ベルギーのティアンジェからドイツのアーヘンまで - 市民がハッキリと声を上げること。

2017年06月25日 | 脱原発

ドイツ、オランダ、ベルギー三ヶ国の国境近くに立つ、老朽原発
ティアンジェ。今までも多くの事故を起こし、圧力容器にも無数
のヒビ割れが入り、ヨーロッパで一番危険な原発の一つです。

 



その即時停止を求めて、今日の日曜日は、上記3ヶ国の市民が合同
で行う巨大なデモがあります。
その目玉は、全長90キロメートルのヒューマンチェーン。

 

ティアンジェの原発現場からベルギー、オランダの街々を結んで、
ドイツの国境の街アーヘンまで、約10万人の人々が手と手をつなぎ、
原子力反対、老朽原発の即時停止を求めます。
僕達(僕とうちの奥さん、ゲストハウス滞在中の日本の若い娘さん
二人)も、4人でデュッセルドルフから参加。
今、出発を待っているところ、現地まで約2時間の遠足です。

 



日曜日午後3時。
ベルギーのティアンジェ原発現地から、ドイツのアーヘンまで、原子
力反対の全長90キロメートルのヒューマンチェーンが結ばれました。




社会の明らかな歪みに対して、市民がハッキリと声を上げること。
毎日の暮らしの中で忘れてはならないこと。




















ドイツ・デュッセルドルフで「小さき声のカノン」の上映会

2016年03月13日 | 脱原発

今日は鎌仲さんの「小さき声のカノン」の上映会がデュッセルドルフ
でありました。

現地在住の日本人とドイツの方々で、120人以上の聴衆が来ています。
今、鎌仲さんが聴衆からの質問に答えているところです。
その中の鎌仲さんの話、「ベラルーシでは首都ミンスクにチェルノビリ
の被曝者特別保養所があって、そこにはもう200人程の日本の官僚が
見学に来ています。けれども、日本にそのような施設を政府ないし国で
作ろうという話は一切ありません。」

 


「IPPNW〔核戦争防止国際医師会議〕のベルリン会議に参加して」

2016年02月26日 | 脱原発



今日から二日間、ベルリンで開かれているIPPNW 〔核戦争防止国際医師会議〕
の国際会議に、ベトナムから帰ってきたばかりの妻と二人で参加しています。

このベルリンの会議では核兵器、原発、放射能の甚大な危険性を
中心にして、医学分野のみならず、様々な講演、ワークショップが
行われますが、この会議のドイツ語の名称ををやや意訳すれば
「福島5周年、チェルノブイリ30周年、今、私達の生命の在り方と行方」
という会議です。



日本からは津田先生、オシドリマコさん達、飯田哲也さんなどが
講演者として来独しています。ドイツ、ヨーロッパからは市民の側で
反核、脱原発の運動に大きな貢献を果たしてきた多くの方々、学者、
医師、運動家が参加しています。



日本には、IWJ のヨーロッパのサポーターの方がインターネットで
ツイキャスをすることになっています。時間のある方は是非ご覧下さい。
なお、前回の会議2011年4月には福島の直後ということもあり、
500人以上の参加者がありましたが、今回は約250人程とのことです。









「忘れないということ、関心を持ち続けること、少しでも自分で参加
していくこと」が福島原発の惨事から5年が経つ今、各々の立場で
本当に大切なことだと思います。




 


「毎日の暮らしの中で ー 僕達が喪失したもの」

2015年05月09日 | 脱原発

いつものように友達のオーガニック農園に妻と週末の買い物。
明日の母の日の話をしながら、なんとなく目についた子供用の小さな
机と椅子。



こんなものを見ると、日本は昔、木の国、木工の国だったなあと
つくづく思う。

戦後70年で日本が得たものは大きいけど、失ったものも量り知れない。
この70年、もう少し違った行き方や人々の生き方がなかったのだろうか
とよく思う。
今や日本では日々の生活、社会の産業化、資本化、商業化にはますます
拍車がかかり、国、社会としてのブレーキはもうかかりそうもない。
志のある人たちはもちろんたくさんいる。僕なんかは及びもつかなく
しっかりとした生活を営んでいる人達はあちこちにいる。
それでも
哀しいことに、そのような人達が、日本の社会、大半の人達の生活感覚
に変化を及ぼすには、あまりにも少数だ。
僕が蚊帳の外で、こんなこと
を嘆いていても仕方がないことだ。僕が出来ることは自分の目の前の
生活の中でしかない。それでも、希望的観測は本当に難しいと思う。


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「毎日の暮らし ー 僕らの時代が喪失したもの」(2012年1月13日の記録)

新年も2週間が過ぎようとしている。今年はもっと料理や家族のこと、
「食」や毎日の暮らしにまつわること、身の回りの大切なことから
出発して書きたいと思う。
もともと、このブログを「ほぼ毎日ドイツ」というタイトルで書き始めたのも、
そんな想いに導かれてのことだろう。ところが、去年の3月、福島の
原発事故以降は、脱原発のことやその運動への関わりばかりがテーマと
なってしまった。確かにそれが僕の日常だったのだろう。
日本に行くことも4回、特に秋以降は福島原発事故に関わって福島市や
飯舘村に何度も足を運ぶこととなった。大事な仕事だったとは思う。

けれども、原発のことを自分なりに深く考えていくと、いつも一つの問題、
一つの感覚にぶつかる、たどり着くように思う。

「こうして身の回りのことや、生活、暮らしの中の当たり前のこと、
自らの健康や心、生命に直接関わること・・・。多くの人がそれを
二の次にして日常を送っている・・・。いつからこんなことが当たり前に
なったのだろう?」
「自分や家族、周りの人のために当たり前にていねいに料理を作ること、
いくらかの野菜、果物、穀物を自分で植えたり収穫したりすること・・・。
朝は早起きして深呼吸をして、太陽を見上げて有難いと思うこと。
何故こういう当たり前のことを忘れてしまったのだろう?」
「自分の生命が何百、何千億の人々の一つであること、それが自然の
大きな流れの中にあること
。何故、こういうことが頭では分かっていても、
日常の身体的感覚や行為、所作の中では失われてしまうのだろうか。」

「フクシマ」の原因や帰結には日本の経済・社会・価値の構造や、
その象徴たる原子力村、軍事・経済を中心とした米国モデルの世界的な
浸透・支配など、いろいろなことが考えられる。けれどもこのような、
いわゆる知識・情報に基づく理解・分析が本当に世界を変えていくのだろうか?
近現代の歴史の答えは明らかに否である。

僕らの時代の喪失はもっと大きいものなのだと思う。それは世界の全ての
先進国とその周辺で起きていることだろう。それはもう数世代を超えて、
100年以上続く流れだろう。この流れは戦後、とりわけこの30、40年で
一気に加速したと思う。日本はこの点でも発展途上、後進国から一気に先進国へ、
そして時代の最先端へとたどり着いたのだと思う。

日常をていねいに生きること、毎日の暮らしをだいじにすること。
それがこの時代に僕達が出来る大切なことの一つだと思う。




2011年12月、20km圏内、福島県浪江町の海岸から
(後景は、福島第一原発の事故現場)




2011年12月、同じく福島県浪江町、請戸の港近く。
津波後、そのまま残された家屋の跡。

 


「東電原発事故、大惨事から4年後の3月 ーその為に自分の出来ることと出来ないこと」

2015年03月08日 | 脱原発



一昨日はドイツ緑の党のシルビア・コッティング・ウールさんに招ばれて、
ベルリンの連邦議会内の会議室で開かれた専門会議に妻と一緒に参加し、
日本の再稼働の問題とその政治的背景について、30分ほど話をしました。

連邦議会の入り口でセキュリティチェックを受けた後で、いつもの
「さよなら原発」の袋を持って会議室に向かいます。



普段の仕事を全て放り出し、一週間かかりっきりで準備をした
のですが結果はあまりうまくいきませんでした。日本の再稼働の問題を
高浜と川内のことを中心に、かなり詳しい数字とデータ資料を20枚程
用意していたのですが、いざ話し始めると、経産省や電力会社を中心と
した理不尽と狡猾さに対する怒り、憤りが湧き出してしまい、資料も
その殆どを使わず、かなり感情的に話してしまいました。

ドイツの参加者の方々が、やはり福島の惨事をどうしても例証研究的に
扱うので、その違和感もあったのですが、ベルリンの日本大使館から
来ていた官僚のにやけたステータス気取りへの嫌悪感も拍車をかけたようです。

妻には本音で話したのは良かったと言われましたが、ドイツで日本のことを
伝えるのが僕の役目ならば、反省するところが多々あります。
今後、自分がすべきこと、できること、どのように役に立てるのかを
もう一度よく問い直そうと思います。











「ルクセンブルク-世界中のどこの地域でも起きている日常的狂気」

2014年04月30日 | 脱原発

「言葉が通じなくても、原発のない未来のために私達は共に戦える」


 


今、妻と二人でドイツからルクセンブルクへ移動中です。
ドイツ、フランス、ベルギーの3国に国境を接したこの国は、
地理的にも西ヨーロッパの中心に位置し
EUの政治機能や金融センターが集中しています。





モーゼル川が流れ、良質な白ワインの産地としても名が高い
風光明媚な人口約50万人ほどの小さな公国です。
その国境から10kmも離れないところにあるのが
フランスでも屈指の規模を誇る「カットノン原子力発電所」です。
もし、ここで大きな原発事故が起これば、ルクセンブルクは亡国の運命に、
そして国民は流浪の民となります。
また、EU自体もその中心機能の相当部分を失うことになるでしょう。

今日はこのルクセンブルクで地元の人達と脱原発のセミナー、集会があります。
僕達二人の役割は日本と福島の現況を話すことです。


 


地球のどこの地域でも起きている日常的狂気、このことで少しでも
現地の人達の助けに、これからの参考になることが出来ればと思います。

準備の際には京都の守田さんや、特にFoEジャパンの吉田さんの助けを
借りました。有難うございます。
冒頭に引用した言葉を頭に置きつつ、こういう一つ一つのつながりが
意味を持つことを信じようと思います。


「生きる価値のある未来」を求めた社会 ー 3・11後に脱原発を決めたドイツ

2012年08月21日 | 脱原発

今年6月、日本のNGO月刊誌「Actio」に、僕達「アトムフリー・ヤーパン」の
活動背景に関するインタビュー記事が掲載されましたので、下記にご紹介します。

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以下、上記記事の本文内容です。

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 3・11後に脱原発を決めたドイツ
「生きる価値のある未来」を求めた社会 

昨年3月の東電福島原発事故から4か月後、ドイツ連邦議会は2022年末までに原発を全廃すると決定した。一方、事故当事国の日本では、拙速な「安全審査」で福井県・大飯原発を再稼働させようとしている。この違いは何か。ドイツと日本の脱原発運動の橋渡しを行なう「アトムフリー・ヤーパン」代表の高田知行さん(ドイツ在住)に話を聞いた。

 

■原発事故は戦後日本の終着点・分岐点

 今回の原発事故は、戦後日本の硬直的な社会システムがたどり着いた一つの終着点ではないかと思います。

 私は東京浅草の下町出身です。地方を全く知らずに、子どもの頃から恐らく『東京=日本』のような感覚で生まれ育ったのだと思います。本来の日本の風土から切り離されつつ、一方では戦後日本の発展を体現化する東京。その中で経済成長一辺倒の暮し方や価値観、あるいはそれを支える社会のあり方に大きな違和感を持ち、大学に入学する頃から「こんな中で自分の人生を送りたくはない」との気持ちが強まっていきました。それが独文学を専攻するきっかけともなったのだと思います。1983年からドイツへ留学、そして大学院卒業後の1988年、すぐにドイツに渡り、デュッセルドルフで翻訳事務所と小さなドイツ語学校を始めました。28歳のことです。

 それ以来、日本の社会に直接関わることはなるべくなしにしようと思ってきたのですが、今回の原発事故で大きく気持ちが変わりました。このままでは、日本の社会どころか、この国、私たちの風土全てが喪われてしまう。自分にとってかけがえのない日本の「食」や工芸、自然の風景、故郷としての日本全てが失われてしまうという切迫した思いにかられました。そこで去年の3月17日、日独二カ国語のウェブサイトを立ち上げ、浜岡原発STOPの日独署名を集め始めました。

 原発に関しては、2010年の夏頃から上関原発の建設問題に関心を持っていました。父の出身が山口県柳井市だったこともあり、実際に祝島へ行き、山戸貞夫さんと会って話を聞き、建設予定の浜辺にも行きました。

 その埋め立ての動きが激しくなった時、日本の市民団体が抗議の共同宣言を発表しましたが、それをドイツ語に訳してウェブに掲載し、ドイツの環境団体にも連絡をとりました。

 祝島だけでなく、行政と電力会社は一体となって反対運動を色々な形で分裂させ、非常に陰湿なやり方で潰そうとします。原発建設の合理性はなく、深刻な環境破壊が起きても、マスメディアは全く報道しません。このような構図は、今回の東電福島原発事故でもはっきりと現れています。


■飯館村の子どもたちへの支援

 昨年3月当初は個人的に活動を始めたのですが、今年4月からはドイツの公認市民団体「アトムフリー・ヤーパン」として活動を行っています。その活動の柱の一つが福島の子どもたちへの支援です。特に飯舘村への支援活動を中心にしています。

 去年のクリスマスと今年のイースターの計2回、飯舘村の避難先小学校にドイツからのプレゼントを送りました。オーガニックや手作りの贈り物、ドイツで自然エネルギー教材として使われている小さな風力発電のミニキット、ソーラーパネルと手回し発電のついたLED懐中電灯、ドイツ・シェーナウで出版している『原発をやめる100の理由』の和訳本などです。これらを、脱原発のシンボルが描かれた麻のバッグに入れて渡しました。絵や写真が添えられたドイツの支援者の人たちの手紙も一緒に。

 飯舘村の子どもたちへの支援を行うことで、ドイツ人にも日本の原発災害の問題が具体的な形で伝わっていきます。特に飯舘の子どもたちは事故後1、2カ月間、無防備のまま高い放射線量にさらされたので、今後も継続して支援する必要があります。

 ただ村役場、教育委員会を通してのつながりなので、その交流が制限される面がなきにしもあらずです。お母さんたちに会って、子どもたちの健康障害について不安や心配はないか直接聞きたいのですが難しい。今回訪問する際には飯舘村のお母さんたちと直接コンタクトをとり、今夏以降はより実質的な支援を行なおうと考えています。


■ドイツから脱原発のメッセージ

 私たちのもう一つの役割は、日本とドイツの脱原発の動きを連携させること、人と情報を結びつけることだと思っています。そのためにドイツで声を上げるだけでなく、日本の原子力村への批判や、原発再稼動に対して具体的な直接抗議のアクションを行うことにしました。

 今年3月26日、大飯原発3、4号機再稼働に反対するドイツの反原発・環境団体の共同要請文を、福井県庁と大飯町役場に届けてきました。これはアウスゲシュトラールト(ドイツ反原発運動ネットワーク)、BUND(ドイツ環境・自然保護連盟)、グリーンピース、IPPNW(核戦争防止医師会議)、NABU(ドイツ自然保護連盟)などドイツで最有力の反原発・環境団体の連名の要請文です。

 私が発案し、FoEジャパンの吉田さん、ドイツ人の友人と一緒になって一つ一つの団体に声をかけてまとめあげました。BUNDだけで約40万人の会員がいますので、ドイツ市民何百万人を代表した脱原発の声、大飯再稼動反対への思いが込められた文書だといえます。

 ドイツの脱原発運動40年の中でも、海外の原発政策に対しこのような形で直接意見したのは初めてのことだと思います。内政干渉になるのではとの懸念もありました。しかし、福島原発事故にも関わらず日本が原発推進政策を続けることは、ナショナルな問題ではなくインターナショナル、国際的な問題だということをはっきりさせることが必要でした。日本だけの問題ではありません。放射能汚染は国境を、時代を超えるからです。

 しかし、このドイツからの共同要請文に対して今日まで福井県庁からも大飯町からも一切回答がありません。当日はFoEジャパン、大阪美浜の会、ストップもんじゅの会の人たちと一緒に、県庁内で各団体の要請を文書で渡しましたが、県側は課長クラスの対応で、25分しか時間をとらず、質疑応答も基本的に認めない態度でした。

 かろうじて3人が質問しましたが、一般市民の傍聴はなく、報道陣のみが入室を許されただけ。あまりに市民を無視しており、民主主義の国とはとても思えません。

 ドイツの緑の党が立ち上がっていく時には「議会外民主主義」が中心概念でした。議会内が機能しないなら議会外で市民が対抗勢力としてものを言い、正当な力を行使する。それは暴力を用いることではありません。今回のように要請文や抗議文を渡して回答を迫ったり、街でデモをすることです。

 民主主義は基本的に利害の対立を前提としています。市民団体は行政に対して影響力を及ぼす、行政と対等な勢力であるとの意識をしっかり持つべきだと思います。日本では県庁や国に抗議する時も、上下の感覚で「お願いいたします」と「申入れ」をし、あまりにもペコペコしています。もし行政がこちら側の問いに回答せずに退室しようとするなら、ドアの前に立ちはだかってでも回答を求めるぐらいはするべきでしょう。


■連邦制・地域分散型のドイツ

 脱原発をめぐるドイツと日本の違いについて、たくさんの方が発言していると思いますが、私個人としては二つ、大事な側面があると思います。一つは政治の方向性及びシステムの違いです。

 国の基本的方向、政策の側面から見れば、戦後の復興において日本は自民党政権の下で国力の発展を追求し、追いつき追い越せ的な発想で、ジャパン・アズ・ナンバーワンを目指しました。

 一方、ドイツの70年代は社会民主党(SPD)が連立政権内にあり、労働組合寄りの政策を行っていました。経済発展の利益は一般の労働者に還元されることが厳しく求められ、基本的な社会インフラへの投資が利権の奪い合いベースではなくそれなりに計画的に行われていました。国民の生活の安定、暮らしの豊かさにつながる政策のウェイトがずっと大きかったように思います。

 さらに根本的な違いがあります。日本は政治・行政が極端な中央集権型ですが、ドイツは連邦共和国であることです。各州の独立性は高く、連邦と同様に一つの国として運営されています。 消費税などの分配も州へ直接入る部分が確保されています。

 ドイツの国会は二院制ですが、上院にあたる連邦参議院は、州の意思を連邦の立法・行政に反映させるために州政府の代表で構成されています。下院の連邦議会で議案を通しても、上院で過半数を採れなければ戻されてしまう。このシステムは民主主義を養う上で非常に重要だと思います。日本の参議院と異なり、ドイツの場合には各州の意向がきちんと国政に反映され、検証されるシステムになっているわけです。

 政治だけでなく国自体も地域分散型モデルです。文化、産業、学術研究の拠点が分散しており、労働市場も各地にあります。連邦共和制であり、かつ地域分散型であること。それが現代ドイツ社会の基本的強みだと思います。

 今回、大飯再稼動の問題で日本に行く前、16歳の娘と18歳の息子と3人で外で食事をしました。その際ふと思いつき、ドイツのどこが好きで誇りに思っているのか尋ねたところ、娘は「ドイツはパンがとてもおいしい」と言った後、「自分の国の民主主義は機能している、良いと思う」と答えました。家では特に政治的な話をしていないのでびっくりしました。続いて息子が「僕もそう思うけど、学校のシステムも悪くないよね」と。自分の子ども達ながら若い人達がこういうことを普通に感じるのか、ドイツはなかなかの国になったのだなと改めて思いました。


■ベースにある「オルタナティブ」

 もうひとつ重要なのは70年代以降のオルタナティブ(Alternativ)、ドイツ語でアルタナティーフの動きが、過去40年間、ドイツの社会や生活にもたらした影響です。オルタナティブとは、当時主流であった既存の政治枠や社会のシステムに依存しない、別の生き方、暮らし方を求めるあり方の総称です。物質主義、権威主義、環境破壊主義からの価値転換を目指した、日常生活に直結した動きでした。

 ドイツでは68年以降、政治運動が極端、暴力化し挫折しました。その後、暴力や政治主体で上部構造を変えるのではなく、ソフトな、日常生活の中での価値の転換を求め、暮らしを足下から変えていく試みが学生運動以降の世代の若者達から始まりました。

 私が80年に初めてドイツに渡った時は、ちょうどそうした運動が盛り上がってきた時期でした。彼・彼女らが始めたのは、男女が生活の中で対等に話をし、質素に暮らすこと。当時、政治的にしっかり物事を考えている女性たちは、大学の中で編み物をしていました。それは自分の着るものをつくる、時間をゆっくり過ごすというシンボリックなことだったのです。

 そうした人たちは、原発反対や東西ドイツ国境地帯への中距離核ミサイル配備反対などの行動を担っていました。この世代はその後、次第に保守化したり、家庭を持ったりして、既存社会の一員となっていくのですが、当時抱いた根本的な価値は心の中の芯として保っていた。それがドイツのオーガニックの運動や「緑の党」の盛り上がりを支えた原動力になったと思います。

 つまり「緑の党」のベースには、それ以前の70年代頃からはじまったオルタナティブという動き、若い世代の生活変革、そのような意識に支えられた幅広い勢力が存在したのです。この社会的・文化的な変革のポテンシャルを見逃してはいけないと思います。日本でもこの「オルタナティブ」な価値、生き方が意識的な若者世代、特に女性達の間には世代を超えて確実に広がっていると思います。脱原発だけでなく、日本の社会を変えられるのはこのような女性達が中心となった力ではないかと想像します。


■エネルギーデモクラシーを

 10年くらいのスパンで見れば、今後日本は確実に再生エネルギー、自然エネルギーへシフトすると思います。しかしこのままではエネルギーの上部構造が原発から自然エネルギーにとって代わるだけで、これまでの社会システムはそのまま残されるのではないかと危惧しています。

 今回の原発事故は不幸なことですが、これをきっかけにエネルギー政策の主導権を各地域に取り戻していくチャンスです。その際、行政主導ではない市民参加による決定ができるか、エネルギーデモクラシーを実現できるかが重要です。まずは市町村レベルで小水力発電や風力発電を導入し、コツコツと実績を積み上げていくのが具体的な方法ではないでしょうか。

 そして言うまでもなく原発再稼働問題は、電力供給の問題ではありません。民主主義の基本には地方分権がありますが、日本でそれが成り立つかどうかの瀬戸際なのです。福井・滋賀・京都・大阪の関西圏が再稼働を認めないことで、中央政権を跳ね返す動きが起きています。特に滋賀県の嘉田由紀子知事の存在は大切だと思います。市民の声に支えられて、その意思を貫くことができれば、地方レベルで国政に待ったをかけることとなります。

 また今回は市民による反対の力が大きく、政府の圧力を相当押し戻しています。今夏に向けて再稼働をストップできるかどうかはまさに大きな正念場で、日本の市民運動、草の根民主主義発展の一つの分岐点です。大きなリスクとチャンスが共存しています。

 私は、日本の各地で原発立地自治体と周辺地域が結びつき、脱原発・脱行政主導・市民主体の地域再生をテーマとした研究プロジェクト、プランニングが必要だと思います。そのために市民団体が中心となったスタディ・ワーキング・グループを作り、そこに日独の専門家や民間の研究所が加わり、日独相互の交流の中で、自然エネルギーと市民自治を中心とした地域再生ビジョンや実践的なモデルケースが生まれてくればと願っています。具体的には40年を越える老朽原発を抱え、脱原発・廃炉プロセスを目の前にした福井県美浜町が、その一候補になると思います。微力ながら、今、このテーマを追いかけようとしています。

 皮肉なことに、中央集権の大好きな日本の原発推進側は、本来、ナショナルに議論されるべき原発立地や再稼動の問題を、ローカルなもの、地方の問題として矮小化し、立地自治体の既存枠組みの中だけで扱おうと必死になっています。

 こうした流れに対抗して、原発問題こそ必ずナショナルな規模で捉え議論することが必要です。たとえば、それは福島県や飯舘村の人たちが当事者・被害者の立場から、大飯原発や伊方原発の再稼動阻止反対運動に積極的に関わっていくことでもあります。

 まずはナショナルなレベルで市民が結びつき、原発問題を議論する。さらには一国にとどまらないインターナショナルな問題だと捉えていく。今こそ日本とドイツの市民が手を取り合って、原発推進派に具体的に対抗していくこと。そして、より良い未来、生きがいのある暮らし方を具体的な将来ビジョンの中で求めていくことが大切だと思います。

【プロフィール】高田知行(たかだ・ともゆき)
東京浅草生まれ。「アトムフリー・ヤーパン」代表。ドイツ連邦共和国公認通訳翻訳士。早稲田大学卒、東京大学大学院修士課程修了。在独30年。ドイツ人の奥さんと3人の子供たちと暮らしている。日本の「食」の紹介がライフワーク。

(Actio 6月号より)
 

雑誌「Actio」については次の下記公式HPをご覧ください。
http://actio.gr.jp/


2012年 夏-「日独で目指そう!!脱原発の旅」④

2012年08月01日 | 脱原発

ドイツ緑の党の国会議員ヘーンさんとの同行、通訳。
今日がその五日目、東京から京都に入ります。




昨日は「脱原発を目指す
首長会議」の東海村村長や南相馬市桜井市長との意見交換会。
ドイツでの自然エネへの転換が市町村中心、小規模分散型、市民参加を軸に進んでいることを
具体的事例で説明。
それが「エネルギー
を国民、市民一人ひとりの手に取り戻すこと、地方の独立と自治につながること」を強調。
参加者の大きな共感を呼ぶ。今年の秋にドイツに視察に行くことも提案される。

何ヶ月もかけて企画した甲斐があったと思う。
日独の脱原発への動きと互いの経験を結びつけることが僕達、アトムフリー・ヤーパンの活動目的。
今日は自分達の仕事が役に立ち、嬉しかった。
京都では、まずアイリーンさんと話をする。


2012年 夏-「日独で目指そう!!脱原発の旅」③

2012年07月31日 | 脱原発

ドイツ緑の党ヘーン国会議員との同行、通訳。
今日がその三日目です。


ヘーン議員、一昨日の日曜日、国会議事堂包囲大規模デモにも、
日本の緑の党共同代表の人達と一緒に参加し、議事堂前で個別でスピーチも行いました。

「民意を代表、象徴すべき国会議事堂を警察力で徹底的に防護し、
市民を一歩も近づかせようとしないこの姿こそ、現在の政府の硬直性、国民との乖離を表している。
この政治は絶対に持たない。自然エネ、地域分散、参加型民主主義こそ、日本の進む道。」
との力強い、迷いのない発言。




今日はこれから東海村の村上村長との面談、その後「脱原発を目指す首長会議」との共同会議、
東京新聞との個別インタビューなどを予定。



2012年 夏-「日独で目指そう!!脱原発の旅」②

2012年07月29日 | 脱原発

東京、水道橋の駅から少し離れたショットバーのカウンター。夜中の1時。
日本に戻って二日目。
今日は日本で緑の党が結成された日。




約30年前、ドイツで緑の党がまだ草生期の頃、68年世代の政治運動の後、
オルタナティブと呼ばれた生活運動の中の価値転換、別の価値、別の生き方を求めた若いドイツの人達が
自分達の行き着くところも知らぬまま、始めた運動。
かれらが外国のモデルを取り入れることはなかったと思う。


「日本は日本流、独自性よりも先進モデルから学んでいこう。
唐の昔からそれが日本のスタイルだった。」
今日はドイツの緑の党ヘーン議員さんの隣に座りながら、独日の通訳をしながら、そんなことを思う。


閉塞の時代、新しい生き方を求める時。
僕もドイツから出来ることはしたいと思う。

妻の若い頃の真赤なジーンズを思い出す。実にいさぎが良かったと思う。
やはり文化の違いはあれ、日本流であれ、自らの力で内発的な変化が日本に起こるようにと思う。
何はともあれ、今日は自分の昔と今がつながる日だったのだろう。

30年前、自分が一番好きだったドイツの姿。
僕の今の生活にも、家族との生き方にもその気持ちがつながっているのだろう。


2012年7月8日

2012年07月08日 | 脱原発

確かに時代の大きな流れ。
正確にはアメリカの物質的文化を中心としたグローバリズムと深く関係すること。
戦後日本の洋食化のスタートは米国の小麦戦略。もちろん、もう戻る道は無い。
でも、日本に、非欧米圏の私達にとってより大切な将来はは自らの出自、固有性、
文化的継続性との対面にあると思う。

「池田香代子さんのtwitterより:
再生可能エネルギーの利用や小規模分散型発電の仕組みが日本よりうんと進んでいる独も、
脱原発は2022年、あと10年。だったら日本は18年かかるというのは妥当なのか。
よくわからないが少しでも早めさせる。それが私達のエネルギーデモクラシー獲得でもある。
地震の事を思えば事態は切迫してるし…」

福島の大惨事の教訓も責任もなく、民主主義も市民の権利も子供の命も疎かにする日本で、
歴史的な地震活動期の中あと18年も原発を動かすのは本当に狂気の沙汰。
再稼働なし、即時脱原発のみが人の生命と日本の将来を本当に大切に考える理性的な判断。



2012年7月 -「原発再稼働の日に」

2012年07月02日 | 脱原発

北国の夕刻の空、ドイツの7月。鳥達の声が響く。
青く、高く、澄んだ空。
放射能を知らない大空と緑の木々。
日本にも、福島にも、飯館村にもこんな景色や、輝かしい夏の夕方があったのだろう。

私達が生を享け、この一度限りの人生の道を歩んでいく中で、
その生きる糧、望み、物差しや基準としたことは、本当は何だったのだろうか。

僕の祖父と父の世代。
日本の戦前、満州事変、太平洋戦争、終戦、戦後の時代。
空疎な国益、国威、経済原理、既得権がこの国、日本を支配してきた。

それは今も全く変わらない。


私達が断ち切るべきは、日本の社会を支配し、人々の生活や個人を歪めてきた、
その旧態依然の価値観の構造自体だ。



私達が求めるのは、生きる価値のある現在、そしてそこから出発する未来だと思う。

一人ひとりが自らの生命を尊重し、毎日を大切に生きること。
日々の暮らしの中で、自他を大切にし、そのこと自体が人生の幸せであること。


僕は日本の脱原発とは本来、そういうことを目指すものだと思う。




2012年 夏 -「大飯原発関電トンネル前の直接行動」

2012年07月01日 | 脱原発

大飯原発関電トンネル前、夜を徹しての再稼働反対運動。京都の友人や知人の顔が見える。
ドイツにいてもずっと横にいるような気がする。ドイツ人の妻と一緒になってずっと見ている。
なんとか頑張ってほしい。ケガをしないでほしい。皆が自らの身を賭して止めようとしている。
人には譲れない線が有る。

ドイツの「Tagesthemen」。
土曜の夜の全国放送ニュースで大飯原発関電トンネル前の再稼働ストップ、抗議運動のニュースが流れました。
海からの映像で大飯の安全性が全く確保されていないのコメントも。
がんばれ、 日本の未来を担う若者たち!自らの存在を問い直せ!日本のメディア!

以下、当日のドイツ語でのtwieetです。

① protest in japan. entschlossene bürger u willenlose syatemangehörige alternatives japan entsteht für eigene zufunkut

② Protest gegen AKW-Neustart in Oi. Liegende Frauen für atomfreies Japan. Sie kämpfen für eine lebenswerte Zukunft Japan

③ They are here more than 24 hrs, no sleep,no violent, just chanting "don't activate nuke plant

④ Polizeigewalt gegen den AKW - Neustart-Protest in Japan.Nur Internet-Medien berichten darüber! iwakamiyasumi live at
http://www.ustream.tv/channel/iwakamiyasumi#utm_campaign=twilog.org&utm_source=3532343&utm_medium=social


⑤ AKW-Protest in Japan. Nun kommt es zum Einsatz der Polizeigewalt gegen die friedlichen Demonstranten!IWJ_FUKUI1 live
http://www.ustream.tv/channel/iwj-fukui1#utm_campaign=twilog.org&utm_source=8481496&utm_medium=social

⑥ Protest in Japan 14 hourse before the restart of Ohi Nuclear Reactor

⑦ Kampf gegen den AKW-Neustart. Junge Demokratie in Japan. " wir geben nicht auf" Jetzt; //t.co/zOeuMb4eIWJ_OITA1 live at
http://www.ustream.tv/channel/iwj-oita1#utm_campaign=twilog.org&utm_source=8481195&utm_medium=social

⑧ Erbitterter Kampf gegen den AKW-Neustart in Japan.
Wir geben nicht auf!
Junge jap. Protetletler hielten gegen das massive Politeiaufgebot die ganze Nacht durch.

⑨ Falls Du diese Adresse eingegeben hast, schau noch einmal ob Du sie richtig geschrieben hat. Besser noch, kopiere die Adresse und füge sie in Deinen Webbrowser ein.

⑩ Oi-AKW -Neustart in Japan gewaltsam von Polizei u.Staat durchgesetzt. Nacht - und Nebelaktion in Japan Jetzt : ustream/channel/iwj-fukui1

⑪ AKW -Neustart in Japan gewaltsam vom Staat durchgesetzt. Nacht - und Nebelaktion der jPolizeitruppe gegen den Bürgerprotest in Oi /Japan.

 



2012年 夏 -「金曜日 首相官邸前デモ」②

2012年06月29日 | 脱原発

ドイツでも大飯再稼働ストップの声を盛り上げよう!
今日の首相官邸前の10万人プロテスト、ドイツ・グリーンピースでも、
緑の党副代表・ヘーン連邦議員のツイートでも、既に写真付きで取り上げられています。
脱原発、大飯再稼働ストップは世界の声だ。 どこにいてもプロテスト。

以下、当日のドイツ語でのTweetです。

Jetzt Konfrontation der jap.Demonstranten mit bewaffneten Polizeitruppen vor Oi-AKW in Fukui. Gesten Protest von 100.000 Menschen in Tokyo.

Die Protest-Welle gegen den AKW-Neustart in Japan
Heute im Regierungszentrum. Über 100 tausend Menschen unterwegs.
http://www.ustream.tv/channel/iwj8