ライン川に上がる日本の花火

2015年05月30日 | ドイツの暮らし

初夏のドイツ、午後11時。
毎年の恒例「日本デー」の夜に、ライン川に上がる日本の花火です。







デュッセルドルフ市に日本の企業が進出して約50年、現在の在留邦人
約6000人。毎年、日本デイ「ヤーパンターク」が盛大に行われます。
その最大のイベントが夜の花火で、これを楽しみに毎年、何万人の人
がやって来ます。ドイツ国内近隣だけでなく、隣国のオランダから
観光バスを仕立てて沢山の人が来ます。


こういう現地での経済、文化、市民の交流を長く地道にしていくこと
が本来の積極的平和外交なのだと思います。


「旬の白アスパラガスと走りのグリーンピースの炊き込みご飯」

2015年05月26日 | ドイツ・ヨーロッパの「食」

今日の昼ご飯は少しご馳走で、
「旬の白アスパラガスと走りのグリーンピースの炊き込みご飯。」
でした。



こんな感じで作りました。
まず、白アスパラガスを茹でた茹で汁自体が旨みたっぷりなので、
それを炊き込みごはんに使うのが決め手です。
この茹で汁には、アスパラガスを茹でた時のバターも塩も入って
いるので、後は白しょうゆ〔松本の大久保さんのが本当にお勧めです。
他にはない 美味しさです。)と酒とオリーブオイルオイルで味を整えて、
土鍋のご飯を火にかけます。







炊き上がったら、一回蓋を開けて、乱切りにして少し下味をつけた
白アスパラガスと、皮から出したばかりの新鮮な小粒のグリーンピースを、
ご飯の上に乗せて、その後10分ほどの蒸らし時間の間、蓋をしたまま
待てば出来上がりです。



ドイツの春だなあと思います。美味しいですよ!


「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その⑤

2015年05月23日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

バルセロナの小旅行から帰って二日が経ちました。
朝起きて事務所で仕事をして、夕方はブールに行って、またその後
仕事をして、妻と一緒に家で作った夕食を食べたり、料理の時間が
取れずつい外食をしたりという、僕の日常がすぐに始まりました。
それでも、今回は旅の余韻が後を引いています。

その中でも思い出すのは「バルセロナの赤」。
街の至る所に、或いはそれがなくては、食事の風景自体が成り立たない
かのような存在感のレッドカラー。
手を変え、品変え、あちこちに顔を出します。
でも、決して押し付けがましくはなく、魅力的な姿、様々なトーンや
ニュアンスで、旅人の視覚の中に飛び込んできます。









まさにこの土地の風土と文化に根づいた「ソウルカラー」なのではないかと
想うのです。 



「バルセロナの赤」、色々なところで出逢いました。
ご覧ください。





















このような、「バルセロナの赤」を見ながら考えたのが、
「デザインの仕事の基本」に関することです。

人々の気取らない、毎日の暮らしの中に潜んだ美しさ、華やかさ、
愉しさ、歓びを取りだし、一つの形にすること、それが人々の暮らしに
関わるデザインの基本だということです。
現代のデザイン論や美学にはそぐわない考えかもしれませんが、
僕は断固としてそう思います。

ガウディやユーゲントシュティール、或いはアールデコなどの19世紀末
前後の藝術、工藝が求めたもの、模索したものも、まさにそのような
暮らしの中から出発する、洗練されたデザイン、美しさだったのだと思います。
それに対して、現代のデザインの大半は、一定の社会層、文化的素養、
教養から切り離され、風土、文化、素材の固有性を失って、その中で著しく
商品化、無国籍化したものだと思います。 

「バルセロナの赤」 ー決して押し付けがましくはなく、魅力的な姿でした。
この土地の風土と文化に根づいた「ソウルカラー」のデザインだからだと
思うのです。










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バルセロナの街のあちこちに見かけるレンタル自転車置き場。
ここでも赤がシンボルです。
(1日単位で乗り降り自由、便利な良いシステムです。京都や金沢でも
こんな自由なシステムがあれば良いと思います。)

 

 


「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その④

2015年05月20日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

バルセロナの小旅行、最終日。長男のアパートの前。







空港へのタクシーまで三人で歩く道。今回はバルセロナの街のあちこちを
よく案内してくれました。

19歳の時に北海道札幌の自然農場に一人で行ってから4年が経ちました。
北海道で約1年間予定していた実習は、福島東電原発の事故で中断せざる
を得ませんでしたが、その年の6月には再度日本に引き返し、沖縄・座間味で
数ヶ月の実習を行い、沖縄の島の生活に親しむことが出来ました。

ドイツに戻った後も、ニュージーランドでさらに半年の研修を重ね、
最終的に隣国のオランダの大学で勉強を始めることになりました。
そしてその大学からまた半年のベルギー・ブリュッセルでの企業研修、
今回のスペイン・バルセロナへの半年間のEUエラスムス制度の
交換留学。

こうして書き出してみると本当に色々な所で暮らしたのだなぁと思います。
「旅は人をつくる」、「すっかり一人立ちしたなぁ」とこのところ、よく思います。



2010年11月 北海道・札幌にて

 

2011年8月 沖縄・座間味にて 



2012年9月 オランダ・ブレダの大学の近くで



2013年10月 久しぶりに戻ってきた自宅の前で
(次男に負けじとジムで熱心にトレーニングを始めた頃だろう)

今日はついでに昔の写真も貼っておこう。
本当に大きくなったもんだ。
「健康で、人生を愉しむこと!」
これは、子供達3人の方が僕よりもずっとよく身につけていると思う。
親の育て方が良かった!!?


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「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その③

2015年05月19日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

バルセロナの旅も3日目、4日目となりました。当たり外れはあっても
この街は「美食の街」というよりも「暮らしの中のデザインや食文化
が大切にされている街」だなと感じ始めました。
外来の旅人なので、日常の生活を覗くことは出来ませんが、外で食事
をしていても、街の中を散歩してもそんな風景があちこちに見られます。

例えば、昼の小さなビストロ。
トイレに行く途中の壁の照明、面白いデザインでした。



それで、出てきた料理もまた魚。
「日常の中の暮らしのデザイン」この街にはあちこちに
そんな意識が溢れているように思います。



公園を歩いても、目の前ですぐに役に立たないことに打ち込む
遊び心が感じられます。





「自分が楽しい!」、「暮らしのデザイン」、「日常の遊び心」
バルセロナはそんな表現が自然に浮かんでくる街です。
(でも、このシンガーはシャウト系のかなりの音痴でびっくりしました)

さて、下の写真は、旅の3日目にたまたま入った自然ワイン専門の
バル。
スペインのタパスの伝統料理をモダンにした感じ。
とても美味しかったです。



小さな生ホタテのオリーブ蒸し。



ミニレタスとグリーンアスパラのソテー。



生ハムにスライスしたアボカドとパルメザンチーズ。
どれも変にいじってなくて、美味しかった。

旧市街のレストランでの昼食。
カタラニアの伝統なのだろう。庶民的なバスタのパエリア。





パエリアとはいえ、リゾットと焼きそばの合いの子みたいな感じでした。
イカのいしるのような味付けが印象的でした。 

旅の4日目。
小雨の中、たまたま入った街中のカフェ。
近所の人達が仕事の前や後に愛用しているお店のようです。









うちの奥さんもすっかり気に入ったようで、なかなか席を
立とうとしませんでした。

散歩の最中、たまたま通りがかった街中の教会。
何百年も経った古いステンドグラスが見事でした。
(多分、建築史上、有名な教会なのだと思います。)





キリストの像でなく、アベマリアの優しい、たおやかな母性像が
中心にありました。 その違いはドイツや北ヨーロッパと異なった、
地中海沿いの人達の土着的な感覚や、それに伴う信仰心と関わりの
あることのように感じます。




 


「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その②

2015年05月18日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

スペイン・カタロニア州・バルセロナの旅の2日目。
朝10時30分、旧市街のベジタリアン・カフェ。
月曜の朝なのにまだ誰も居ない。



ひよこ豆のムースに、トッピング用のざっくりと切ったきゅうりや人参。
この豆のムースも歴史的には、スペインの地中海沿岸部とアフリカ・チュニジア
などの海洋文化の交流に遡るものなのだろう。一方、ベジタリアンカフェとはいえ
味も何もない瓜のような胡瓜は、スペインの半ば工業化された大型ハウス野菜
の象徴だろう。現代のスペインやヨーロッパの若者のライフスタイルを表すような、
小さなカフェの一皿にも、過去の歴史と現在が共存している…
そんなことを一人考えていると、「パパのいつもの注意散漫、皆の輪から離れた
ぼんやり症が始まったよ」と妻や息子に笑われる。





何はともあれ、長い歴史を持った街の中に、今を生きようとしている、
カタロニア、バルセロナの若い人達の個性や彼らの生活感覚がよく
現れた空間だと思う。

 

朝食の後、市内の中心部に地下鉄で移動する。
長男はバイクでやってきて、バルセロナの中心部カタロニア広場で
合流する。
カタロニア広場のパノラマ写真です。

 

何キロメールも続くバルセロナの海岸線。
大学に行く長男達と別れて妻と二人、市内の歴史的中心部を散歩しつつ、
海岸の方に向かう。気持ちの良い風が吹いている。



潮風の吹く戸外の料理屋さんで、遅い昼食を取りました。





まずは地中海の海の幸のタパスの盛合せ。小さな小さなイカの、
しっかり味の天ぷらのようなフライがなかなか美味しかったです。



メインディッシュはスペイン料理定番のパエリヤ。観光客向けとはいえ、
なかなか本格的な感じがしました。







昼食の後、支払もそこのけでパエリヤの鍋が並んだオープンキッチンに
足を運ぶ。
若いコックさん達がパエリアを作る様子をじっと見ていたら、
「中に入っておいでよ」と声をかけてくれ、妻と一緒の写真まで
撮ってくれました。どうもありがとう!



昼から夜へ。
バルセロナの旧市街の一角。
パエリヤでお腹が一杯になった後は何をしていたのだろう。
ともかく夜が来た。
午後9時頃、レストランはまだガラガラだ。



僕達の夕食のスタートも午後11時頃から。
外の露地が小さな祝宴の場に姿を変える時。





料理自体は実に雑駁で、美味しくも何ともなかったけれど、
闇夜の中に浮かび上がる、小さな祝宴のテーブルは素晴らしかった。
不平不満を言う必要は全くない。

夜中の12時。
街の辻音楽師二人が何処からともなくやってきて、歌うのはバルセロナの歌。
きっとあまり上手くない二人だと思うけれども、息が合っていて、
とても楽しそうだった。 


 


「バルセロナへの小旅行 ー何も知らない街へ」その①

2015年05月17日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

留学中の長男を訪ねて、妻と二人でスペイン・バルセロナへの初めての旅行。
ドイツ・デュッセルドルフからは飛行機で約2時間半ほどの距離、
着陸姿勢に入った飛行機の小窓からは地中海に面する、この古い街の
姿が目に入ってくる。もう初夏のような良い天気だ。



昔、35年以上前、まだ文学部の学生だった頃、ジョージ・オーウェルの
「カタロニア讃歌」の話を耳にしたことはあった。今思うと、70年代の
日本でも学生運動に関わった当時の若い人達にはインパクトのあった
本なのだろう。五木寛之の随筆の中でも、その本に触れた文章があった
ように思う。しかし、今の僕にはその頃の知識は殆ど無い。
むしろ思い浮かぶのは、現代のスペイン経済の不況や若者のとんでもなく
高い失業率、あるいはとんでもなく盗難の多い街だという噂などだ。
 
それでも、この街はカタロニアの文化とその長い歴史を語る街だろう、
そして、長男が半年の留学生活を送る街。今日からの数日が楽しみだ。



空港でビールを飲みながら小休憩、周囲の様子からも南の国に
やって来たのだな、と思う。



空港からのバスで早速バルセロナの中心部に向かう。
南ヨーロッパの夏。夜の8時といっても、まだ昼のように明るい。

バスから次々に写真を撮る。建築の面白さに思わず目を惹かれる。
フランスとイタリアを足して二で割ったような街の風景だ。






下の写真、不思議な建物だなと思い、シャッターを切ったが、
ホテルに着いてからガウディの有名な建築物だったということに気付く。

この後数日、バルセロナの街の何処を歩いていてもガウディの遺した
19世紀末頃の建造物や、それを支えたカタロニアのブルジョワジーの
見事な建築美、様式美に触れることになるのだが、それは全て後になって
分かったことだ。



バスで小一時間、夜九時前。長男のアパートのすぐ近くの小さなホテルに
到着する。初めて訪れたバルセロナの旧市街。
まさに何の知識もない街に着いたところだ。 





荷物を置いて早速外に出る。久しぶりに見る心が躍るような街の風景。
長男もウィーンから訪ねてきている彼女と一緒に迎えにやってきた。
この街で現代ヨーロッパの学生として、数ヶ月の日常を過ごした長男に
連れられて、旧市街の小道を辿る。



妻と一緒にタイムトリッブのような散歩をしながら。
思わず立ち止まってはじっと見つめてしまうような風景が次々に
目の前に現れる。



バルセロナの夕べ。人々が三々五々集まり、立ち止まり、あるいは
戸外のテーブルでワインを飲み交わす。
異国情緒の中に、南国の何も知らない初めての街の風景の中に、
幻想の中に突然、子供の頃の昔の浅草や夏の夕涼みの時間、石畳の風景
を見出すかのようだ。 



スペイン内戦もカタロニア賛歌も、23才の長男には遠い遠い過去の事
にすぎない。現代の日本の若者にとって、大正時代の日本が昔々の遠く
にあるのと同じようなことだろう。五十の半ばを過ぎた僕でさえ、
もはや漠然とした知識しか持っていないだろう。

けれども、この街には歴史を語る過去が、街全体が歴史を可視化する
オブジェあるいは大きなモニュメントのように、目の前にある。
妻や長男達がもうだいぶ先を歩き、角を曲がろうとしている。
僕は一人、夕闇の光の中、歴史が止まったような風景の中で考える。

日本の戦後70年は無条件降伏の敗戦自体を終戦と呼び、自らの過去を塗り潰し
消し去ってきた歴史なのだろう。高度成長と伝統日本の幻想的な共存を
歌う時代も随分長くなった。その虚構こそが多分、現代日本の新たな
伝統なのだろう。 



長男の下宿近くのビストロに到着。三人のフランス人が共同経営して
いるらしい。メニューの表紙からもバルセロナの歴史やアールデコへの
共感が伝わってくるようだ。

今日は両親の財布だから、と長男は久しぶりの肉料理を注文する。
数年前、沖縄、京都と三人で一緒に旅行した長男の彼女はこのところ
ベジタリアンからビーガンに移り、卵や乳製品も入っていない野菜料理
を目ざとく見つけて注文する。
それが下の写真、多分一番美味しい皿だったと思う。





野菜料理にしてもエスニックを自由に扱うのは、現代スペイン料理の
得意な分野なのかもしれない。
長男も彼女も今日は随分スペイン的な顔をしているなぁと、
写真を撮りながら思う。 



妻も本当に満足そう。



みんながそれぞれに愉しい、とても良い一晩だった。
僕は一晩ですっかりカタロニアファンになっている。


「ほぼ毎日、ドイツの五月のメモ」

2015年05月15日 | ドイツの暮らし

5月9日(土)
今日の土曜日はゆっくりと。昼間に買ったオーガニックのビールを
飲みながら、次男が勉強先から久し振りに帰って来るのを待っています。



ドイツのビールは確か16世紀頃からの純粋混じり物なしの法律で
添加物は一切なしだったと思う。それでオーガニックとなるとなんか、
日本酒で言えば、純米生酛みたいな味わいかなぁ。



そろそろ次男も帰ってくる時間だろう。のんびりとビールを啜りながら、
今日の料理のことを考え始めます。
「次男には牛肉の薄切りと牛蒡とセロリの炒め物でも作ろうか?」 

 

そんなことを考えながら、この前買ってきた鱒の燻製をツマミにしていると
普段は僕にはあまり寄りつかないうちの猫も寄ってきました。
久しぶりに、本当にのどかな週末です。


5月12日(火)
10年くらい前からドイツのあちこちでみる風景です。四月の初めに
家の近くを自転車で走った時にたまたま撮った写真です。
昔からの農地に建てられた風力発電のタワー、最初は違和感がありましたが
だいぶ目に馴染むようになりました。



夕日がとても綺麗な日でした。



上の写真も自宅のすぐ近く。ここ2、3年で出来た、新興住宅地の
遊び場です。
風力エネルギーのスペース確保も、子供達の遊び場の充実も各々、
別のことではありません。どちらもが今のドイツの人達の生活感覚と
社会のコンセンサスから生まれて来ていることは確かです。
現代ドイツの社会は戦前あるいは1970年代までに比較して、
働くことと生きることのバランスをより深く考えるようになったのだと
思います。そのような姿勢は個人のレベルでも社会のレベルでも日常の中で
感じ取ることができます。

現代の生活に彼岸、永遠、宗教が途絶えた後、ドイツは少なくとも
現世主義を取り、毎日の生活価値を重んじ、一方、日本は集団的な
経済繁栄と利便性を追求する中で、刹那主義に走ったのかもしれません。


5月13日(水)
夕方の風景。
今年の春は庭の桜が見事で、たくさんの写真を撮りました。
もう見納めの時期です。



そんな桜の写真の中に、娘が隠し撮りした写真も一枚あります。



このところおざなりになっていた日誌を書こうとしていて、見つけた
ものです。滑稽な姿ですが、娘の父親に対する視線が感じられるようで
嬉しい写真でした。
今日のようにのんびり仕事をしていると、心身共にいいこと
があるのかもしれません。


5月14日(木)



今日は父の日。水泳の日!
待ちに待った、屋外50mプール解禁の日です。
外気温は18度。水温21度!?
風は冷たいですが、青空の広がる良い天気です。
勇気を持ってざんぶり!!


5月14日(木)
今日はファターターク、父の日。白アスパラガスの季節到来。





屋外50mプールも解禁。
そして、ドイツの親戚と過ごした一日。



20年前、幼かった親戚の子供達が母親になり、父親になり、5か月
の赤ちゃんがいたり、若年寄風になっていたり。
人は人生の春と秋の間で、それぞれの悩みと幸せがある。




5月15日(金)



毎日を支えるお米の力。



解禁二日目の屋外プール。
水温21℃、外気温は18℃
泳いでいるうちに最初の冷たさが、いつか心地良さに。
今日は本当に久し振りに1500メートル達成!
今年の夏はおむすびも
持参して、2000メートルを目指そう。


母の日に三人で

2015年05月10日 | 家族

今日の母の日。
一日中良い天気でした。





仕事が終わった後、夕食のレストランに行く前に、街中の公園を
義理の母と妻とそぞろ歩き。散歩の間、僕はずっと後ろから写真係でした。

三人足すと来年はもう200歳になる。初めての三人の散歩から数えると、
合わせて、もう100年近くが過ぎたことになる。

もちろん、世の中の多くのことは考え方、数え方次第のこと。
大切なことは健康と互いの思いやりとあらためて思う。



(散歩の後、いつものレストランで)



(一年前、去年の母の日。僕が言うのも変だけども、互いに優しく、
思いやりがある。仲の良い二人だ。)








 


「毎日の暮らしの中で ー 僕達が喪失したもの」

2015年05月09日 | 脱原発

いつものように友達のオーガニック農園に妻と週末の買い物。
明日の母の日の話をしながら、なんとなく目についた子供用の小さな
机と椅子。



こんなものを見ると、日本は昔、木の国、木工の国だったなあと
つくづく思う。

戦後70年で日本が得たものは大きいけど、失ったものも量り知れない。
この70年、もう少し違った行き方や人々の生き方がなかったのだろうか
とよく思う。
今や日本では日々の生活、社会の産業化、資本化、商業化にはますます
拍車がかかり、国、社会としてのブレーキはもうかかりそうもない。
志のある人たちはもちろんたくさんいる。僕なんかは及びもつかなく
しっかりとした生活を営んでいる人達はあちこちにいる。
それでも
哀しいことに、そのような人達が、日本の社会、大半の人達の生活感覚
に変化を及ぼすには、あまりにも少数だ。
僕が蚊帳の外で、こんなこと
を嘆いていても仕方がないことだ。僕が出来ることは自分の目の前の
生活の中でしかない。それでも、希望的観測は本当に難しいと思う。


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「毎日の暮らし ー 僕らの時代が喪失したもの」(2012年1月13日の記録)

新年も2週間が過ぎようとしている。今年はもっと料理や家族のこと、
「食」や毎日の暮らしにまつわること、身の回りの大切なことから
出発して書きたいと思う。
もともと、このブログを「ほぼ毎日ドイツ」というタイトルで書き始めたのも、
そんな想いに導かれてのことだろう。ところが、去年の3月、福島の
原発事故以降は、脱原発のことやその運動への関わりばかりがテーマと
なってしまった。確かにそれが僕の日常だったのだろう。
日本に行くことも4回、特に秋以降は福島原発事故に関わって福島市や
飯舘村に何度も足を運ぶこととなった。大事な仕事だったとは思う。

けれども、原発のことを自分なりに深く考えていくと、いつも一つの問題、
一つの感覚にぶつかる、たどり着くように思う。

「こうして身の回りのことや、生活、暮らしの中の当たり前のこと、
自らの健康や心、生命に直接関わること・・・。多くの人がそれを
二の次にして日常を送っている・・・。いつからこんなことが当たり前に
なったのだろう?」
「自分や家族、周りの人のために当たり前にていねいに料理を作ること、
いくらかの野菜、果物、穀物を自分で植えたり収穫したりすること・・・。
朝は早起きして深呼吸をして、太陽を見上げて有難いと思うこと。
何故こういう当たり前のことを忘れてしまったのだろう?」
「自分の生命が何百、何千億の人々の一つであること、それが自然の
大きな流れの中にあること
。何故、こういうことが頭では分かっていても、
日常の身体的感覚や行為、所作の中では失われてしまうのだろうか。」

「フクシマ」の原因や帰結には日本の経済・社会・価値の構造や、
その象徴たる原子力村、軍事・経済を中心とした米国モデルの世界的な
浸透・支配など、いろいろなことが考えられる。けれどもこのような、
いわゆる知識・情報に基づく理解・分析が本当に世界を変えていくのだろうか?
近現代の歴史の答えは明らかに否である。

僕らの時代の喪失はもっと大きいものなのだと思う。それは世界の全ての
先進国とその周辺で起きていることだろう。それはもう数世代を超えて、
100年以上続く流れだろう。この流れは戦後、とりわけこの30、40年で
一気に加速したと思う。日本はこの点でも発展途上、後進国から一気に先進国へ、
そして時代の最先端へとたどり着いたのだと思う。

日常をていねいに生きること、毎日の暮らしをだいじにすること。
それがこの時代に僕達が出来る大切なことの一つだと思う。




2011年12月、20km圏内、福島県浪江町の海岸から
(後景は、福島第一原発の事故現場)




2011年12月、同じく福島県浪江町、請戸の港近く。
津波後、そのまま残された家屋の跡。

 


「春の日のメモ」

2015年05月08日 | 随想

2015年5月1日



今日は一日中、家に居ました。
夕方になって外に出てみると林檎の花がとても綺麗でした。
そして、かすかに甘く、清楚、高貴な香りに驚きました。
何故、今まで気がつかなったのだろう。
小さな幸せを何度も何度も見逃してきたように。




2015年5月7日

今日はともかく水泳へと、仕事を無理矢理抜けて自転車に乗り、
頭を上げて目の前の空を見上げれば、澄み渡った青空の中に白い雲
がぽかり、ぽかり。
本当にあまり仕事を優先しないように、「もうすぐ初夏」と思う。





2015年5月9日

ドイツも春から夏へ。
庭の青モミジ、木の芽の花蕾、柿の若葉。







さて、今日の夕食は、、、
柿の葉寿司に木の芽を浮かしたお吸い物、食卓には青モミジの葉を散らして。
でも、明日のメッセの準備もあるし、夕方までにそんな時間がとれるだろうか?


モーゼル川への小さな旅

2015年05月01日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

2015年4月26日(日)
「モーゼル川を下りながら」

 

「ドロップハンドルの愛車を伴って、コブレンツから列車の旅。
自転車越しの車窓からはモーゼル川の春の風景が広がる。
近づいては遠のく川の流れ、葡萄畑、昔からの村々。
今日は何処に泊まろうか…」



さて、大正時代の三文小説家のような浪漫調でスタートしましたが
異国情緒には幻想はつきもの。
隣に座る、陽に焼けたTシャツ姿のドイツ青年の輪行車を眺めながら、
実際には僕一人、仕事の鞄とトランクを携えて退屈そうに二等車に
座っています。

折角の日曜日なのに、仕事で出張。
「家で久し振りの日誌を書いて、ノンビリと夕飯を作り、
夜は妻と二人で焚火でも見つめていたかった…」

あれあれ、やっぱり今日は何処に居ても三文小説家気分のようです。
ひとつ確かなこと、週末の経済活動は僕はあまり好きではありません。
それでも刻々と移り変わるモーゼル川の眺めは春の光の中で、
目を離せないほど魅力的なものです。




自宅を出て約4時間、ようやく今日の宿に着きました。
モーゼル川沿いのミュールハイム / Mühlheim an der Moselという
緑の多い村です。
ホテルは「白い熊 / weisses Bär」です。

 

春の若緑、夏の陽光、あるいは延々と続く錦秋の葡萄畑。
モーゼル川への旅、ドイツが好きな方ならお勧めします。
異国情緒には幻想がつきもの。シューベルトの歌曲が響いて
くるような風光明媚なところです。

こんなところでノンビリして、散歩したり、自転車に乗ったり、
夕方まで明るい空を見ながら、冷たい白ワインを楽しめば、
きっと人生の良い休暇だと思います。

僕もひと時、そんな気分で川を眺めています。







僕は本来はかなりのワイン党ですが、春から夏には時々、ビールを
飲みます。
特に戸外で夕方頃の景色を眺めながらだと実にいいなあと思います。

 

今日はまさにそんな感じです。


2015年4月27日(月)
「ワインテイスティングの午後」

今日は仕事の後、たまたま、モーゼルの名門ワイナリーで試飲をする
機会がありました。現代ドイツの白ワイン、モーゼルのリースリングの
今日の在り方を示す、非常に質の高い見事なワインでした。



建築デザイン、木のインテリアにも彼らの伝統を引き継ぎつつも、
その中に埋もれない革新への意気込みが感じられました。
日本でも知られているのかもしれませんが、Molitor という蔵元でした。

 

今日のモーゼルワインを代表する蔵元のテイスティングルーム。
現代ドイツのデザイン精神がよく伝わる、ぴしっと筋が一本通った
気持ちの良い空間でした。





 


2015年4月28日(火)
「ドイツの朝食」

モーゼル川沿いの村、ミュールハイムの小さなホテルの朝食のテーブル。

 

大きな窓から朝日が差し込み、川向こうの葡萄畑が目に飛び込んで
くるようです。朝食のもてなしにもホテルのオーナーの気持ちがよく
伝わってきます。食べることが大好きな方なのでしょう。

ドイツでは家庭でも日曜日の家族の朝食に心が弾むような、ちょっと
華やかなテーブルセッティングでご馳走をすることがしばしばあります。
日常の暮らしの中に根付いた素敵な食文化だと思います。

今日は昨日の雨が嘘のような良い天気です。



このモーゼルの村、ミュールハイムからデュッセルドルフまでは
列車だと乗り換えを含めて約3時間半、クルマなら2時間強の距離です。
朝早く出れば日帰りでも十分楽しめるところです。
帰り道、今年の夏にでも仕事抜きで遊びに来ようかと、妻に一本電話を
入れました。