「皆でご飯を作ろう」— これからの、若い世代のライフ・バランス

2017年06月29日 | ドイツの暮らし

「今日の夕飯はみんなで作るよ!ご馳走するよ。」



 

次男の健と、幼稚園の時からの無二の親友ダービット。三年前、二人
が高校を卒業した時、三人で日本に行ったことを思い出す。
ダービットはそれ以来、和食が大好きになり、今、勉強しているハン
ガリーでも一人でご飯を炊いて親子丼を作ったりしている。

二人とも食べるのが好きで、日本のご飯が大好きで、小さい時から家族
と皆んなでご飯を作ってきた。



 

「しっかりした体で、家事も料理も当たり前に出来ること。胸や腕の筋肉
をつけるのと同じ位、大事なことだよ。」などと年寄り、酒飲み、旧世代
の僕が言うまでもなく、二人ともこの頃は包丁も実に自然に使え、料理の
基礎が出来るようになった。





 

僕は親バカなので、内心、それがとても嬉しい。だから、なるべく美味しい
ものを作ろうと、今日は僕も頑張った。 


ベルギーのティアンジェからドイツのアーヘンまで - 市民がハッキリと声を上げること。

2017年06月25日 | 脱原発

ドイツ、オランダ、ベルギー三ヶ国の国境近くに立つ、老朽原発
ティアンジェ。今までも多くの事故を起こし、圧力容器にも無数
のヒビ割れが入り、ヨーロッパで一番危険な原発の一つです。

 



その即時停止を求めて、今日の日曜日は、上記3ヶ国の市民が合同
で行う巨大なデモがあります。
その目玉は、全長90キロメートルのヒューマンチェーン。

 

ティアンジェの原発現場からベルギー、オランダの街々を結んで、
ドイツの国境の街アーヘンまで、約10万人の人々が手と手をつなぎ、
原子力反対、老朽原発の即時停止を求めます。
僕達(僕とうちの奥さん、ゲストハウス滞在中の日本の若い娘さん
二人)も、4人でデュッセルドルフから参加。
今、出発を待っているところ、現地まで約2時間の遠足です。

 



日曜日午後3時。
ベルギーのティアンジェ原発現地から、ドイツのアーヘンまで、原子
力反対の全長90キロメートルのヒューマンチェーンが結ばれました。




社会の明らかな歪みに対して、市民がハッキリと声を上げること。
毎日の暮らしの中で忘れてはならないこと。




















「魔女の一撃」は、妖精の密かな囁き?

2017年06月22日 | ドイツの暮らし




ルターの聖書で知られた、旧東独のアイゼナッハという昔からの
古い街に向かう西ドイツからの特急、夜10時、北国の夏の夕暮れは、
水彩画のような青い闇がいつまでも続く世界です。

シャーロック・ホームズの小説の中のような、少し時代がかった食堂
車にたった一人。
木のテーブルの上には辛口の白ワインの小さなボトルが一本。





そしてヨーロッパの雑穀を上手くアレンジしたお豆のサラダには、緑色
の若いオリーブを刻み込んだボッカチアのサイドディッシュ。一人だけ
の贅沢な夕食です。





 

自分の心のおもむくまま、自分の行く末を考えたり、自らの雑念のおも
むくままに、僕の他愛ない考えも、いつもの毎日の日常から離れていく
不思議な時間です。

さて、今日の本題。
ドイツ語には「魔女の一撃」(Hexenschuss)と言う、昔からの、庶民に
も誰にも馴染み深い一つの言葉、一つの表現が有ります。

居ても立っても居られない。
腰を一ミリでも曲げられないような痛み。そうして過ごした最初の週末。
その後の10日間、
筋肉注射をしても、温湿布をしても、痛み止めを飲んでも、ベットに寝転
んでも、起き上がること自体が一大事になるような毎日。それでも毎日、
仕事をしたり、無理して泊りがけの出張に行ったり。あまり楽しくない、
憂鬱な気持の日々でした
そうしてようやく数日前から、ほぼ滞りなく日常生活が送れるようになり
ました。

昨日、今日はまたゆっくりと走り始め、村の屋外プールでも300メートル、
800メートルとまた泳げるようになりました。
自分の体が自由に動くこと、走ったり、泳いだり、しっかり汗をかけること、
それがどんなに素敵なことか、自分にとって大切なことか。
今日、久し振りに水の中で年老いた魚のように体を動かし、プールサイドで
四肢を伸ばし、初夏の燦々たる太陽の光を浴びて、今回はつくづく思い知り
ました。

「僕は生涯の仕事とか、人生の意味とかそんなことを、ずっと昔から、若い
時から日本で二十歳になる前から、何十年もずっとずっと考えて、今だにそ
れに悩まされているけれど、一体それは何の意味があるのだろう?」



 

今回の魔女の一撃は、「貴方の一回限りの人生、もう、いろいろな幻想や子
供の時からの固定観念、社会化の縛りの中から離れたらどうなの?」という、
僕の心の中に近づいては離れていく、知れど知らざる、僕の人生の導き手、
忘れてはならない、小さな妖精の密かな囁きだったのかもしれません。 


 


初夏の空を見上げれば、人生の重さも、暮らしの足許も見えてくる。

2017年06月09日 | 毎日の食卓

鳥達の声が聴こえる、初夏の晩。
夜9時。空は高く、透き通るような蒼空。
なんと多くの鳥達が、互いに声を交しあっているのだろう。



 

今日も一日が過ぎて行く。

僕も朝から日本とドイツの間で、言葉の仕事をして、人生の意味
よりは、経営者の勝手な人生哲学やまやかしの自己実現や、企業
の成長イデオロギーの絶対化などがないまぜになった、よくある
日本の会社理念のドイツ語への翻訳見積を作成する。
その間に、個人の遺産相続に関わる文書の認証翻訳や何千億円の
企業買収に関わる通訳の問い合わせを一つ一つ処理していく。

僕の心は此処にはない。そこにあるのは、何十年の仕事の経験と
数字の計算だけだろう。

夕方からようやく料理に取りかかり、畑に野菜を取りに行ったり、
洗ったり、刻んだり、いつも一緒に料理をする人が話す、中国の
義理の両親との苦労話や、日本の美味しい魚や豆腐の話をしたり、
ドイツで出来る和食や、お金を貰って、人生で一度か二度しか顔を
合わせない人達に料理コースをするより、小さい娘さんや大好きな
小さなアキちゃんに、美味しい昆布の出汁でご飯を作って、素敵な
笑顔を見ている方が本当に楽しいね〜、などと
色々な話をする。

沖縄の民謡をかけながら、一人でワインを飲みながら庭で大きな
蒼空を見上げる。
僕も少し歳をとった。人生の4分の3、あるいはもうそれ以上が終わ
ったのかもしれない。

人生の何が大切なのか、嬉しいことなのか、生きていること、生き
ていくことの愉しさが何なのか、ほんの少し分かるようになってき
たのだろうか?




 

夜、床に入っても、夜中に目が覚めても、
自分の人生が、この頃は、そんなには重たくなくなってきたように思う。

そして、この数日、まさに居ても立っていられなかった突然のギックリ腰。
今日の晩はようやく痛みが和らいできた。

生きていくことの有り難さが、少しずつ、すこしでも大切に出来ますように。 


ドイツに戻って一週間 — 初夏の我が家のご飯

2017年06月04日 | 毎日の食卓

さて、今日の夕飯。





 

ブロッコリー、カリフラワー、グリーンピース、ホワイト&グリーン
アスパラガス、和風、洋風、その中間、手を変え、品変えで色々な
お皿で、沢山、沢山食べました。






 

エリンギ、ブラウンシャンピニオン、セロリにアスパラガスとお豆
さんの炊き込みご飯、トマト、ワカメ、切り干し大根、キュウリの酢
の物も美味しかったなぁ。



 

自分たちで摘んだ苺のジャムを、小さな、小さな、お茶目な、料理好
きな7歳の子と一緒に作って、オーガニックのプレーンヨーグルトにた
っぷりかけてデザートにしました。



 

昨日、突然なったギックリ腰で、僕は77歳のお爺ちゃんのような動作
で一日を過ごしましたが、とても良い一日でした。












 


イチゴの大好きな、小さなお茶目な、大きな目をした7歳の女の子 —「今」を生きれるのが、子供達の命

2017年06月04日 | 毎日の食卓




何処の国であろうと、子供達が伸び伸びと、素直に、明るく、毎日を
過ごせますように!

大人が忘れがちだったり、すっかりわすれてしまった「今」を生きれ
るのが、子供達の生命。


 
 

それを大切にするのが、両親の役目だし、そういう社会を作ろうとす
るのが、大人達の本来の役目だろう。

ドイツに住む若い日本人夫婦の小さな娘さん、大きな目を輝かし、笑
顔が絶えない小学校一年生。


 


「日本に戻るか、ドイツに残るか」
僕はその相談を受けて、今日は皆んなで農園めぐりをし、その後、目の
届く限り広がる苺畑にイチゴ狩りに行きました。

小さな娘さんが、毎日を、人生を楽しいなぁと思って生きれることが何
よりも大切ですよと答えました。