■NHKテレビ番組「安保とその時代・安保に賛成した男たち」を見ていて、そこに登場した若泉敬の経歴の詳細を始めて知った。福井弁護士会会員で初の女性弁護士の若泉先生の旦那さんが自民党政権の陰の外交に深く関与している学者らしいという話は京都産大出身の知人がら聞いたことはあるが、佐藤元首相の秘密代理人として70年安保沖縄返還の核持込密約交渉にあたった当の本人だったとは知らなかった。
若泉ひなを先生には刑事記録謄写をしていた熊谷謄写館時代にお客さんとして生前何度かお会いしている。しかし若泉敬が青酸カリで服毒自殺した1996年は僕がNYにいたときなのでどのような報道がなされたのか知らない。番組ではガンで死亡したことになっていたが、、、。
番組では60年安保の学生運動のさなか「土曜会」と称して安保賛成の活動をしていた東大学生グループのメンバーとして紹介されている。初の内閣危機管理室長佐々淳行も同じ仲間だ。10年後の70年安保のときに学生運動制圧の最前線で機動隊の指揮をとっていたのが佐々で、後の浅間山荘事件などの現場指揮をとる。それで読めた。土曜会メンバーは体制内改革を叫んで自民保守政権の中で国防意識の啓蒙を図ろうとしたようだ。
僕らの暗い学生闘争の記憶につながる年代にとって当時は恐らく「右翼」と呼ばれたであろう彼ら少数者の活動が日本の政治・外交を裏で支えてきたという事実は衝撃的に感じた。その意図とは裏腹に日米秘密交渉は沖縄の基地恒久化を容認することになり、沖縄県民の犠牲の上に日本の安全保障が図られていることに国民が無関心になっていくことに危機感を覚えた若泉は「愚者の楽園」と化した日本を憂い、自己のかかわった秘密外交が失敗したことの責任をとる形で最後は自殺したわけだ。
当時、僕はNYで故ニクソン大統領をセントラルパークでみかけたこともあるし、ニクソンの特別補佐官で若泉の交渉相手であったキッシンジャーの話を聞く番組録画取りに毎年聴衆の一人として参加していた。70年安保学生紛争時代にはわけもわからず安保廃棄を叫んでいた世代の当事者としても60年以上生きていると日本の政治外交の歴史が自分の人生・経験とつながりを持つ瞬間を感じることがある。湾岸戦争や9.11の時のように、、、。
まさに日米安保は日本の過保護構造の象徴的軍事外交面を示している。日本経済の保護船団方式にしろ、過保護の家庭教育環境でいつまでも親離れのできない子供と、子離れのできない親。会社ばなれのできない従業員、行政ばなれのできない消費者、、、年金ばなれのできないリタイヤ世代、、、。基本的に「自己責任」の育たない国「日本」、それを僕は日本の過保護文化、過保護構造と呼ぶことにする。
この僕の視点は僕がアメリカでセキュリティーを学ぶなかで身につけた日本観だ。「人は1人では生きていけない」という思想で別名パラサイト文化・国家・人生、、と言ってもいい。自己責任とか自立とは無縁の世界、、、。それのどこが悪いのか?
「愚者の楽園」のどこが悪いのか?いやなら出て行けばいい、、、とまで言うような問題でもないが、、。
外交交渉であれば勝つこともあれば負けることもある。安保維持を画策しながらも交渉で失敗し、自己の責任を重く受け止めてついに安保廃棄の考えに至った若泉はまじめすぎた、と評価するのは軽すぎる。しかし、最後まで憂国の国士だった、というのはもちろん論外。
1人の「愛国者」だんたんだろうか?
若泉ひなを先生には刑事記録謄写をしていた熊谷謄写館時代にお客さんとして生前何度かお会いしている。しかし若泉敬が青酸カリで服毒自殺した1996年は僕がNYにいたときなのでどのような報道がなされたのか知らない。番組ではガンで死亡したことになっていたが、、、。
番組では60年安保の学生運動のさなか「土曜会」と称して安保賛成の活動をしていた東大学生グループのメンバーとして紹介されている。初の内閣危機管理室長佐々淳行も同じ仲間だ。10年後の70年安保のときに学生運動制圧の最前線で機動隊の指揮をとっていたのが佐々で、後の浅間山荘事件などの現場指揮をとる。それで読めた。土曜会メンバーは体制内改革を叫んで自民保守政権の中で国防意識の啓蒙を図ろうとしたようだ。
僕らの暗い学生闘争の記憶につながる年代にとって当時は恐らく「右翼」と呼ばれたであろう彼ら少数者の活動が日本の政治・外交を裏で支えてきたという事実は衝撃的に感じた。その意図とは裏腹に日米秘密交渉は沖縄の基地恒久化を容認することになり、沖縄県民の犠牲の上に日本の安全保障が図られていることに国民が無関心になっていくことに危機感を覚えた若泉は「愚者の楽園」と化した日本を憂い、自己のかかわった秘密外交が失敗したことの責任をとる形で最後は自殺したわけだ。
当時、僕はNYで故ニクソン大統領をセントラルパークでみかけたこともあるし、ニクソンの特別補佐官で若泉の交渉相手であったキッシンジャーの話を聞く番組録画取りに毎年聴衆の一人として参加していた。70年安保学生紛争時代にはわけもわからず安保廃棄を叫んでいた世代の当事者としても60年以上生きていると日本の政治外交の歴史が自分の人生・経験とつながりを持つ瞬間を感じることがある。湾岸戦争や9.11の時のように、、、。
まさに日米安保は日本の過保護構造の象徴的軍事外交面を示している。日本経済の保護船団方式にしろ、過保護の家庭教育環境でいつまでも親離れのできない子供と、子離れのできない親。会社ばなれのできない従業員、行政ばなれのできない消費者、、、年金ばなれのできないリタイヤ世代、、、。基本的に「自己責任」の育たない国「日本」、それを僕は日本の過保護文化、過保護構造と呼ぶことにする。
この僕の視点は僕がアメリカでセキュリティーを学ぶなかで身につけた日本観だ。「人は1人では生きていけない」という思想で別名パラサイト文化・国家・人生、、と言ってもいい。自己責任とか自立とは無縁の世界、、、。それのどこが悪いのか?
「愚者の楽園」のどこが悪いのか?いやなら出て行けばいい、、、とまで言うような問題でもないが、、。
外交交渉であれば勝つこともあれば負けることもある。安保維持を画策しながらも交渉で失敗し、自己の責任を重く受け止めてついに安保廃棄の考えに至った若泉はまじめすぎた、と評価するのは軽すぎる。しかし、最後まで憂国の国士だった、というのはもちろん論外。
1人の「愛国者」だんたんだろうか?