8月15日が今年も過ぎようとしている。
日本の軍国時代、全体主義が終焉を迎えると共に日本人の精神的、
文化的独立性にかってない変化がもたらされる転回点だったと思う。
子供達に食事の後、日本人の血が半分は流れていること。
8月15日を記憶し、いつかは自分達の事として考えてほしいと話す。
(追記 8月6日の自分の記録)
65年前の今日、原爆が広島に落とされた。
人類史にかってなかった無差別大量虐殺が行われた日だ。
その虐殺は、米国が国家の意思として 何十万人の命に対して
計画的に行なったことである。その非道は長崎で再び繰り返された。
米国の非を、命の冒瀆を日本もヨーロッパも問うことは出来なかった。
僕の父親は山口県柳井市の出。海軍の志願兵で飛行機乗りだった
とのこと。戦後、焼け野原の東京に出て来て、闇市で
働いたりしながら身を立て、浅草生まれの母親と出会い
一緒になったとのこと。
父親が育ったのは広島市。原爆で家族、親戚の大半が亡くなっている。
しかし、その話を父親から詳しく聞いたことはない。
僕もあえてそれに触れていこうとはしなかった。それにはいろいろな
事情がある。
今、自分のことと子供達の将来のことを考え、このことに取り組んで
みようと考えている。
今年の秋、柳井と広島に足を運ぶつもりだ。