「原子力おことわり!」のショルダーバッグ、日本に到着。

2012年01月19日 | 脱原発

いつでも、どこでも、一人でも、脱原発のメッセージを発信!
「原子力おことわり!」のショルダーバッグがいよいよ日本に到着します。
今、飛行機で日本に向かっている途中。1300袋、1300人の脱原発のメッセージが、
今日にも関西空港に届きます。





日本でのご購入、お問合せは kyoto.sugiyama@gmail.com
(杉山廣行さん)までお願いします。予約販売ですが、まだ在庫があると思います。
杉山さん、是非よろしくお願いします。
(興味のある方は当ブログの2011年9月29日の下記のリンクもご覧下さい。)
「原子力おことわり!」の黄色のショルダーバッグ、日本で予約できます。

「ひとりデモ脱原発!」の麻袋、本当にいろいろな使い方が出来ます。
毎日の暮らしの中で一人一人が脱原発のアクション、メッセージを
伝えることが出来ます。
下記はその使い方の例です。アイデアを膨らませて下さい。


~日本編~



東京電力の本社入口にて「原子力おことわり!」




飯舘村の小学校4年生の子供たちと共に、未来を守ろう!




ドイツ緑の党副代表、ベアベル・ヘーンさん、足立力也さんと東京の地下鉄で。




文科省前、自主避難者の賠償権利の交渉の直前、
原発問題専門のスイス人ジャーナリスト、ボースさんと共に。




福島市のジャーナリスト藍原さんとカメラマン小原さんと。




南相馬市役所の災害対策本部の方々と。




デートの時にもショルダーバッグで「原子力おことわり!」




京都の町家を守る建築事務所で「原子力おことわり!」




日本の伝統を守ろう!骨董市でも「原子力おことわり!」




お酒を飲んでいる時にも、もちろん「原子力おことわり!」




海水浴の時にも「原子力おことわり!日本の海を守ろう!」




「原子力おことわり。脱原発!」子供たちの未来を守ろう!


~ドイツ・ヨーロッパ編~



ベルギーのデモに夫婦で参加、一人でも二人でも脱原発!




駅でも一人でも脱原発!




日・独・ベルギーで脱原発のメッセージ!




ドイツの食堂車の中、二カ国語で脱原発!




テラスで脱原発の行進。




ハイキングの途中にも脱原発!




ベルギーの原発に向かって「原子力おことわり!」




買い物の時もデモの時も脱原発!




オーガニック農場の前で脱原発!




子供たちに贈ろう、未来への希望。もちろん「脱原発」!

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下記にもう一度お申し込み先をお知らせします。
kyoto.sugiyama@gmail.com(杉山廣行さん)


夜、家に戻って ー「当たり前であって当たり前でない」

2012年01月18日 | 随想

帰宅するともう夜中の2時。
昔なら丑三つ時、子供の頃はその言葉だけでも
ぶるっと恐れをなしていたことをふと思い出す。
真夜中のこの時間には雨漏りした天井のシミが暗闇の中で
妖怪や幽霊の姿に見えて、布団の中に潜り込んでいたことを
50を過ぎた今でも時々思い出す。そんな翌朝にはおねしょをして
べそをかいていたのだろうか。





今日は浩太と健と連れ立って、何年振りかで「男達だけで出かけよう
/Männerabend 」の晩だった。二人とも数え年ならもう18と20。
三人で「PK2-男達の旅」と称して自転車で屋久島一周に行ったり、
連なってスキーをしたり、夜出掛けたりしたことを僕が思うよりも
深く記憶に留め、大切にしていたのかもしれない。正月に息子達の方から、
「今日は男達だけだ!」を復活させようと声がかかってきた。
確かにこんなことを三人で出来るのもあと数年だけかもしれない。





三人で食事をして映画をみた帰り、二人の息子が代わる代わる
運転する隣に座りながら、一人でしんみりと「有難いことだ。
よくよく大切にしよう。」と想う。二人の小さい頃を思い出し、
その頃の姿を振り返っているうちに、「浩太と健とのこともママライン、
うちのかみさんがいつも、いつも、僕ら三人の安心、家族の安らかさを
日々に支えてきたからこそ・・・。当たり前であって当たり前でない。」
という妙に神妙な考えに思い至る。

家に着き、もう横になっていた妻に声をかけると、いつもの笑顔に
半分寝顔が混じりながら「そう、みんな楽しかった。良かったね。」
と言ってまたすぐに寝入ってしまった。
僕らは日本とドイツ、男と女、短気とノンビリ、二つの対極の間でむしろよく
喧嘩が絶えない夫婦かもしれない。けれども、こんな時にはいつも、
うちの妻は大きな自然体の心根の本当に優しい人だと思う。
妻は当たり前であって当たり前でない。子供達にとって本当に世界一の
有難い母親である。僕がドイツでこうしてなんとか暮らしていけるのも、
実は恩にするところ多々有りである。

僕は毎日、本当はいつも一本負けである。喧嘩で勝っても内心、べそをかいている。



「毎日の暮らし ー 僕らの時代が喪失したもの」

2012年01月13日 | 社会


2011年12月、飯舘村での除染活動


新年も2週間が過ぎようとしている。今年はもっと料理や家族のこと、
「食」や毎日の暮らしにまつわること、身の回りの大切なことから
出発して書きたいと思う。
もともと、このブログを「ほぼ毎日ドイツ」というタイトルで書き始めたのも、
そんな想いに導かれてのことだろう。ところが、去年の3月、福島の
原発事故以降は、脱原発のことやその運動への関わりばかりがテーマと
なってしまった。確かにそれが僕の日常だったのだろう。
日本に行くことも4回、特に秋以降は福島原発事故に関わって福島市や
飯舘村に何度も足を運ぶこととなった。大事な仕事だったとは思う。

けれども、原発のことを自分なりに深く考えていくと、いつも一つの問題、
一つの感覚にぶつかる、たどり着くように思う。

「こうして身の回りのことや、生活、暮らしの中の当たり前のこと、
自らの健康や心、生命に直接関わること・・・。多くの人がそれを
二の次にして日常を送っている・・・。いつからこんなことが当たり前に
なったのだろう?」
「自分や家族、周りの人のために当たり前にていねいに料理を作ること、
いくらかの野菜、果物、穀物を自分で植えたり収穫したりすること・・・。
朝は早起きして深呼吸をして、太陽を見上げて有難いと思うこと。
何故こういう当たり前のことを忘れてしまったのだろう?」
「自分の生命が何百、何千億の人々の一つであること、それが自然の
大きな流れの中にあること
。何故、こういうことが頭では分かっていても、
日常の身体的感覚や行為、所作の中では失われてしまうのだろうか。」

「フクシマ」の原因や帰結には日本の経済・社会・価値の構造や、
その象徴たる原子力村、軍事・経済を中心とした米国モデルの世界的な
浸透・支配など、いろいろなことが考えられる。けれどもこのような、
いわゆる知識・情報に基づく理解・分析が本当に世界を変えていくのだろうか?
近現代の歴史の答えは明らかに否である。

僕らの時代の喪失はもっと大きいものなのだと思う。それは世界の全ての
先進国とその周辺で起きていることだろう。それはもう数世代を超えて、
100年以上続く流れだろう。この流れは戦後、とりわけこの30、40年で
一気に加速したと思う。日本はこの点でも発展途上、後進国から一気に先進国へ、
そして時代の最先端へとたどり着いたのだと思う。

日常をていねいに生きること、毎日の暮らしをだいじにすること。
それがこの時代に僕達が出来る大切なことの一つだと思う。




2011年12月、20km圏内、福島県浪江町の海岸から
(後景は、福島第一原発の事故現場)




2011年12月、同じく福島県浪江町、請戸の港近く。
津波後、そのまま残された家屋の跡。