「ドイツのオルタナティブと脱原発の長い歴史 ー おしどりマコさん、ケンさんへの手紙から」

2016年03月09日 | オルタナティブ&オーガニック

おしどりマコさん、ケンさんへ



3月4日、デュッセルドルフの講演の際にお会いした高田です。
本当に久し振りに「今日は良かった」と思いました、ありがとうございます。
お二人のこれまでの活動、先日の講演に心から御礼申し上げます。
 
今日、ネットでマコさんケンさん達の記事等も初めてよく読んでみました。
2014年のシュトゥットガルト近郊、ネッカーベストハイムの3月の集会では、
マコさんケンさんの舞台での姿を目にしていたのですが、その後詳しく耳を
澄ますことがありませんでした。これから、その分を取り返しましょう。
 
さて、先日の、マコさんがAsse(アッセ)に行った時の話の中で、対応した役人さんが、
「80年代のドイツはまだ、動いていなかった」と説明していましたが、これは
「彼自身が全く動いていなかっただけ、今在る彼の姿につながるその当時の彼が、
その後のドイツの社会を大きく変えていく動きに全く気がついていなかった、
見ようとしていなかった」ということが本当のところです。
 
そのこともお伝えしたいのですが、それよりも1968年頃の学生運動の後、
1970年代から80年代にかけて大きく盛り上がっていった、ドイツのオルタナティブ
の運動、当時のドイツの若者達(大体僕の感覚では、25歳前後の人達)が暮らしの中から、
男女関係の中から、食生活の中から、普段着る服から、議論の仕方から、自分達の
価値観や行動パターンを変えていったそのトータルな運動が、この40年間でドイツの
社会やその活動を支えている中間層の人達を大きく変えました。
一言で言えば、だいぶ明るく開放的に、自由になったのです。
 
メルケル首相の3月11日以降の突然の脱原発も、その前の年の秋に「脱・脱原発」を
無理やり押し通した彼女が、ドイツを変えた過去の若者達が福島の事故の後、長い
居眠り状態から覚めて、一気に彼女を追い詰めることに恐れをなして窮地の手段を
取ったことです。
 
1981年から、ドイツで若い外国人学生として暮らし始めてから、このドイツの
オルタナティブ/「アルタナティーヴェ」の運動は、この国の一番素敵なところだと
常に思っています。うちの奥さんも、当時は真っ赤なジーンズを履いて、大学の
教室から教室へと反核のビラをニコニコしながらばら撒き、それはそれは
素敵な姿でした。
 
ここらへんのところを、マコさんケンさん達になんとか伝えたいな、と思って
メールを書き始めました。
下記の破線以下の部分にこのテーマに関わる2つの文章(①と②)を記載して
おきます。最初の①は僕の書いたものでもありますが、旅の最中、時間があったら
目を通してください。
 
なおその前に、話は少しややこしくなりますが、この関連でもう一つお伝えしたい
ことがあります。
 
ドイツ(広くは西ヨーロッパの国々)には、1970年代どころか、ナチの時代も
ワイマール共和国の時代も第一次世界大戦も越えて、19世紀末前後の
ユーゲントシュティールの芸術・生活運動の時代まで遡る、常に社会の伏流の
ような若者の反体制、対抗文化、サブカルチャーの脈々とした伝統があります。
そして、その中で芸術家、芸人達が果たした役割は小さくありません。ドイツの
ワイマール時代のシャンソンや、戦前戦後と続くカバレティストの文化もそこに
繋がっています。日本では「飛ぶ教室」や「テンコちゃんとアントンちゃん」等の
児童文学で有名なエーリッヒ・ケストナーもその一人です。
 
 

(ドイツのオルタナティブの120年の歴史的行進、こんなイメージです。)
 
おしどりマコさんケンさん達をドイツに呼んでいるのは、実はドイツのこの120年の
芸人達の幽霊や、今は亡き、過去何万、何十万人の反体制派の若者達なのかもしれません。
この縁を大切にしてください。
 
ドイツのオルタナティブにつかず離れず、暮らしているうちにもう30年を越してしまった
僕も、マコさん達の活動を応援します。
ドイツに来たいと思ったら、是非声をかけてください。具体的にサポートします。
講演で疲れたら、僕の自宅でご飯と味噌汁、ぬか漬け、野菜炒めをご馳走します。
ともかく口八丁手八丁でサポートしますので、ドイツに日本の現状を伝えるようにしてください。

日本が外圧からではなくその内側から変わっていくためには、いろいろな内外のツッコミや
毎日の暮らしにつながるインパクトが必要なのだと思います。
 
では、旅の途中、風邪をひかないようにご自愛ください。 

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① 2012年6月の「Actio」という雑誌の中の次の文章、
「生きる価値のある未来を求めた社会 ー 3・11後に脱原発を決めたドイツ 」
 の中から、「連邦制・地域分散型のドイツ」及び「ベースにあるオルタナティブ」 
 の部分を下記に引用します。目を通してみてください。



■連邦制・地域分散型のドイツ

 脱原発をめぐるドイツと日本の違いについて、たくさんの方が発言していると思いますが、
私個人としては二つ、大事な側面があると思います。一つは政治の方向性及びシステムの違いです。

 国の基本的方向、政策の側面から見れば、戦後の復興において日本は自民党政権の下で国力の
発展を追求し、追いつき追い越せ的な発想で、ジャパン・アズ・ナンバーワンを目指しました。

 一方、ドイツの70年代は社会民主党(SPD)が連立政権内にあり、労働組合寄りの政策を
行っていました。経済発展の利益は一般の労働者に還元されることが厳しく求められ、基本的な
社会インフラへの投資が利権の奪い合いベースではなくそれなりに計画的に行われていました。
国民の生活の安定、暮らしの豊かさにつながる政策のウェイトがずっと大きかったように思います。

 さらに根本的な違いがあります。日本は政治・行政が極端な中央集権型ですが、ドイツは連邦
共和国であることです。各州の独立性は高く、連邦と同様に一つの国として運営されています。
消費税などの分配も州へ直接入る部分が確保されています。

 ドイツの国会は二院制ですが、上院にあたる連邦参議院は、州の意思を連邦の立法・行政に
反映させるために州政府の代表で構成されています。下院の連邦議会で議案を通しても、上院で
過半数を採れなければ戻されてしまう。このシステムは民主主義を養う上で非常に重要だと思います。
日本の参議院と異なり、ドイツの場合には各州の意向がきちんと国政に反映され、検証されるシステム
になっているわけです。

 政治だけでなく国自体も地域分散型モデルです。文化、産業、学術研究の拠点が分散しており、
労働市場も各地にあります。連邦共和制であり、かつ地域分散型であること。
それが現代ドイツ社会の基本的強みだと思います。

 今回、大飯再稼動の問題で日本に行く前、16歳の娘と18歳の息子と3人で外で食事をしました。
その際ふと思いつき、ドイツのどこが好きで誇りに思っているのか尋ねたところ、娘は「ドイツは
パンがとてもおいしい」と言った後、「自分の国の民主主義は機能している、良いと思う」と答えました。
家では特に政治的な話をしていないのでびっくりしました。続いて息子が「僕もそう思うけど、学校の
システムも悪くないよね」と。自分の子ども達ながら若い人達がこういうことを普通に感じるのか、
ドイツはなかなかの国になったのだなと改めて思いました。


■ベースにある「オルタナティブ」

 もうひとつ重要なのは70年代以降のオルタナティブ(Alternativ)、ドイツ語でアルタナティーフの
動きが、過去40年間、ドイツの社会や生活にもたらした影響です。オルタナティブとは、当時主流で
あった既存の政治枠や社会のシステムに依存しない、別の生き方、暮らし方を求めるあり方の総称です。
物質主義、権威主義、環境破壊主義からの価値転換を目指した、日常生活に直結した動きでした。

 ドイツでは68年以降、政治運動が極端、暴力化し挫折しました。その後、暴力や政治主体で上部構造
を変えるのではなく、ソフトな、日常生活の中での価値の転換を求め、暮らしを足下から変えていく試み
が学生運動以降の世代の若者達から始まりました。

 私が80年に初めてドイツに渡った時は、ちょうどそうした運動が盛り上がってきた時期でした。
彼・彼女らが始めたのは、男女が生活の中で対等に話をし、質素に暮らすこと。当時、政治的に
しっかり物事を考えている女性たちは、大学の中で編み物をしていました。それは自分の着るもの
をつくる、時間をゆっくり過ごすというシンボリックなことだったのです。

 そうした人たちは、原発反対や東西ドイツ国境地帯への中距離核ミサイル配備反対などの行動を
担っていました。この世代はその後、次第に保守化したり、家庭を持ったりして、既存社会の一員と
なっていくのですが、当時抱いた根本的な価値は心の中の芯として保っていた。それがドイツの
オーガニックの運動や「緑の党」の盛り上がりを支えた原動力になったと思います。

 つまり「緑の党」のベースには、それ以前の70年代頃からはじまったオルタナティブという動き、
若い世代の生活変革、そのような意識に支えられた幅広い勢力が存在したのです。
この社会的・文化的な変革のポテンシャルを見逃してはいけないと思います。日本でもこの
「オルタナティブ」な価値、生き方が意識的な若者世代、特に女性達の間には世代を超えて確実に
広がっていると思います。脱原発だけでなく、日本の社会を変えられるのはこのような女性達が
中心となった力ではないかと想像します。


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上記と一緒に、下記②の文章も併せて読んでいただければ幸いです。
 
② Energy Democracy「ドイツ・エネルギー転換の歴史-最初の40年」
   この論文の冒頭の一部を紹介します。(http://www.energy-democracy.jp/1320)
 

多くの人たちが、ドイツのエネルギー転換(Energiewende)は、日本の福島第一原発事故を
受けて、アンゲラ・メルケル首相が脱原発を決めたことから始まったと思っています。
しかし、Energiewendeは、政府がそれ以前に決めていた脱原発の計画に戻ってきたことに
他なりません。ドイツの歴史と社会に深く根付いた長いプロセスは、自然エネルギーの大幅な
増加を引き起こす政策を創り出し、いまや低炭素経済への移行の中心的な駆動力となっています。

エネルギー転換のハーフタイム」:環境シンクタンク・エコ研究所による自信にあふれる
祝典のタイトルは、アンゲラ・メルケル首相による2011年の福島第一原発後の劇的な決定に
ついて、忘れられていた多くのことをよく表していました。いまや2050年までに経済の脱炭素化
をめざすこととなった社会的プロジェクトは、メルケル政権が原子力発電からの離脱計画を復活
させる数十年前からはじまっていました。

エネルギー転換 - 社会と経済の全面的な変容 - は、長期にわたる草の根運動、事実にもとづく
議論、気候変動への関心、主要な技術の発展、そして、ドイツとその他の地域で試みられてきた
実践の経験などから生じたものです。(時間軸はこちらを参照)

草の根の抵抗

エネルギー転換の起源はさまざまあるのですが、ひとつの強力なきっかけは1960年代の学生運動
から続いて西ドイツで起こった「新しい社会運動(New Social Movement)」でした。

反原発運動は、数年後にエネルギー転換と呼ばれるようになる一連のモノゴトにとって、もっとも
重要な新しい社会運動でした。反原発キャンペーンは、1973年にドイツの黒い森に近く、スイスと
フランスに接するワイナリー地域のもっとも南西の端でおこった出来事から生まれました。
そこには、ヴィールという小村があり、そこでは地域のワイン農家が、近隣のフライブルク大学から
やってきた活動家や、フランスやスイスで関心をもつ市民などが原子力発電所の建設を阻止する動き
を組織しました。彼らはまずはじめに建設予定地を占拠し、警察が彼らを強制排除し、その様子が
全国にテレビで放映された後、電力会社がこれを法廷に持ち込み、最終的には取り下げられました。………


(以上が冒頭の部分です。もし興味があれば、上記のリンクで一度この論文の全文を通読してみてください。
とてもよくまとめられた文章です。)




 


娘の和食&ヴィーガン料理 ー 「肩肘を張らずに日常を大切に 、丁寧に。」

2016年02月27日 | オルタナティブ&オーガニック

ベルリンで開かれているIPPNW〔核戦争防止国際医師会議〕の国際会議、
その初日のオープニングが終わり、妻と二人でホテルに戻ると、一番下の娘
から一枚の写真がメールで届いていました。

 

「今日はこんな夕食を作ったよ」とたった一行のコメントが付いた
上のような写真が送られてきました。

ドイツ伝統の野菜、セロリの大きな丸い根〔それを少し和風に昆布水
と白醤油で下煮したもの〕を薄切りにして、それに寒風の中、薄塩で
一晩干したズッキーニの櫛切りに合わせ、さらに冬野菜のケールの
しっかりした葉を加え、ニンニクと生姜のみじん切りで旨味と香りを
加えたオリーブオイルをベースに、厚い鉄のフライパンで三種の異なった
具をほど良く炒めた野菜炒め、娘のオリジナルレシピです。

その他は、ポレーネギのみじん切りとおろし生姜をたっぷり乗せて、
奥出雲の生醤油をかけた冷奴、里芋と豆腐の少し白味噌を利かした
昆布出汁の味噌汁、自家製の糠漬けに五分搗きの半玄米ご飯、
次男の好物のタラコ、僕が少し用意しておいたところもあるとはいえ、
今日の夕飯は下の娘が全部一人で料理したとのこと。

「もちろん、全部ヴィーガンのレシピだよね」の写真に込められたメッセージ!

まだ20歳の娘が、普段は何も言わなくても、彼女が今一生懸命になっている
ヴィーガンと和食のつながりを自分なりに解釈して、子供の時から食べてきた
食の経験を自分の中で一つにして料理していることを知ると、親バカの父親
としては本当に嬉しくなる。

今晩、ベルリンのオープニング会場で見た、日独の言葉を超えたオシドリマコさん
達のメッセージの押し付けがましくない、愉快ではっきりしたヒュマーニスティック
なメッセージと、一脈通じるところがあるようにも思いました。



肩肘を張らずに、日常を大切にする感覚は、いつ、どんなことを
していても、常に本当に大切なことだと思います。
そのように毎日を暮らしていれば、安倍コベな「美しい日本」や
建前ばかりの国や社会の大義名分に惑わされることなどは有り得ない
ことです。 

美弥ちゃん、今日は楽しい写真をどうも有難う!
お新香の盛り付けも、もうすぐ春が来て、うさぎが飛び跳ねる
ような感じだね!



 


「手作りの銀婚式 ー 二人のデュエットと友人達のホームメードケーキ」

2015年11月13日 | オルタナティブ&オーガニック



先日の土曜日、オーガニック農園を営む友達夫婦の銀婚式が
ありました。新婚の時は結婚式をきちんと祝うこともなかったので、
今回は家族、親戚、友達一同を招待し、盛大に祝うことにしたとの
ことです。
1970年代後半からのドイツのオルタナティブや、オーガニックの
運動を支えた、当時の若い世代には、様々な思想背景や人生観が
ありましたが、その中の一つの流れは、キリスト教の信仰を核とした
自由主義、自然主義です。
友人の二人、ハイナーとペトラも敬虔なカトリック教徒ですが、
教会信仰やその組織は否定しているようです。

普段はラフな仕事着の二人ですが、今日は正装し、教会の慣習に捉われず、
農家の納屋で手作りのミサを行いました。
古典的な教会歌に昔からのドイツの歌や賛美歌が加わり、参加者皆が声を
揃えて二人と共に歌いました。



この日のハイライトは、50歳を超えた二人がデュエットで、
自分達の自作の詩「君を愛しているよ」を、代わりばんこに朗読した
ことです。
僕などは一生思いつきもしないことですし、人前では赤面してとても
出来ないことですが、二人の生き方のしっかりした表現だと思い、
目の前に座っていたご両親と共に、少しもらい泣きをしました。

その後の昼食には、オーガニックの美味しいケータリング料理が
沢山出てきました。









ケータリングと呼ぶのが失礼な程、とても美味しい料理でしたが、
それよりも「今も変わらぬドイツの良いところだなぁ」とつくづく
思ったのは、会場の隅に置かれた手作りのデザートのテーブルでした。
今日の会の親戚や友人達が各々に持ち寄ったホームメードのケーキが、
実にたくさんの種類で、テーブルいっぱいに置かれていたことです。
どれも心がこもっていて、とても美味しそうでした。

下の写真の通りです。



ブルーベリーのケーキ



チョコレートクリームケーキ



ザクロのケーキ



チョコレートケーキ



アーモンドケーキ



ドイツ風パウンドケーキ



チェリー・シュトロイゼルケーキ



チョコレートムースケーキ



くるみのケーキ



ベイクドチーズケーキ



多分、アップルケーキ。



プラムケーキ、上のアップルケーキと同じで、たっぷりと
生クリームを添えて食べるととても美味しいです。
そうそう、ハイナーは昔からのベジタリアンですが、
生クリームが大好物です。



ナッツ入りのクラウンケーキ



今日のように、家族の集いやパーティーに呼ばれた時に、
このような手作りのケーキや料理を目にしたり、何日も
かかって準備したホームパーティーのデコレーションを見ると、
「ドイツの暮らしの中の生き生きした文化だなぁ」と
つくづく思います。

僕自身、ドイツの大好きなところです。


ドイツの若いライフスタイル  ー 「ビーガンはストイックなベジタリアンの 話では全然ない。」

2015年10月24日 | オルタナティブ&オーガニック



今、ドイツの若い世代、20才前後から、30才過ぎまで、ベジタリアン
からさらに動物性は一切摂取しない、卵も乳製品も外した「ビーガン」(vegan)
が新しいライフスタイル、自分の健康や環境との調和を大切にする生き方
として、凄い勢いで広がっています。
1980年代初頭の「オルタナティブ」の生成発展時のような社会的、
政治的な変革の意識、ベクトルの強さとは異なりますが、若い人達
の意識の変化、その予兆をハッキリと感じます。



東西ドイツ統一後の1990年代に生まれた世代が、もう20歳~25歳に
なっています。現代ドイツは今でも、両親の学歴、職業、所得水準など
によって、相当の格差がある社会です。
最新の調査によれば、国民の上位1%が33%の富を所有し、更に
その上位の0.1%が国の富の17%を所有している国です。
このように貧富の差は激しい国ですが、低所得層の基本的な生活の安定は
確保されていると思います。また、一般企業のホワイトカラー、学校の
先生、市役所・区役所勤めの公務員など、いわゆる社会の中間層の
暮らしぶりの安定と堅実性は目を見張るものがあります。

僕の私見では、今回のビーガンの運動を支えている若い人たちは、
まさにこの中間層の子弟だと思います。生まれてから社会的にも家庭的
にも大きな苦難を経験することなく、安定した既成枠の中で育ってきた
子供達が今、成人して自らの人生を歩み始める時に、社会と大きく対立
することも拒否することもなく、その既成枠から二歩から三歩、あるいは
五歩くらいははみだそうとしているのだと思います。



西ヨーロッパの現代社会での肉の消費量は、日本と比べても桁違いです。
このところ多少減ったと言っても、成人一人あたりの肉の消費量は、
年間80kgを超えています。そこに大手メーカーによって生産され格安化した
牛乳、チーズ、ヨーグルトの大量消費が加わります。それは、大量生産型
の食肉・乳製品などに依存した食生活であり、工業化・商業化された
食生活でもあります。また、言葉を変えれば、生きた動物達を産業的、
商業的関心から100%物質化し、命をモノに変えてしまった姿です。



ドイツのビーガンの運動は、このような食生活を拒否するものです。
その運動を支える若い人達は、社会派でもなく、デモに進んで
参加する人達ではありません。むしろ、ファッションやライフスタイル
に興味があり、政治的にも大きく声を上げることはありません。けれども、
彼らが感じているのは、今までの両親の暮らし方や食生活をそのまま
続けたくはない、というはっきりした意志です。自分の暮らし方に
関わる、モラルの意識なのだと思います。

現代のドイツ人の食生活の変化だけでなく、毎日の個人の暮らし方、
社会のパーソナルな変革にもつながっていくのではないかと、嬉しい
期待が湧いてきます。



この新たな時代の流れの中で、日本のかっての伝統的な食生活や
それを支えていた暮らしの知恵や、食と人間との関わりについての
深い考えが役立つ場面、契機が相当あると思います。
その際に道元の典座まで遡る必要はないでしょうが、食に関する
生半可な知識や経験では役に立つことはできないと思います。
東西の食文化や風土の違いをしっかりとわきまえ、自らの生活上の
経験から発想出来れば、これからのドイツの若い世代の人達にも
役立つ新鮮な提案が必ず出来ると思います。

ビーガンは、乳製品や卵も摂らない、ストイックなベジタリアンの
話では全然ないと思います。今からが楽しみです。



 


ドイツから、被災地の子供達のために。

2011年04月03日 | オルタナティブ&オーガニック

「手助けをする。忠告をする。新たな考えを促す。」

上記の言葉はドイツ語で語られましたが、日本語にすれば、大体
このような意味だと思います。ドイツで長く脱原発や平和活動を
しながら、国営TVの番組制作の第一線で仕事をしてきた、フェルさん
の言葉です。

この方が「浜岡原発の即時停止」を求める僕たちのドイツでの活動に
ついて、日曜日のゴールデンタイム、午後6時からの番組で5分~10分
の枠でレポートしてくれることになりました。

その中で浜岡の活動と表裏一体となる、もう一つのテーマも取り上げて
くれます。それは福島や宮城の被災地の子供達、特に乳幼児にドイツの
オーガニックフードを救援物資として送ろうという活動です。

早速、下記の2社が名乗りを上げてくれて、合計100万円に
近い救援資金の供出を額を約束してくれました。

まず最初に名乗りを上げたのが、ドイツのオーガニック業界の
老舗とも言える卸業のヴァイリング(Weiling)さん。

今日送られてきた下記のポスターは、「浜岡の原発停止と
福島、宮城への救援活動が別の二つのものではない」という
ことを明らかに示した、素晴らしいポスターだと思います。





もう一つ、下記のメッセージは140年の伝統を誇るゾーリンゲン
の手作り刃物のメーカー、「風車のナイフ」(Windmuehle)さん。
ここでも「浜岡原発の即時停止」と福島を中心とした被災地の
救援を別々には捉えていません。

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思い遣りの心は、批判精神を閉め出すことではないと思います。
3人の子供の父親として、いろいろな失敗を重ねた上で申し上げ
ますが、この2つの物差しが成り立つ中庸の姿勢は、軽んじる
べきではないと思います。
両方とも大事。そこに僕達の子供達や、日本の将来があると思います。
それは、ドイツでも日本でも決して忘れてはならない原則だと思います。



「オルタナティブ/ Alternativ」

2010年10月06日 | オルタナティブ&オーガニック

先週のこと、太陽の光るドイツの秋。

時々、二言、三言、言葉を交わす
70才のマラソンマン。
長い道を歩んできた。
大きな青空の広がる中、
人生を真っ直ぐに走っていく。

僕は、こういうドイツは好きだ。






昨日のこと、近くの友達のオーガニックショップへ。
チーズを片手にした小さな女の子。2歳。
世界と未来、その全てが目の前に広がっている。
僕の人生は今、50年。
あとの20年はこの子達の未来に役立つように。
50年分の恩返し。





先日のこと、朝、ひとりで村のプールに行く
浅めのプールでは「母と子のスイミング教室」
マザー&ベイビーの中にファザーが何人か混じっていた。
男も女もベイビーもみんなで一つ。世界は両性具有。
手をとりあって、これからの世界を作るのは
あなた達だ。
僕達も精一杯のことをしよう。





ドイツでも日本でも、未来は一つ。
0歳、2歳、18歳、31歳、50歳、74歳、100歳。
世界はひとりひとりの手にかかっている。
地球を壊さずに、共存を求めていくこと、
それを「オルタナティブ/ Alternativ」という。
僕達の世代の責任もそこにある。
若い時の夢や情熱は幻ではない。


フェアトレード&ファッションショー

2010年09月24日 | オルタナティブ&オーガニック



デュッセルドルフから車で約1時間(運転が出来ないので同乗させてもらう)。
ドルトムントで開催されているフェアトレードメッセに行ってきた。
昨年が初回、今年が二回目とのこと。約50m×80mの大ホールが会場。
ドイツ各地から、フェアトレードショップ(Weltladen)を営んでいる
人達がたくさん来ていた。企業や流通関係などの訪問者はあまり見当
たらない。皆、普段姿でTシャツやサンダル履きの人達も少なくない。
人当りの柔らかい人が多く、会場全体がほのぼのとした雰囲気。

ざっと見渡したところ出展者は50店くらい。地域としてはアフリカ、
南米、インド、東南アジアなどが中心。主にコーヒー豆、カカオ、
紅茶、それにコットン、ウール、絹などの衣類やテキスタイルが
多かった。カンボジアの天然染めシルクのプロジェクトは、現地で
日本人も参加しているとのこと。肌触りも良くとてもきれいだった。




ブースで説明をしているのは殆どがドイツの人たち。現地の人達と
一緒に商品開発、製造、流通を起ち上げて来た人達。その中で
訪問者も出展者も、僕と同年代の50代前後の人達が予想外に多い、
ドイツのフェアトレードには相当の伝統がありそうだ。
フェアトレード関係では稀な大手の流通・製造卸しのGEPAも、
設立35年、取り扱い製品は2000点を超えるとのこと。そういえば
オーガニックショップでもGEPAマークのコーヒー豆をよく見かける。

会場内ではその他にも専門のセミナー、ワークショップ、スライドショー、
討論会、そしてファッションショー等、まさに盛りだくさんの多彩な企画。
消費者運動やオーガニックのことでもよく感じることだが、
一人一人の行動や市民の運動を一つにまとめ上げたり、
イベントの構成やコンセプトを作るとなると、ドイツ人は
「本当に上手だな」といつも感心する。私見では、これには2つ
理由があると思う。

1. ともかく小さい時から、近所の子や友達を呼んで誕生日会や、
お祝いごとを自分で考え、実行するのが好きだ。
ちょっと変わった遠足に行ったり、宝物探しをしたりする。
贈り物もたいがい手作りの物だ。
「アイデア×テーマ×手作り=イベント」の感覚が自然に
養われている、子供の頃からそれを育てている感じがする。

2. 家庭の中にも学校教育にも社会人の組織にも、すなわち社会の
中に先輩後輩、年功序列、ヒトの年による上下感覚が殆どない。
僕の家でも3人の子供達は兄、弟、妹の日本式の上下の区別を
一切していないし、お互いに横一線の呼び捨てである。
ドイツ語の中にも「お兄さん、お姉さん」という呼び方が
日常用語としては全く存在していない。
知らない人達が集まって何か一つのことをしようとする時、
このような対人関係は、プラスの方向に作用するのではないか。

話がだいぶ横道にそれてしまった。本題のフェアトレードに戻ろう。

出展者や関係者の人達に話を聞いてみると、フェアトレード関係
の組織、団体、フェアトレードの運営者や応援者には、
背景にキリスト教の信仰を持っている方々が多いとのことだった。
ただしプロテスタント教会やカトリック教会が直接関わっている
ことはない。門外漢ながら納得するとともに、ホッとした。

帰りがけには僕もお土産探し、南米のワインも売っていたが、
ぐっと我慢。今日はフェアトレードの日と思い直し、妻と娘に
バッグとスカーフを買って帰って来た。

日本の野菜を作る

2010年08月25日 | オルタナティブ&オーガニック
自宅の小さな菜園で時々、日本の野菜を作る。
今年は種蒔きが遅れてしまったが、このところ春菊と胡瓜が毎日
取れて食卓を賑わしている。有難い事だ。
「日本のキュウリ、美味しい!」子供達の通うドイツの学校でも
中々の人気者だ。明日から次男が初めての外国。
今日はキュウリ素麺を作ろう。

今年は枝豆は不調。来年は庭の菜園を広げて、日本の野菜をもっと
本格的に作ってみたいと思う。 そんな事を考えながら日本で購入した
自然農法関係の本を読む。自給農法の糸川さんの話も思い出す。
そこには、ヨーロッパでの有機農法やオーガニックの運動も未だ、
人間と自然との共存的関係ではないだろうという考えが底流にある。
僕も日本とヨーロッパの精神、物や自然の捉え方、人の在り方に対する
根本的な違いは確かにあると思う。暮らしの中でもそのような感覚がある。
しかし、自分にはまだはっきりした糸口が見つからない。