「長い冬の夜、星空の夜」

2014年01月11日 | 随想

偶然、目にした 長い冬の夜、星空の夜」という
ドイツの無名詩人の訳詩です。

長い冬の夜、星空の夜。
銀河系にひとり、闇は無く、星座達が輝くばかり。

僕の中にある多くの夜空。
昔からの恋人の柔らかい手を握る時、
妻の背中に頬を寄せる時、
静かな雨が激しく降り注ぐ時。

言葉が消えていくような夜。
行き着くところのない風の歌。

(月夜の写真。これも人の心の中に映る夜空の一つだろう)



「ドイツで作る日本のご飯」(3) 夜中の料理 - 明日があるから

2014年01月10日 | 日本の「食」


夜中の一時。家族と夕食を食べ終えた後、 一人でいつものように明日の
昼御飯や夕御飯の下ごしらえをして今、ようやく終わった。

天然真昆布でゆっくりとった昆布出汁に原木干し椎茸の戻し汁を合わせて
精進風のしっかりしたベースストックを作る。普段ならば昆布と鰹の出汁
にするけれども、今年はドイツの人にも美味しく出来るノンオイル、ノー
ミルク、ノーエッグの野菜料理、和風ベジタリアンというのが一つのテーマ。
 





少しマクロビオティックな感じもするけれど、この精進ベースで、今日の
夜は庭で採れた菜の花のようなブロッコリーと大葉春菊を炊くことにする。
その前に暖冬のおかげで温室の隅に枯れ残っていたトウガラシの葉っぱを
摘み取り、もうずっと前に亡くなった浅草のお婆ちゃんが作ってくれた
大好物の葉唐辛子の佃煮風を炊いて、その残りの汁も付け足す。さらに
もうひとつ味のコクを出すのに、日本から持ち帰って冷凍しておいた
とっておきの油揚げを取り出し、細く小さめに切って一緒にする。

 
 




その傍らで、去年の秋に始めて庭の菜園で採れた日本産の小ぶりの
栗カボチャもたっぶりの純米酒と少しの本みりん、大久保さんの薄口
醤油少々で、小鍋にかけておく。ついでに白菜と油揚げの煮浸し風の
和風スープも作り、妻と子供達も昔から好物でいつもよく食べてくれ
たなあとふと思う。
時々、お酒や赤ワインに手をのばしながら、さらに一品、残っていた
おヒョウの切り身を塩麹漬けにするのを止めて、牛蒡と少々の千切り
生姜と一緒にしっかり味の煮付けにする。


 


硬くなった腰を伸ばしつつ台所の片付けをしながら、よしだよしこ
さんの
CD、いつもの「アシオト」をかける。
いい曲だと思う。素敵な人だ。

僕は毎日、仕事と料理を作るばかりの生活。異国の土地で上手くいか
ないことも多く、友達も本当に数少ないが、自分が決めたことが大半
で人生を送れることは有難いことだと、
こんな夜はふと思う。
妻はもうとっくに寝ているだろう。僕も明日は早起きしようと思う。
少しづつのことが、心愉しく毎日の生活に役立ち、自分の個を超える
ようなライフワークにつながれば、これはとても幸せなことだ。



 


翌日のお昼ご飯に家族で食べました。



 



お昼ご飯の時に、思いつきで作った一品。美味しかったです。
白菜と浅利と、庭でとれたシシトウの炒めもの。
(和食とイタリアンのミックスを狙いました。)
 




年末年始でオランダから戻ってきている長男。 
ここのところ、毎日、「パパの作る日本のご飯」を食べられるので
嬉しそう。


「ドイツで作る日本のご飯」(1) - 元旦のこと

2014年01月06日 | 日本の「食」

明けましておめでとうございます。
今年の僕のテーマは「ドイツで作る日本のご飯」というタイトルの小冊子、
初めての「食」の本をドイツ語で書くことです。
まずは家族、3人の子供達の
ために。そして、ドイツの食べることが
好きな人達、毎日の食事や健康を
大切にする人達に
役立つ本になればと思っています。

その準備も兼ねて、今年は、我が家の
「ドイツの和食」を定期的に書き綴ろうと
思います。


健康で良い一年でありますように。グーテン•アペティート!!



お雑煮代わりの年明け蕎麦。

ドイツの大晦日は友達や親戚と集まりワイワイガヤガヤのイベントで、
子供達も外に遊びに行ったりで、年越し蕎麦には気が向かないことから
年明けのお蕎麦になったようです。夜更かしの後の元旦、家族皆で眠気眼で
準備します。




元旦には毎年貴重品のお餅を焼きます。
今年は新しいガスコンロが手に入り、とても旨く焼けたようです。
磯辺だけでなく、きな粉餅も作りました。



 
下の娘は、磯辺巻きよりきな粉の方がお気に入り。
「何から出来てるの?」の質問に「煎った大豆からだよ。」と
答えると、「日本の食事には本当に大豆の役割が大きいね」と
なかなか見事な返事が返ってきました。



焼き餅、きな粉餅の箸休めに、年末から浸けてあった白菜漬けを
切りました。
今年はクリスマスも暖かく、拍子抜けでしたがようやく少し寒く
なってきました。ドイツでも最近は白菜が当り前にあります。元々、
寒冷な土地なので干物や漬物作りには本来適した土地柄なのではと
思っています。実際にサーモンやカレイの干物は市内のアパート
住まいの頃からよくベランダで作っていました。
 


ちらし寿司
。お煮しめやおせち料理を作るのには、
なかなか手が届き
ませんが、お正月には手作りの御馳走をという
気持ちは変わりません

マグロの漬け、サーモンの酢締め、ニシンの塩漬けの酢洗い等、ドイツで
いつも手に入る魚を中心に、ショウガ、紫蘇、海苔、胡麻などを散らした
てこね寿司のようなちらし寿司です。



アンポ柿のデザート。

干し柿を見ると40年以上前、子供の頃の冬のおやつや木登りして
渋柿をかじったことなどを思い出します。日本から持ち帰った
アンポ柿は貴重品。器に盛り付けて皆で分け合いました。



年末から食卓の上に置いてある花瓶 - 門松代わり
?! 

河和田塗りの漆盆の上に日本から持ち帰った柚子の実、稲穂、
クリスマスのもみの木の緑など。知らない内に門松代わりの
風景を見立てていたようです。
 
今年の仕事を進める時にも「食は家庭にあり。」をいつも大切に
したいと思います。
今年も健やかで良い一年になりますように。





「ドイツで作る日本のご飯」(2) 風仕事とヨーロッパでのサカナの扱い

2014年01月05日 | 日本の「食」
今年のドイツは11月以降ずっと暖冬が続いています。
1月になっても10℃前後で、午前中は青空が広がり、気持ちの良い
天気が続いています。 新聞によれば、これも北米に記録的な大寒波
をもたらしている大西洋の大型低気圧の影響とのこと。
世界的な異常気象がますます明らかになってきていると思います。
 


 (久しぶりに近くのサッカー場にランニングに行きました。
まるで秋空のような風景でした。)
 
さて、冬の週末は風仕事。
久しぶりに鮭のカマや腹身、中落ちなどを干物を作りました。
もちろん切り身でも出来ますが、簡単で食べやすい分だけ、
だいぶ割高になります。
一番いいのは鮭一本をまるまる買って解体すること。
刺身、酢締め、冷凍用の切り身、干物用のアラと自由自在に
出来ますが、半日仕事は覚悟しなければなりません。
今日は、行きつけの魚屋さんでただで貰ってきたアラの部分だけ
作りました。
 
 

(庭の温室の真ん中に釣り下げた干物のカゴ)

 
 
(鮭のアラを塩水に浸けこんだところ)
 
まずは海水の倍くらいの濃さ、6%位の塩水に一時間ほど漬けて
おき、その後、流水で表面の塩気を洗い流し、風通りの良いところ
に陰干しをします。

普通は一日から二日で取り入れ、そのまま金網かフライパンで
ノンオイルで焼いて、熱いうちに良い濃口醤油とレモン汁を
滴々と垂らして、ちょうど炊きたての
ご飯と一緒に食べると中々
のご馳走です。
塩水に漬ける時間を短くすれば、小麦粉をはたいて
フライパンでソテーにしたり、
他のソースと合わせたりして
洋風の料理にも使えます。いっぺんにたくさん作れば
余った分は
冷凍もOKです。
 
 
 

ところで、ドイツやヨーロッパの大半の国では、魚のアタマ、カマ、
中骨などの魚のアラ、皮、肝、白子、腹子などは全て捨ててしまいます。
料理に使うのは三枚下ろしにした
切り身の部分のみ、まるでお肉の
フィレのみを食べるような感覚で扱います。可哀想な
勿体無いことです。

昔、京都の日本料理店で修行した若い料理人の子と一緒に、ドイツの
一流
レストランの厨房を訪ねたことがあります。
スーシェフとポワソニエーテを兼ねたベテランの二番手が、冷蔵庫から
取出したのは、大西洋岸、仏ブルュターニュから直送されてきた、
3キロは優に超える見事なヒラメ。さてどうさばくのかと注目すると
僕でさえ驚くような大雑把なさばき方で、カマの部分や中骨には
たっぷりと身が残り、美味しそうな腹子もそれを別に取り分けること
もなく、無惨に二つに切り裂かれてしまいました。
腹側と背側から四枚、大きなフィレのブロックを取り分けると残りの
アタマ、カマ、中骨、腹子などは無造作に全てゴミ箱に放り捨てて
しまいました。連れの料理人の若い子を振り返ると、目に涙がにじんで
いたように見えました。思わず息が詰まるような光景でした。

その後、ドイツだけでなくフランスやイタリアなどヨーロッパの他の国に
旅行や出張で出かける度に、マルクトや魚屋あるいはレストランの厨房の
中など、機会があるごとに魚の扱い方をさらに意識的に観察するように
なりましたが、端的に言えば「魚はまず切り身、フィレ。後はほぼ無用。」
というのがドイツだけでなくヨーロッパの人達の魚の扱い方の基本的意識、
日常のように思います。この点では
一物全体の考えはほぼ見受けられません。
僕の知識、見聞ではヨーロッパには日本のように魚をどの部位でも各々に
ふさわしく調理し、食する知識やそれを尊ぶ伝統があまりないのだと
思います。



(大西洋の立派なカレイの中骨と腹子、上と同じ魚屋さんから分けて
貰ったものです。普段は全て捨ててしまうそうです。この日はこれで、
美味しいスープストックと煮付けが出来ました)


ドイツ人の奥さんと暮らして約30年、欧米の人達のクジラやイルカは
守るべきという考え。細部の意見の違いはあれ、大方は僕もその考えに
賛成してきました。それでもドイツの魚屋さん
、あるいは友人の食卓や
レストランでの魚料理を見ては「これでは成仏できない。申し訳ない。」
と一人ひそかに思っています。




アラや中骨からとったスープストック、鮭の皮のパリパリ焼き、カマの干物や
煮付け、腹子のあっさり炊き、中骨の揚げせんべいなど、僕の家族の食卓では
妻や子供達にも当たり前の風景。僕はそれを有り難いことだと思うし、
ドイツと日本の間で生まれた
子供達にも伝えがいのあることだと思う。
30年経った今、妻も小骨を器用に取り分けながら、鯛のカマの塩焼きや、
カレイの煮付けを美味しそうに食べている。