日本出張、2012年11月末。
今日は秋晴れの一日だった。淡路島のホテルで朝、目を覚ますと、
窓から一面に瀬戸内の海と空。ちょうど朝の陽が昇るとき。
現代日本の姿が目の前に拡がる。 世界有数の産業社会の光景。
ずたずたに切り裂かれた瀬戸内の海岸線。無秩序な技術と資本の乱立。
日本中、何処に行ってもそれは似たりよったり。
過ぎ去った過去の日本。その面影を求めても虚しいこと。
非哀の感情、痛々しさのみが残る。何故ここまで国土の自然、
昔からの風土をないがしろにしてしまったのだろうか。
言葉はとどかず、佇むのみ。僕にはそれを表現する言葉がない。
日本の再生、復興等という言葉は全く信じられない。
「喪われた国」という想いのみが募っていく。
永遠とのつながりが断たれた社会。福島の事故につながった日本の日常。
今もそれは変わることがない。
ただ、私達が生きているのは取り返しのつかないことが起きた後の時代である。
福島に関わること。
私達に起きたことを語り伝えていくこと。
日本の社会の中の良い方向を求めること。それに加担すること。
日本の暮らしの大切なもの、貴重なものを自分の生活の中で伝えていくこと。
諦めないこと。
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福島へ - 2012年12月初頭
「福島市郊外 放射能汚染土壌の仮置き場」
何も生み出すことのないことが黙々と行われている。
除染が健康や生命に対して長期的に意味を持つことはほとんどない。
人の住まなくなった土地・福島県飯館村の秋。
先祖代々の稲田 -「放射能で汚染され、除染で破壊された。
今は何の生命もない。」
「飯館村小学校の子供達、ドイツからのクリスマスプレゼント」
永遠とのつながり、未来とは抽象ではない。
僕達の生命、時代を超えて生きていく子供達。
僕達の世代は既に人生の大きな時間を過ごした。
だからこそ、どこにいても、いつの時でも僕達が果たす責任があると思う。
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「12月8日・夜の随想」
福島最後の夜。初冬の雪、白い風、闇の中に舞い散る氷の結晶。
人々の声。アルト・サクソフォンの響き。
僕は彷徨うように、この何処にも居たことがなく。
親しい言葉を求めて彷徨い、人々の間に。
今はやがて来る人のことを想い続けるかのよう。
亡くなった詩人を語り、自分もその中に消えいく遥かな道を想う。
幸せな、儚き束の間の夜。アボカリュプスの夜。
もう夜明けは見えない。残照の国。光は見えない。
子供達の命の輝き。雪のような命。諦めることはない。
このようなことは幾度も繰り返されてきた。
私達の生命を超えていく調べがあるように。