秋の日に - 2012年11月24日

2012年11月24日 | 友人


ドイツから関空に到着直後、十年来の知人の訃報に接する。
僕には数少ない親しい友人、知人の一人だった。難病からの回復後、
まだまだ生きていたかっただろう。生きていてほしかった。

ドイツの自宅に泊まって、僕や妻の手料理やミュンスターへの遠足を
楽しんでくれたことを思い出す。
前に出ること一切なく陰からいつも僕達のプロジェクトを支えてきて
くれた。もう一度だけでも話がしたかった。
互いに全く違う世界に居ながら、心の中で通じ合うことがあった。
本当にどうも有難う。

心からご冥福をお祈りします。


「2012年夏から冬にかけて- 日本とドイツの間で 」

2012年11月18日 | ドイツの暮らし

「日常の中で、本当に大切なことって何だろう?」脱原発の活動は、本来この問いかけを内に秘めたものなのだろう。
けれども、個人においても運動においてもその二つが両立することはほとんどない
。僕の場合にもそれが当てはまる。
12月16日の総選挙に向けて、また茶番劇が繰り返される。このようなことを何十年と続け、今も、福島の事故の後これだけ取り返しのつかないことが起きても、それを支える日本の大衆・社会。
今年の夏、日本から戻って以来、自分がこのことに本当にどう関わっていくのか、幾度も問いかけている。今もその答えは見つからない。

自分の生を享けた日本の風土・歴史・文化。その愛着、感謝、畏敬、この深いつながり、絆に僕はどう応えようとしているのか。
今、そのはっきりした答えが自分にはない。ただ、その方向だけが徐々に感じられる。毎日の日常の中にある時間の大きな流れ、一瞬と永遠のつながり、その二つが結びついた在り方。その中での毎日の作業。これから十年、十五年、二十年の仕事だと思う。


8月10日

名古屋から次男と奥飛騨に向けてバスで移動中。18歳の次男との日本の旅も、もうすぐ一週間になる。昨日は二人で父親を訪ねる。88歳、老いた父、一人暮らし。次男とは七年ぶりの再会。これが最後になるかもしれない。僕は日本の父親とドイツで生まれ育った息子の間に座り、二人の片言の会話に耳を傾ける。やがて親父は饒舌になり、昔からの大声で一方的に話し出す。この話し方、この声に、僕は小さい頃から聞く耳を一切持たなかった。息子には伝えきれない幾つかのことがそこにはある。けれども、それももう過去のことだ。
親父の腫れぼった両手、象のような両足。僕は息を止めるようにしてじっと見つめていた。秋には一人で会いにこよう。それが本当の最後かもしれない。


8月31日

 夜11時。ドイツに戻ってから2週間。沖縄の歌を聴きながら、北の夜空を見上げる。夏はもう過ぎたようだ。木々の匂い、夜の緑の風。
毎日、毎日、本当に忙しく、集中的に働いている。
誰の為でもない。僕が決めた仕事、雲間から覗く秋の月。人生のテーマに関わること、そのことに向けての仕事。そして、家族がいること、家族と一緒に毎日生きていることの幸せ。子供たちも元気に大きくなった。人生50年を過ぎて、悪くないと思う。まだ、僕は若い。そして明日がないこともあり得る。北国の蒼い夜の空、月の光の中にかすかに光る星々。


9月5日

もうすぐ真夜中の二時。 仲秋の満月は既に欠けた。 秋の訪れを告げる雲が過ぎ行く。蒼い空に月が輝く。 私の心に映り出される秋の空。空っぽなこととは違う。
人生の半ばの空。出来た事があれば、出来なかったこともあった。人生の幸福。そんなことに気付くことも無く、考えることも無く、見上げれば、月の光。それは太陽の光。


9月15日

ガンディーの言葉

わたしは断言する。真の非暴力社会を実現できるのは、巨大産業社会などではない。
それが実現できるのは、自給自足の暮らしの仕組みが整った、村社会である。

現代社会に巣食う七つの大罪とは……。
理念なき政治 労働なき富 良識なき快楽 貢献なき知識 道徳なき商業 人間性なき科学 献身なき信仰 読者はこれを頭ではなく、
心に刻みこんでほしい。


9月18日

8月の下旬、日本から戻ってきてから僕は文章を書くことに大きな躊躇を感じている。
脱原発の事についても、この約一年半、本当に自分の時間を大きく割いて真剣に取り組んできた。
けれども、日本の社会の在り方やその価値観が福島の事故の後、これだけ取り返しのつかないことが起きても大きく変化したようには僕にはどうしても思えない。
その中で、この日本の社会への関わりよりも自分には人生の中でより大きな仕事、より大きな課題があるように思われて仕方がない。
日本の国、自分の故郷、その歴史や文化に対して自分が果たすことの出来ることは本来、違うところにあるのだろう。
今日はようやく9時少し前にデュッセルドルフから戻ってきた。早速、いつものようにすぐ夕食の準備に取りかかった。


10月17日

秋が来た。過ぎてゆく。人も風も人生の一日。夜中の時間。いつも聞こえてくる一人の声。 子供の頃に母親を家族を失った少年は、宇宙の中に浮かんだまま、何処にもたどり着くことがない。
微かな光明のように、薄闇の中、消えることのない想いを胸に懐いて生きていくのだろう。 秋の夜中。すやすやと眠る妻と子供達。かけがえのないこと。異国の中に見い出した幸せ。明日が終わりであっても、僕の人生は決して不幸ではない。だからこそ、今、自分一人の人生を超えてやり遂げたいことがある。

10月28日

友達に宛てたメールから

連絡有難う!
ドイツで元気にやっています。
日本のことは、自分の家族のことのようにいつも考えています。けれども脱原発の具体的な活動については8月下旬にドイツに戻ってからひとまず現在休止状態です。
本業もさることながら、自分の本当に大切なことは日本の「食」のテーマです。
毎日のように自宅の厨房に立っています。
日本の一番素敵な深い部分に携わることも、この壊れて失われた国には大切なことと思います。それを自分の作る料理と文章で伝えていくことも、僕の人生の使命かと思っています。
11月には日本で会えると思います。楽しみにしています。
では近いうちに!


10月29日


冬時間の始まりを待っていたかのように初霜の降りた晩秋、初冬の日曜日。
若くして亡くなった母の43回忌から1週間。午後からドイツで生まれ育った3人の子供たちに亡き母のこと、浅草の母の家系、父の柳井・広島の家系、じじ、ばばのこと、昔の東京の浅草のことなどを話す。
夕方からは4~5時間、晩御飯を挟んで、料理に没頭する。
ドイツに住み始めてから約30年、沢山のことがあった。
子供の時から青年期まで、天涯孤独の心境を懐いていた。その名残りは今も夜半の時間に僕に忍び寄る。
そんな時、つくづく有難く思うは、この異国の地に住み慣れ、生涯の国となり得た妻の支えとと子供達の健康。


11月2日

今日の夕飯。
かぶと鶏とセロリの卵とじスープ。
牛蒡とセロリと豚バラの角煮風。
切り干し大根と紅しょうがのお新香。
小イワシの小梅・生姜煮。
白いご飯は蒸しなおし。
高野豆腐とニンジンと干しいたけの炊いたの。
しっかりとった薄口のだしで炊いたかぶ。