ドイツの自宅で、和食の料理コース

2017年02月26日 | ドイツ・ヨーロッパの「食」

ドイツに戻ってすぐ翌日から、自宅のキッチンスタジオで二日連続の
和食の料理コースでした。

こんな感じでスタートします。

今回はドイツのヴィーガンの人達向けの、コースです。
「野菜たっぷり、具沢山のお味噌汁」が一つのテーマです。
ベースは水出しの昆布水、或いはドイツで手に入る根菜たっぷりで
水だけでも美味しく出来る、しっかり味のお味噌汁などです。

もっと詳しく書こうと思ったのですが、片付けが終わってワインの
グラスに手を伸ばすと、もう夜中の12時近く、もう何度も寝落ちして
しまい、膝の上にワインをこぼしてしまいました。
また、明日、続きを書こうと思います。

(キッチンの下の和室。コース参加者との顔合わせ風景です。)


「白ワインはいかがですか? - あなたも私も大切な一人」

2017年02月23日 | ドイツの暮らし

ドイツ・ミュンヘンへ、飛行機の中のドイツ語会話。

 

「何をお飲みになられますか?」

「では、白ワインを一つ。」

「お水は如何ですか?」

「あっ、それもぜひお願いします。」

「炭酸なし、炭酸あり、どちらで?」

「炭酸ありで。もちろんドイツスタイルで」

「おっ、なかなか上手いですね!」

「いえいえ、ドイツにもう30年あまり住んでますから、、、。
でも、確かにそうですね、
スチュアートさんの人生よりも、僕のほうが長く
ドイツ語を話しているかもしれませんね。」

明らかに40過ぎのスチュアートさん、

「上手いこと言うね。よし、シャンパン一杯!」

「いえいえ、僕はしがないエコノミーですから。」

「確かに! ところで、ご家族は日本で?」

「日本じゃなくて、僕の家族はドイツなんですよ。」

「では、お仕事で?」

「そうそう、今回は仕事一本槍でした。」

「十分成果は出ましたか、、エアフォルクライヒ? 成功でしたか?」

「もちろん!でも、相手方はまた別の考えかもしれませんよ」

「確かに! 人生、分かりませんね。」

「確かに! では、白ワインをもう一杯。」

 


久しぶりのドイツ映画 -「あなたへのSMS 」

2017年02月23日 | 言葉&読書

ドイツへ向かう飛行機の中、久しぶりにドイツ映画を見る。

そのタイトルは、「あなたへのSMS 」

ドイツの今をつたえる若き才能、
天性の女優カロリーネ・ヘルフルト(Karoline Herfurt)、目の動き
一つで、女性の心の動きを、その豊かな表情を、ひとの心の浮き沈み
を伝えてくる。その彼女が映画監督としてデビューし、自ら主役も
務めた、初めての作品ではないかと思う。

物語の中心は、目の前で起きた突然の自動車事故で最愛の婚約者を
失った絵本作家のクララ。それから2年経ちなお、亡き恋人への想い
を受け手のないSMS に書き続ける。
偶然のきっかけで、その愛惜に満ちた一つ一つの言葉を受け取るように
なった地方紙の新聞記者マルク。二人の愛が始まる。

まさに現代のベルリンを舞台とした都市生活者のアイロニーとコメディ。
真摯な軽妙さで描かれた男と女の恋愛劇。実によく出来ている。
少し涙が出た。

男女の性差が、その生き方の可能性がが社会の上下構造の縛りから
離れ出し、個人の対等が生活感覚の基本となり始めた今のドイツ。
日本のそれとは大きくかけ離れている。そう言う社会条件がなければ
有り得ない、男女の心の機微、愛情の在り方がよく描かれていたと思う。
一方で、日本のドラマや映画の紋切り型の男女のロールプレイ、
幼稚な愛情劇との明らかなコントラストを思わざる、感じざるを得ない。
字は人を表すと言うが、映画の質も、社会の因習やそれへの囚われを
端的に浮かび上がらせるのだろう。


京都からドイツへ - 朝の錦市場で

2017年02月23日 | 日本とドイツの手仕事

朝の錦で、ドイツへのお土産の京都の野菜を袋一杯買い込み、
一路、東京羽田空港へ。

京都、吉田の家改修チームのみなさん、今回も本当にお世話になりました。
去年の夏、猛暑の中で始まった工事、4月の桜の頃までには仕上がるだろうか。
今後とも是非よろしくお願いします。 

今回はたった4日の弾丸旅行。会えなかった京都の友人、知人の方々。
桜の頃にはまた会えることを楽しみにドイツに帰ります。

ではまた、アウフヴィーダーゼーエン


「Biofach・ビオファ」- ドイツ・ヨーロッパの美味しいお土産

2017年02月18日 | ドイツ・ヨーロッパの「食」

今年初めての日本。関空から京都への移動中。今日から約一週間の滞在です。
今回はドイツ・ニュルンベルクの国際オーガニックフェアでの仕事から、
そのまま直行したので、トランクに美味しいお土産を詰め込んで来ました。

ちょっと書き出してみます。

まずはイタリアから。
南チロルの昔からのサラミ2種類
ピエモンテ州のパルメザンチーズ、
南イタリア・プーリア州の辛口のワイン、白がシャルドネ、
赤がプリミティーボ。ドイツからは、
南西ドイツの小さなワイナリーが作った、赤と白のブドウゼリー。
自然なフルーティな味が素晴らしいジャムやマーマレード。
プラムやベリーのミックスが特に美味しい。
レンズ豆&ジンジャー、カシューナッツ&赤パプリカ、
赤ビーツ等のビーガンのペースト。
スイスからは大人用と子供用のチョコレートココア。

毎年2月にニュルンベルクで開かれるこの「ビオファ」(Biofach)は
世界最大規模のオーガニックフェアだと思います。
各々100m×100m位のスペースで、1号館から8号館まで、ヨーロッパや
世界の各地域から何千の出展者が集まり、オーガニックの食材で埋め尽く
されます。

オーガニックや世界各地の自然な食材に興味がある人なら、ヨーロッパ
一周旅行に行くよりもずっとずっと楽しいですし、各国の食文化の
多彩さやその広がり、そして伝統的な自然な美味しさに感動、
圧倒されるのではないかと思います。

下の写真は知り合いのドイツのワイナリーの
クンツェさんです。確か40ヘクタールの葡萄畑で、年間16万本ほどの
生産量だったと思います。もう、4代、5代、あるいはそれ以上続いている
ワイナリーですが、このシュテファンさんの代からオーガニックに切り替え、
もう30年くらいになっています。二人の息子さんも大きくなり、ドイツの
名門のワイン醸造大学で勉強中、お父さんの若い時と同じように、その後、
フランスやニュージーランドなどで武者修行をした後は、跡を継ぐことが
決まってるそうです。とても嬉しそうでした。

 

一方、僕と肩を組んでいるのは今回知り合った南イタリアのワイナリーの
大将です。赤のブリミティーボがうーんと唸るばかりの感動的な味でした。
写真の僕はもう10本以上も南イタリアの地ワインを試飲した後のことで、
すっかり機嫌よく、昼間から楽しく酒飲み気分です。

なお、ニュルンベルクは第二次世界大戦時までは中世の姿がそのまま
残ったとても美しい街だったそうですが、 終戦直前に非人道的とも
言える徹底的な爆撃を受けた都市です。戦後の歴史的景観の復興に
励みましたがかつての姿は、その面影を偲ぶのみです。
他方、ニュルンベルクの周囲の丘陵地帯、フランケン地方には
500年、600年を経た中世の村や街がそのまま残っているような
ところも少なくありません。 
僕が毎年泊まる、ラオウ・アン ・デア・ペグニッツもそんな
街の一つです。

 


「ドイツの新幹線ICEの中で - 誰もいない空間」

2017年02月14日 | 随想

南独に向かうドイツの新幹線ICE の食堂車の中。
昔から仕事が忙しくなると、この移動の合間時間に食堂車でボンヤリとし、
ようやく自分を取り戻すようなことがある。

四人掛けのテーブルに一人で座り、目を上げれば紙の上の料理以外には
何もない、誰もいない空間。
明日からニュルンベルクのオーガニックフェアで二日間の仕事、
そのまま家にも帰らず、日本への短期出張。何で僕はまたこういうことを
するのだろう?

「あぁ、今日のお昼にはまだ家にいたのに、子供達と食卓に
ついていたのに…。」

50年以上も前に亡き母が着ていた、センスに富んだ、
品の良い黄色と黒のストライプのセーター、僕が持っている数少ない
形見の一つを、娘がいつからか着るようになった。
その姿を数年前に初めて見たときは、僕は心の中で号泣して
しまったように思う。
今回は自分が勉強しているウイーンの街に持ち帰るという。
「あぁ、それが良いね」と言いつつ、普段の生活の中で、大切に、
大切に着てほしいと思う。娘もそんな気持ちが分かったようだ。
「パパが作るタラコスパゲッティ、本当に美味しいね。昔の通りだね。」

僕はまた、心の中で二粒、三粒、また涙を流してしまった。
人は歳をとると涙もろくなると言う。
34歳の亡き母はそのずっとずっと前に逝ってしまった。彼女の涙の
いきさつも行方も、その哀しみも遠い昔、僕はかって知ることもなく、
今では何もたどり得ないこと。

東京、九段坂下の病院の廊下。
暗闇以外には何もない、誰もいない空間。
その果てに響いて止むことのなかった母の叫び声。癌の末期の痛みに
耐え切れなかったのか、誤った結婚への悲痛、人生への悔悟の慟哭
だったのか、ぼくはもはや其れを知ることはない。
それでも僕の耳は一生其れを忘れない。


「二人の出逢いから、30年後の朗読会に思うこと」

2017年02月09日 | 言葉&読書

長年営んできた小さな出版社を閉じ、南ドイツの田舎の街に引っ込んだ
初老の男。今の時代には帽子が似合う顔がもう居ないと手作りの帽子屋を
止めた読書好きな、清楚な50代の女性。

決して運命的な邂合には思えなかった。
それでも出逢ったその夜に、ガレージに入ったままだった昔のスポーツカー
に二人で乗り込み、一時間のつもりのドライブはやがてスイスへの国境を
超え、明け方の北イタリアの海辺を目指し、そして、そのまま車の中で
夜を明かすこと二日間、互いの人生の断片を途切れ途切れに伝えつつ、
南イタリア、シチリアの誰も知らない村、路地奥のホテルにたどり着く。

そこには、ジプシーのような小さな女の子が、二人の運命の糸を握るか
のように待ち受けていた……。

多分、そんなような話なのだろう。

年に何回か、読書好きなウチの奥さんに引っ張られて、ドイツや
オーストリアの現代作家の朗読会にこうやって二人して顔を出す。
外国人の、その上生まれつき音痴の僕はまず半分も聴き取れない。
それが純文学や詩作の会となると尚更だ。全ては想像の世界、
薄闇の世界、意味のつながりを失った音声が僕の耳の横を通り過ぎていく。

今日の話も本当に上記のようなストーリーだったのだろうか?。
僕が聞き取れた一つ一つの言葉、センテンスの間に知らず知らず寝落ちし、
自らの夢の中の幻想とないまぜになった話ではないのか?

そう思って、ウチの奥さんに小さく声をかけるといかにも楽しそうに、
白ワインを片手に無邪気な笑顔をこちらに向けてきた。

もう三十年を越えた二人の会話、僕の日頃の理解も実際はどの程度
出来ているのだろう?

そうそう、思い出した。
僕達が知り合ったのは1980年代の半ば。僕がまだ、遠い日本から
来たドイツ文学専攻の若い留学生の頃だった。セミも鳴かない北国の
初夏の午後のキャンパス。

「読書とは何か?」
僕はドイツの人にとっては自国の国文学、僕にとってはドイツ文学の
セミナーに外国人一人で参加していた。

「読書とは何か?」と問われても、当時の僕は、せいぜいドイツ語の
小学生。当番の学生のレポート発表も、その後の教授のコメントも
理解半分。様々な意見が飛び交うディスカッションの頃には、全ては
ちんぷんかんぷん。
興味も集中力も尽き果てて、窓の外の景色に目をやり始めた時に
飛び込んで来たのが、ウチの奥さんの若き姿だった。

振り返れば、ドイツに来て35年、二人の出逢いから30年余り。
ウチの奥さんが、今でもこうして、ドイツ語の文学朗読会に僕を
引っ張っていくのは、もしかすると、
「初心忘るべからず」、「決して運命的な邂合ではなかったのよ」
の暗喩なのかもしれない。


「2017年2月 - オーマの90歳を祝って」

2017年02月07日 | ドイツの暮らし

昨日の日曜日は僕のドイツの義理の母、子供達三人の世界一の
オーマ、ウチの奥さんのお母さんの90歳のお祝いでした。

1927年生まれ、ドイツの戦前戦後史を自ら生きてきた義理の母の
一生を、外国人の僕が実感を持って語ることはとても出来ないこと。

それでも長男と次男が、ドイツの母の昔のアルバムを整理・編集
して作ったデジタルスライドから、数枚の写真をここに記録、
掲載しておこうと思いました。

ワイマール時代、一歳児の頃の家族写真、戦後の独身の若い頃、
早世したハンガリー系ドイツ人の伴侶との想い出の写真、そして、
今、90歳のお祝いの日の笑顔。

夜間看護婦をしながら、うちの奥さんを女手一つで育て、人に
語らぬ苦労も、言葉に出来ない辛酸の想いもいろいろあったと思う。
それでも人生90年を常に優しい笑顔を絶やさずに生きてきた人の
姿がここにある。
僕はそのことを僕の家族の小さな大切な記録として、ここに
記しておこうと思う。
そして、僕の生まれながらの言葉、日本語で僕の日本の友人や
知人に、このドイツの母のことを少し伝えておきたいと思う。

自分の娘を常に信頼し決して叱らず、その自由な若い人生を
認め、僕達の同居生活にも結婚生活にも一度も口出しをせず、
必要な支援だけはして、孫達には包み込むような愛情で
常に朗らかに接し、求めるところは少なく、与えるもの多く、
80歳の時の最初で最後の日本旅行を僕達家族と満喫し、88歳
まで独立独歩の人生を歩んだ人。
柔和な性格の中で、妻とともに1980年代から自分の一票は
常に緑の党に投じてそれを当たり前としてきた人。

孫達三人と娘への愛情、そして仔猫への愛着が飛び抜けた人。
まだまだ元気でいてくれますように。