地球の裏側、日本から雪解けのシベリア大陸を越えてヨーロッパまで一直線。
物理的には世界は本当に狭くなったものだ、でも人々の暮らしや歴史はそんなに
早くは追いつかないなどと思いながら、帰り着いた約三週間ぶりのドイツ。
フランクフルト国際空港に着くと、僕の住むデュッセルドルフへの
接続便は春の嵐で欠航とのこと。今日の朝、琵琶湖の湖畔で
目を覚ましてから、既に約19時間。
それでも家に辿り着くまではなお3、4時間はかかりそうだ。
(琵琶湖、大津の駅の朝焼け)
ともかく、空港のカフェで小休止しよう。
周りを見渡せば、人々の体は大きく、サービスは気楽でざっくり、
互いの交わす言葉も直接的。
日本とはいろいろなことが違うけれども、ヨーロッパの人達は良くも
悪くも素顔の部分、個人のパーソナルそのままのところが大きいと
あらためて思う。
一昨日はドイツ緑の党のシルビア・コッティング・ウールさんに招ばれて、
ベルリンの連邦議会内の会議室で開かれた専門会議に妻と一緒に参加し、
日本の再稼働の問題とその政治的背景について、30分ほど話をしました。
連邦議会の入り口でセキュリティチェックを受けた後で、いつもの
「さよなら原発」の袋を持って会議室に向かいます。
普段の仕事を全て放り出し、一週間かかりっきりで準備をした
のですが結果はあまりうまくいきませんでした。日本の再稼働の問題を
高浜と川内のことを中心に、かなり詳しい数字とデータ資料を20枚程
用意していたのですが、いざ話し始めると、経産省や電力会社を中心と
した理不尽と狡猾さに対する怒り、憤りが湧き出してしまい、資料も
その殆どを使わず、かなり感情的に話してしまいました。
ドイツの参加者の方々が、やはり福島の惨事をどうしても例証研究的に
扱うので、その違和感もあったのですが、ベルリンの日本大使館から
来ていた官僚のにやけたステータス気取りへの嫌悪感も拍車をかけたようです。
妻には本音で話したのは良かったと言われましたが、ドイツで日本のことを
伝えるのが僕の役目ならば、反省するところが多々あります。
今後、自分がすべきこと、できること、どのように役に立てるのかを
もう一度よく問い直そうと思います。
昨日は23回目の結婚記念日。当時は全てが初めてのことなのに、
午前中は普通に仕事をして、役所に結婚の届出をして、村のレス
トランで昼食を取った後、また午後の仕事を当たり前にこなして
いた浅はかな、若いばかりの傍若無人な自分の姿を思い出します。
当時はそのような既成の慣習が嫌で嫌でたまらなかったのですが、
今は娘を女手一つで育て上げた義理のお母さんに本当に済まない
ことをしたと思うことがよくあります。
かれこれ30年になる二人の共同生活の刻み目が、来年の夏に
やってきますが、僕にはこの期日の方が正直ずっと重い事柄です。
ともかく、今日は長い一日の仕事の後、数年前から家族で時々行く
高級イタリアンレストランで二人だけの小さなお祝いをしました。
こんな日はまだまだ書き留めておきたいことがいろいろありますが、
それよりも今日は早くベットに入り、こうして30年近く、一緒に
いることに感謝して、早く眠りにつこうと思います。
野菜料理をしていると、思わず知らず、東や西、和洋の絵画のような
風景が目の前に広がります。今日もそんな一日でした。
まず一つは、春の畑の種蒔きのように。
糠床に漬け込んだばかりの赤い小蕪たち。
もう一つは春の運動会のように。240度のオーブンに入る前、
色とりどりの野菜たちの押しくらまんじゅう。
魚料理も好きだけど、野菜に触っていると自然の中で遊んでいる
ようで、ほっとした優しい、豊かな気持ちになってきます。
50も半ばを過ぎて、僕もだんだんベジタリアンになっていくようです。
もともと、昔からの日本の食事は穀物菜食、大豆に海藻、そんなこと
だったのではないだろうか、当時の人々はもっと自然の中で当たり前に
暮らしていたのだろうと思う。
そこからすれば、日本の食事は本当に遠くに来たものです。
------------------------------------------------------------------------
今年は「和食が世界遺産になった」と騒がれ、浮かれた言葉も
沢山耳にする。僕は内心、福島の原発事故の後に、自分たちの足元も
見えないような馬鹿馬鹿しい話だと思っている。世界で認められようが
認められまいが、自らの風土を失ってしまえば、食の遺産も、私達の文化
も、どこにも相続先のない話となる。それは荒唐無稽の話では全くない。
福島第一の東電原発事故は収束したどころか、それは今も継続中の
プロセスである。日本の風土の源である土地、海、空気の汚染は広がり、
福島第一の原発建屋や格納庫の崩壊、使用済み燃料の暴走の危険性も
常に抱えたままだ。
僕はドイツで日本の食に携わるならば、その食文化の本当に大切な部分と
その根っことなるところをよく見極め、その部分を少しでも伝えていける
ようにしたいと思う。
夕方5時。水泳の帰り。
いつもの帰り道、角を曲がると突然、北の国の大きな空に光り輝く
太陽が全てを照らし出すようでした。
家に戻ると、庭の寒桜も、冬が終わり、春がやって来ることを
告げるようでした。