「一つの絵の中の二人」

2018年03月21日 | 友人

あれからもう何年が過ぎたのだろう。
僕の人生で本当に近しかった二人の人達。
もうその一人には何も伝えられない、伝わらない。

彼が敬愛したパウル・クレーを暗示するようにして、実は、
その彼の人生の内面で果たされることのなかった想いや心の破片、
幾何学模様の中に映し出された心の明暗。

彼のその人生の相似形をこの絵の中になぞらざるを得なかった、
もう一人の作り手が自らを探し出し、その過程を表現していく。

この絵の一つ一つの形と色彩には、それゆえ何の偶然もない。
心の軌跡が長い時間を経て、今も作者の心の奥底で波打つことを
止まず、必然的な形象となり、観者にとっては哀しさと懐かしさの
形象となる。

崩れて落ち行くような、その一つ一つの幾何学模様は、
作り手の精神の緊張と観る者の心の動揺の間で、かろうじて
つなぎとめられているようだ。

 

 


ヤコブ君、初めての和食の練習

2018年03月09日 | 友人

長男の幼馴染み、20年前はあんなに小さくて可愛いかった
ヤコブ君が今日はうちに来て、初めての和食の練習でした。
今はすっかり大きくなって、ご両親の職業を継いで、
フランチャイズのスーパーマーケットの一国一城の主です。

あと、三週間もすれば、長男の浩太 と一緒に日本の春、桜満開の
京都で賀茂川あたりを歩いているかもしれません。

今日の晩、僕は彼に日本の昔からの料理を作りながら、彼の旅の
はなむけに二言、三言。
「いただきます」と「ごちそうさま」
そして「有難う、美味しかったです」
は日本での暮らしの大切な言葉だよ。
「あと、今日は器の持ち方、箸の上げ下げ、
使い方もしっかり練習しておこうね。」

それが日本であれドイツであれ、これからの若い人達に
自分たちが教わったり、経験してきた良いことは、なるべく
伝えていきたいと思う。

いつのまにか、僕もうちの奥さんももう60歳、
それでもこの先10年か20年はあるのだろう。

毎日の生活の中で、愉しいこと、大切なこと。
そういうことを、伝えていきたいと思う。