慶良間諸島、座間味島の小さな港。
昼下がりの船着場に一人で座っている。
シーカヤックで30分も漕げば、目の前の無人島に着くだろう。
真夏の明るい海、エメラルドグリーンの海。
Tシャツもバミューダも脱いで潮風に吹かれている。
波音の歌を聞いている。今のただひと時。
壊れた国のこともその歴史も今は忘れていたい。
那覇から約2時間。座間味島の小さな港。
夏雲の浮かぶ、青い大きな空。入港してきた
「フェリーざまみ」の真っ白な船体と見事なコントラストだ。
船腹にはしっかりした力強い書体で、「がんばろう!日本」と
大書きされている。
何をがんばるんだろう? 一体、それは何を意味するのだろう?
この国には震災の前にも、未曾有の原発事故の後にも、
空疎な言葉や掛け声が飛びかっている。
「がんばろう、日本」「オールJAPANの力で!」
そんなものには、なんの意味もない。
日々の生活の中で、子供達の生命を大切に、大切にしよう。
若者達が生き生きと、伸び伸びとした社会。
仕事ばかりにならず、毎日の暮らしがゆったりと。
一人ひとりが良く生きれるように。
7月初めから実習中の長男を訪ねてやって来た、この座間味の島。
66年前。沖縄決戦の前哨地として日米の支配層の政治的意図、国権の
犠牲となり、「鬼畜米英、女子供は全て凌辱される」ことを信じさせられ、
軍部の情宣イデオロギー教育の下、集団自殺を強いられた人々の島。
戦中、戦後、そして今日まで、一体、幾つのこのような言葉が使われてきたのだろう。
「国体護持」「大東亜共和圏」
「欲しがりません、勝つまでは。」
「ジャパン アズ ナンバーワン!」
「未来を運ぶ原子力、クリーンなエネルギー」
「がんばろう!日本」
「省エネでも電力不足。脱原発不可」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ec/a42eeb922dd1576d6a2bc57d2ea8695a.jpg)
(敦賀半島、もんじゅと美浜原発を目の前にした水晶浜、ダイヤモンドビーチ。
原発事故の後でも此処で子供達と海水浴をする家族連れや若者達。)
村を街を壊し、車と家電に囲まれて、墓場の隣にマンションを建て、
田圃を潰して、郊外大型店やネオンのお化けをつくり、
何百年の砂浜を潰して、過疎地に原発をつくり、
その前で夏の海水浴をして平然としている国民や、それを子供達の
夏の思い出として何も訝らない親や、若者達を生み出して来た国。
こんな奇怪な、歪んだ社会はもう要らない。
日本とドイツの両親、文化の間に生まれた長男には父親の国、日本の風土や歴史、
暮らしの文化、人々の優しさを知ってほしいと思う。
けれども、この社会に住んでほしいとはどうしても思えない。
人は何かの能率や成果の為、国の経済的発展やモノの為に生きている訳ではない。
日本に来て約一年、長男の浩太は北海道の自然農場と慶良間の海、日本の自然と
その中で生きる人々に囲まれて、良く成長したと思う。
18から19歳の貴重な時をこのように過ごせたことは、本当に有難いことだと思う。
これからも若い時を、生命の溢れる時を、今を伸び伸びと十分に生きてほしいと思う。
そして、人との交わりの大切さを知り、その中に自分を、自分のやっていきたいことを
見出してほしいと思う。
座間味の港で、約2ヶ月ぶりに会った長男、海焼けして逞しくなっていた。
若者の生命は将来のためだけではなく、「今」を生きるためにあるのだ
とつくづく思う。