冬の日のいろいろサラダ

2017年01月28日 | 毎日の食卓

昔、今日はサラダ記念日って詩があったっけ。

まだまだ、寒い日が続くのだろうか?。
お皿の上だけでも、春よ来いと思っての、色々サラダ。

でも、なんかやっぱり、春の花のような明るさはないなぁ…。

春よ来い!


冬の日のメモ - 「無理をしないこと」

2017年01月21日 | ドイツの暮らし

【1月17日】

色とりどりの花のような、小さな子供達。

昼御飯の後、午後の仕事の前に近くの広場に散歩に出たら、
たまたま出会った風景。

良いなぁ、僕も今日はなるべく早く仕事を終えて、村のプールに
泳ぎに行こう。その後はゆっくりと料理のノートを書き始めよう。

子供たちの笑い声。自分の足腰の動きのぎこちなさ。50代も半ばを過ぎて、
人の人生の長さ、短かさがだんだん分かるようになった。
この歳だからこその今。

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【1月19日】

今、ドイツはお昼の時間。

今日はもう朝から春のような青空、野に畑に輝くような光が拡がる。
僕の少し年老いた頭の皮にも、マフラーを巻いた首元にも陽光の
明るさ、暖かさ。

あぁ、本当に良い天気だ。
自宅から農園カフェへの道、僕の心も広がる土、緑、空、光。

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【1月21日】

今日は良い天気。
自宅から歩いて約5分、週に数回はこのプールに来る。

ひとりになって考える、運動をする。
頭と体がひとつになると、自分の中の見通しが良くなる。
以前書いた文章、『無理をしないこと』という文章を思い出す。
まだ、福島の東電原発事故の前のことだ。

事大主義と事なかれ主義、変な愛国主義、意味のない島国根性、
これら全て、本来全く「理の無い」話、理性に支えられた
ロジックでは一切無い。
福島の事故の後、この6年間でその傾向はいよいよ強まり、
日本の社会の硬直性は明らかに危険な領域に入り込んでいる。

「無理をしない」ということは、日頃の生活の中で、
気持ちの余裕と時間の余裕があること。そして、「理の無い」
ことをしないこと。 

日本の戦後70年は、個人の生活でも、社会・経済の活動でも
その「無理」を重ねてきた歴史、その帰結が今の時代相なのだろう。

日頃から「無理をしない」ということを肝に念じよう。

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2010年秋、
今日は本当に久し振りの「ひとり水泳部」
泳ぐよりもブールサイドに寝っ転がって、大きな伸びをしたり、
日向ぼっこをしたりホンワリしている。
秋の陽射しも心地よい。

僕のコーチは、「明日のジョー」より「バカボンのパパ」 
無理をしない。

そして、ここ最近読んだ2つのことを思い出す。

@minorikitahara「国益」って言葉を使って話す人に、
あんたは大臣か! と笑ったところ口論になる。 
バカにした訳じゃないよ、ほんとに冗談だと思ったんだよ! …
私にとって「国益」なんてものがあるとしたら、
ご近所どうし仲良くね! だけだな。一人一国益よん。
(まさにその通り)

@footballanalist ドルトムント戦を見る。ただゲームを殺す力が
まだないのは、チームが香川が全能の神として君臨するときを
待っているから。…
(これはドイツでは誰も考えなかったことだ!客観性も根拠も
全く無いが実にユニークな発想。)

上記双方、どちらも気軽に書いた言葉だろう。でも両者の間には大きな、
圧倒的な開きがある。一方は少し神がかり、変な愛国主義、意味の無い
島国根性。男性論理が転がって行く。

他方は実にすっきり自然体。
女性の、ひとの当たり前のこと。

事大主義と事なかれ主義、どちらも
あまり好きではありません。

無理をしない。
それは理の無いことをしないこと。

 

「21世紀の和食かな ? - 固有と普遍の間で」

2017年01月04日 | 日本の「食」

次男と末娘に手伝ってもらって、夕食の準備中。
末娘に「今日の糠漬けは大根、長芋、キュウリ、人参、セロリ、
どのお新香も切って、盛り付けて置いてね。」と言ったら、
こんな感じになりました。 

娘の美弥のお新香の盛り付け方は本当にユニークです。
それに気がついたのは、約一年半前、「パパ、これどう思う ?」
と嬉しそうに自分で盛り付けたお皿  (下の写真)
を持って来たときのことです。びっくりするとともに
思わず吹き出しました。

こちらは次男の健。やはり一年半前のお新香の盛り付けです。

次男の健と末の娘の美弥、とても仲のいい二人ですが、お新香の
盛り付け方を見ると各人の個性の違いが実にはっきりと表れていて、
面白いものです。
そして、どちらも日本で生まれ育った僕ではまず思いつかなかった
盛り付けです。

さて、今日の夕飯の小鉢は、昔からの白和えをアレンジした我が家の
定番、「豆腐&練り胡麻・白味噌ソースのいろいろ野菜の和え物」でした。
今回はその豆腐ソースに赤ビーツのピュレーも少し加えました。
ちょっとピンクレディーな小鉢になりました。

こうして並べてみると、ピカソや印象派の絵画のような
カラフルな我が家の今日のご飯。

これも21世紀の和食かな⁉︎

『食』も文化の表現。いつかは国境や慣習を超えて、それでも
歴史と個人、普遍と固有の間で行ったり来たりするブーメラン、
ブランコのようなことかと思います。

個人の「独創」と言えども、一人の命が突然生まれてくることが
ないのと同じように、常に歴史と文化の大きな枠の中で成される、
個々の表現。だからこそ「捉われること」と「捉われないこと」の
間に色々な感動があるのだと思います。

固有と普遍の関係は、何百億、何千億の雨の一粒、一粒が一つの
大河になるようなことかもしれません。


新年の雪、清々しい空。

2017年01月02日 | ドイツの暮らし

今日は新年初めての、清々しい空、雪の朝でした。太陽が輝き、
静かな風が吹いてきます。

日本の友人、知人の方々、明けましておめでとうございます。
これまでの道を振り返り、新たな一歩を、勇気を持ち、常に愉しい
心持ちで、穏やかに踏み出せますように!

各々に良い目標と良いプロセスでありますように。