パリへの出張 - 季節感のうらおもて

2013年11月25日 | 日本の「食」




銀座小十の奥田さんがパリに開いた本格的な日本料理のお店。まだ開店して
間もないとのこと。写真は奥田さんが秋の八寸を盛りつけているところ。




色々な制約がある中で大変なことだと思う。日本の食から自然に則した四季の
移り変わりがなくなって久しいことだ。今残っているのはむしろその思い込みや
慣習であり、実体的なつながりはほとんどない。料理屋さんでもその傾向は
顕著である。大都会となれば尚更だ。むしろ地方や田舎で昔からのしっかりした
家庭料理を日常としているところに残っているくらいだろう。
様々な葉が散りばめられて、一つ一つの料理が覆い隠されてしまう八寸。
秋には様々な姿と顔がある。それでも、外国では秋の紅葉という一つの
メインメッセージに絞らざるを得ないのだろうか。あるいは現代の都会には
秋は一つの顔の方がふさわしいのかもしれない。それなら東京でもパリでも
同じことだ。日本料理の国際化とはそういうことかもしれない。経産省や
現在の日本政府が日本の食文化に躍起となっていることも腑に落ちる。
けれども、才能のある料理人の人生と力が知らず知らずの内に虚しいことに
使われてしまうのは残念なことだと思う。何年かした時に、奥田さんの努力が
日本の伝統の軸につながり、それを長く受け継いでいく、素晴らしいものに
なって欲しいと思う。今はスタートしたばかりだ。

11月初旬、刃物の仕事でパリに行った時の写真。仕事の翌日、マレー地区を
散歩していたら路地の奥に引っ込んだビストロの前の中庭で、思わず足を止める
ような風景がありました。紅葉に寄せる想いは国それぞれで違うとしても、
美しさは変わらない。


 


パリのマレー地区で目に留まった二つのファサード。コンクリートや石に
囲まれた都会の生活でも四季の移り変わり、草木や花への愛着は人々の生活に
欠くことが出来ないもの。 


 

 


パリから戻って来て十日あまり。
日本出張前の日曜日。晩秋のドイツ。冬が目の前までやって来ている。
自宅の
庭でとれた野菜やキノコ、落ち葉や紅葉の写真。
妻と一緒に庭で野菜をつくるようになって大分になる。今年は栗カボチャも
うまく出来た。家族も猫も元気で有り難いことだ。

 


 


秋の食卓メモ - 妻の誕生日と遅い昼食

2013年11月18日 | 日本の「食」

2013119

 

今日は久し振り、土曜日の休日。妻の誕生日のお祝いに子供達三人と
夕食を
作る。

献立は秋のちらし寿司に豆腐と三つ葉にへぎ柚子のお吸い物、その後、

マグロの漬けにアボカドを山葵醤油であえて、出しに浸した岩海苔に
トロロを
あわせた小鉢。ご飯にのせたり、酒の当てにしたり。 




 

その後に天麩羅がメイン。
烏賊、鰈、大西洋の白海老に日本から持ち帰った秋のキノコ、蓮根、
イタリアの
茄子など。
食卓には今年最後の庭の紅葉、晩秋の桜、楓、柿、銀杏の葉などを
色とりどりに。


 

20131118

妻と2人での遅い昼食。昨年頃からだろうか、週に何回かはこのパターン
になる。
3
人の子供達が大きくなって、僕らの日常生活も除々に変わり
始めている。

「今日の昼食の献立」

- カレイと海老のふわふわすまし汁
 (
出汁をとったカレイの中骨から外した白身と海老の残りを小さく刻んで、
- 卵白で一つの具にふわふわっとまとめたもの
)
- 鯵とじゃがいもの細切りのかき揚げ。(昨夜の天婦羅の残り)
- 紅鱒の切り身の塩麹漬け。
- 五分づきごはん(蒸し直し)
- うど、細ネギ、自家製厚揚げ細切りの炊いたん。
- お新香 (きゅうりの糠漬け)


ドイツ緑の党 H議員への手紙

2013年11月04日 | 随想

日本の政治状況と日本緑の党の活動についての個人的な見解を、自分の
覚え書きの意味も含めて書き送ったもの。

Liebe H. -san,

ich wollte mich bei Dir seit einigen Monaten wieder melden.
Zwischendurch war ich zweimal in Japan.
Auf meiner Julireise habe ich Frau S. zuhause besucht und Deinen Brief überreicht.
Sie war sehr dankbar dafür.

Einen weiteren Brief an Frau H. und die „Old Boys“ habe ich auch im Wahlkampfbüro
von Frau H. abgegeben. Ich habe sie nicht persönlich getroffen. Hierfür habe ich
leider danach keine Rückmeldung erhalten.

Nach der Wahl des japanischen Oberhauses, wo S-sans Kollegen sehr beschäftigt waren,
hatte man am 7. September ein Gedenktreffen in Kyoto veranstaltet. Ich konnte leider
nicht daran teilnehmen, weil ich in Deutschland beschäftigt war, aber ich bin von
seinen Freunden gebeten worden, Deinen Brief auch schriftlich ins Japanische zu
übertragen. Das habe ich gerne gemacht. Und so ist Dein Brief bei dem Treffen vor
den Freunden vorgelesen worden. Frau S. war auch dabei.

Das wollte ich Dir mitgeteilt haben. Ansonsten, wie Du sicherlich weißt, haben
die japanischen Grünen für ihre eigenen Kandidaten recht wenig Stimmen bekommen.

In der letzten Zeit denke ich sogar, dass die „grünen Gedanken“ von der jetzigen
Organisation nicht weit gebracht werden könnten. Sie sind, persönlich gesehen,
wirklich sehr gute, nette Leute, aber gesellschaftlich bewegende Impulse sind von
dort aus schwer zu erwarten. Außerdem spielen sie in der Anti-AkW-Bewegung
keine bedeutende Rolle. Die politische Situation, bzw. die Machtverhältnisse
im Parlament sind zur Zeit so einseitig und für liberale Kräfte sehr schwierig.

Hinzu kommt die Massenmentalität in der japanischen Gesellschaft, die sehr
wenig grüne Ansätze darstellt.

Ab Mitte November beginnt die gefährliche Arbeit in Fukushima, die Brennstäbe
aus dem halb zerstörten Kühlbecken herauszunehmen. Wir kommen in eine weitere
wirklich kritische Phase.