人生の秋 ー 誕生日前後の一週間

2017年09月21日 | 仕事

【2017年9月15日】

今週は南ドイツ、フランケン地方の小さな村で4泊5日の仕事でした。
日本とドイツのクレーンメーカーが一緒になって約30年。

日本の仕事&職人気質社会とドイツのライフ&ワークバランス

個人主義社会の二つの社会、二つの生き方が出会うと、
同じ言葉を話しても違う二つの意味になるのだろうと思うことが
ままあります。

そんなことを思いつつ、夕方の飛行機でデュッセルドルフに戻り、
夜の9時過ぎには事務所での仕事も終えて、
いつものギリシャ料理屋に行きました。

38年前に出来たこの店に通い始めてから25年余り。
ドイツ・ギリシャ移民の1世、2世の歴史が僕達の30年にも
重なって来ます。

お客とお店の関係を超えて、束の間、共有する人生の時間。
僕達は週明けからの税務者の会計調査を控えて、
心落ち着かない日々。
仕事の成功などは、多くの場合、他愛ないこと。
「ああ、僕の仕事はもういいのかなぁ」と想ふ日々。 

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【2017年9月20日】

今日は本当に『ア・ハードディ・ナイト』

しんどかった、これからの、今後のことも考えざるを得ない、
長い一日が終わろうとする晩。
僕達はそんな時の一番の友達、アドリアーノのところにご飯を
食べに行った。

「今日は辛かったよ。」と少し話すと、じっと黙って聞いてくれて、
しばらくして注いでくれたのが、イタリアの名酒。
干し葡萄のジュースの熟成版のようなアマローネ、その小さな兄弟分の
『メッツオ・アマローネ』と云うワイン。

いわば『半分のアマローネ』とでも訳すのだろう。

そんなことをアドリアーノが説明してくれるのを聴きながら、
少しづつ解きほぐれてくる心の中で、これからのことについて
前向きの感覚、謂わば一種の諦観も生まれてくる。

そんな時、突然思いついたのが人生初めて、自らのイタリア語の表現。 

『メッツオは半分、それならドイツにすっかり長くなった僕達は、
それぞれ、メッツオ・ジャポネーゼとメッツオ・イタリアーノ。
そして、今、ちょうど半分のグラスはメッツオ・ビケーレ。
それなら、僕達の人生も今、メッツオ・レ・ビータ!!」

有難う、アドリアーノ❣️

Mezzo Anarone!
Mezzo Giaponese!
Mezzo Italiano!
Mezzo bicchiere!
Mezzo la Vita

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【2017年9月21日】

秋の午後、木陰の仕事。
実り落ちた、林檎の皮を剥こう。
ほんの30分だけ。
昔から人は云う、人生、秋の日は短し。

うちの猫は時の中に横たわる。
僕は一瞬「今」を知り、それを忘れる。



「日本の刃物職人さん達と、、、」

2017年08月31日 | 仕事

ドイツ・ゾーリンゲンの小さな手作りの刃物メーカーと、日本の
刃物職人さんとの仕事、共同作業を始めて、15年余り。

日本の料理用刃物の主要な産地は大阪堺、新潟三条、岐阜の関、
そして福井の武生といろいろありますが、その中でも、もう10年来の
付き合い、ドイツでも日本でも実に良い飲み友達であるのが、
武生ナイフビレッジの加茂さん。

昨日はゾーリンゲンでの刃物講習会、ドイツのプロの職人さん達への、
日本式の研ぎ直し指導の中日。
工房での気の張った仕事の後は、加茂さんと僕の村の自宅に戻って、
「よし、今日はもうノンビリ、終わりの夏の晩を楽しもう!」と
いうことで、うちの奥さん、プラス、料理の女性スタッフ、さっちゃんも
りょうちゃんも加わって、美味しい料理を作ってくれました。

普段は男ばかりに囲まれた職人、加茂さん、今日は素敵な女性に囲まれて、
夜中まで刃物談義、ワイン談義に花が咲きました。

(刃物好きな方、加茂さんの日中の仕事ぶりも後の写真で載せてあります。
覗いてみて下さい。)

もちろん、ここに堺の研ぎ師、美食酒豪の山本さん、日本海の肴を
語り出したら止まらない三条ダントツの刃物鍛治、日野浦さんが加われば、
こんなに楽しいことはない。
各々に10年、15年の思いや、工場や飲み屋でのやりとりがあります。

さて、各々が40代で知り合った僕たちも皆、もうすぐ60代に。
和食や日本の刃物を取り巻く環境も、その間に大きく変わりました。
三人の職人さん達の仕事先も日本の海を越えて、世界各国に広がっています。

おーい、山本さん、日野浦さん、
いつか、また、全員でドイツでゆっくりと一晩を過ごしたいなぁと
しみじみ思う晩でしたよ〜。

 

 


月の明かりと朝の光の間で ー「大きな区切り」

2015年07月01日 | 仕事



朝の6時。久し振りの徹夜仕事の後、4時過ぎに漸く家に戻れば、
麦畑の向こうの、大きく、大きく丸い黄色の月が目の中に飛び込むよう。
一人で残りの赤ワインを取り出し、庭に座って、朝の光を浴びながら、
眠くなるのを待って、椅子に座っている。今日は特別な日だと思う。

1999年から約15年あまり、中断した期間も含みつつ、日本の漆芸、
とりわけ蒔絵の世界に関わってきた。その中でも一昨々年から
約3年がかりの仕事となった京蒔絵師、高橋秀雄さんの作品録の
仕事が漸く終わりに近づいた今、大きな区切りがやってくると思う。

それは、この15年とこれからの15年を分けるものともなるだろう。
「月の明かりの中でぼんやりと見えていたものが、朝の光の中で輝き始めるように」
その中で遠ざけたり、離れたりするものが出てくるだろう。
それを良しとすること。求めれば、これからの15年で得るものは大きい。
その時々を全うするように。





 


現代社会に刷り込まれた「仕事第一」

2014年06月10日 | 仕事

真夜中、丑三つ時間近のドイツ・フランクフルト。
突然の雷雨の後、夜の街には初秋のような風が吹いている。
僕は大学病院の救急病棟待合室で、もう小一時間ほど
宿に戻るタ
クシーを待っている。

日本からの出張者がドイツに着いた初日に意識不明になり、
根元を
切られた古い木のように突然、倒れてしまった。
いつ会っても仕事
熱心、すこぶる有能で誠実な方だ。
長旅の疲れと低血圧、接待の酒
、突然の夏日などが
重なってしまったのだろう。
ドイツと日本の間で沢山の人があまりに多くの仕事をし過ぎている。
万が一でも、異国で突然、過労死で亡くなっていたかもしれない。
それでも、彼は明日からの契約交渉に臨もうとしている。

人の、自分の命は一回限りのことなのに、
残される家族との時間は
取り返すことができないのに。
ヨーロッパでも、日本でも人間の存在自体の幸福が
中心的価値とし
て、社会を形成したり、動かしたことはまずない。
だから、私達は私達の存在自体の意義を問いかけること
自らとそ
の裏腹の他者の生命を大切にすることも
子供の頃から、おおよそ
ないがしろにしてきているのだろう。


パリのメッセ「メゾン・エ・オブジェ」

2010年09月02日 | 仕事
バリの「メゾン・エ・ オブジェ」に来るのは今年で5年目。
インテリア、テクスタイル、キッチン関係の国際メッセだ。
ヨーロッパの衣食住、暮らしまわりの消費文化、その夢や幻想を支える
モノ、デザインを知るには格好の場所だろう。
日本からもインテリア・雑貨関係のデザイナーやインボーターの人達
デパート、専門店のバイヤーさんがたくさん押しかけてくる。
都会のマンションに似合う物や、若い人達のプレゼントになるものを
探しに来るのだろう。

僕も「手作りの刃物」がテーマだとはいえ、この片棒を担いでいる。
でも、消費の全てを否定することはとても出来ない。





時々、自分のブースから離れて会場内を散歩することもある。
世の中には本当にいろいろなモノがある。



デザインツリー 賞味期限1年   小さな子供、何を見ているのだろう

ベルギーの天然砥石採掘場

2010年06月10日 | 仕事
今日はベルギーに一日出張。
ヨーロッパでは数少ない天然砥石の採掘場を訪ねる。
緑豊かな丘陵地帯に6月の若葉が光る。
昔からの石造りの家と草を喰む牛の群れ。

のどかな風景だが、失業率が高く、構造不況の問題を抱えているらしい。
あちこちに売り家の看板が目立ち、明るさの中に物悲しさが潜んでいる。






 ベルギー産の天然砥石は「ベルギッシェ・ブロッケン」
(Belgische Brocken)と呼ばれ、ヨーロッパの刃物好きな
人や、カスタムナイフの愛好者に今も重宝されている。
日本の天然砥石よりもだいぶ硬めだが、番手が上がると
なかなか肌理の細かいものもあり、仕上げ砥石として十分に
使える。日本と変わらないのは、資源の枯渇と後継者難。





日本では、京都の嵐山から愛宕山の一帯で刀剣の仕上げ磨ぎにも
使われる最高級の天然砥石「合わせ砥」が、戦後まで採掘、成形
されていたが、今は殆ど途絶えてしまっている。