57歳の夏。
僕達の家族五人の中で唯一人、ドイツ国籍も選挙権も自動車免許
もなく、それでも大過なく満足して、ドイツで30年以上過ごして
きました。
ところが、今年の春、いよいよ今後の人生のために「クルマの移動
の自由、自主独立性」は確保しようと思いたちました。
今日は路上訓練第一回。生まれて初めてドライバー席に座りました。
路上を走ること30分、ブレーキ、アクセル、ギアチェンジは助手席
の教官トーマスさんに任せっぱなし、ステアリングだけを担当し、
まさに郊外の県道を右往左往!
「あぁ〜、楽しかった、ああ緊張した!」
その後、お祝いに近くのお菓子屋さんに一人で入り、滅多に口に
しないドイツの大きなケーキを一人で丸々一つ食べました。
そしてその際、免許だけでなく、いつかは国籍もドイツにすること
があり得るかなと、考えたのです。
以前は絶対に考えなかったことです。
自分の日本人としてのアイデンティティに関わることだ、それだけは
しないだろうとずっと思っていました。
今年の春、「もう一度、日本に戻ろう」と京都に小さな家を構えま
した。ドイツと日本の二つの国で生きようと考えたのです。
他方、日本の社会体制に対しての距離感、拒否感は福島の原発事故
前後から、過去30年にも増してさらに深まっています。
多分、僕の場合、自分の日本人としてのアイデンティティと国籍は
決して重なる必要はないのだろうと思います。それよりも、自分の
暮らしの自主独立性を守ること、尊重することが人生の第一の優先
事項なのだと思います。
現在の日本の社会体制、とりわけ、その政治・行政の強権による個
人の自由や主権の侵害、日常の行動の制限、拘束が今後、今よりも
さらに強まる可能性は非常に大きいと思います。
そして、その逆方向に社会が転回する可能性は実に微小に思われます。
僕には日本社会への帰属性よりも自主独立性の方がずっと大事なの
だと、今日、クルマの免許のことをきっかけに、よりはっきりした
ように思います。
自分の今後のために、ざっくりでも、人に伝える文章の形で考えの
メモを残しておこうと思いました。