真夜中の随想(2)

2010年08月31日 | 随想
真夜中の月は半月。
薄い氷のような蒼空に、五十一年目の秋が深まっていく。
今は遠くの命。
遥かな、遥かな蒼暗い空の中に浮かんでいた
とんでもない月の光。
僕は多くのことを忘れてしまった。
亡くなった友のことも、白い巨大な雪のことも、
岩を超えていく歓びも、落ちていく恐怖も。
全ての経験が今は牙を剥くこともなく、怯えることもない。
僕は茫然として一人、食堂の机を見つめている。

脱原発15年延長? 反対します!

2010年08月30日 | 脱原発

ドイツで脱原発を15年先延ばしにしようという考えが、
メルケル首相を中心として独政府内で高まっている。保守党内からの
反発も出ている。緑の党の猛反発は必至。

メルケル首相の連合政権内の不協和音や迷走に対する失望感にも
後押しされて、緑の党の有権者支持率はこの一年で16%まで高まっている。
緑の党はここ10年は州政府や連邦政府に次々と参加し、政策的な妥協の
必要も多く、現実派路線に転向、だいぶ保守化したことも確かである。
しかし、今回は中途半端な妥協をせずに頑張って欲しい。
彼等の踏ん張りどころだ。

70年代後半のオールタナティブの運動から始まり、党としての形もなく
「緑の人達」としてスタートしてから、ドイツの社会の在り方や政治の
方向性に大きな 影響を及ぼしてきた。
その当時からの支持者や関係者には、「思えば遠く来たもんだ」との感慨は
相当あるだろう。その気持ちは、当時20代の若さから現在50代となり、
職につき子供・家庭を持ち、安定、保守化した僕達の世代の日常感覚とも
相当重なる部分があるだろう。

しかし、脱原発の問題でこれ以上妥協することは自分達の出自、彼らの
政治的運動の原点に関わることである。当時とは違う形であれ、
議会を超えた国民的運動、反対の議論を巻き起こす力となって欲しい。

また、ドイツがここで妥協すれば、ドイツ国内だけでなく昨今の
地球温暖化やCO2の問題絡みで、原発を見直そうという他の先進国や
日本の原発推進派にも格好の材料を提供することとなる。
原発の必要性を唱えようとすれば、いくらでもその理由は付けられる
だろう。しかし、チェルノブイルの事故は過去の話ではない。

議論すべきは代替エネルギーへの転換を未来への共通の課題として捉え、
それを如何にすれば早期実現できるか、どのように化石燃料からの転換を
進めていくかということだろう。


純米酒と日本語

2010年08月28日 | 日本酒&ワイン
10年くらい前からだろうか。日本酒、特に純米酒を熱心に飲むように
なった。お酒は日本の発酵文化の華。自分の「食」の仕事の勉強
もかねて時々、蔵元を訪ねて行くこともある。そんな中で、何人かの
先生がいる。本だけの先生もいる。「米の酒はおいしい」と
「純米酒Book」の山本さん。一人、晩酌をするうちに僕は架空の
質問をし始めた。
http://www.yohkoyama.com/





「山本さん、今晩は。一つお伺いします。 僕も日本酒は大好きですが、
最近は日本酒が洋食にも合う、チーズにもこの酒なら相性がいいだとか、
日本酒と何とかのマリアージュだとか、純米酒に詳しい、専門の人も
そんなことを言います。 僕は馬鹿も、変な愛国心も、
無理も休み休み言えと思います。


日本酒は和食と、日本の発酵文化と、出汁と野菜と魚と、
ご飯との素晴らしい相方、其処にあって右にも左にも出る者なしの千両役者。
何が悲しくて、洋食やエスニックに合わせる必要があるのか。
一方で、ヨーロッパのワインを、鮨や和食に合わせようとするのか。


どちらも明治の初めの鹿鳴館よりも、切なさも必然性もないから、
尻の穴がこそばゆく、居ても立ってもいられない恥ずかしさ。
日本の純米酒は世界にも稀な、美しい島国の風土に咲いた稲穂の華。
四季の自然に寄り添い、素材を敬い、洗練を極めた料理の唯一無二の相方。


僕たちは、一体何時まで世界の一地方の言葉に過ぎないヨーロッパ語で
考えられたことを、こんなに大事にしていくのか。
僕はヨーロッパのワインが本当に大好きで、それできっと10kgぐらい
太ったけど、それでも日本のお酒をヨーロッパの皿の上や、言葉や、
物差しで考えるのは、不思議でしょうがない。
ドイツで夜な夜な、弁天娘さんや旭菊の大地さんなどを戴いていると、
亡くなった井上ひさしさんの「どうしても米の話」や山本さんの
一日一合のことを思い出し、自分の中でも整理しきれていない考えを
書き出してしまいます。まとまらない考え、失礼しました。
杯も空きました。」




健16歳、いよいよキックオフ!

2010年08月27日 | 家族
今日は健が初めて家を離れて、4ヵ月外国へ。アイルランドで
英語の勉強。父さんが16歳の頃には夢にも考えられなかった
ことだ。朝の3時、家族皆まだ起きている。
沢山の経験をし、元気で帰ってくるように!
自分のペースでガンバレ!




出発する前の日の写真。久し振りに膝にのってきた。
ずしんと重い。




50歳の誕生日祝いに、健が作ってくれたカレンダーの表紙。
幼稚園に通い始めた頃の写真か。「人生にキック!」

「食」の仕事、毎日に役立つように。

2010年08月26日 | 日本の「食」
久し振りに独語で文章を綴る。日本の醤油について。濃口、薄口、
再仕込み、溜り、白醤油の違い、その使い方について。
外国産原料/脱脂加工大豆ベース、徹底 的に機械化された巨大な麴室。
スチールタンクでの速醸、大型プレスでの絞り。日本最大手のメーカーが
この醤油を欧州で天然醸造と名づけ販売する。

正直に、誠実に、知らない人にも分かりやすく。楽しく美味しく、
毎日の生活に役立つように。自分の生まれ育った国の風土と文化が
生み出した宝物。多くの人達 の毎日の手仕事で支えられてきた滋味。
日本の食文化の大きな柱。日本の造り手と欧州の心ある人達に本当に
役立ち、次につながる良い仕事をしよう。

日本の野菜を作る

2010年08月25日 | オルタナティブ&オーガニック
自宅の小さな菜園で時々、日本の野菜を作る。
今年は種蒔きが遅れてしまったが、このところ春菊と胡瓜が毎日
取れて食卓を賑わしている。有難い事だ。
「日本のキュウリ、美味しい!」子供達の通うドイツの学校でも
中々の人気者だ。明日から次男が初めての外国。
今日はキュウリ素麺を作ろう。

今年は枝豆は不調。来年は庭の菜園を広げて、日本の野菜をもっと
本格的に作ってみたいと思う。 そんな事を考えながら日本で購入した
自然農法関係の本を読む。自給農法の糸川さんの話も思い出す。
そこには、ヨーロッパでの有機農法やオーガニックの運動も未だ、
人間と自然との共存的関係ではないだろうという考えが底流にある。
僕も日本とヨーロッパの精神、物や自然の捉え方、人の在り方に対する
根本的な違いは確かにあると思う。暮らしの中でもそのような感覚がある。
しかし、自分にはまだはっきりした糸口が見つからない。

ドイツ風ラタテュイ&塩茹でジャガイモ

2010年08月19日 | ドイツ・ヨーロッパの「食」
今日は妻が夕食当番。夏の葉野菜に松の実のサラダでスタート。
南仏ランデドック地方の赤ワインを開栓。いただきます!!






今日のメインは、ドイツ風、夏のラタテュイ。
(隠し味にほんの少し昆布出汁と松本大久保さんの白しょうゆ使用)に
塩茹でポテト。美味しい! 妻の自然体、直感的料理はど真ん中、
真っ直ぐ。優しくてしっかり。家族皆んなで「美味しい!!」
どうも有難う






ドイツの昔からの伝統、皮付き丸のまま塩茹でジャガイモ。
決め手はジャガイモの質と茹で具合。硬からず柔らかからず。
それにバター。どちらもオーガニックがベスト。
味のポイントには岩塩よりもやっぱり自然な海塩。
本当に懐かし美味しい味。





締めくくりには、子供達二人がお待ちかねのデザート。
美弥とイザベル、15歳の仲良し二人組が今日焼いたばかりの
ショコラトルテ、ホイップした生クリームにブラックチェリー
をのせて。僕も少しだけ味見。
ムム、なかなか上品。ご馳走様でした。




8月15日

2010年08月15日 | 脱原発


8月15日が今年も過ぎようとしている。
日本の軍国時代、全体主義が終焉を迎えると共に日本人の精神的、
文化的独立性にかってない変化がもたらされる転回点だったと思う。
子供達に食事の後、日本人の血が半分は流れていること。
8月15日を記憶し、いつかは自分達の事として考えてほしいと話す。



(追記 8月6日の自分の記録)
65年前の今日、原爆が広島に落とされた。
人類史にかってなかった無差別大量虐殺が行われた日だ。
その虐殺は、米国が国家の意思として 何十万人の命に対して
計画的に行なったことである。その非道は長崎で再び繰り返された。
米国の非を、命の冒瀆を日本もヨーロッパも問うことは出来なかった。

僕の父親は山口県柳井市の出。海軍の志願兵で飛行機乗りだった
とのこと。戦後、焼け野原の東京に出て来て、闇市で
働いたりしながら身を立て、浅草生まれの母親と出会い
一緒になったとのこと。

父親が育ったのは広島市。原爆で家族、親戚の大半が亡くなっている。
しかし、その話を父親から詳しく聞いたことはない。
僕もあえてそれに触れていこうとはしなかった。それにはいろいろな
事情がある。

今、自分のことと子供達の将来のことを考え、このことに取り組んで
みようと考えている。
今年の秋、柳井と広島に足を運ぶつもりだ。


真夜中の随想(1)

2010年08月13日 | 随想
ひとは幾つになっても、恋心を抱く。
ひとに、街に、見知らぬ土地に、そして、まだ見知らぬ時間へと。
透明な時間。吹き渡る風。心の中に鳴り続ける響き。
誰もが一度限りの刹那を生きていく。
帰ることはない。夏が今、過ぎて行く。

北ドイツ湖沼地方の旅・その6

2010年08月12日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」
小雨の降る中、一日中、湖と森の中を自転車で走った。
お昼は、山羊のチーズと全粒粉のドイツ風農民パン。
本当に美味しいチーズは本物のタクアンと友達みたいだ。
(どちらもその土地のオーガニックの素材だった。)





スープは「
ソリヤンカ」。もともとはロシア、東欧の方の料理。
ベルリンの壁が崩壊する前、旧東独で半年程働いた時、何処に
行ってもこのスープがあった。
工場の食堂、暗い冬の街の国営ホテル、
雪の中で次の接続を待ちながらの小さなレストラン。何処でも
メニューにはこのスープがあった。キュウリのピクルスやハムや
肉の切れ端がトマト味のソースの中でぐつぐつと煮込まれて、
油が表面に浮いていた。今でもその名前を聞くと、旧東独の
知人や友人との悲しい思い出が湧きおこってきて、切なくなる。
今日は妻と二人でそのスープをすすることになった。
当時とは異なり、具材がきちっとしていて、さっぱりした味だった。
20年が過ぎた。





食事の後は
手作りのハーブティー。(近くの野原や草原で摘んで来て、
そのまま干しただけのような味だ。ドイツには実にいろんな
種類のハーブティーがある。妻も子供達の授乳期には、お乳が良く出る
ハーブティーをこまめに飲んでいた。)
今日のポーションは超特大サイズ。スープ皿みたいなティーカップに
たっぷり入っていた。





さて、下の写真は今回の旅の宿、自然な素材と手づくりを大切にする旅籠屋/
ガストホーフ「TENZO」さんの朝食風景。
ドイツのパンは噛みごたえしっかり、
コッペパンでも色々な種類がある。
(穀物の種類、粉の挽き方、発酵の仕方、焼き加減、形、上にまぶしてあるもの等)
かたまりのパンにも色々なタイプがある。
奥さんのカタリーナさんは、この全てのパンをちょうどよい加減に温めて
出してくれた。本当に有り難いことだ。




北ドイツ湖沼地方の旅・その5

2010年08月11日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

僕たちの今回の宿は「TENZO」と言う。長く住み続けたベルリンを
離れ、
カタリーナとマルクス、二人の夫婦がその中に彼らの人生の
意味を込めた。ドイツ語の枠をはみ出した名前である。





「TENZO」は改築前の旧い校舎の面影を残しつつ、石よりも土、
鉄よりも木を大事にしてつくられた旅籠屋、伝統的なガストホーフ。
しかし、伝統が本当に新しくなるときには、覚悟を決めた人の人生が
かかっている。できれば、この宿について、この二人についていつか
詳しく書いてみたいと思う。






ドイツの農家の古い伝統だった土壁の技術「レームプッツ/Lehmputz」
は戦後ほぼ途絶えてしまったが、20~25年程前、 当時の若い人達が
その復活を目指した。今振り返れば、これもドイツのオールタナティブ
とオーガニックの運動の一つだ。友人のイックスさんもそのパイオニア
の一人だったのだろう。

ガストホーフ「TENZO」の部屋のも全て土壁、厚いレームプッツで
覆われている。
レームプッツは室内の湿気を自然に調整し、清涼な空気を
保つ。まるで土が
呼吸をするかのようである。2年前に僕達もイックスさん
に頼んで、食堂と寝室を土壁に塗り替えた。本当に気持ちが良い。
実に良く眠れる。朝の目覚めも良い(お酒を飲み過ぎた時は別)。
わらを混ぜ込んで外壁に使えば断熱性も抜群。

技術素材に頼った最新の省エネ建築よりも、伝統的工法を現代に応用し
自然素材を大事にするBaubiologie・ビオ建築法に、僕は人間の心身
との融和性を感じる。これは実際に住んでみての実感である。
けれども、このBaubiologie はドイツでもまだ本当に小数派である。
是非、日本に紹介されて欲しい技術、建築思想だ。





上の写真は、カタリーナさんとマルクスさんが施主となって進めている、
内も外も土壁のレームプッツ・プロジェクト。友人のエキスパート、
粘土男のヴォルフガングさんが中心になって有志参加の実践セミナーも
平行して行っている。彼らのモットー。「自然素材の家。左官仕事は
自分でやるぞ!」


北ドイツ湖沼地方の旅・その4

2010年08月10日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」
今日は村祭り。教会の鐘の音はそろそろ始まりの合図だろうか。
夏服、サンダルの気軽な姿で、村の人たちも続々と集まってきた。
天を仰ぐ一人の男。七面鳥の冥福を祈っているのだろうか





朝から取りかかっていた七面鳥の丸焼き。だいぶ焼き上がってきた。村の子供達もめったに見る事がないのだろう。若いお父さんが熱心に説明をしている。味付けは注射針で塩水を注入するそうだ。
村祭りの昼食はセルフサービス。メインディッシュは焼きたて七面鳥丸焼きのスライス。ポテト、コールスロー、ライスのサラダ等、付け合わせは村の主婦たちの持ち寄り。気軽なドイツスタイル。




北ドイツ湖沼地方の旅・その3

2010年08月09日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」
8月初旬の夕方午後4時頃。
二人乗りのカヌーで「湖上の散歩」に出発。
日が暮れるまでには、ゆうにまだ5時間はある。
凪、湖面は鏡のように静か。水面に目を移すと小魚の群れ。







湖上の散歩、曇り空に太陽が覗きだした。
土壁・家具職人のイックスさん50歳。
オールタナティブ、オーガニックはアタマや理屈じゃない。
質素にシンプルに自分の時間を生きること。にこっ。





湖から上がって自転車で走る。
見渡す限りの牧草地、何処を向いても大空。
松の巨木が2本屹立している。
何の為だろう、特別な意味があるのだろうか。
異邦人の僕にはその広大さ、美しさしか目に入らない。




北ドイツ湖沼地方の旅・その2

2010年08月08日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」
メクレンブルク・フォアポンメルン州は、旧東独地域に属する北ドイツ
の一地方。のんびりとした土地柄。カヌーで湖から湖へと何日も旅を
続けることのできる、広大な湖沼地帯で有名である。
昔から人々の生活は農業が中心で、時計の針がゆっくり動いている。





到着して二日目で小雨の降る中、僕たちも一日中、湖と森の中を自転車で走る。
何百年も風の音を聞いてきた巨木達の向こうに湖が見える。 生まれて初めて見る
風景だ。それなのに懐かしさがこみ上げてくる。 人々は水の中の魚のように、
生まれたままの姿で泳いでいる。

ドイツのあちこちに旅してきたつもりだった。でも、こんな風景の中に
居たことがあっただろうか。湖は群生する葦に囲まれ、天空を行く雲の流れを
水面に映し出す。夕方の光がその色を刻々と変えていく。 大地が静まりかえる。
ドイツの詩人達の歌がかすかに聴こえてくるようだ。







北ドイツ湖沼地方の旅・その1

2010年08月07日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」
日本の長期滞在から戻って、翌日。デュッセルドルフから特急ICEに
乗って約4時間。ベルリン中央駅に到着。ガラスのドームに覆われた
現代建築と技術の殿堂。
中央部の巨大な吹き抜けの中を、透明なバイブ状のエスカレーターが、
上下三層に分かれた発着ホームを結ぶ。 旅する人達はこの書き割りの主人公
ではなく、脇役に過ぎない。巨大な利便性の中で、個人は匿名性の集合体となる。






ベルリンでローカル線の急行に乗り換え、プレンツラウ(Prenzlau)へ。 ほっとする。
夏休みや週末旅行の人々で車内は満員御礼、妻の隣で立ち続ける。
そろそろお昼時。ドイツのおむすびはコッペパン。
僕がかぶりつくと、お母さんと男の子二人の家族連れもそれに続く。
ドイツのバンは何でも、しっかりした噛み応え。






おむすびとコッペパン。粉食文化と穀物つぶつぶ文化、
ドイツ、ヨーロッパの味の基本はミルク、卵、肉、油、砂糖。
コッペパン(正式名はブレーティヒェン)にバターを塗って、
チーズかハムを載せる。それが茹で玉子やジャムになることもある。
そういえば、日本のおむすびも随分、洋食化したものだ。






ローカル線はえっちら、おっちら。一時間半遅れてようやく到着。
のんびりと走り去る列車を横目にしながら駅を出て、出迎えに
来てくれたイックスさんを探す。






今回の湖沼地方への旅は、友人の土壁職人、家具職人の
イックスさんを訪ねてのことだ。
イックスさん夫婦は6月に、この旧東独の湖の国に引っ越して
来た。彼らの新しい生活が始まろうとしている。






2年前の自宅の改築の時に知り合ったイックスさん。僕と同い年。
いつも飄々として、時々オールタナティブなのか、ただのノンビリ屋さん
なのか分からない時もある。
デュッセルドルフから十日間、トラクターで約700キロ。家財道具全てを
載せて新天地への移動。まずは打ち捨てられた小屋を改造して、自分達の
住まいとする。こんなに生き生きとしたイックスさんを見るのは初めてだ。
本当に嬉しいし、頭が下がる。