「息子達二人と、ギリシャ料理屋で」

2014年05月31日 | 家族





妻と二人、三十年ほど前に住んでいたデュッセルドルフの
ダウンタウン「ビルク地区」

今も昔も、学生や若い勤め人たちの暮らす街だ。

家族みんなで通っていたギリシャ料理店に、昨晩は息子達二人と
久し振りに足を運ぶ。
青空のように天井が高く、マルクトのように人々の声が響き合う。









赤ビーツの酢漬け、ナスのペースト、白大豆のマリネなどの前菜をつまんだ後、
小イカのロースト、鱸のレモンソース、仔羊のヒレステーキのサラダを、
各々の人生の四方山話をしながら、ワイワイガヤガヤ、三人で分かち合う。









「父さんの料理好きは分かるけど、本当にそれで母さんとの老後を
やっていけるのかい?
」と長男の問いかけに
「誰でも、やってみなけりゃ分からない。人生は金銭だけじゃなし。」
と真顔で答える。

確かに和食のセミナーや料理の本を書くことで生活が成り立つのかは
僕もさっぱり分らない。





そんな話をしながらも、僕はもっぱら白ワインを傾け心地良く、
二人のこれからの長い将来の話にじっと聴きいる。


「継いでいくこと、喪われていくこと」

2014年05月30日 | ドイツの暮らし


先週は突然、日本に短期出張、神戸で日独間の企業買収の通訳の仕事。


夜は一人で街に出て、生まれて初めて三宮で飲んで、
今の日本の若い人達の仕事振りや男女の関わり合いの雰囲気を垣間見ました。
僕には分かるような分からないようなことばかり。



ドイツに戻った今週も日独合弁の薬品会社の監査通訳の仕事。
こんなことをもう30年近く続けてきた。

今日は久しぶりの休み。
昼過ぎから自分のライフワークだと決めてかかっている料理の仕事を始める。




途中、肉親の命に関わるような電話が日本から入ってくる。
けれども、今日、僕にとって大切なことは糠味噌の手入れだった。
そして、僕が心の底で本当に感じることは、自分が生活を共にして居る
家族と子供達のこと。





その後、冷雨の中、今日は誰もいない屋外の50mプールでたった一人、
1500m程泳ぐ。
最後の100mは両足がつってしまい、腕の動きだけで泳ぎ切る。

今は夜の一時。僕の人生はもう八割は過ぎたのかもしれない。
夜空を眺めながら、沢山の個人と人間の歴史のことを思う。
僕はもう30年余り、日本で生活したことがない。
それでも、この国が加速的に壊れて、喪われていくことを感じる。
僕が知る限り、過去1000年の世界史の中で、
日本は稀有の文化を持った国だったと思う。


「日本から戻って来ての夕食」

2014年05月25日 | ドイツの暮らし

日本への短期出張から、数時間前にドイツに戻る。
早速、時差も忘れて、前から約束していた日曜日の夕食会スタート。

いつものようにアドレアーノと、イタリアン&和食の合同クッキング。
今回の僕らのパートは、お新香、たらこスパゲッティ、
京都から持ち帰った新玉葱とトマトのサラダ。








アドレアーノが今日作ったのは中部イタリア、故郷マルケの郷土料理
「イカとグリーンピースのパスタ」と
「豚の頬肉の煮込みにポレンタ」でした。





初夏のドイツは夜9時すぎでも明るい。庭でスタートして、
中に入ったり出たり。




最後は妻と二人、焚火を眺めて、今日の一日の幸福に感謝する。

次の日の朝、妻に「大分酔っぱらって、私が隣にいようがいまいが
関係ない様子だったよ。」と叱られる。
本当にそうだったのだろうか。言葉表現と生活は表裏一体でもあり、
裏腹でもあるのだろう。
「御免なさい。」 


「京都から東京へ-何もなくなった街へ」

2014年05月24日 | 京都の一日

今日一日だけの京都、自転車で左京に向かう。

鴨川と高野川の合流地点だろうか、何度も子供達を連れて、
あるいは夜中に一人で自転車で行き交いをしている橋からの風景。
目に焼き付いた風景でも、地名はなかなかついてこない。
何十回通っても、僕は生活者としてではなく、旅人として
ここにいるのだろう。 それは人生の中で二つの音楽、二つの世界に
生きていくことにも通じている。





次の朝。
一年に一回、この日だけのように初夏の風が
御所の中を吹き抜けていく。今日はこの中を一日ずっと散歩していたいと思う。
それでも今日は、入院中の父を訪ねて、東京に移動しなければならない。
けれども、この目的地から僕の心が遠く遠く離れて、すでに久しいことは明らかだ。

昨日の小学生達の風景が頭の中に残っていたせいか、京都の風景の中で、
昔の隅田川、上野、東京の風景の下町を想い出し、空想の中の独り言に
異国に暮らすことになった自分の姿を重ね合わせる。

「可愛い、懐かしい妹を帝釈天に残して旅に出るフーテンの寅。
重いトランクを押しながら京都駅八条口へ。3時間もすれば東京に着く。

何でもあって何もない、寅にはそんな街になってしまった。」


「水泳シーズンスタート!」

2014年05月18日 | ドイツの暮らし




待ちに待った屋外の水泳シーズン。

日曜の青い空の下、ライトブルーの水の中、
50.100.200.500.1000と泳いでいると、
どこかの瞬間から、本当に幸せな気持ちになってきます。
今日は初日で息は切れるし、腕は重たく、腰は固まり、しんどかったけど、
今年のシーズンのことを思うと嬉しくてしょうがない。





週に4回は1500m、そして2000mまで距離を伸ばしたい。
そして、その距離を休みなしで一気に泳いでみたい。
なんと気持ちのいいなことだろうなあ!




「自分でも首をひねるような文章」

2014年05月14日 | 随想

真夜中まで仕事をして、一人、家で酔っぱらう時がある。
妻も娘ももう寝ている。たいがいそんな時に、文字を綴り始める。
微かに見えるものを追いかけて、どこに行き着くか分からない。
心の中の散歩模様。そんなことが時々ある。

昨日の夜はその一つ。
朝になって読み返すと、自分でも首をひねるような文章、
人にはたいがい伝わらない話だ。
それでも、僕は言葉の不思議と遊ぶ、大切な時間のように思う。
ひとの中には誰でもそういうところがあるように思う。





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夜中の三時に、庭に向かう硝子戸を精一杯に開け放ち、
春の満月の光の中、
若緑の息吹。
僕は既に初夏の旅人達の中に居るのかもしれない。

そんな月夜の中、耳を澄ませば、
「もうあなたの時間は、人生の恋の時間は過ぎてしまったのね。」
なんて、まるでアリスのウサギが耳元で囁くよう。

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「54基の狂気の土壌-刹那の中に生きていくこと」

2014年05月11日 | ドイツの暮らし





ドイツ、ベルリンで行われた市民や政治家が一体となった大きなデモの様子です。

テーマは「エネルギーシフトを後退させるな‼︎」です。
このところ、ドイツでは積極的な推進派が経済優先論者や慎重派の主張に一方的に
押され気味で、だいぶブレーキがかかっています。

それでも、まだまだ本当の深刻さはありません。
写真には緑の党の元党首のトリティンさんや
日本でもよく知られたヘーンさんの明るい笑顔が見えます。







そんなドイツの事情はひとまず横に置いても、
昨今の日本の原発再稼働の議論はあまりにナンセンスだと思う。
その根っこはどこにあるのだろうか?
多分、それは現代日本の日常にによほど深く根ざしたことだろう。

毎日の生活の中で自然とのつながりを失い、社会生活の中では
追従と沈黙を良しとし、日常的には過度に経済労働に励み、
仕事をしない時にはバカなお笑いと利便性の中に埋れ、
人生の多くを刹那の中に生きていくこと。54基の狂気の
土壌。
それは今だに変わらない。


「夜中の2時を過ぎて」

2014年05月10日 | ドイツの暮らし

夜中の2時を過ぎて、月のない夜。幾つかの星々。
そんな光と暗黒
の空の下、天空の時間。僕はまだ、もうたった50年余りの人生。
それでも、日本で過ごした様々な時間とドイツでだいぶ長くなった時間の間で、
星空を眺め、
永遠の歌を聴く。

過去の男と女の友情や恋愛
のようなことが、知らず知らずのうちに
僕の人生にも歴史の中の繰り返しごとのよ
うにあったのだろうと思う。

言葉の使用が、他者と自分との間で生存の確認である時、
あるいは同
じ言葉が不特定多数との社会的な行為である時。

人にはその端境が、なんでそうでなければならないのか、
分からな
いことが本当にはあるのだと思う。

蒼空の中に浮かぶようだった月明かりの山々。


「白アスパラガスの出汁・スープストック」

2014年05月03日 | ドイツの暮らし

ドイツではホワイトアスパラガスのシーズンになりました。
アスパラガスの茹で汁はそのまま捨ててしまうことが多いですが、
これを出汁やスープストックと考えると、美味しい炊き込みご飯や
野菜スープが出来ます。








今日は昨日の残りご飯で、アスパラガスの卵とじライススープを作りました。
味付けはほんの少しの薄口醤油のみ、美味しく出来上がりました。

おなかもほっとします。


「青豆ご飯 - 子供達との料理」

2014年05月03日 | 家族





今年の春、初めての青豆ご飯。

マルクトからサヤ付きのままで買って来た、ふっくらまんまる
剥き立てのグリーンピースで作りました。





 


小さい時からの習慣で子供達が皮を剥いて豆を取り出します。
さらに大きさで取り分けて、青豆ごはんには特に小粒のものを選びました。
その方が米との相性も良いと思います。


 


 


僕も時々、料理の手を休めて二人の様子をじっと眺めると
娘も次男も実に大きくなったと思う。
この頃、子供達を見ながら、家庭での食事を大切にしてきて
本当に良かったと思う。親バカではあるが、僕が父親として
これだけはと思ってきて実行できた数少ないことの一つだ。