南独の「隕石と中世の街」ー ネルトリンゲンの一日旅

2017年10月11日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

1500万年前に隕石が落ちて出来た盆地の真ん中にある、
中世からの街、ネルトリンゲン(Nördlingen)、一日、
一人で散歩しました。
今日は僕のブログで初めてのドイツ観光案内です。 

(ネルトゲンの地図、街をぐりると囲む中世からの城壁が
 そのまま今も残っているのがよく分かる。ドイツの中でも
 唯一の街。)

(街を囲む城壁の内側、全長一周で三キロ、おすすめの散歩道。)

ネルトゲンの街は後で聞いたところによると、日本で流行った
「進撃の巨人」のモデル舞台にもなり、ドイツ・ロマンチック街道の
一つであるとも。
けれども、そのような観光地にありがちな騒がしさなど一切なく、
街の人の暮らしが身近に感じられる、とても良いところでした。

(街を行く地元の人達。)

(古い画商のウィンドウで見つけた、少し昔のスケッチ。
 下の写真を見ると、今とあまり変わりがない。)

(土曜日のマルクトに買い物にきたお母さん達。乳母車を止めて
 ずっと話し込んでいる。いつ終わるのだろう。)

(昔からの花屋さんの入り口。)

(銀行の古い建物。灯りを頭の上に乗せて、見張りをしているの
 だろうか。)

(右側の赤い建物。「市庁舎前カフェ」という古い名称の喫茶店。
 テラスも素敵だったけれども、中のお菓子といかめしい顔をした
 ご主人がいまいちだったので、足を踏み入れなかった。)

(何百年も続いている古いホテル。そんなに高くもない。
 地下にはワインセラーもあるとのこと。)

(身障者の方々も楽しく働いている、街のビストロ的な喫茶店。
 そこで食べた南独シュバーベン地方の名物「フレードゥレズッペ」
 コンソメも、きしめん風にパンケーキを細長く切ったスープの具も
 本物の味だった。昔はハレの日の贅沢なスープだった。)

(マルクトで見たドイツの野菜。セロリの根っこと、今が旬の
 プラム。)

(街の老舗の肉屋に地元の人の長い行列ができているので
 近寄ってみると、自家製のソーセージを炭焼きにしていた。)

(街のはずれの一軒家。)

(ネルトゲンの街を出たところ。列車の車窓からの風景。
 緩やかな丘陵地帯が続いている。)

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【ネルトゲンの街のその他、いろいろ】

① マルクトで見つけたオーガニックの山羊のチーズ専門の屋台。

チーズも女主人もとても良い感じ。一言で言うと「オーセンティック」
伝統の中の自由と個性。今のドイツで僕が一番好きな部分です。

山羊のチーズが好きなウチの奥さんのことも思い出し、三種類のチーズが
入った自然な、可愛らしいパッケージのお土産も買いました。

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② 市庁舎前広場の近くで見た天使の看板。

この旧い看板を日本語に直訳するなら、
「市立ないし市中薬局、天使の下へ」とでも訳すのだろうか。
はたして、これは病を癒すも、安らかな終わりを告げるのも神の
ご加護のもとでは同じというようなことであったのだろうか?

確かなことは、昔からドイツの薬局は富裕な市民階級に属し、
代々資産を成していたことだ。多分、天使の看板の下に或る一定の
知識を独占し、現世の利にあやかっていたのだろう。
宗教と知識と階層の結託、これはヨーロッパのブルジョアジー、
市民階級の一つの特色だったと思う。 

 


「ドイツの4月、春爛漫のモーゼル川」

2016年04月20日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

フランスからルクセンブルクを伝ってドイツ中部へ流れるモーゼル川、
今年最初の訪問は4月中旬、まさに春爛漫。





日本から戻ってきて約一週間。モーゼル川の遅咲きの桜、春爛漫の
景色は、見事なほど美しく、のどかな風景でした。



今日で、6日間のドイツ国内出張、ミュンヘンで3日間、モーゼル川中流
のミュールハイム&ベルンカステルで3日間、約一週間の旅が終わりました。
最終日自宅に戻る前の午前、2時間のフリータイムが出来ました。
ホテルの自転車を借り出し、モーゼル川の川岸を走ってみました。



川向こうに拡がる南斜面のぶどう畑を望みながら自転車を走らせました。







ドイツの白ワインの代表的な葡萄種「リースリング」から産まれる
モーゼルの伝統的ワインは酸味の中に程良い甘さがあり、その上品な
甘さ感は、ドイツ語で「ファインヘアプ」と表現されます。
辛口で繊細なニュアンス或いはハッキリしたストラクチャーを
求める現代的な白ワインとは異なった趣き、優雅な中にも懐かしい
美味しさがあります。


どんなに素敵な風景の中に居ても、大概の場合は帰れる所があってこそ
の愉しさ、美しさなのかと思います。長い仕事で疲れた体には、この
美しさは心地良いものです。若い頃に求めた漂白者の美学からは
遠くかけ離れています。





モーゼルの旅の終わり、もう白ワインは口にせずに、昔からの庶民の
飲み物、薄にごりの伝統的なビールで喉を潤しました。


 


「モーゼル川の村、地方と景観を守るドイツの姿」

2016年04月19日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

ドイツ、モーゼル川の春。



モーゼル川、年に数回仕事でやってくるミュールハイムの
小さなホテル「白熊/Weißer Bär」の朝食です。
朝食ルームの窓から、春のモーゼル川、向こう岸には一面に広がる
葡萄畑がよく見えます。











朝食の後、仕事の前に30分ほど時間があったので、自転車で散歩に
出ました。

ホテルからすぐ前の川岸、一昨日からの雨で、大分増水しています。
普段なら川沿いの散歩をしたり、自転車で走ったりできるところです。

ミュールハイムの村の朝の風景です。昔からの石造りの家が
ここかしこにあります。



春の花。



ホテルから自転車で3分も走れば、こんな風景が広がっています。





モーゼル川を越えて、南斜面の葡萄畑が向こうに見えます。
多分、リースリングの上級ワインの畑でしょう。



こんなのどかで風光明媚な場所に、ヨーロッパでも有数のアスファルト
プラントメーカーがあったり、隣町にはドイツ指折りの冷凍食品メーカー
があったりします。大きな工場ですが、周囲の景観を著しく損なうような
建て方はめったにされていません。
仕事柄、ドイツ全国各地に約30年間出張を繰り返してきましたが、
どの地域に行っても、このような景観への配慮、住民の暮らしを守る
ことをきちっと考えた用地計画が感じ取れます。
そういう時には、地域分散型のドイツの社会、地方自治体や住民の力が
しっかりと守られている国の、プラス面を実感として感じます。 
日本と比べると尚更の事です。 


「ミュンヘンの日曜日、30年間忘れていたこと」

2016年04月17日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」




2016年4月17日 ①  

今日は春の雨、ミュンヘンの日曜日です。







バイエル王国の興隆の歴史、
19世紀の南ドイツの中心拠点、文化、芸術の街ミュンヘンの姿は
なかなか魅力があります。



仕事の方々と一緒にミュンヘン市内一周のバス巡りをしています。
約3時間のコース、とてもお勧めです。
一方で、毎日、夜中に目が覚めてはFBで日本の地震の状況を確かめて
います。海外にいても後発の地震が本当に心配です。
こんな中、川内原発を止めずにいること、まさに狂気の沙汰、
それ以外の言葉がないように思います。
 

2016年4月17日 ②



春の雨の南ドイツ、ミュンヘン、ニンフェンブルク城に着いたところです。
若い頃、自分の心の中でひそかに想いを寄せていた日本の若いピアニスト
の女性と、初夏の夕方、そのオレンジ色の空がやがて蒼く透き通った
闇に移り変わる頃、二人でこの王宮公園を長く散歩をしたことを
数十年経って、不意に思い出しました。もう三十年以上も前のことです。
ドイツでの僕の人生は、家族との日常と自営業者としての仕事の時間ばかり
のように思い込んでいましたが、自分にもその前の時代があったのだ、
そして、ずいぶん長くこの地で生きてきたのだと虚を突かれた気持ちです。

2016年4月17日 ③

雨のミュンヘン。まるで印象派の絵のようなバスの車窓からの風景。



上の写真は、20世紀前半のドイツを風靡した芸術家とボヘミアンの街、
シュヴァービングからレオポルド通りへの風景です。
シュヴァービングと言えば、トーマス・マンやハインリッヒ・マン、
カンディンスキー、あるいはナチスへの抵抗運動を目論み殺された
ショル兄妹の名前が浮かんできます。
一方、ミュンヘンの歴史を刻んだレオポルド通りも今日ではむしろ、
ドイツサッカーの強豪バイエルン・ミュンヘンの優勝パレードの通り
として有名です。 

2016年4月17日 ④



ミュンヘンの美術館「ノイエピナコテーク」の斜め向かいにある、
昔からのブラッセリー&カフェ。









たまたま通りがかりの初めてでしたが、それは実に良い雰囲気でした。



20世紀初頭から前半までの街の伝統を漂わせつつ、大人から子供連れ
まで、人と集う愉しさ、自由でくつろいだ空気、次回は妻や家族と一緒に、
もっとゆっくりと過ごそうと思いました。

ドイツはビールとソーセージの国などとよく言われますが、そんな勘違い
をしていると、ちょっと照れ臭いだけでなく、ドイツ旅行も一回限りの

人生もあまり楽しくなりません!

「百聞は一見にしかず!」
いつも自分の目で確かめよう、想像しよう。


2016年4月17日 ⑤

多分、30何年振りかに訪ねたミュンヘンのノイエピナコテーク。
実に素晴らしかった。沢山のことが僕の心を掴んできた。













石造の堅固なデザインの巨大な建物の中、一つ一つの展示室が広々と
していて、天井からの自然光が柔らかく程良く明るく、見る者の気持ち
がほどけ出す、解け出していく。





一つの絵に集中し、何度も近づいたり離れたり。

或いは知らず知らず一人物思いにふけって自分の過去を彷徨い、
立ち返っては、目の前の絵画の中にとどめられたドイツ・ヨーロッパ近代
の精神に物事の理を尋ねてみたり。

あっという間の閉館の後、外に出れば春の夕方、そこはかとなく降り続く
春の雨。ああ、人生のこんな時間は、何と静かで豊かなことだろう。











ずいぶんと長く、何十年と自分の本来の関心をおろそかにしてきたと思う。
それは別に絵画鑑賞のことではない。
自分にとって本当に大切なこと、その一つ一つに集中し、一日一日が愉しい
ということ。
一つの大きな転機、自らへの回帰の時が来ていると思う。


イタリア・アオスタの谷で ⑤ ー「家族の祝祭 ー 互いに生きる時間を楽しく、屈託なく過ごすこと」

2016年01月26日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

2016年1月6日

イタリアの山小屋スキーの五日目。
晴天の青空、白銀の山々、
冬のアルプスの息を呑むような素晴らしい風景が四方に広がっています。





そんな風景を僕はもう数時間、山小屋の窓から眺めています。



今日は朝起きた時から腰の周りの筋肉がコンクリートのようにガチガチ、
この数日の疲れが溜まっていたのでしょう、ほぼぎっくり腰の状態で、
山小屋の中を目には見えない杖をつくようにそろーり、そろーりと
歩いています。

それでも、実はかなり幸せな気持ちでいます。きっと、久し振りに
子供達三人、家族全員が顔を揃え、新年からの四、五日、スキーを
したり、雪の中の散歩をしたり、美味しいご飯を食べたり、他愛の
ないゲームをしたり、各々の日々の仕事や家事の時間からすっかり
離れて、いっぱい笑って、いっぱい話して、沢山の時間を一緒に
過ごしたからでしょう。



家族や夫婦のつながりは様々であれ、その大きな意味の一つは、
互いに生きる時間を愉しく、屈託なく過ごすことにあるのだなあと、
つくづく感じた次第です。
今年一年の良いスタートだと思います。
そんな訳で今日は一日、外の雪の世界を時々眺めながら、妻や子供達
の一人ひとりのことを考えたり、これからの自分の人生の時間の中で
まだまだやりたいことなどを書き留めたりして、静かに過ごそうと思います。 


2016年1月8日

イタリア・アオスタの谷でのスキーも今日が最終日です。
やや曇りがちの空です。
妻と娘が一足先に戻ったので、昨日から24才と22才の長男と次男と
三人だけで一日中スキーをしたリ、ごはんを食べたりしていますが、
何をしても、体力の歴然とした差を目の当たりにします。







「まあ、よく育ったもんだー!」 


2016年1月9日
 
 

今日の朝、山小屋からスキーで谷に下りました。最後のスロープを
軽快に滑り降り、今回は三人ともそれなりに上達したように思います。
シュタファールの谷でスキー道具を返し、雪に埋もれたレンタカーに
荷物を詰め込み、ドイツの自宅に向けて出発です。



最後の昼食は帰りがけの、アオスタの谷の小さな村で取りました。
日曜日の昼食、近在の人達も家族連れでやってきています。
「食は日常の中の小さな祝祭」だという気持ちがよく伝わって来る
瀟洒なレストランです。それでも決して高くはありません。





アオスタの谷の一つの名産は、高山の牧草を食んだ乳牛のチーズ
「フォンティーナ」だそうです。





「フォンティーナ」は濃厚な香りをもつ独特なチーズですが、
今日の前菜にはそのフォンデューが、まるで和食の子鍋仕立ての
ような感じで出てきました。





このこってりした前菜の後、さらに「三種のパスタ」と
「鴨肉のグリーンペッパー・クリームソース」のメインディッシュ
が続き、そのあとチョコレートケーキのデザート、まさに男三人の
祝祭、お腹一杯となりました。





これで、今回のイタリアの旅の締めくくりです。

二時間かけた昼食の後、今はドイツの自宅に向けて、約10時間、
1000㎞の道を走っています。





車の運転の出来ない僕の代わりに長男と次男が交互にドライバーを
務めていますが、助手席に座りながら、一人ひとりと今後の勉学や
企業実習、職業の選択などについて、ゆっくり、じっくり話を聞く、
とても良い機会となりました。

一週間、山小屋で沢山の時間を過ごし、雪の中で共に体を動かした
ことと同じように大切なことです。有難いことです。 
今の世の中、「子は親の背を見て育つ」よりも「子は親と遊んで育つ」
のほうが良いのでは、と思います。
少なくともスキーに関しては、僕の滑る後ろ姿を見ても息子達の
上達には寄与しません。 

 













イタリア・アオスタの谷で ④ ー 「 別世界の時間、家族との時間」

2016年01月22日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

2016年1月5日
 


イタリア・モンテローザ山群、約3000mからの風景です。
雪模様の日が二日続いた後、今日は青空が広がり、スキー日和に
なりそうです。



新年の家族スキーの四日目、57歳に向かう僕は節々の痛みにも
腰痛にもなんとか負けずに、次男と2時間のスキーレッスンを
受けました。



スキーの先生は1m90㎝を超える長身のニコラさん。このアオスタの
谷の生まれで、オーストリア、インスブルック出身の奥さんとは
三人の小さな子供さんがいるそうです。



スキーが上手なのは当たり前、実に懇切丁寧な教え方で、僕も次男も
前傾姿勢やカーブの際の体重移動など、苦手な部分を直してもらいました。
二人で2時間のプライベートレッスン、日本円に換算すると約14000円
でした。決して安くはありませんでした。



でも、普通に生きれば人生70年か80年、山の時間、スキー、家族との
時間、年をとっても体を動かすこと、新しいことを習うこと、こんな
ようなことが、どの位好きか嫌いか、人生の中でどの位大事なのか、
そういうことにモノの高いか安いかも相当左右されるのだと思います。




モンテローザ山群、このアオスタの山々は、ミラノから車で約2時間、
今日は北イタリアの冬休みの終わりで、沢山の日帰り客が新年のスキー
を楽しみに来ています。
家族連れもペアも中高年もいろいろ、本当に
色とりどりです。





共通しているのは、皆、昼休みの時間をたっぷりとること、ご飯を
しっかり食べること、そして「今日は愉しい日だなぁ!」という
明るさに包まれた雰囲気です。





今日の午後は、僕も山の太陽と雪の光でノンビリと日光浴、スキー
をしない妻と「寄る年波の楽しさ」をゆっくり過ごそうと思います。 




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「冬のヒマラヤ登山。ベースキャンプへ向かう一人の女性アルピニスト
と、幾つもの山行を共にしてきた老年のシェルパ。」





午後になってスキーの疲れで腰がめったやたらに痛くなってきた僕は、
そんなモチーフを思い付き、妻と二人でガービエットヒュッテの
山小屋から小一時間、夕方から雪の中の散歩、何枚かの写真を撮りました。
その後、僕の腰はもっと痛くなりました。夜は小屋の狭いベッドで
寝返りを打つのにも、小さな悲鳴を上げるほどでした。
それでも自業自得とは思わず、「やっぱり、山は楽しいなぁ」
と思いつつ、体力増進、基本的な体幹の鍛え直しを心に誓いました。







僕達にしては珍しい写真です。
いつもこうして仲良くしているのが、本当は一番良いのだと思います。
(自営業なので、家での会話はつい実務に押されがちです。
よく反省しなければなりません。)





次男や末娘もちょうど午後のスキーから帰ってきたので、今回の
記念写真を撮りました。

妻と末の娘は明日の朝、一足早く山を下ります。
午後からは息子達二人と久し振りに「父子、男達三人の旅」となります。
体力的にはもう昔のようにはついていけませんが、24才と22才の二人と
体を動かしながら、まるまる三日、いろんな話が出来そうで、それもまた楽しみです。  


イタリア・アオスタの谷で ③ ー 「今日のお昼はクレスペラ・アラ・バルドスターナ」

2016年01月19日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

2016年1月4日

宿泊客は今日から僕達家族六人だけです。



朝の時間はとりわけ静かです。外では雪が降っています。





こうして山小屋に何日か居るとよく感じるのですが、日本であれ、
イタリアであれ、木で作られた家は、とても気持ちが落ち着きます。

さて、僕が1年か2年に一回、口に出来るのを楽しみにしている
料理があります。

それは「Crespella alla Valdostana /クレスペラ・アラ・バルドスターナ」
という名前の料理です。今日のお昼に注文しました。



イタリア・アオスタの谷の郷土料理で、クレープの生地にロースハムを
挟み、そこにフロンティーナという地元のチーズを載せて、最後に
ベシャメルソースをかけてから、オーブンで焼き上げたものです。
ガービエットヒュッテの名物料理でもあります。

チーズの香りが独特ですが、しっかりと濃醇なミルク、チーズの旨さが
ハムの塩気に支えられて、イタリア料理ならではのごつんとした
美味しさが口いっぱいにひろがります。

もちろん、カロリーもたっぷり、朝からのスキーで下着がビチョビチョ
になるまでたっぷり汗をかいた後のお昼ご飯には、まさにぴったりです。
街のレストランでは有りつけない味だと思いますし、自分でも食べる前に
それなりの努力をしなければなりません。



曇天の雪空の下、ガービエットからシュタファールの谷に向かう
長いトラバースの道。
僕達のようなゲレンデ中心のスキーヤーだけでなく、モンテローザの
山群には、山スキーのルートを登る登山者も沢山います。
僕もなんとか、もう一度その中に復活したいと思います。
そのためには、10kg近くの減量と筋力の回復、
「クレスペラ・アラ・バルドスターナ」はむしろ、その大敵かも
しれません。でも、本当に魅力的な一皿です。
 


イタリア・アオスタの谷で ② ー「アルプスの山小屋での朝・昼・晩、食事の楽しさ」

2016年01月17日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

2016年1月3日

朝7時過ぎ、起き抜け、寝ぼけ眼で撮った部屋からの写真です。
山小屋のすぐ前に大きなスロープが広がり、アルプスの山々が目前に
迫ります。







今日は一度も目を覚ますことなく、ぐっすりと寝ました。
良い天気になりそうです。
下は食堂での朝食の風景。山岳地方だけに、ハムやサラミは
昔からアオスタの谷の名物です。

朝からの初滑りを前にして、子供達も何やら楽しそうです。



アオスタの谷での新年のスキーが始まりました。
本当に気持ちの良い一日です。



  



快晴の空に岩と雪のコントラスト、瞬く間にお昼ご飯の時間となりました。

さて、「ガービエットヒュッテ」のお昼ご飯、こんな感じです。
昔からの素朴な、イタリアの郷土料理が大半だと思います。



一緒に頼めば、大盛りでどん!と出てきます。
いろんなレシピにトライしました。

 

仔牛肉の煮込みとパスタ



チョリソー風の辛いソーセージ、「サルシッチャ」のトマソースとポレンタ



鹿肉の赤ぶどう煮とパスタ



ベジタリアン向けのポモドーレ



ごんとしたしっかり味のミネストローネ



チョコレートシロップをかけたパンナコッタ



小屋の主人、いつも笑顔のサンドロさん、62歳。
山小屋生活40年の大ベテランです。



今年から山小屋のシェフとなった、照れくさがりのジョゼッぺさん。



いくらでも食べる、大学生の二人の息子達。
財布も皿も空になります。



さて、お昼の後、一日のスキーも終わり夕食までの時間、年末からの
山小屋の宿泊客も皆引揚げ、今日の午後からは本当に静かになっています。



妻も久し振りに一人になって、小屋の中、離れのような暖炉の
部屋で静かに読書を楽しんでいます。
(でもずいぶん真剣な顔をしているなぁ。)





薪の燃える音だけが時々聞こえてきます。



さて、いよいよ夕食の時間。
僕は待ちきれずに既にワインを相当飲んでいます。

 







いつも最初にパスタが出てきて、その後スープになります。
(今日はアーティショックのラビオリと、ポテトと西洋南瓜のスープでした)
その後、末の娘と長男の彼女が、この頃すっかりビーガンなので
メインディッシュの肉料理の前にズッキーニやほうれん草がたっぷり
載った野菜の大皿を出してくれました。



 

メインディッシュは鴨肉のオレンジソースでしたが、これは大晦日の
ディナーの残りの再利用なので、手羽の部分や端っこが多かったです。



でも、それをそのままに説明して出してくれるのが、とても良い感じです。
山小屋の主、サンドラさんの一家はいつも飾り気のない、心のこもった
応対で、自然体、正直な感じです。僕達はとても居心地がいいと思います。



サンドロさんと娘のフローさん、本当に仲の良い親子です。



フローさんといとこのマルコさん、今日の一日が終わりました。
明日からの予約を調べているようです。



モンテローザ山群や、アオスタの谷の地図が、食事のときの
テーブルカバーです。




イタリア・アオスタの谷で ① ー 「想い出の山小屋で新年スタート」

2016年01月15日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

新年、明けましておめでとうございます。



今年のスタートは前から楽しみにしていた、家族揃ってのイタリア
アルプスへのスキー旅行です。
子供達三人とも20歳を超え、すっかり大きくなったので、こんなこと
は今後、ますます稀な機会になるかもしれません。

2016年1月2日

元旦の12時を回ってから、ドイツ・デュッセルドルフ近郊の自宅を
出発して、イタリア・モンテローザ山群、アオスタの谷、シュタファルまで、
約1000㎞の道を走っています。





スイスとイタリアの国境のセントバーナードの長いトンネルを抜けると、
突然、アルプスの冬の白一色の景色となりました。



後、約2時間で到着予定です。
子供達が小さい時から何度も足を運んで来た、家族の思い出が一杯
詰まった山小屋「ガービエットヒュッテ」に今日から一週間泊まります。
長男と僕以外は皆、まだ深い眠りについています。

午前10時40分頃、山間のつづれ折の細い道を一時間ほど走り、
イタリア・アオスタの谷の村「シュタファル/Stafal」に到着。





だいぶ観光開発が進んでいますが、100年ほど前には、
下のような写真の素朴な風景の村だったのかもしれません。



今日では、イタリア・モンテローザの広大な山群の
登山・スキーエリアの一大基地となっています。
ここから、標高約2400mの「ガービエット/Gabiet」の山小屋の
近くまで、6~8人乗りの大型ゴンドラで一気に上がります。
僕達6人の荷物やスキー道具も始発駅からこのゴンドラに載せて、
ガービエット山小屋近くの中間駅まで運ばれます。



そこから先は雪だけの世界となりますが、山小屋の雪上車の迎えで
人も荷物も小屋まで運ばれていきます。
(あまりに楽チン、昔山登りをしていた自分としては
多少気恥ずかしい話です)



さて、今年は本当に雪が少なそうです。ここでも、地球温暖化の
影響は明らかに出ています。モンテローザ山群の氷河も昔に比べて
だいぶ後退しています。でも、あまり難しいことは言わず、
まず、小屋に上がる前に皆の記念写真を一枚撮りました。

「元気で愉しい時間を過ごせるように!」





うちの奥さんはスキーよりも、のんびりしているほうが好きです。



車中の仮眠で寝ぼけ眼だった妻や子供達も、エスプレッソで
目を覚まし、シュタファル駅のゴンドラ近辺の専門スキーショップで、
各人のスキー道具やヘルメットを整えました。
ミヒャエル・シューマッハの事故以来、ヨーロッパのスキー場では、
ヘルメット装着は当たり前のことになったようです。
(ヨーロッパないしイタリアの人は、頭が細めでスマートなのか、
僕のヘルメットだけがXLでした。) 



荷物やスキーをゴンドラで持ち上げてもらって、ようやく
午後2時頃、目的の「ガービエットヒュッテ」(RIFUGIO GARBIET)
に到着しました。



今日から約1週間泊まる予定です。
家族六人で二段ベッドの二人部屋を三つ借りました。



薄いガラスが一枚入った木窓の外は真っ白な雪の世界。
暖房はほとんど効きません。
夜は下着やセーターを沢山着込んで床に入ります。
それでも昔、山登りをしていた頃の雪山テント生活を思えば、
僕にはまるで極楽のようです。
実際に皆が集い多くの時間を過ごすのは、下の食堂や
暖炉のある大きな部屋です。

 




この「ガービエット・ヒュッテ」は子供達が小さい時から冬、春
のスキーに、何度も足を運んで来た山小屋 です。
週末の日帰り客はもう山を降り、残るのは僕達宿泊客のみです。 



山の友達、小学校の校長でもあるドイツ人山岳ガイドのハラルドさんとも
一年振りに再会。互いにほぼ同い歳、先生と生徒の間柄で、何回かアルプス
の山行にも行っているので、いつ顔を合わせてもすぐに打ち解けます。





山小屋の主、サンドロさん一家も相変わらず元気です。



初日の小屋での夕食。いつもと変わらずパスタ、スープ、お肉の
メインディッシュ、デザートの順番です。アオスタ地方の素朴な
イタリア料理、実に美味しいと思います。















ガービエットヒュッテの夕食、暖炉の暖かさ。気の合う山仲間。

「ああ、また来て本当に良かった。」明日からが楽しみです。 






 


 


イタリアの山から戻って ー 食卓の上の空っぽになった漆の器

2016年01月11日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

昨日の夜、真夜中の12時半頃にイタリアの山から約1000㎞離れた
ドイツの自宅に到着しました。



まずは五分搗きの御飯にカブのお味噌汁、ぬか漬けのお新香で夜食。
体も気持ちもほっとしました。「ああ、うちに帰ってきたなあ~」



その日のお昼には北イタリアの山の村で、スイスの名物料理とは
また違った、アオスタ地方の高山の山のチーズで作った香りも味も
強烈な、小鍋ふうのクルトン入りのフォンデューを息子達と一緒に
なって「美味しい、美味しい」と食べていました。
みんな違って美味しい、面白い、僕にはいつになっても興味の
尽きないのが「食」の文化です。

とはいえ、日本では異なった文化圏との関わり方は野次馬本位の
興味が殆どで、異国、異文化の中で暮らすようになった流浪の民の
哀しみなどは、映画や小説の中だけの遠い、遠い世界です。
異文化との関わりが表面的なエピゴーネン、歴史的時間を知らない
模倣者、或いは自らの優越を目指すデマゴーグの枠を超えて行くことは
まずありません。

戦後70年の日本では、異邦との深層での関わり、斬り結びは実に
稀なことで、実際にはほぼ不可能なことだったのだと思います。
一方で自らのふるさとの文化と伝統も急速に失っていきました。

 

食卓の上の空っぽになった漆の器を見ながら、昨夜はそんなこと
をぼんやりと考えました。そして、このことは、自分の和食との
関わり方や、ドイツの人達への伝え方にも関わることだろうと
思うのです。


「ケルン大聖堂、リヒターさんのステンドグラス」

2015年09月15日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

ドイツのケルン大聖堂の威容は、世界的に有名ですが、中に入ると
歴史的なステンドグラスも見事です。



その中で一つ風変わりですが、その色彩構成が実に見事で、基督教や
西洋の宗教画の歴史に詳しくなくとも魅力的な、大きなステンドグラス
が南側(正面向いて右側)の大きな窓にあります。



ドイツの現代芸術家、ゲルハルト・リヒターさんが10年ほど前に
新たに制作した作品だそうです。

太陽の光が軽やかに明るく、人間の中に内在する希望の力、その可能性
を浮かび上がらせる、映し出すようで、異教徒の心も素直に敬虔な
気持ちになれるようです。

聖書やキリスト教の言い伝えに基づいた他のステンドグラスとは異なり、
西洋、中東文化圏に発祥するヨーロッパの地方宗教、キリスト教の重苦しさ、
圧迫感がありません。またこのキリスト教の中で、アプリオリとして絶対視
されている唯一神への帰依だとか、荒唐無稽な作り話への違和感、反発的な
距離感が、見る者の中に一切生まれてきません。

今年82歳くらいのリヒターさん、本当にいいですね。



夜になってから、もう一度目の前を通る機会がありました。
闇の中に浮かび上がる姿、人の手が作り出したものとしては
本当に荘厳な姿です。中世から近代まで、人々に畏怖の感情
を引き起こし、「虎の威を借る」ことを生涯の職業とした
多くの教会関係者には、まさに歴史的な恰好のツールだった
のだと思います。本当に貴重な文化遺産です。

 

もしよければ2010年11月11日に記した昔の記事

『ケルン大聖堂』− 彼岸と比岸


も併せてお読みください。


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下記はインターネットで、見つけた記事
の貼り付けです。

 

ケルン大聖堂へのリヒターの贈り物

 
第二の作品は、2006年にケルン大聖堂の南側翼廊のために作られたリヒターの
ステンドグラスである。聖職者から厳しく攻撃されたこの作品は、変化する光の
中で輝く色彩の奇跡で、大聖堂を訪れる人すべてを強く惹き付ける場所となっている。
11,500個の正方形から成るこの抽象的なパズルは、72色の本物のアンティーク
口吹きガラスで出来ており、乱数発生装置によって組み合わされたものである。
しかしながら線対称的な反復により、ある美学的な配列が生み出されている。

この、大聖堂へのリヒターの贈りものは、一方では彼の初期からの美術的イメージを
裏書きするものであり、他方では一つの遺産として見なすことができる。 
レナーテ・プフォーゲル
美術史家、美術評論家

Copyright: Goethe-Institut e. V., Internet-Redaktion
2011年9月
関連リンク

 


バルセロナ、ピカソ美術館を訪ねて

2015年09月04日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

今日はバルセロナでの仕事が予定より早く終わったので、妻と二人で
前回5月にはその前を通るだけで、足を運ぶことのできなかったピカソ
美術館に行きました。
バルセロナ旧市街の細い路地が交差する一角、その歴史的建物の前には
世界各地からの訪問客が入場待ちで列を成しているのが常のようですが、
小一時間ほどで中に入ることが出来ました。



大きな中庭(パティオ)から階段を上がり、美術館の中に入っていくと
天井の高い大小の展示室があって、ピカソの各々の時代の代表作とともに
普段は目にすることの出来ない下絵や習作も幅広く展示されていて、
彼の千変万化とも言える作風、創作プロセスが目の前に広がります。
(日本語の詳しいオーディオガイドもあります。翻訳文もよくこなれて
いました。)

なかでも、外国の展覧会ではあまり披露されないピカソの十代前半から
の初期作品も数多く展示されており、特に見応えがありました。
初期の作品(13歳の頃からのものがあります)の一つ一つを見ていく
と、ピカソの実に確かな眼と、若い時に徹底的に鍛えられた精密な
描写力がよく分かります。



「科学と慈愛」(1897年)/ピカソ15歳の時の作品

彼の絵師としてのこのような際立った基礎力が、その後の画家
としての発展と、カメレオンのような様々な作風の下支えになって
いることを感じます。







レオナルド・ダビンチの言葉に
「精神と手がともに働くことがなければ、芸術は生み出されない。」
と言う定義的表現がありますが、ピカソの場合にも、まさにそれが
当てはまるようです。

僕自身はキュービズムを生み出したピカソの後期から晩年の作品には
あまり興味を抱けませんが、絵画としての面白さやその美術史的意味
にも、好みや知識がついていきません。
むしろ、彼の画家というよりは絵師としての創作の軌跡、その自由自在
な豹変ぶりに興味が湧きます。また、ピカソと言えばいかにも生気に溢れ、
筋骨隆々とした壮年の自信に満ちた男性の姿が目に浮かびますが、その背後に、
一見ひ弱で細身の神経質そうな子供が隠れていたのだろうという推測が、
今回の美術館訪問の後に頭の中を巡ったことです。

 






 


2015年6月「モーゼル川への小さな旅」②

2015年06月12日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

2015年6月11日(木)
初夏のドイツ、4月末に続いて今日からまたモーゼル川流域への
出張です。(興味のある方は、当ブログの5月1日の記事も併せてご覧下さい)

今回の宿泊先は、ベルンカステル・キューという一大観光地です。



上下の両写真は、街の中心部です。木組みのファサードが
初夏の青空を背景にとても印象的ですが、本来はこんなに、
派手な装いのものではなかったとのことです。
戦後ドイツの高度成長期以降に昔の姿が見直されてドイツ
各地の観光名所でこのような修復、外見の大げさな整備が
進んだようです。それでもこれだけ綺麗で見事なお化粧なら、
騙されても良いかなと思います。
(最近はそういう美人に会うことは少なくなりました。) 





仕事先の人達と夕食会の前の散歩です。







街全体がそのまま観光事業。まさにキッチュ(Kitsch)と言えば、
正真正銘のキッチュです。ドイツの中世の村やグリム童話の
世界をそのままにしたような感じです。僕はそれでも、ディズニーランド
よりはずっとずっと楽しいなぁと思います。
そして山側の葡萄畠とモーゼル川に挟まれた小さな猫の額ほどの
面積の街を、ここまで古典的な風貌で現代に維持し、地元の大きな
収入源としたのはなかなかのことと思います。



モーゼル川沿いの街のレストラン、綺麗な眺めでした。



料理も写真に撮ると綺麗です。



夕方からの仕事、客先との会食も終わり、ようやく一人。
ホテルの小さなテラスに座っています。観光客の姿も見えず。
モーゼル川の古い街、ベルンカステル・キューの本来の趣が
感じられます。





初夏のドイツの夜が更けていきます。


2015年6月12日(金)

川の流れに支えられてきたモーゼル川の食文化。



モーゼルのほんの少し甘さの残る伝統的なリースリング種のワインと
川魚の郷土料理。マッシュポテトとザウアークラウトを混ぜ合わせた、
昔からの付け合わせ。
僕らのようなデスクワークではなく、葡萄畑での一日の労働が終わった
後にこその御馳走なのでしょう。 



街の中心のホテルから、葡萄畑の中を散歩しつつ15分ほど、
「ベルンカステル・キューのテラス」と呼ばれる高台から、夕方の
モーゼル川を見下ろしました。川の両岸に葡萄畑が広がっています。



この高台レストランでの夕食の後、一人で川岸を散歩しました。







夕闇の時は過ぎ、夜の帳が下り始める頃。
夜10時過ぎの一人の散歩。
誰もがもの想いに耽るような蒼い空の闇。 
その透きとおるような蒼さが、一刻一刻と深まる闇の中に
消えゆこうとしています。  

 


「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その⑤

2015年05月23日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

バルセロナの小旅行から帰って二日が経ちました。
朝起きて事務所で仕事をして、夕方はブールに行って、またその後
仕事をして、妻と一緒に家で作った夕食を食べたり、料理の時間が
取れずつい外食をしたりという、僕の日常がすぐに始まりました。
それでも、今回は旅の余韻が後を引いています。

その中でも思い出すのは「バルセロナの赤」。
街の至る所に、或いはそれがなくては、食事の風景自体が成り立たない
かのような存在感のレッドカラー。
手を変え、品変え、あちこちに顔を出します。
でも、決して押し付けがましくはなく、魅力的な姿、様々なトーンや
ニュアンスで、旅人の視覚の中に飛び込んできます。









まさにこの土地の風土と文化に根づいた「ソウルカラー」なのではないかと
想うのです。 



「バルセロナの赤」、色々なところで出逢いました。
ご覧ください。





















このような、「バルセロナの赤」を見ながら考えたのが、
「デザインの仕事の基本」に関することです。

人々の気取らない、毎日の暮らしの中に潜んだ美しさ、華やかさ、
愉しさ、歓びを取りだし、一つの形にすること、それが人々の暮らしに
関わるデザインの基本だということです。
現代のデザイン論や美学にはそぐわない考えかもしれませんが、
僕は断固としてそう思います。

ガウディやユーゲントシュティール、或いはアールデコなどの19世紀末
前後の藝術、工藝が求めたもの、模索したものも、まさにそのような
暮らしの中から出発する、洗練されたデザイン、美しさだったのだと思います。
それに対して、現代のデザインの大半は、一定の社会層、文化的素養、
教養から切り離され、風土、文化、素材の固有性を失って、その中で著しく
商品化、無国籍化したものだと思います。 

「バルセロナの赤」 ー決して押し付けがましくはなく、魅力的な姿でした。
この土地の風土と文化に根づいた「ソウルカラー」のデザインだからだと
思うのです。










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バルセロナの街のあちこちに見かけるレンタル自転車置き場。
ここでも赤がシンボルです。
(1日単位で乗り降り自由、便利な良いシステムです。京都や金沢でも
こんな自由なシステムがあれば良いと思います。)

 

 


「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その④

2015年05月20日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

バルセロナの小旅行、最終日。長男のアパートの前。







空港へのタクシーまで三人で歩く道。今回はバルセロナの街のあちこちを
よく案内してくれました。

19歳の時に北海道札幌の自然農場に一人で行ってから4年が経ちました。
北海道で約1年間予定していた実習は、福島東電原発の事故で中断せざる
を得ませんでしたが、その年の6月には再度日本に引き返し、沖縄・座間味で
数ヶ月の実習を行い、沖縄の島の生活に親しむことが出来ました。

ドイツに戻った後も、ニュージーランドでさらに半年の研修を重ね、
最終的に隣国のオランダの大学で勉強を始めることになりました。
そしてその大学からまた半年のベルギー・ブリュッセルでの企業研修、
今回のスペイン・バルセロナへの半年間のEUエラスムス制度の
交換留学。

こうして書き出してみると本当に色々な所で暮らしたのだなぁと思います。
「旅は人をつくる」、「すっかり一人立ちしたなぁ」とこのところ、よく思います。



2010年11月 北海道・札幌にて

 

2011年8月 沖縄・座間味にて 



2012年9月 オランダ・ブレダの大学の近くで



2013年10月 久しぶりに戻ってきた自宅の前で
(次男に負けじとジムで熱心にトレーニングを始めた頃だろう)

今日はついでに昔の写真も貼っておこう。
本当に大きくなったもんだ。
「健康で、人生を愉しむこと!」
これは、子供達3人の方が僕よりもずっとよく身につけていると思う。
親の育て方が良かった!!?


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