秋の陽光 - 生きて暮らせる場所。

2010年11月25日 | 京都の一日
日本に着いて約二週間が過ぎた。
広島、柳井、そして瀬戸内の島々への旅を控えて、京都で三日間の
中休み。
昨日は久し振りに左京区、高野川の方に行き、友人や知り合いと
夜遅くまで談笑。僕は京都、特に左京区を暮らしの場とする人達と
出会えて、本当に良かったと思う。毎年、少しずつここに住むように
していきたいと思う。日本を出てから約30年、そのようなことを思う
初めての土地だ。



今日は朝はだいぶ二日酔い気味だったが、御所に散歩に出かける。
昨日の夜のことを思い出しながら、木々の間を歩く。
秋の陽光が降り注ぐ中、緑、橙、黄、紅に光の舞い。



こうして生命のあることを全身で感じながら、秋の一日を送れる
ことに静かな歓びと深い感謝の念を抱く。



北の街・札幌。長男を訪ねての旅。

2010年11月14日 | 日本の「旅」
11月8日にドイツを出発。日本に約4週間の一時帰国。

翌日の9日、成田、羽田経由で雨模様の札幌に到着。約20時間の旅。
疲れた。でも、もうすぐ二ヶ月振りに、息子の顔が見れる。
ホテルまでもうひと踏ん張りだ。

ホテル着。札幌のフードライター、小西さんと初めて会い、
いろいろと話す。北海道の食の現場に非常に詳しい。
しっかりした方だ。そのあと小一時間もすると、息子がロビーに
やって来た。長男の浩太は9月中旬からドイツでの兵役の代わりに、
日本で民間の代替業務をしている。
互いに照れくささを隠して、珍しくツーショット。
そのあと早速、札幌の街を歩き一緒に飲んだ。

再会を祝って、まずは乾杯!
ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー。
僕は一人でアネット・リンや笠谷、青地の壮挙を思い出す。
約40年前のこと。息子が生まれる20年以上前のこと。

浩太が働く八剣山の自然農場は札幌の奥座敷、定山渓の近く。

自然の豊かなところである。日独夫婦のホストファミリーの方々に
出会えたことも有り難いことだ。



浩太は大分しっかりしてきた。まだ子供のような部分をたくさん残し
ながらも、青年への道を確かに歩き始めた。

9日の夜から三日間一緒に過ごしたが、自分のことをいろいろと
話し、僕にも久し振りに息子の感じていることや、考えていることが
伝わってきた。将来の生活や活動については、まだはっきりした希望
や目標はなさそうだが、今、毎日を前向きに過ごし、自分に対しての
肯定感を持っている。
とても良いことだ。大切なことだ。

札幌から千歳空港に向う列車の中、東の方に朝焼けが見える。
写真を見ながらこの三日間のことを振り返る。
来年の4月、また北海道に来ようと思う。
4月5日、19歳の誕生日を一緒に祝ってやりたいと思う。



ママラインの誕生日

2010年11月13日 | 家族
11月5日はうちの奥さんエファ、みんなのママラインの誕生日。

何としても書き留めておかないと!
まずは朝の風景。誕生日がやってくる。
おめでとう!


夜8時、何とか仕事を終える。
誕生日のテーブル。妻が自分で用意した。
日本出張前のギリギリ、申し訳ない。でも間に合って良かった。
さあスタート。


大事なお祝いの時はいつもアドレアーノ。
今日も張り切って来てくれた。友、遠方より来る。嬉しいな。
誕生日メニューは、予想外のピザでスタート。



ママラインの誕生日、宴もそろそろたけなわ。食欲も本調子。
どんと来い!
アドレアーノお得意のパスタ登場。 今日は魚やエビ、貝の
「漁火スパゲティー」 お代りもあるよ!
グーテン・アペティート!ボン・アペティート!!



すっかり忘れてた。パスタの前に、ポルキーニのソテーがあった。
僕の役目は、アドレアーノのキッチンヘルパー。
あれあれ少し、酔っ払ってきたぞ。
「シンギング・イン・ザ・レイン」のノリで テーブルサーブ。




ママラインのママ。僕の二人目のお母さん。
ムッターも今日は本当に楽しそう。
いつも本当にどうも有難う。

宴もまさにたけなわ。
愈々、バースデイケーキの登場。アドレアーノ手作りの
イタリアン・リキュール・チョコレートケーキ。
世界一のママライン&最愛の・・・・・ 本当におめでとう。


『ケルン大聖堂』- 彼岸と此岸

2010年11月11日 | ドイツの暮らし

 

先日、久し振りにケルン市に行ってきた。中世からの歴史的な街。
天に向かって聳え立つ、そのゴシック様式の大聖堂はドイツのみ
ならずヨーロッパ教会建築史の大きな一頁を飾るものだ。
中世から近代史への何百年の時間と、何十万人、何百万人の
生き死にを超えて築き上げられた、ヨーロッパ屈指の大聖堂。
それは西欧世界の宗教心、キリスト教信仰、そして何世紀にも及ぶ
絶対的な教会権力の巨大なモニュメントであろう。今も見る者を
圧倒する。

しかし、19、20世紀を経て、更に世俗化の進んだ今日、異教徒の
僕には過去の亡霊が突如として立ち上がってきたような奇妙な
違和感がある。

むしろ今日のケルン大聖堂は、ロマンチック街道やノイシュバン
シュタイン城と並び立つドイツ観光の一大ハイライトだ。
毎日、世界中から何千人、何万人もの観光客が押し寄せて来る。
プロのスリ達もやって来る。それぞれに教会の尖塔を見上げたり、
他人の懐具合を推し量ったりしている。東京は浅草、雷門近くが
出身の僕はそんな時ついつい、子供の頃の仲見世や観音様の
境内の人混み、賑わいを想い出してしまう。うっかりしていると
とんでもない目にあう。ケルンでもジプシーの子供達に取り囲まれて、
一瞬の内に財布を捲き上げられた観光客を何度か目にした。

目に見える搾取と目に見えない搾取。神の御加護は平等である。
あまり憎む気にもなれない。聖書にも書いてあったように思う。
「貧しき者に幸有れ。」

閑話休題。大聖堂を除いてはケルンの街自体は第二次世界大戦の
際に連合軍の徹底的な爆撃、大空襲に遭い、ローマ時代からの遺跡、
中世からの整った町並み、何百年と人々の暮らしを支えてきたマルクト
や路地など一切合財が破壊された。

戦前から戦後へのケルンの変容は確かに凄まじいらしい。
しかし、今の若い人達や戦後の移民者、あるいは大聖堂を目指して
やってくる観光客の目に、それが目に留まることはまずないのだろう。
そこらへんの事情は、戦後ドイツのリベラルな良心を代表した
一人、ケルン出身のノーベル賞作家、ハインリッヒ・ベルの随想
「Eine deutsche Erinnerung/(或るドイツの回想)」に戦後ドイツ
社会への批判や皮肉も交えながら、詳しく書かれている。

晩年のベルは病気に侵されながらも、戦後世代の平和・反核運動、
そして、当時、芽を出し始めたオールタナティブの運動を積極的に
支えた人である。このオールタナティブの草の根運動が基盤となり、
そこから今のドイツのオーガニックが芽生え、発展し始めたのである。
それは70年代後半からのことだと思う。

永遠の時間と個別の生。 宗教倫理と生の感覚的享受。キリスト教と
市民精神。秩序と個人の自由。それらがいつも対立項であった訳
ではないが、常にその緊張関係の中で生きながら、時代に深く関わった、
骨太の表現者、文学者。それがハインリッヒ・ベルだったのだと思う。
僕がドイツ文学を専攻したのは、もう25年以上昔のことだが、
何故、彼に惹かれたのが今では少し分かるような気がする






想い出せば、若い頃の僕の学生生活の中にはもう一人のハインリッヒ
がいる。約30年前、右も左も分からずにドイツ文学を勉強し、その後、
家庭を設けて仕事をするようになった街。デュッセルドルフ。
ここでユダヤ系の商家に生まれ、ロマン派の夢想と熱情を持ちながらも
ドイツの旧体制を舌鋒鋭く批判し、半生をパリの亡命生活に送った
ドイツ文学史の異端児、ハインリッヒ・ハイネだ。





二人のハインリッヒ。ケルンとデュッセルドルフ。隣り合った
二つの都市の文学者。時代を、世紀を超えて共通する自由な文学の
精神がこの二人にはある。

心の中に彼岸がありつつ、此岸をこよなく愛した二人。文学の中で、
人間性を擁護することが、「真・善・美」や浪漫主義に行き着くことでは
なかった二人。多くのドイツ文学者とは異なり、ベルとハイネは、文学の
批判精神が紙の上だけではないことを身をもって示したと思う。

仕事と日常に埋もれ、ドイツの文学から離れて久しい。自分にも
もう亡くなった友達がいる。僕は、彼岸と此岸の両方を見つめながら、
残りの時間を大切に使いたい。

「鮨・寿司・Sushi」

2010年11月05日 | 日本の「食」
5~10年位前からだろうか。ドイツでも「Sushi」が大ブーム。
料理番組や女性雑誌に顔を出すのは当たり前。空港や駅のファースト
フードでも人気者。スーパーでもパックになって売られている。
ドイツの都会人の暮らしの中にすっかり定着したようだ。





今、「Sushi」は本家日本の鮨や寿司から分家して、世界各国で
独り立ちしている。暖簾分けなど堅苦しいことは一切無し。

その「Sushi」がとうとう我が家にもやってきた。
学校から戻ってくるなり、娘の美弥が開口一番、
「パパ、みんなで、友達三人とSushiを作るから、何が要るのか
教えて!」
可愛い子には旅をさせろ。長い講釈は抜き。ドイツ語の「Sushi」
プックを二冊、巻きすを三つ手渡した。最後に一言。
「お酢と塩は、純米酢と海の塩。キッコーマンはやめとけよ。」
「寿司には醤油。井上さんか、大久保さんの再仕込み、パパが
出しとくからな。」
長い一言。しかし、日本の「食」を愛し、Mr. Shoyuをライフ
ワークとする父親としては、一歩も引けないところであった。





夜遅く仕事から戻ると、大きなタッパーが二つ。いろいろな形で
いろいろな太さに切った巻き寿司が、縦や横に沢山入っていた。
キッチンの薄明かりの中に浮かび上がるその姿。
それは「Sushi & freedom」だった。

食べてみると意外に美味しい。
形の良さそうなのを選んで器に盛り直す。
明日、娘達と記念写真を撮ろう。




緑のドン・キホーテ

2010年11月03日 | 脱原発

3~5年位前から僕の住む村の周囲でも、風力発電の風車があちこち
に作られるようになった。
左右を眺め回せば、大きなプロペラの構造物が8基位、目に入ってくる
こともある。景観上、美しい物とはまだ言い難いだろう。

下の写真は、10月初旬、近所の友達夫婦四組で自転車の遠乗りに
出かけた時のものである。








瀬戸内海。山口県上関原発、田浦埋め立て工事強行のことを聞いたのは、
この後、約二週間後のことである。

21世紀、緑のドン・キホーテが戦いを挑んでいるのは風車ではない。
戦うべきは、旧態依然の経済効率最優先の考え方、そしてそれが産み
出してきた技術やシステムだろう。その先端にあるのが、21世紀の
エネルギー問題の解決を、原子力発電に求める姿である。

日本では緑のドン・キホーテは多勢に無勢。この環境を変えて行くのは
まさに個人の一人一人だろう。ドイツにいても僕もその一人。

ドン・キホーテは諦めない。荒唐無稽の妄想に見えても、夢と希望を
胸に抱いている。21世紀の邪悪な巨人は風車ではない。それは他にいる。
見間違えないようにしよう。


晩秋の一日。桜の葉が散ってゆく。

2010年11月01日 | ドイツの暮らし
11月になった。
秋の色が深まり、桜の木もあと数日で葉を落とす。
もうすぐ、立ち枯れの冬がやってくる。




夕方の微かな光を受けて、落ち葉がそっと息をするよう。




秋空を映して、紅葉と桜が静かに寄り添う。
水に浮かんで、ひっそりと風の流れを伝える。




秋空に浮かぶ、最後の葉一枚。




忍び寄る夜の中で。




冬がやってくる。
明日の朝は氷が張るかもしれない。