冬の朝 - 12月30日

2010年12月31日 | 随想

朝7時。外はまだ暗い。
三日月がまだ光る。その左は金星だろうか。
朝星は銀色。今は最後の黄金の光。

朝8時。氷が融け始めているのだろう。
白雪を覆って、朝靄が立ち込める。遠くに微かな光。
貴方に伝える言葉をなくしてしまったかのよう。





大雪の中、アドベントからクリスマスまで。

2010年12月27日 | ドイツの暮らし

ドイツは何十年ぶりかの豪雪。12月初めに日本から戻ってきて以来
ずっと雪の中で暮らしている。毎日、毎日、こんなに雪の景色を眺め
ながら暮らすのは初めてのことだ。クリスマス休みが終わって、今日
からまた仕事。10日間を振り返ってみる。


12月18日(土)自宅の近く。雪の中の散歩


果てしない空、大きな大地。シベリアかアラスカの雪原のよう。
その中を犬を連れて、散歩する人達。北の国。今年は正真正銘の
ホワイト・クリスマスになりそうだ。


12月18日(土)クリスマスマルクトで


デュッセルドルフのクリスマスマルクト。
屋台の食べ物いろいろ。焼き栗、アーモンド砂糖がけ、マッシュルーム
炒め、焼きソーセージ、石窯パン、クレープ、ホットワインなど。
僕の一押しはやっぱりライベクーヘン。おろしジャガイモ、タマネギ、
小麦粉の素揚げパンケーキにアップルムースを付けて食べる甘辛の味。
久し振りにおいしかった。


12月19日(日)クリスマスツリーの森


大雪の中、友達夫婦3組とクリスマスツリー用のもみの木を切りに
行く。クルマを連ねて、約100キロ離れたジーガーラントへ。
まず体を暖めてから。ホットワインと焼きソーセージ。




クリスマスツリー用の森の中を歩き回り、其々に合った大きさ
の木を探し出す。子供達は雪合戦。
僕達もようやく手頃な木を見つけて、根元を切り始める。
なんか狩りに行ったよう気分。




切り出したもみの木を運び出す。そんなに重くはない。
足下に注意。




ジョウゴ状のブリキ缶の中に、もみの木を力づくで突っ込み
運搬用のネットをかけて、一気に引っ張り出す。




一丁上がり。後は車に積み込むだけ。
クリスマスツリー用のもみの木は毎年、植樹されている。
背丈が2mを越えるのに、7~8年かかるとのこと。




帰り道。ジーガラントの森。雪景色。丘陵地帯とはいえ
こんなに雪が積もることも珍しい。
ドイツは、田舎と街の暮らしの差が日本ほどは大きくない。
地方独立の国と、何事も東京に一極集中の国の違いか。


12月20日(月)雪の日の朝




相変わらず一面の雪景色。今日は朝から太陽が顔を
出している。久し振りの青空。


12月22日(水)雪の中の外出


買い物に行くにもまず雪掻きから。家の前の歩道の雪掻き
は各々の責任。ドイツでも本来は男性の仕事。僕も手伝った。




午後、外出から戻ってきた。寒い、寒い。
昨日の出汁の残りがあったので、慌てて、豆腐の餡かけ
かき玉風を作る。日本から持って帰ったゆずがあったので
最後に振り柚子を少し。思いつき料理だったけれども、体が
暖まってほっとする味。香りも良くて、大好評。


12月23日(木)大雪の中、健が帰ってくる


英語の研修で4ヶ月、外国に行っていた次男の健が
今日戻ってくる。家族みんなが帰りを楽しみにしている。
昨日、美弥が友達と一緒にお迎えの雪だるまを作った。




大雪で飛行機が飛ばず、ようやく夜中の12時半になって
自宅到着。それでもみんなで夕食を食べる。
健の大好物のたらこスパゲッティー。
アイルランドのホストファミリーの食事は、冷凍食品ばかりで
大分辛かったようだ。ニキビ顔で帰ってきた。




次の日の朝。久し振りに、健と一緒に我が家の
「五右衛門風呂」に入った。湯船に入れば互いに銭湯気分。
ゆっくりといろんな話をする。


12月24日(金)クリスマスイブ


クリスマスと蝋燭の灯り。
外国の風習なのに、僕にも何故か懐かしい風景。




デュッセルドルフから「Oma」(オーマ)もやってきた。
そろそろ夕食。




今年のクリスマスイブの夕食は「Rinderrouladen」(ハムとピクルスの
牛肉巻煮込み風)。付け合わせは塩ゆでポテトと甘酸っぱいリンゴ入りの
赤キャベツ煮。古典的なドイツの家庭料理。でも、クリスマスイブにどんな
料理を作るかは、各家庭によって相当違いがあるようだ。




夕食のあとは「Bescherung」贈り物の時間。
子供達が小さい頃は他の部屋で待っていて、用意が整うと
鈴を鳴らしたものだ。一人一人に家族、親戚、友人から沢山の
プレゼント。僕も初めの頃はただただびっくりしていた。
買い求めた物と手作りの物が混じり合う。




美弥からのプレゼント。手製のクッキーで作ったお菓子の家と
昔の写真が張られたクリスマスカード。
三人ともかわいかったなー。親バカ300%。




最近、娘がギターを習い始めた。その伴奏でクリスマスの
歌を2、3曲みんなで合唱。僕は音痴な上に、ドイツ語の
歌の歌詞がどうしても覚えられない。




「雪夜の思いつきカクテル」
歌も終わって、喉が渇いてきた。ワインはもう沢山。
少し辛口の白ワインに降り積もった雪を入れて、純米梅酒に
つけ込んだ柿の実のサイコロを添えてみた。洋風かき氷と
シャーベットとシャンパンが混ざったような感じ。
そろそろ、オーマを家に送っていく時間だ。


12月24/25日(金/土) 真夜中のクリスマスツリー


クリスマスイブの真夜中。妻と雪の中、83才の義母を自宅に
送って行く。 精神科の夜間看護婦をしながら、女手一つで娘を
育て上げた気丈な母。その義母が勤めていた州立病院と樅の木。
雪夜の中、巨大なクリスマスツリーとして聳え立っている。


12月25日(土)宴の後


クリスマスイブが過ぎての二日間は静かな時間。家で
ゆっくりしたり、親戚を訪ねたりする。
今年は昼過ぎまで朝寝坊。何もしない内に夕方になった。
雪の日はまだまだ続きそう。


クリスマスマルクトで考えたこと。

2010年12月19日 | ドイツの暮らし

クリスマスまであと一週間。先週末は僕も久し振りに妻と連れ立って、
クリスマスマルクトに出かけた。
デュッセルドルフやケルンのような大きな街では、クリスマスマルクト
自体も観光化、商業的なイベントと化している。
それで、今日は近くの村の元農園で開かれている小さなクリスマス・
フリーマーケット、手作り市に足を向けた。
個人、グループ、ボランティアの人達がそれぞれに出店を出している。





ところで、いつも不思議なことがある。なんで日本でクリスマスを
祝うのだろうか。キリスト教信者の方々は別としても、僕達の歴史や
文化、暮らしに何の関係もない。
宗教的な伝統行事がこの百年間、工業国ではどこの国でも世俗化、
商業化したけれども、何の関係もないモノをここまで表面的、皮相的
に取り入れて、みんなで楽しむ、それを訝る人もいない。
秋の新酒、冷やおろしは忘れて、ボージョレを楽しむ。
元旦の静謐はなくなり、正月三が日は陰を薄めて行く。







日本に年に三回は戻るけれども、年を追うごとに分からないことが
増えてくる。日本はますます、不思議な国になっていく。
それでも、僕の故郷だから恋しくてたまらない。ただ、新しい日本には
ますます興味が薄れていく。古い日本が新しい時代の中で受け継がれ、
発展して行くことには関心がある。自分もその一助にはなりたいと心から
思う。

クリスマスからお正月まで、ドイツでは時間がゆっくり流れて行く。
自分でもこのことについてはよく、よく考えてみたいと思う。


大雪警報、今日もまた雪が降っている。

2010年12月17日 | ドイツの暮らし



雪の中で立ち往生した5人家族。「これ以上走ると危ないから、
私の家に泊まって行きなさい」と助け舟を出した体操の先生。
ドイツ流、袖触れ合うも他生の縁。


毎日、雪のことばかり。自分でもそれ以外に書くことがないのか
と思う程。でもドイツ中、どこを向いても雪の話ばかり。
巨大な冷凍庫の中で、雪が降っているよう。
昨日はその上、仕事場のヒーターが壊れて、室内でも足下から
這い上がってくるような寒気。
だから、夕飯も鱈ちりや野菜のスープ、昼御飯は玄米雑炊。


ドイツ・デュッセルドルフ。大空の下、ライン川が流れる。冬の空。
一面の雪景色。 友の声を聞く。心が大きく広がり伸びてゆく。
一人で川岸を行けば凍てついた指もポケットの中で暖まってくる。
空も水も人の心もつながっては離れ、また出逢う。



北国の蒼い空。冬の散歩。沢山の春夏秋冬を見てきた 大きな木。
雪化粧の凛々しい姿。遠ざかっていく人影。





冬の夜。凍りつき、透きとおる。雪灯り。
闇の中に浮かぶかすかな 響き、木霊の声。
時が止まる。長い、長い冬。



雪の日の随想。

2010年12月14日 | 随想
今年のドイツの冬は厳しそう。
僕が日本にいた11月末には早くも−10度の日が続いたそうだ。
雪には想い出がつきまとう。

雪が降っている。しんしんと降る雪。
明日は真っ白な雪景色。
雪化粧の庭石にろうそくを、灯りがひとつ。
雪が降り、雪が積もる。
時間が止まるようなとき。

ともに過ごした過去もなく、
何も知らないのに、
僕の中にあなたがいる。



朝まだき、指が凍るような空気の中、
一人で外に出た。
まだ誰も歩いていない。
山の風景や、子供の頃のことが暗闇の中に浮かび上がる。



冬の遅い朝が明けようとしている。朝8時。
家の前の雪掻きをする人達、街に向かう勤め人達。
村のプールではもう水泳の授業。
冬の木々、雪風に揺れる枯れ葉がひとつふたつ。
一日が始まる。


今年の冬は長くなりそうだ。
雪の中に、焚火の紅い火を想う。



アドベント(待降節)- 日本とドイツの間で。

2010年12月10日 | ドイツの暮らし

日本に一ヶ月以上もいたのは本当に久し振り。こんなに長く居たのは、
20年以上前、ドイツ留学から戻って大学院に修士論文を提出した
1987/8年の年末年始以来だ。当時、中学時代からの友人達と除夜の
鐘を撞き、明治神宮に初詣に行ったことを思い出す。その中には
亡くなったSもいた。一昨年の正月に、突然この世からいなくなった。
僕には唯一の、全てを話せる幼なじみの親友だった。日本に戻ると
何かにつけ、彼のことをよく思い出す。もう彼と話すことは出来ない。
今でも信じられない。
今回の日本では、いろいろなことがあった。本当に忘れられないことも
幾つかあった。彼とならば話すことが出来ただろう。


ドイツに戻った一昨日の夜はあたり一面、雪景色。
昨日の朝、街に出ればすっかりアドベント、人の心も街もクリスマスを
迎える雰囲気。何年か振りに朝のカフェに行く。隣街のノイス(Neuss)は
ローマ人の遺跡も残る小さな街。老舗の菓子屋のカフェに足を向けた。





カフェの二階に上がって窓際に陣取り、外を見たり、店内を見回したり。
さすがに街の老舗。ドイツにしては親切なボーイさんが、何種類もの
朝食セットの載った品書きを持ってくる。朝からお昼のメニューも
注文可とのこと。自分でもびっくり、ジャガ芋と葱のスープを
頼んでしまった。日本から身体だけがドイツに戻ってきたような感じ。
大切な友人に電話をする。懐かしい声。

心はまだまだ日本にある。昨日の記事で『ふたつの椅子の間で』
と書いたが、どちらにも座れないので、カフェに座っている。
おばあさんとお母さんと孫が三人で仲良く朝御飯。外を見れば
ちらほらと雪景色。





病院での膝の検査を終えて、昼前に自宅に戻る。今日の昼御飯はすっかり
ドイツスタイル。南ドイツの伝統的な詰め物パスタ、いわばドイツの
ラビオリ、マウルタッシェン(Maultaschen)にラプンツェル(Rapunzel)の
サラダ。南の方に行くとマウルタッシェンを家で作るところも少なくないが、
僕らの地方では美味しそうなのを見つけて買ってくるのが普通。
昔からの大好物、今度は手作りに挑戦してみよう。



マウルタッシェンをナイフとフォークで食べながら、友達のSと歩いた
南ドイツの街を思い出す。今回、日本で秋の一日、森の中の散歩の後で食べた
おむすびとほうじ茶を思い出す。畑の向こう、山の上に広がっていた
夕焼けの風景を思い出す。懐かしさ、親しい人との時間は時空を越えて、
僕の中にとどまっている。


一ヶ月ぶり、冬のドイツに戻った。

2010年12月09日 | ドイツの暮らし
フランクフルトに到着。こうやって過去20年、50回程、日本とドイツ
間を往復している。 ドイツでは「ふたつの椅子の間で」と云う表現が
ある。
座れる椅子が見つからない人は辛い。 僕の場合はどうだろう。
座り心地の違いがあっても多分、両方に座り続けていくだろう。
でも、人の心は本当はそんなに自由ではない。


雪のデュッセルドルフに到着。背の高い人達、いろいろな髪の毛の色、
様々な服装、直截な言葉、大きな身振り。
バゲッジ・クレームに向かう途中に目にしたディスプレイ。いかにも
ドイツらしいダイレクトな表現。
とはいえ、自らの壊れた自然には目もくれず、今だに桜、紅葉の京都や
飛騨高山、春霞の富士山など、
空港のかしこに『Yokoso! Japan!』
なぞと大書きする精神よりは、こっちの方がずっと気持いい。



 
空港から高速道路を走ること約20分。どこもかしこも真っ白な雪
京都のホテルを出て約20時間。
本格的な冬の到来を告げる雪。
クルマを出ると凍てついた空気の
中に身体ごと割け入っ
ていくような寒さ。
僕の家族の住む土地に着いた。ドイツの冬だ。