカの積極的・永世・非武装・中立という外交政策にある。中心はイデオロギー的にはいかなる価値判断もしないという中立という考え方である。その考えを具現するのが憲法31条で政治亡命を保障しており、カストロ、フジモリ等を含む何十名もの亡命者を受け入れてきた。彼らの何人かは再び政権に返り咲いてコスタリカとの関係を強化してきた。
そしてこの中立外交を掲げて積極的に国際的紛争の仲介に関与してきた。隣国ニカラグアの内戦処理にレーガン政権の妨害をはねのけて尽力できたのも、ケネディ等US民主党との親密な関係やヨーロッパ諸国の信頼があったからこそアリアス大統領のノーベル平和賞受賞という形で政治的国際支援をうけることによって中米和平合意を成就することができたのだ。
コスタリカ外務省の通称カサ・アマリ-ジョ(黄色い家)と呼ばれる施設では中米諸国から若い未来の外交官を受け入れ養成している。国連の人権高等弁務官制度の創設、米州人権裁判所設置、国連平和大学の設置等々国際的人権保障の面では極めて高く評価されている。当初USのイラク攻勢に賛成したものの違憲判決などをへて反対に方向転換するなど、歴史的にも決して米国追随しないにもかかわらず米国から最も信頼をうけている国なのである。
もし平和憲法を持つ被爆国として日本が世界の核軍縮交渉で中心的役割を果たすことができれば日本の国際的評価はどうなるだろう、とか想像してみたい気がするが、今の安倍政権ではUS軍艦上の日本人をどういう風に保護するかとか核兵器廃絶交渉より拉致事件を優先する、とか領土問題は妥協できないとか、、いうふうに、まず視線の向きが全く違う。いったい国内のどんな人に何を伝えたいというのだろうか。
憲法の平和主義にしても他国に侵略されたらどうするの?とか、領土を侵犯されてだまっているのか?とかいう発想の域をでない。平和というのは国家間の紛争の解決が目的で国内問題は二次的なものだと思うのだが。
個人的にも、自分のことしか考えずいつも金の話しかしないやつって一番いやな野郎だと思うし信用できないタイプだ。
日本の憲法改正は3分の2の議決と国民投票が必要でまだ1度も改正されたことがない。一方、3分の2の議決だけでできるコスタリカ憲法改正は、これまですでに80回以上されているが、12条と31条だけは改正の意見さえでたことがないという。
選挙手続は第4権ともいわれる独立した憲法裁判所が一切コントロールすることになっている。サッカーのワールドカップと一緒の時期に行われている大統領選挙はコスタリカ市民の国民的代表行事として定着し、外国からの見学人も多いようだ。
日本の小選挙区制と比例代表制を交互に実施する方法は「コスタリカ方式」として知られているが小選挙区など存在しないコスタリカの選挙とは全然ちがうということは知られていない。それほど知られていない小国コスタリカなのにその国の民主主義は有名で名前だけは国際的に知られている、、、まさに、これがそのことを物語っている。
元大統領が今はコテージ経営をしていてツアー客の荷物を運んだりしているというこの国にますます興味を覚えてきた。
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