「ルクセンブルク-世界中のどこの地域でも起きている日常的狂気」

2014年04月30日 | 脱原発

「言葉が通じなくても、原発のない未来のために私達は共に戦える」


 


今、妻と二人でドイツからルクセンブルクへ移動中です。
ドイツ、フランス、ベルギーの3国に国境を接したこの国は、
地理的にも西ヨーロッパの中心に位置し
EUの政治機能や金融センターが集中しています。





モーゼル川が流れ、良質な白ワインの産地としても名が高い
風光明媚な人口約50万人ほどの小さな公国です。
その国境から10kmも離れないところにあるのが
フランスでも屈指の規模を誇る「カットノン原子力発電所」です。
もし、ここで大きな原発事故が起これば、ルクセンブルクは亡国の運命に、
そして国民は流浪の民となります。
また、EU自体もその中心機能の相当部分を失うことになるでしょう。

今日はこのルクセンブルクで地元の人達と脱原発のセミナー、集会があります。
僕達二人の役割は日本と福島の現況を話すことです。


 


地球のどこの地域でも起きている日常的狂気、このことで少しでも
現地の人達の助けに、これからの参考になることが出来ればと思います。

準備の際には京都の守田さんや、特にFoEジャパンの吉田さんの助けを
借りました。有難うございます。
冒頭に引用した言葉を頭に置きつつ、こういう一つ一つのつながりが
意味を持つことを信じようと思います。


「ブロッコリーの花」

2014年04月25日 | 日本の「食」

今日はこんな感じの一口寿司をもう少し手毬寿司風にして、
いろいろ作ってみようかと思いつきました。

すし飯の上に飾ってあるのは、庭の野菜畑で一冬を越して
咲いたブロッコリーの花です。
食べても少し辛みがあって美味しいものです。


 

手鞠寿司を思いついたのも、さっき、庭の柿の木の柔らかな
若葉を見てて、子供の頃の愛読書だった辰巳浜子さんの料理書の
「柿の葉寿司」のくだりを思い出していたからかもしれない。


さあ、今日はなるべく早く、さっさと仕事を切り上げて
早速、鮭や白身の魚を仕入れに行こう。
寿司飯の間に庭の木の芽を挟んだり、ネタも魚だけでなく、
カブやサヤエンドウも楽しいかもしれない。
盛り付けの形も長皿や丸皿を選んで、素材や色どりを考えてみよう。
 


「生活の中で生きるオールタナティブ - +50歳トリオのお昼ご飯」

2014年04月24日 | ドイツの暮らし

午後の仕事をサボって、少しのんびりした今日のお昼ご飯。





ドイツでは本当に珍しい職業、左官のポルさんと
友達のグラフイックデザイナー、バオアーさんと三人、
+50歳トリオ&うちの奥さんで、日本の昔からの家庭料理で
楽しいご飯でした。





献立は、昨日の残りのあっさり炊き込み御飯に
野菜根菜たっぷりの熱々お味噌汁。
蕪と人参の糠漬け。オクラと蕪の汁物。



 


二人とも和食のことは殆んど知らないけれど、美味しい、美味しいと
とても喜んで、お代わりもしてくれた。


ドイツの社会が柔軟な自由の幅が広い社会へと大きく変わったこの40年、
その原動力は生活の中のオールタナティブ、オーガニックや緑の思想を
口先でなく、個々の生活の中で生きていくことだったと思う。
その思いが4人の中には共通している。
だから、すぐに話が通じるし、互いに屈託がない。
僕も包丁を動かし、鍋と向かい合うのが楽しくなる。





ポルさんに大分痛んだ風呂場の土壁を塗り直してもらえるのも
嬉しいことだ。
今日は良い日だ。


「白アスパラガスと庭のブロッコリーの花と蕾の炊き込みご飯」

2014年04月23日 | ドイツの暮らし

昨日はイースター休みの最終日、長男がブリュッセルの実習先に戻るので、
妻が、今から旬を迎える白アスパラガスでドイツの昔からの家庭料理を作りました。

アスパラガスは厚めに皮をむいて、大きな鍋でたっぷりのお湯にバターと塩を
少し溶かし入れ、丸のまま湯がきます。白い大皿の上にそのまま4、5本横に
置いて、ロースハムと茹でポテトを添えて、溶かしバターないしソース•オラン
デーズをかけます。
バターの香りと共に白アスパラガスの味わいが口いっぱいに広がるシンプルで
美味しい料理です。まさに春たけなわ、この時を多くのドイツの食いしん坊達が、
一年間待ち望んでいます。





さて今日のお昼、いつものように冷蔵庫を開けて昆布水を取り出し、
昼食用の出汁をとろうとすると、どうも様子が違いました。
2Lボトルの中には、
昨日のアスパラガスの茹で汁がたっぷり。妻の方が今日の夜、アスパラガスの
クリームスープでも作るつもりだったのでしょう。どうも、そのストックとして
取り分けていたようです。一口、スプーンで口に含むと、しっかりした
奥行きのある味、ほんの少し塩気もあって旨味も十分に感じられます。

そこで思い出したのが先週の筍ご飯。
「このアスパラブイヨンで、炊き込みご飯を作ったらどうだろう。」
早速、出先の妻に電話をかけ、転用の許可をもらいました。
朝から青空が広がり、緑の薫る良い天気。さて炊き込みご飯の具は何にしよう。 




冷蔵庫に何本か残っていた白アスパラガスを小口の輪切りにしつつ、
思いついたのが、庭の畑に咲いているブロッコリーの小さな花々と
ところどころに残る緑の蕾
アスパラの茹で汁にほんの少し白醤油を足らし、
緑の蕾の浸し地替わりとし、炊き込み御飯と一緒に蒸らし薄黄色の花々は最後の
盛り付けに使おう。
 約一時間後、出来上がったのはドイツの春らしい炊き込みご飯。
 

 
 

事務所のスタッフ二人と一緒に洋皿と日本の漆塗りの飯椀の二通りに
盛りつけてみる。
なかなかの見栄えだ。三人揃って、ドイツで初めてのレシピなどと
軽口を叩きながら、いよいよ口に運ぶと「これは美味しい!!!」。
本当に美味しい、春らしい。妻の分は別によけておこう。 

料理をしていて本当に良かったと思う。福島の東電原発事故の後、現在の日本との
関わりの中で自分に出来る一番大切なことは何だろうと、「ドイツで作る日本のご飯」を
本気で追いかけ始めて
約2年。試行錯誤と模索の中、少しずつ見えてきたものがある。
今日の炊き込みご飯は、そこにある可能性に少し光りを与えてくれたようだ。

アスパラガスと庭のブロッコリー、偶然の機会を与えてくれた妻の家庭料理に
手を合わせ、その有り難さを胸にしっかりしまっておこう。
 

 

 

 


「天と地と私達の生活のつながり- 福島の佐藤幸子さんの言葉」

2014年04月21日 | ドイツの暮らし


下の文章は、東電原発事故の惨事まで福島県で自給自足型の自然農を
長くなさっていた佐藤幸子さんの言葉です。
是非、御一読下さい。

(写真は何度か足を運んだ福島県飯館村の田んぼの除染後の姿です。
 稲穂が風になびくことはもうないと思います。)
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今日は、雨でした。

震災前は、この時期雨が降らないとやきもきしていました。
畑に、野菜の種が蒔けないからです。
震災後、雨が降らなくとも一向に気になりませんでした。
畑から離れると言うことが、天候にも関心が向かなくなることなのだと、
しばし、ボーゼンとしました。

福島の畑にも、種まきが始まっています。
心から喜ぶことが出来ない、福島の農業です。
どんなに頑張って田畑を除染しても、0ベクレルにはなりません。
0ベクレルの野菜やお米があるのに、県外の人が、
同じ値段で買ってくれるのでしょうか?
安ければ買うけれど・・・
結局、農業収入は減るのです。
食べるための作物は、諦めるしかないのかもしれない。

かつてどこの農村にもあった、農村の3原色。
レンゲの「赤」麦の「青」菜の花の「黄色」。
この3原色が消えた昭和30年代後半から、日本は高度経済成長期と言われ、
農家から、働き手が都会へと流れた。
その結果、人手不足となり、機械化、化学肥料、農薬が農村に持ち込まれた。
農家は、現金がなければ、成り立たなくなっていった。
薪や炭の生活は失われ、山は荒れ放題。
手作りしていた加工品は、会社帰りに、スーパーで買ってくるようになった。
昔からの伝統食は、若い人には受け継がれなくなり、
そのうち、自給していた野菜でさえ、
若い人は、スパーから買ってくるようになったと、
お祖父ちゃん、お祖母ちゃんは、嘆くようになった。

放射能は、これらの農村の風景を取り戻せと、
愚かな人間に教えているのかもしれない。
0ベクレルに出来ない田畑なら、食べるための作物でなく、
菜種を植えて、油を絞りなさいと教えてくれていると思わざるを得ない。
油にはセシウムは移行しない、せめともの救い。

私は、いつの日か、日本中の農村に、若者が生き生きとして働き、
3原色に包まれた美しいふるさとが戻ってくる日を待っている。







2012年秋、飯館村訪問時の写真 
 

「イースターの日曜日のテーブル」

2014年04月20日 | 家族




イースターの日曜日。
天気にも恵まれた一年に一回の春のお祝いだ。
テーブルセッティングも晴れがましく、楽しさ溢れる特別の朝食。













子供達もそろそろ大人になるのに、それでも恒例のイースターのタマゴ探しに
夢中になっている。











遠い昔、日本で過ごした自らの幼年期。
40年以上昔のことだ。それでも今日のように、当時の全てを
失ったような気持ちの子供の頃を思い出すことがある。
胸の中に潜んで、消えることはないのだろう。

子供達と過ごしてきた20年余り、妻がずっと続けて来たこと
の大切さ、子供達に伝えた毎日の幸せに本当に頭が下がる。


「ドイツで作る日本のご飯 - 浸しトマトの朝食」

2014年04月19日 | ドイツの暮らし

イースターはクリスマスと並んで家族が集まる大切な時間。
息子達二人も外から帰ってきて皆でのんびりとした朝食の時間。





湯煎したトマトを昆布出汁、酒、薄口醤油で炊いたトマトは
二日間、
たっぷりと旨味を吸い込んで、冷たく冷やしても本当に
優しくてしっかりした味わい。
盛り付けの際に、ほんの少しの柚子果汁と生醤油を足して、茗荷と胡瓜の
お新香を細かく刻んで、軽く天盛りにすれば、まさに春の朝の軽いご飯
小さな漆の器に軽く盛れば、なかなか洒落た小鉢風。


 


うちの妻も長男の彼女ハナちゃんも文句なく美味しいの一言。
最近すっかりベジタリアンのハナちゃんには、「これはいわゆる日本の
ピーガン料理だよ」などと説明するが、
それよりも、これから夏に向かっての素敵な料理だと思う。
妻も本当に美味しいと言ってくれる。


 


昔からの和食の基本をきちっと理解して、その本質を生かすことが出来れば、
これほど健やかで理にかなった、人の体に優しい料理は世界でも稀だと思う。





「ハイナーとペトラのオーガニック農園」

2014年04月19日 | ドイツの暮らし




イースターの週末。
いつものようにハイナーとペトラのオーガニック農園に買い物へ。
今日は本当に良い天気だ。

畑の真ん中に作られた複合型の独立農園、自営のオーガニックマルクト、
その前の大きな砂場で遊ぶ小さな子供達、若いお父さん、お母さんの姿。
自然に気持ちがほぐれ、誰の顔にも笑顔が浮かぶような風景だ。








125年続く農家を、親の代の慣行農業から、当時若かった二人が
有機無農薬に転換して25年。
今は買い物客だけでなく、地域のコミュニティーの結び目にもなっている。
ハイナーとペトラは良い仕事を続けてきたと思う。


 


下の写真は彼らが農園125周年
を記念して作ったポスターだ。
親子三代に渡る家族一体の雰囲気が良く出ている。
ハイナーとペトラの二人にはやりがいのある仕事をしてきた自信と
これからも続けていく力がある。
今年の秋には125周年の大きなお祝いがある。
それがまた未来への更なる一歩となるのだろう。 







「春の草花達」

2014年04月13日 | ドイツの暮らし







ドイツは今、日曜の午後4時過ぎ。もうすぐ夕食の準備を始める時間。

でも、午後の陽射しが暖かいので、庭に座って空を眺めたり、
小鳥達のいろいろな声を聞いている。
昔、読んだエーリッヒ・ケストナーの小説「飛ぶ教室」の
冒頭部分を思い出す。





50の半ばになっても人生の在り方は分からないことが多いので
今日は最近読んだ本のアドバイスに従い、「80のやりたいことリスト」
を書き始めた。
そんなことのせいか、今日は外にいても、庭にいても
春の風景が目の中に飛び込んでくる。




 





人生は何かを達成することではなく、ここに在ること、
自らに充足していることだと思う。

 


「日本から持ち帰った春の筍-家族のご飯」

2014年04月13日 | 日本の「食」




「4月13日」

日本から持ち帰った筍でタケノコご飯を作りました。
去年密かに持ち帰った山椒もドイツの地にすっかり馴染み、
今年の春は木の芽も沢山あります。

炊き込みご飯は炊きたてもご馳走だけど
一日経って、室温で少し冷たくなった時がまた美味しい。
五分搗きのご飯の一粒一粒に味がしみこみ、
もっちり、きしきしとした噛みごこち、
味わいが体の中に広がり、
故郷への感謝の気持ちと、こうして異国の土地でも元気で
暮らしていられることの有り難さが朝の静かな時間に、心の中に広がります。








今回は昆布水で姫皮を薄口醤油、酒、塩で柔らかく炊いた出汁汁を
たっぶり使って炊き上げました。
タケノコの本身は貴重品なのでほんの少ししか入っていませんが、
優しくて、上品な味に仕上がりました。





ドイツで育った娘も筍は大好物。
茹で筍とは一味違う本物の手作りの美味しさ、味の深みがしっかりと伝わりました。
日本から毎回、季節の食材や家族の好物を持ち帰っては料理する
父親の僕にも嬉しいことです。
 
 

高田 知行さんの写真
 
 
「4月14日」

娘と友達のイザベルは、幼稚園に入る前、ヨチヨチ歩きの頃からの幼なじみ。
先週でギムナジウムの最後の授業も終り、あとは卒業試験を残すのみ。
ちょうど午後から遊びに来てたので
前からの約束だった我が家の夕食、和食への招待と相成った。





タケノコご飯に若竹煮、姫皮で取った出汁に
白身の魚、豆腐、分葱の澄まし汁、吸い口に茗荷を添えて。





帆立貝と鱈の昆布締めのカルパッチョ風を間に挟んで、
筍、セロリ、エリンギ、チキンのあっさり炒め物、
そうそう、その前に出した小丼には舞茸、ネギ、お揚げさんの卵とじに
椒を振って、我が家自慢の糠漬け、お新香も添えて。

メインディッシュはスベイン料理にヒントを得た香味野菜と白身の魚、
海老の入った海鮮オリーブオイル鍋、白ワイン、昆布水、レモン汁
白醤油のベースに少しのニンニク。
簡単でいつも美味しい我が家の定番料理。
 



最後の締めに柚子風味の冷たい蕎麦も用意していたけど、
娘も友達ももうお腹いっぱいとのことで、皆で
「ご馳走様、あゝ美味しかった!」の大円団。


高田 知行さんの写真
 
 
Sushi以外には初めての和食だったイザベルに
「何が特においしかったか」と聞くと、
「本当に全部美味しかった。それでも特に若竹煮と澄まし汁、
それにお揚げさんの卵とじが素晴らしかった。」と言う。
いやいや嬉しいことだ。さすが、娘の幼馴染み。
日本の春の料理が伝わって良かった。
次回は箸の使い方も教えてあげようと思う。
うちの娘も喜んでいた。
家族と友達に作る料理は手間がかかっても、やりがいのあることだ。

明日もまた、皆のご飯を作ろう。
 
 

「春のいのちが生まれる」

2014年04月12日 | ドイツの暮らし


写真: ドイツの自宅に戻って初めての週末。いつものように友達のオーガニック農家に週末の買い出しに行く。  農園の牧草地には生まれたばかりの羊の赤ちゃん。お母さんのお腹の中から今、出てきたばかりだ。  イースター前の暖かい春の一日。  この頃、ドイツの日常の中で景色は違っていても、昔の日本にあったものを思い出すことがしばしばある。


「4月12日」

ドイツの自宅に戻って初めての週末。
いつものように友達のオーガニック農家に週末の買い出しに行く。
農園の牧草地には生まれたばかりの羊の赤ちゃん。
お母さんのお腹の中から今、出てきたばかりだ。
イースター前の暖かい春の一日。

この頃、ドイツの日常の中で景色は違っていても、
昔の日本にあったものを思い出すことがしばしばある。



「4月21日」

イースターに生まれた三匹の赤ちゃん猫。





いつもお母さんのクレオと一緒にいて、眠っているか、お乳を飲んでいる。
まだ名前もない。









「5月11日」

今日は「母の日」。

イースターに生まれた仔猫三匹とお母さん猫のクレオ。








 

2014年4月 日本への出張

2014年04月03日 | 随想
2014年4月2日、
上越新幹線で上野から長岡へ。
大きく蛇行する荒川の広い流れを今、渡ったところ。
何処にも緑のない都会人が利便性のみを求めて、整備をつくした河川敷。

春の霞、満開の桜。歌にも謳われたその姿。
過去の面影、今は跡形もなし。

迷子になった帰朝者のような僕のちぐはぐな心を乗せて
世界に誇る高速列車が大宮、高崎へと向かう。
関東平野が左右に広がる。
視界の届く限り、途切れることなく続く
高層ビル、マンション、プレハブ建築、コンクリートの海。
その中に時々、浮かび上がる満開の桜達。
僕の眼には、まるで過去からの亡霊のよう。

現代日本。この島国は戦後70年をかけて、
本当に世界に冠たる奇妙な社会を生み出したと思う。
高速列車は一直線のレールの上を前へ前へと走り続ける。

もう、高崎も過ぎた。
もうすぐ越後、雪国の春。
異端の心に映るその山並み、名残の雪。
日本、この国に生まれたことへの哀しいほどの懐かしさ。
今日の夜は山里の水に浸ろうと思う。

 
写真: 2014年4月2日。上越新幹線で上野から長岡へ。大きく蛇行する荒川の広い流れを今、渡ったところ。何処にも緑のない都会人が利便性のみを求めて、整備をつくしたその河川敷。  春の霞、満開の桜。歌にも謳われたその姿。過去の面影、今は跡形もなし。  迷子になった帰朝者のような僕のちぐはぐな心を乗せて、世界に誇る高速列車が大宮、高崎へと向かう。  関東平野が左右に広がる。視界の届く限り、途切れることなく続く高層ビル、マンション、プレハブ建築、コンクリートの海。その中に時々、浮かび上がる満開の桜達。僕の眼には、まるで過去からの亡霊のよう。  現代日本。この島国は戦後70年をかけて、本当に世界に冠たる奇妙な社会を生み出したと思う。  高速列車は一直線のレールの上を前へ前へと走り続ける。  もう、高崎も過ぎた。暫くして長いトンネルを抜けると、突然、越後、雪国の春。異端の心に映るその山並み、名残の雪。日本、この国に生まれたことへの哀しいほどの懐かしさ。今日の夜は山里の清らかな水に浸ろうと思う。