過去5~6年、年に2~3回仕事の関係でフランスの首都パリに行く
ようになった。僕の職業がドイツ語を中心にしていることもあり、
フランスやパリには本来、全く縁がなかった。
もちろん、フランスの文化や社会の中に根付いた西欧中心主義や大国
主義、その中華思想的な発想には相当の反発感があり、フランスは
自分から進んで何度も足を運ぶ国のようには思えなかったこともある。
こういう部分では我ながら、幼稚で意固地なところが昔からある。
アメリカに訪ねて行きたいと思ったことが一度も無いのも同じ理由
からだろう。アラブ諸国や中国に対しても似たような感覚がある。
日本に居た頃も、自民党や霞ヶ関の官庁、学校で押し付けられた
天皇制に対して、身体的な反発感、距離感、嫌悪感と胡散臭さ感が
ないまぜになった感情が、子供の頃から強くあった。
「唯我独善」的な傾向、方向性を持った国やその文化には親近感が湧いて
こない。これらの国々が核保有に積極的であるのも偶然ではないだろう。
僕は基本的に非政治的な性格だし、社会参加についても消極的な
人生を送ってきている。それでも、フランスの南太平洋での核実験
には大きな憤りがあったし、1996年当時、なんと非人間的な発想を
する人達なんだろうと憤慨し、この国には足を運ぶまいと考えたこと
をよく覚えている。
去年の秋、11月末に初めて広島の原爆資料館を訪れた。広島と長崎
のこと、そして日本での核・原発問題については、別の機会に自分の
考えを整理し、日常の中での具体的な行動につなげていきたいと思う。
ただここで触れておきたいことは、米国の政権担当者の多くの人々や、
それを支えた人達が、人類史上未曾有の無差別大量虐殺になることを
明らかに知りながら、それを戦後の軍事上、政治上の戦略のために、
モルモットに対して科学実験を行うような無機質な感覚で遂行した
ことである。それはベトナムでもイラクでもアフガニスタンでも
繰り返されている。
非人間的な行為であるだけでなく、アジアの人々や他民族を自らの
同胞と見なさない、人間として等しい命として見なさない、生命の
価値を層別化する感覚と思想がそこにある。この価値観と思考の構造
は西欧諸国と米国の近代から現代の歴史を貫いている。それは今日
でも欧米の権力構造と、そこに関わる人達の精神の中に程度の差はあれ
抜き難く存在していると思う。
私達日本人は明治以降の近代化の歴史の中で、この欧米の構造に反発
しながらもそれを模倣し、第二次大戦、そして1945年の国と文化の
崩壊に至った。その過程で自己の民族とアジアの他民族に対して
致命的な傷を残した。その後、戦後から今日まで、日本人は独自の
価値観を形成することはなかったと思う。私達は自国の独立性と
自らの文化の自律性、文化的自尊心を大方失った一方で、経済的発展
をその物質的、心理的代償として過ごしてきたのだろう。
「では、どうするか?」ということは、私達一人一人への問いかけで
ある。それに答えようとすることは日常の生活、毎日の暮らしの中、
自分の具体的な生き方の中にしかない。
生命を尊ぶこと、自己と他者を大切にすること、自らの文化を大切
にすること、毎日の生活を大切にすること、核・原発に反対する
こと、唯我独善に与しないこと、これらは大きな一つのつながり
だと思う。