「がんばろう!日本」はもう要らないよ。ー19歳の未来のために

2011年07月31日 | 社会




慶良間諸島、座間味島の小さな港。
昼下がりの船着場に一人で座っている。
シーカヤックで30分も漕げば、目の前の無人島に着くだろう。
真夏の明るい海、エメラルドグリーンの海。
Tシャツもバミューダも脱いで潮風に吹かれている。
波音の歌を聞いている。今のただひと時。
壊れた国のこともその歴史も今は忘れていたい。


那覇から約2時間。座間味島の小さな港。
夏雲の浮かぶ、青い大きな空。入港してきた
「フェリーざまみ」の真っ白な船体と見事なコントラストだ。
船腹にはしっかりした力強い書体で、「がんばろう!日本」と
大書きされている。
何をがんばるんだろう? 一体、それは何を意味するのだろう?
この国には震災の前にも、未曾有の原発事故の後にも、
空疎な言葉や掛け声が飛びかっている。

「がんばろう、日本」「オールJAPANの力で!」
そんなものには、なんの意味もない。

日々の生活の中で、子供達の生命を大切に、大切にしよう。
若者達が生き生きと、伸び伸びとした社会。
仕事ばかりにならず、毎日の暮らしがゆったりと。
一人ひとりが良く生きれるように。

7月初めから実習中の長男を訪ねてやって来た、この座間味の島。
66年前。沖縄決戦の前哨地として日米の支配層の政治的意図、国権の
犠牲となり、「鬼畜米英、女子供は全て凌辱される」ことを信じさせられ、
軍部の情宣イデオロギー教育の下、集団自殺を強いられた人々の島。


戦中、戦後、そして今日まで、一体、幾つのこのような言葉が使われてきたのだろう。
「国体護持」「大東亜共和圏」
「欲しがりません、勝つまでは。」
「ジャパン アズ ナンバーワン!」
「未来を運ぶ原子力、クリーンなエネルギー」
「がんばろう!日本」
「省エネでも電力不足。脱原発不可」




(敦賀半島、もんじゅと美浜原発を目の前にした水晶浜、ダイヤモンドビーチ。
原発事故の後でも此処で子供達と海水浴をする家族連れや若者達。)

村を街を壊し、車と家電に囲まれて、墓場の隣にマンションを建て、
田圃を潰して、郊外大型店やネオンのお化けをつくり、
何百年の砂浜を潰して、過疎地に原発をつくり、
その前で夏の海水浴をして平然としている国民や、それを子供達の
夏の思い出として何も訝らない親や、若者達を生み出して来た国。
こんな奇怪な、歪んだ社会はもう要らない。

日本とドイツの両親、文化の間に生まれた長男には父親の国、日本の風土や歴史、
暮らしの文化、人々の優しさを知ってほしいと思う。
けれども、この社会に住んでほしいとはどうしても思えない。
人は何かの能率や成果の為、国の経済的発展やモノの為に生きている訳ではない。

日本に来て約一年、長男の浩太は北海道の自然農場と慶良間の海、日本の自然と
その中で生きる人々に囲まれて、良く成長したと思う。
18から19歳の貴重な時をこのように過ごせたことは、本当に有難いことだと思う。

これからも若い時を、生命の溢れる時を、今を伸び伸びと十分に生きてほしいと思う。
そして、人との交わりの大切さを知り、その中に自分を、自分のやっていきたいことを
見出してほしいと思う。



座間味の港で、約2ヶ月ぶりに会った長男、海焼けして逞しくなっていた。
若者の生命は将来のためだけではなく、「今」を生きるためにあるのだ
とつくづく思う。