一足早く来た、今年の秋。

2017年09月30日 | ドイツの暮らし

【9月26日】

今日は秋の静かな日。
一世紀前の面影をそのまま残す、ドイツ・ゾーリンゲンの「三年坂」

この近くにはヨーロッパ屈指の刃物博物館もある。
いわゆる、観光名所ではないけれど、平日の一日、仕事も忘れて
ゆっくりと散歩して、道に落ちたプラタナスの実や銀杏の葉を
あつめたり、少し疲れたら、スレートの屋根に木組みの昔からの
カフェでココアを飲んだり。

そんなことをしたいなぁと思う。でも、僕は今日はここで仕事だ。
それでも、日本からのお客さんはひとまずほったらかし、五分間
だけの小さな中休み。

そうそう、僕は昔も学校の授業をよくさぼっていたなぁ。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

【9月27日】

秋晴れの太陽の下、いつもの一周400mのグラウンドをジョギング
するのでもなく、考え事にふけったり、やや衰えた足腰のことを
気にしたりしながら、ゆうらりと散歩しています。
目の中に飛び込んできたのは、秋のひとつのタンポポと、もうすぐ
取り壊されるらしい、赤と白の村の消防署。

こんな時はふと、ドイツの詩人ヘッセが北イタリアの湖畔の村、
モンタナーラで綴った文章が想い出されます。
彼の人生の後半から晩年に向かって書かれたそれらの文章は、
人生の静かな歓びと同時に存在の哀しさが重なり合うような、
まるで秋の光のような文章でした。

この頃、僕も少し歳をとったなぁと思います。
それでも、この後は来年のヒマヤラの山歩きを想って村のプールに
泳ぎに行こうと思います。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

【9月30日】

雨の土曜日。
買い物から帰って来たら
今年、初めての紅葉。

我は秋なり、カボチャなり!



「暮らしの基本に関わること」

2017年09月24日 | ドイツの暮らし

秋晴れの午後、一週間遅れの誕生日のお祝い。

今日は三人の子供達もデンマークやオーストリアの勉強先から
帰って来て、90歳になった皆んなのオーマも迎えに行って、
久し振りの家族全員勢揃い!

今年のクリスマスカード用の集合写真を撮って、その後は、
末娘の焼いたプラムのケーキとパンプキンクリームで午後の
コーヒータイム。

そうそう、今日は四年に一度のドイツ連邦議会総選挙の日。
政権の一方的な都合で、きちっとした国民的な議論も、
何のまともな情報公開もなく、意味のない突然の解散を
繰り返すことなど、ドイツでは想像も出来ないだろう。

一年に一回の誕生日を勝手に変えることができないのと
本来同じことだろう。暮らしの基本に関わる大切なことは、
それが社会、政治のことであれ、個人のことであれ、
誰かの都合で恣意的に扱うものではない。

 

 

 

 

 


人生の秋 ー 誕生日前後の一週間

2017年09月21日 | 仕事

【2017年9月15日】

今週は南ドイツ、フランケン地方の小さな村で4泊5日の仕事でした。
日本とドイツのクレーンメーカーが一緒になって約30年。

日本の仕事&職人気質社会とドイツのライフ&ワークバランス

個人主義社会の二つの社会、二つの生き方が出会うと、
同じ言葉を話しても違う二つの意味になるのだろうと思うことが
ままあります。

そんなことを思いつつ、夕方の飛行機でデュッセルドルフに戻り、
夜の9時過ぎには事務所での仕事も終えて、
いつものギリシャ料理屋に行きました。

38年前に出来たこの店に通い始めてから25年余り。
ドイツ・ギリシャ移民の1世、2世の歴史が僕達の30年にも
重なって来ます。

お客とお店の関係を超えて、束の間、共有する人生の時間。
僕達は週明けからの税務者の会計調査を控えて、
心落ち着かない日々。
仕事の成功などは、多くの場合、他愛ないこと。
「ああ、僕の仕事はもういいのかなぁ」と想ふ日々。 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

【2017年9月20日】

今日は本当に『ア・ハードディ・ナイト』

しんどかった、これからの、今後のことも考えざるを得ない、
長い一日が終わろうとする晩。
僕達はそんな時の一番の友達、アドリアーノのところにご飯を
食べに行った。

「今日は辛かったよ。」と少し話すと、じっと黙って聞いてくれて、
しばらくして注いでくれたのが、イタリアの名酒。
干し葡萄のジュースの熟成版のようなアマローネ、その小さな兄弟分の
『メッツオ・アマローネ』と云うワイン。

いわば『半分のアマローネ』とでも訳すのだろう。

そんなことをアドリアーノが説明してくれるのを聴きながら、
少しづつ解きほぐれてくる心の中で、これからのことについて
前向きの感覚、謂わば一種の諦観も生まれてくる。

そんな時、突然思いついたのが人生初めて、自らのイタリア語の表現。 

『メッツオは半分、それならドイツにすっかり長くなった僕達は、
それぞれ、メッツオ・ジャポネーゼとメッツオ・イタリアーノ。
そして、今、ちょうど半分のグラスはメッツオ・ビケーレ。
それなら、僕達の人生も今、メッツオ・レ・ビータ!!」

有難う、アドリアーノ❣️

Mezzo Anarone!
Mezzo Giaponese!
Mezzo Italiano!
Mezzo bicchiere!
Mezzo la Vita

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

【2017年9月21日】

秋の午後、木陰の仕事。
実り落ちた、林檎の皮を剥こう。
ほんの30分だけ。
昔から人は云う、人生、秋の日は短し。

うちの猫は時の中に横たわる。
僕は一瞬「今」を知り、それを忘れる。



生まれて初めてのお菓子教室

2017年09月21日 | 毎日の食卓

生まれて初めて作った、本格的なパンプキンパイ。

焼き上がった香りの素晴らしさとその見事な味のバランス、
まさにドイツの秋と家庭の手作りケーキの伝統を伝えるよう。

我ながら中々の出来具合です。コースの後、自宅に持ち帰り、
あたかも自分一人で作ったかのように家族に話してしまいました。

日本の高校を出てからすぐにドイツに渡り、長年の修行をし、
ドイツの国家公認製菓マイスターの資格を取った後、
有名料理店で女性のシェフパティシエとして優れた仕事をしてきた
大庭ありささんのお菓子コースでした。

先生の力量と経験のなせる技。さすがでした。

明日の朝、起きるのが楽しみです。
朝食に早速一切れ。そしてどんなに遅くとも、
午後ののティータイムにはもう一切れ。
人生58年、お菓子には関心もなく知識もなく過ごしてきましたが、
このところ俄然、興味を持ち始めました。

これは今後、相当の趣味になるや否や。
来月のテーマは、子供の時の大好物「モンブラン」、
早速、参加予約をしました。

(お菓子コースの開催地はドイツ・デュッセルドルフ。
僕とうちの奥さんで30年やっている、小さなドイツ語学校の
キッチン教室です。
学校ではビギナーのドイツ語と「ドイツの暮らしと料理」のコースを
いろいろとしています。
料理コースやお菓子コースで使う食材は、基本的に全て、
ドイツのオーガニックの食材です。
自然な味でしっかりと優しく、美味しいですよ❣️)

 

 


此処は世界の何処にでもある居酒屋 ー 南ドイツの旅籠屋「白い羊」にて

2017年09月11日 | 随想

南ドイツ、ニュールンベルグからクルマで20分ほど、中世からの城壁に
囲まれた小さな村「ラオフ」の旅籠屋「白い羊/ヴァイセス・ラム」の
宿にて。

この村に初めて来たのは25年以上前のこと、僕もようやく30代の初めで、
今は成人した三人の子供達もまだいなかった。

当時は仕事盛り、年に100日はドイツ国内のあちこちに泊まりがけの
出張をしていた頃だ。
昨日何処にいたのかも定かでないような忙しさだった。
よくやっていたと思う。
異国で生まれて初めての商売をしながら会社を起こし、自分を見失わい
ことに必死でいながら、既に人生の道に迷ってしまっていたことには、
当時はまだ気がついていなかったのだと思う。

今日は久し振りにこの村に来た。夜の10時ごろに到着すると、どこの
レストランも閉まっていて、外は秋の真っ暗な空。

昔からの知り合いの宿屋の大将を訪ねる。
もう彼の厨房も閉まっていたが、ひとまずビールだけを頼みしばらく
すると、『何を食べるかい?」と大将が尋ねてきて、今日作ったばかり
だという粗挽きの地元のハーブの効いたソーセージを焼いてくれた。
少し焼き過ぎのような表面の焦げ具合。やや甘めのザウワークラウトと
一緒に、地元のマスタードをつけて食べる。美味しかった。

ラオウの村一番の別嬪さんだった大将の奥さんも今日はお客さんの
テーブルで大分酔っ払って上機嫌だ。小さかった息子さんも30過ぎに
なったそうだ。常連さんの冗談も愛想よく、上手にあしらっている。
夏休みで実家に帰って来ているのだろう。
僕の地元の赤ワインへの質問にも実に親切に応えてくれる。

此処は世界の何処にでもある村の居酒屋、何万、何千の料理屋の風景だろう。

僕にとっては今も少し哀しく懐かしい、自分のまだ若かった人生の、
当時の自分には見えなかった岐路を思い出すような村だ。

 


「これからの新しい道、すーさん、本当に有難う!」

2017年09月10日 | ドイツの暮らし

僕はかれこれ30年程、ドイツ中部の街で自営業をしています。
その間、沢山の人たちと仕事をしてきました。

今週末はその中でもこの5年間、僕のドタバタした仕事をいつも
支えてくれた、本当にお世話になった、全幅の信頼をおいていた、
まさに仕事の片腕、すーさんの大送別会でした。
それで、僕たちのキッチンで夜中の11時頃、本当に珍しく、
スタッフ全員の集合写真。
こうして見ると、いろいろな若い、若々しい日本の女性達が、
僕たちの小さな会社、そして現代ドイツで働き、
生きているのだなあとつくづく思います。

長距離トラックのドライバーから転身、スゴ腕の料理人&お母さんに
なったIさん、30才を過ぎてからドイツで手工業の職業教育を受けたKさん、
サイクルフィギュアの元日本コーチのKOさん、京都で食のお店を経営していた、
いつも笑顔のザキさん、ドイツで美術を勉強するアルバイトのOさん、
ゲストハウスのお客さんからスタッフになって頑張ってくれたKUさん、
ドイツの日系企業駐在員の奥さんでは物足りず、うちに声をかけてくれたYさん、
そしてIさんの一粒種で昆布を齧るのが大好きな、将来の天才料理人、
若干2歳のアキちゃん!

あまり、自分の仕事が好きでなく、こんな会社を30年もやってきて、
どんな意味があったかなぁと自問することままある僕ですが、
この晩は、こうして自営業をしていて、若い人達がいろいろな形で働けて、
互いに知り合うこんな場を作れたことは、それが偶然にしろ良かったなぁと
思いました。

そして、最後にすーさん、本当にありがとう。


互いに厳しい時もあったけど、僕も、僕の家族もすーさんは滅多に出会わない人、
ベストのスタッフ、家族の大切な友人と思ってきましたよ。

ドイツでのこれからの新しい道、生き方、自分のこころにかなうものでありますように。
そして、ドイツの大学への再チャレンジもうまくいきますように!
これからも、いつも応援してますよ

 

 



ドイツに来た秋 一 僕とカボチャの語源は何処から?

2017年09月08日 | 毎日の食卓

ドイツの秋。

秋は実りの秋、異国にいても美味しい和食の季節がやってきます。

カボチャにサツマイモ。
二つの根菜はまずは薄切り、細切り。そこに針千本に刻んだ生姜を
たっぷり足して、名残のインゲンと一緒にかき揚げにしました。
翌朝には今度はカボチャを塩煮にしてやや厚めに切って、サツマイモは
薄めの拍子切りで二つ合わせてお味噌汁にしたり。

もともとは南方産の、こんな食材がドイツの地元産、オーガニック野菜
で手に入る。それで、日本の秋のご飯がこうして作れる。

僕は食卓に座って、「世界は狭くなったなあ、悪いことも本当に沢山
あるけれど、こういうことは有難いなぁ〜」としみじみ思います。

ところで、『カボチャ』の語源、当時の原産地『カンボジア』から来て
いること、御存知ですか。僕は昨日まで知りませんでした。

一方、『ドイツ』の語源は『ドイチュラント/Deutscland』から。
このことは40年ほど前に知りました。当時、知らなかったのは其の国に
やがて縁あって、35年以上住むようになるということでした。
そして、今ではドイツの初対面の人に『タカダ』ではなく、
『貴方はタコだ⁈』とよく呼ばれます。

カンボジアから日本、そしてドイツへと伝わってきたカボチャも、僕も、
今や互いに原産地も呼称もやや不明。
けれども、世界の大きな時間の流れの中、沢山の文化の交わりの中の
小さな一粒ということでは一緒なのかもしれません。
ドイツのカボチャ(現地ではホッカイドー・グリューン・キュルビス)
への僕の親近感も謂れのないことではないのでしょう。

 

 

 


友人のオーガニック農園、秋の収穫祭

2017年09月03日 | ドイツ・ヨーロッパの「食」

僕の住むドイツの小さな村。
秋晴れの日曜日。秋の収穫祭。

今年で30年を超えた、友人のオーガニック農園の一年に一回の大きな
お祭り。
僕も今年はワインのスタンドを担当。ウチの奥さんはサラダバー担当。

地域の中心となったオーガニックの農園。
過去40年、ドイツの社会を、その何百万人の市民の生活意識を変えた
大きな運動の一つ。

 


「哲学者・美術家・詩人」あるいは「一つの言葉・一つの歴史・一つの食事」

2017年09月01日 | 言葉&読書

今日、たまたま出逢った言葉。
「哲学者のように考え、美術家のように見、そして詩人のように感じ、書く。」

かって、「昆虫記」を著したアンリ・ファーブルを同時代のフランスの
劇作家、エドモン・ロスタンが評した言葉。
この昆虫記を日本で初めて訳したのが明治・大正の奇人、アナルキスト、
大杉栄。彼もこの言葉に深い感銘を受けていたらしい。
その彼の二人目の相思相愛の妻が、大正時代の奔放かつ稀有なる文学者で
あった女流作家、伊藤野枝。

二人ともに関東大震災直後、当時の無言の大衆の追従、盲目、支持を背景
にした国家権力に暴殺され、まさに非業の死を遂げた。

昨日のお昼ご飯は、庭で採れた春菊と豆腐の味噌汁、それにレンティル豆と
ナス、セロリ、キノコなどをしっかり炒めたペーストや赤パプリカ、アボカド
などをたっぷり載せた野菜ボート、そして、同じく庭で採れた葡萄で初めて
作った一杯のジュース。

何の関係もないような一つの言葉、一つの歴史、一つの食事。

夏の終わり、雹が降る金曜日の夜。
ただひとり、キッチンに座る僕の中では、その三つが響き合う。