「新たな年に」 ー 機は熟した

2019年01月06日 | 家族

新年あけましておめでとうございます。

いつか、日本の暮らしがまた日常になった時には、おせち料理も
作りたいなぁと思って30年くらい過ごしてきましたが、そのうちに
子供達もすっかり大きくなり、三人ともにドイツ・ヨーロッパ文化圏の
大人となりました。

おせち料理への特別の思い入れも、その一体感も、僕の今年60になる
今回の人生では、日本とドイツの間で永久にお蔵入り、またそれも
自然かなと思う正月でした。

そうそう、年明け前、うちの長男は長く付き合ってきた大切な彼女に、
二人の10周年となるクリスマスイブの前の日、オーストリア・ウィーン
の都を見下ろす丘の上、満天の星の下、この国の古い歴史を刻んだ旧式の
ホテルの前で、婚約の申し込みをしたそうです。
もちろん、両方の親達はツンボ桟敷で、、、。 

クリスマスイブの夜、樅の木の前で、僕達夫婦はそれをクリスマスカード
のメインメッセージで初めて耳にして、思わず、

「おぬし、やるなぁ!」

と、「立派に成長したもんだ!」とつくづく思いました。

去年の夏、修士卒業後、多分、ドイツ語圏では当たり前の、個人個人の
一本勝負の就職活動、何度も最終面接ではじかれても、
「二人の生活の基盤のウィーンから離れた就職はなし!」を意固地に貫き、
最後の最後で、二人のこれまでの勉学・生活の地での就職を決めて3週間、
「機は熟した」と長年の彼女との婚約を、26歳の自分の中の、
人生の大きな節目の決心として決めたのでしょう。
「よくやった!」と思います。

そして、僕もクリスマスのプレゼントに、子供達三人が今年の秋に
あらかじめ京都で選んでくれていた前掛けを締めて、

「第二の人生、ライフワークの本命スタート」と思うのでした。

友人、知人の方々、何処にいても、どう生きても一回限りの人生、
その時々の一緒の時間や一人だけの、それぞれの時間を大切にして、

「互いに健やかで良い年になりますように」

 

 

 


「エファさん、アフリカの旅への置き土産・・・」

2018年02月05日 | 家族

昨日の日曜日、うちのエファさんが前から楽しみにしていたアフリカの
旅に出発しました。行先はケニア。

首都ナイロビからスタートして、ケニア各地の広大な自然を巡り、
アフリカ、アラブ、イスラム、イギリスの文化が交錯する
歴史的港湾都市モンバサまで。

僕自身は一生知ることもないであろう土地へ、定年を迎えた仲良しの
叔母と約四週間近くの長旅です。

一方で僕が一人にならないように、猫の世話がちゃんと出来るようにと、
ウイーンから試験休み中の娘が戻ってきました。
これは有難いこと!

「無事で愉しい旅になりますように!」

出発前の昨日は慌ただしい中、なんとか三人で南瓜とインゲンの
お味噌汁と簡単な混ぜご飯で夕食を済ましました。

今日、妻を送り出して戻ってくると、その娘がどこからか大きな袋を
取り出し、
「ママからの旅の間の置き土産!二人で淋しくならないようにと、
お菓子やビデオが入っているよ。」
その中には僕が前からどうしても見たかった、それでもいつも見逃して
しまっていた二つの映画、アニメの「この世界の片隅に」と、黒澤明の
「生きる」が入っていました。一体、どこで見つけたのだろう?

四週間居ない間の実務や家事の引き継ぎはつい忘れることがあっても、
こういうことにに気を配り、思いつくウチの奥さん、エファさんは
30何年付き合っても僕には摩訶不思議、おおよそちんぷんかんぷん
だけど、その一方でやっぱりすごい人だ、素晴らしい人だと、
心からじーんとしました。

娘と二人でもう一度、
「グーテ・ライゼ ! 良い旅を❣️❣️❣️

 

 


「京都 ー 真如堂の小さな秋」

2017年11月27日 | 家族

ほら、見てごらん!
冬に一歩足を踏み込んで、
そしたら、
やっぱり秋が戻って来たよ。

真如堂の小さな秋は光がいっぱい。



真如堂の秋の一日。
紅葉、黄葉、浅緑、陽光の一日。

ドイツから来た僕の家族も赤床几に座って、そして、
僕が子供だった頃のように、愉しそうに甘酒を飲んでいる。

きっと、僕はどこにいてもこんなことを大切にしたかったのだろう。
小さな草や花が少しづつ、少しづつ根を生やしていくように。

 

 

 

 

 


四十八年目の秋の一日

2017年10月21日 | 家族

秋が来た。

十月の夕暮れの空に
このあいだまでの夏が、骨と皮だけになってしまった。

無言の海鳴りのように
影法師のように、闇と光の秋が来た。

今日のこの日から数えて、母が亡くなったのは48年前のことだ。
彼女の生を知る人は、この世にもう何人もいない。
もちろん、そのようなことは地球上で毎日、何百万回も
繰り返されていることだ。

それでも亡き人が全くいなくなるのは、残された人の
愛惜の想いが消え去った時だろう。 

 

 

 


次男がデンマークに旅立つ朝

2017年08月29日 | 家族

今日は次男がデンマークに旅立つ朝。

普段は小さい時からのお母さんの味、
ヨーグルトやフルーツ、色々な穀物が入ったドイツ式のオートミール、
『ミュースリー』/日本ではその似非物がスーパーなどでグラヌラート
と呼ばれてい るそうですが、、
それをまず先に食べる次男が、今日はまず朝のおかゆから。

和食への思い入れが強い父親の僕に、子供の頃から優しい次男が、
気を使ってくれたのかもしれません。

出発の朝には自炊用にいつもの濃口醤油と白醤油、そして「ひとりの
時でも食事の時間を大切にするようにね」と次男が忘れそうになって
いた箸箱、箸、箸置きと、小さい時から使い親しんできた漆の飯碗と
汁椀を手渡しました。

ドイツに残る次男の彼女も、最初の一週間は同行します。良かったね

 


次男のKENKEN、旅立ちの食卓

2017年08月28日 | 家族

時々、僕のドイツの家でも、特別な日にはお寿司を作ります。
今日は次男のKENKENが、遠くデンマークの大学に行く前の日。
慣れない土地で当分、食べることにも幾らか苦労をするのだろうと、
今晩は、御馳走づくめの贅沢な夕飯を皆で作りました。

まず、久し振りのお寿司の後は、次男 好物のとりの唐揚げを間に
入れて、それから盛り沢山の天麩羅とお蕎麦。
調理のプロのスタッフも加わって、最後はデザートに彼女手作りの
タルト・タタン。


皆んな、美味しい、手作りの楽しさでお腹いっぱいになりました。

正直、自分の小さい頃や若い頃を振り返ると、こんな贅沢をしても
良いのだろうかと思いますが、やはり、子供の大きな門出は
自分達の手で祝ってあげたい、そして、記録にも残しておきたいと
思います。

今、20代の若者達、そして、まだその下の子供達、彼らを待ち構える
将来、近未来を思うと、本当に今の歓びを人生の力にして、
生きていってほしいと願うような気持ちです。

こんな家族の特別なアルバムは、本来、インターネットなどは通さずに、
気心知れた、仲の良い友達だけに伝えるものだったと思うのですが、、、。
日本にいる友達や家族の知人にまず届くようにと思いつつ、
僕にはデジタル世界の良し悪しがしっかり見えていないのかもしれません。

それでも、今日はこの不思議なデジタル・メモを、自分の日誌のように
書き留めておきましょう。

明日が良い旅立ちになりますように。

 


梅の花は満開 - 次男の春

2017年03月16日 | 家族

梅の花は満開、そして、桜ももう咲き始めた。五分咲きくらいだろうか。

今日は次男がドイツの大学の卒論を無事に提出した。彼にとっても大きな
区切りの日だと思う。春の暖かな、良い一日だ。

この後、地元のサッカーのいつものトレーニングに行くと言う。そうだ、
こんなふうに健康と毎日を楽しみに出来ることが何より大切だと思う。
僕自身はドイツに来てから30年、学業や仕事に流されて、それが
出来ないことも多かったけれど、三人の子供達は各々にそれをよく
感覚的に弁えていると思う。有難いことだ。

それに僕は大体、個人の判断で学業の開始や修了のタイミングが
決められるドイツの高等教育システムもなかなか良いと思う。
僕たちの家族の生活感覚にはよく合っている。

息子が戻って来たら、今日は早咲きの桜の木の下で家族の
居酒屋大会をしよう。次男の好物をいろいろ作ろう!
もう少し買い物もしておこう。今日は良い日だ。

 

(日本、京都で健が小さい時からお世話になった友人、知人の方々、
ありがとうございます。一つの大きな区切りです。四月に一緒に
日本に行きますので、またお会いできるのを健も楽しみにしています。)

 

 


京都に着いて - 真如堂近くの小さな住まい

2016年11月23日 | 家族

京都に着いて二日目です。昨日の朝は御所の中を自転車で散歩しました。
秋の朝の光が印象的でした。

午後には真如堂にも足を運びました。僕たちの小さな住まいもその形が
少しづつ見えてきています。有り難く、良い一日でした。

うまく表現できませんが、昨日のような特別な日に、僕個人が
こうしていられることは本当にありがたいことでした。
真如堂の近く、吉田山の小さな家もいよいよ本格的な工事に入りました。

疋田さん、近さん、本当にどうもありがとう。


2016年7月の備忘録—「大きくなった息子達の肩にぶらさがって」

2016年07月12日 | 家族

【7月4日】

今は人生の夏。「おーい、何が見えるんだい」

小さい時から、外に出るとすぐに高い所に登りたがった。
我(われ)がままは大切なこと。

「シッダールタ」を表した、1877年生まれの
南独の詩人は、それをEigensinn と名づけた。

 

【7月8日】

おめでとう! congulatulations!

日本の友人、知人の方々、長男の浩太がオランダの大学を今日、
一時間前に卒業しました。思ったより、ジーンときています。

ドイツの高校を途中で終えた後、北海道、沖縄で合わせて約一年、
福島の東電原発事故での中断もありましたが、日本で一人で実習生活を
したことが今の成長につながっていると思います。
京都でも、沖縄座間味島でもたくさんの方々にお世話になりました。
有難うございます。

浩太と二人でもうすぐ、来週から日本に、京都に行きます。
今から楽しみにしています。 

 





 

【7月12日】

夏の午後、日曜日。次男の健が下宿先に帰る前に。


よく育った息子達二人、親バカな小さなお父さん。
昔と違って、父親と息子の間、家族の仲はこんな感じでいいのかな
と思います。

2012年12月17日、衆院での自民党政権復活以来、日本の多くの市民が
恐れていたことが次々と起きました。
そして2016年7月10日の昨日、一人一人の生活や、その中での小さな
当たり前の喜びや幸せを全く度外視する、政治的社会的倒錯者達の時代が、
さらに一歩大きく足を踏み出しました。

父権バカ、既存権益バカ、男性論理バカ、国家主義バカになるよりは、
子供達の今と未来を大切に、そして自分の人生も大切に一緒に生きる
親バカを、これからもやっていこうと気持ちを新たに、大きくなった
二人の息子の肩にぶらさがりました。


PS.
7月下旬、瀬戸内の海にて。

尾道から今治までしまなみ海道、二泊三日の自転車の旅でした。

 

 


「お母さん、お父さんのご飯」を楽しみにして、、、。

2016年06月12日 | 家族

日曜日の夕刻。
次男は半年間の企業実習をドイツ・テレコムで始めたばかリ。
ボンの下宿先から週末のみ両親の自宅に帰ってくる。
平日はまともなものをそんなに食べていない。
だからこそ、家では帰る前にしっかり食べていってほしい。



キノコとセロリの炊き込みご飯、ワカメ、絹さや、豆腐のお味噌汁、
糠漬け、冷奴、次男の好物の薬味たっぷりのざるそばなど。
時間がなくて、簡単なものばかりだったけど、美味しかった、
すっかりお腹一杯になったとのこと。



出がけに、アパートでの自炊ベースに、にんにく醤油と白醤油&薄口ミックス
を持たせる。フライパン料理の助っ人役だ。
長男でも末娘でも、家に帰ってきたらば、大体同じようなこととなる。

子供達が小さい頃からいつも、美味しいものを、きちっとしたものを
食べさしてやりたいと思ってきた。
食べることを大切にするようにしてほしいと思ってきた。

このことと幾つかのことは、子供達の人生に僕が本当に伝えたいことだ。
それがこうして出来るのはとても嬉しいことだ。
普通は母親がよく思うことなのだろうが、うちでは妻も僕も両方が
そう思う。むしろ、僕の方がその傾向が強いかもしれない。
自分が小さい頃はこんなことは想像もできず、夢にも経験できなかった
ことだが、それでも、僕のこんな傾向は自分の子供時代の何かとつながって
いるのだろう。

ともかく、そんなことより大切なのは、次男が家のご飯を楽しみに
していて、とても嬉しそうなことだ。
「じゃあ、元気で行っておいで! 来週末はボルダリング一緒に行こうな!」


「五月晴れ、父の日と母の日に」

2016年05月08日 | 家族

2016年5月6日 「父の日に」
 

まさにドイツは五月晴れの祝日、昇天祭。今日は例年とは異なり
母の日より一足早い、父の日でした。





大きくなった子供達二人がこの父の日、母の日のために勉強先の
オーストリア・ウィーンから戻って来ていて、本当に良い楽しい
週末のスタートでした。



お昼は庭で家族揃ってアイスケーキを食べて、タイにいる次男とも
スカイプで話し、京都の友人と食の話をし、夕方は子供達二人を
連れてインドアクライミングに行きました。











夜は子供達にせっせと和食を作り、最後に今日の日のお終いに
娘から、それはそれは素敵なプレゼントを貰いました。









「人生の幸福」と言う言葉があるのだなあとつくづく思う一日でした。
それで今日のことは少しでも書きとめておこうと思いました。





美弥ちゃん&皆んなどうも有難う!


2016年5月8日 「母の日に」


 今日は母の日、雲一つない青空、良い天気でした。



下の娘が一人で用意したお祝いの朝食&ブランチです。



自分のビーガンの美味しいものと皆んなの好きなチーズやハム、
玉子をうまく組み合わせた、明るくて洒落たテーブルセッティング
でした。



全部美味しかったね、楽しかったね。
朝食の後は、毎年恒例の、我が家の女三代記記念写真、
また来年を楽しみに!


「Große Kleine Prinzessin ー 大きくなったなぁ」

2015年12月29日 | 家族

年に何回か、ずっと残業が重なり、家族との夕食の用意もままならない
日が続くと、デュッセルドルフの和食のお店に頼んで、寿司折を
持ち帰る時があります。





外国畑の寿司でも家のお皿に盛り付け直して、本来の天然の良い
醤油をつければ、そこそこ美味しいものです。
そして何よりも、食事の準備も後片付けの心配もなく、皆んなで
四方山話をしながら食べる遅い晩御飯は、即興のイベントのようで
独特の雰囲気、楽しさがあります。
今日の夕ご飯は、そんな感じでした。娘も息子もだいぶ大きくなって、
昔は詳しくは話さなかったことや、大人のややこしい話も卓上に
上るようになりました。



人生の幸せはこんなところにあるのかもしれません。
妻にとっては昔からの当たり前の事実です。
そんな夕食の後、末の娘が今、ウイーンからの夜行列車で着く
初めての訪ね人を迎えに行きました。

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【2015年12月29日】

一昨日、娘と一緒に走った冬の朝、「ああ綺麗だなあ」と思った風景。



自分がついついおろそかにしてしまう、若い時のこんな気持や、
姿勢をいつまでも大切にしていってほしい。
僕もまた、もう一度スタートしようと思う。
久し振りの真夜中までの仕事に、その内容に今日は神経も疲れ果て、
漸く床に入る前の一刻、
明日からのまた、より良い一日を思う時。



 



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【2015年12月26日】


クリスマスの二日目。





皆が朝寝坊している中、末の娘と早起き、1年振りくらいで二人で
ジョギングに行きました。



暖冬の冬、大きな青い空、村から出ると緑の畑が一面に広がって
いました。僕は膝が悪いので大半は自転車に乗って、娘の伴走です。



後ろから追っかけながら、大きくなった娘のしっかりした足取りを
頼もしく、楽しく見ていました。



「Große Kleine Prinzessin」とは、「大きな小さなお姫様」という意味、
娘には以前はいつも、父さんの「Kleine Prinzessin/小さなお姫様」と
呼びかけていましたが、最近は「Große/大きな」が加わるようになりました。
略称、父さんの「GKP」です。 


特別な日のメモ

2015年11月12日 | 家族



今日は88歳になる義理の母というよりも、僕達の皆んなのお母さん
#(Mama ・Mutter ・Oma )が、僕達のところに移って来た特別な日です。
お母さんにも僕達にも新しい生活が始まります。
だいぶ長い間準備してきましたが、大きな節目となる一日です。
とても大切なことなので、日誌代わりにメモをしておきたいと思います。





 



 


「今年中は絶対に訪ねてこないでね!」 ー ウィーンでの学生生活スタート

2015年09月28日 | 家族



今年の2月、ヨーロッパの古都ウィーンを初めて訪ねた一番下の
娘が、「今年の秋からここで勉強するよ!」と言って帰ってきて
から、約半年。 
 
(2015年2月28日の記事「古都ウィーン ー 今年の秋から…」はこちら



その間に東南アジアに何ヶ月も行ったり、ネパールの被災地の
ボランティアに参加したり、或いはドイツの病院で3週間研修を
したりと、目まぐるしく過ごしていましたが、今日、ウィーンに
旅立ちました。





これまでもオーストラリアや日本で語学研修で家を3~6ヶ月
離れることはありましたが、いよいよ親元を離れて異国の地での
大学生活が始まります。「今年中は絶対に訪ねてこないでね!」
とキッパリと言い残して、元気に出発していきました。
19~20世紀の近現代ヨーロッパの学問、芸術、文化の中心地で
あったこの伝統の地に身を置いて、これからの青春の時を、若い
人生を存分に生き、愉しみ、しっかりと自分らしく歩んでいって
ほしいと思っています。



下の娘も含めて、子供達三人が小さい時から親として伝えたかった
ことの一つが、食事の大切さと料理の愉しさです。
娘がウィーンに出発する数日前に、「美弥の野菜の料理に役立つ、
和食のベースを教えてあげようか。」と声を掛けると「うん、お願い!!!」
と、料理バカのお父さんには嬉しい返事がありました。そこで長男の彼女の
ハナちゃん(2年ほど前からビーガン一本槍です)と二人で、初めて
家族料理講習会となりました。
下の娘には珍しく、しっかりノートを取っていました。

家族の毎日の食事によく使う刻み生姜やにんにくのストックの方法や、
椎茸と昆布出汁で作る精進の万能旨味ストック、あるいはフライパンひとつで
出来る根菜や豆腐で作る和洋折衷のMISOスープなど、一人暮らしの
キッチンにすぐに役立つものが中心の内容でした。
(Ohnetaさん、いつもヘルプ・サポートありがとう!!) 



娘がウィーンに出発した数日後、後追いで和食の基本の食材と調理道具、
器などをセットして、独り立ちの旅のはなむけとしました。器などを探し
始めると半日がかりの仕事となりましたが、料理バカのお父さんはまた
気合いが入ってしまいました。





そんなわけで、家族のこんな特別な日には、少し長いメモを
書き留めたいものです。