「クリスマスの朝の、暖かな光」

2017年12月26日 | ドイツの暮らし

今日はクリスマスの朝。



24日のイブから26日まで、この3日間はまるで昔の日本の三が日のよう。
街は静まりかえり、あちこちに散っていた家族もまた一つに集まり、
この一年を振り返り、時計の存在も忘れてのんびりと。


 

一週間に一つずつ灯されていくアドベントの蝋燭は、イブが過ぎても
これからまだ毎日、当分、皆んなの食卓を飾り、暖かな光を投げかける。

ドイツで30年余りを過ごし、僕の心もこの数年、ようやくその意味を
感じるようになってきた、と思う。
 


ドイツの片隅でー家族で「深夜食堂」の夜

2017年12月21日 | 日本の「食」

【12月21日】

クリスマスの前、家族で深夜食堂の夜。

イカのヒレの細切りとほうれん草の炒め物。
鳥の胸肉とハムと白菜の炒め物、魚の子、
高野豆腐、細ネギの卵とじなどの後、今晩のメインディッシュは、
ウイーンから帰って来る長男のために、特別に用意した久し振りの
鍋物、鱈ちり。
長男と次男が何度もお代わりをし、食べ終わったのは、なんと夜中の
2時頃でした。

生憎の悪天でウイーンからの飛行機が大幅に遅れ、ご飯のスタートが
そもそも午前零時を回った頃。
それでも今日からはクリスマス休暇だからなんでもOKか。

各々の勉強先からドイツの実家に帰って来た長男と次男。
まあまあその食べること、食べること。その上、箸の上げ下ろしの間に、
積もり積もった話を話すこと、話すこと。

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【12月30日】

クリスマスも過ぎて、うちの遅い晩御飯の締めは昨日、今日と
立て続けに冷たい細麺のうどんでした。
夏であれ、冬であれ、次男の健の大好物です。
昨日、一緒に食べていたのは幼馴染の親友。

今日のもう一人の連れは、この頃、幼馴染みのDavidと
同じくらい大事な存在の彼女。

作るのはいつも僕。健が小さい時からそうだった。

これからもそうだろう。
三人とも本当に美味しいと喜んでいた。
僕もああ、こうして自分の好きなものを伝えられて、本当に
嬉しいなぁと思う。
ただそれだけの話だけど、ちょっとノートしておきたかった。

さて、明日の夜のご飯は何にしよう?

 

 

 

 

 


「クリスマスイヴまであと数日-村の小さなマルクト」

2017年12月20日 | ドイツの暮らし

12月末の水曜日。
ドイツの冬。クリスマス・イブまであと数日。



もう誰もが仕事よりも、歳納めの気分だろう。
僕も昨日は夜中の二時まで今年最後の仕事の話をしていた。

日本の東北や北陸地方の冬の空を思い出すような曇空、寒気の中、
家族五人でかれこれ20年余り暮らすことになった僕の小さな村の、
水曜のマルクトに足を運ぶ。




ここはドイツの何処にでもあるような、少し退屈な都市部郊外の村だ。
それでも、日本から戻って来ると数日は、よく知った国を歩く旅人、
その国に多くの知り合いがいる異邦人のような気持ちになる。
僕は何年も親しんだ風景を見つめ直し、ポケットのカメラを取り出す。

いつも行く有機無農薬の農家の屋台。






ヨーロッパの北国の冬野菜を買えば、そのまま、無造作に次々に
大袋に投げ込んでくれる。日本のスーパーの行儀よく、一つ一つ
包装されていたキレイな野菜達とは大違い。



僕も今日の夕餉の支度に買い求めた色々な冬野菜を無造作に
袋の中にしまい込む。
この大きな赤いパプリカ、これは昔はドイツの
冬には無かったな、、、。



今日はどこを向いても、クリスマスの飾りが目に飛び込んで来る。
外国で勉強する三人の子供達もこの数日で全員、顔を揃えるだろう。
昨日、デンマークから一足早く戻って来た次男、妻と僕だけでは
もう食べることもない肉料理を、今晩は作ってやろうかと思う。

他の知り合いの屋台も覗き歩き、互いに年末の挨拶を交わす。
「良いクリスマスを!良い年を!」




 

買い物の後、村のパン屋の隅でコーヒを飲みながら暖をとる。
「来年からの仕事はどうしようか、、、。」
「自分もそろそろ、これまでの仕事の納め時だろう、、、。」

もうすぐ新しい年、新しい人生の時機が始まる。 


「心の中の川」と「空からの雪」

2017年12月09日 | 随想

京都左京区の小さな丘の上、そこにある小さな住まい。

昔からの緑の神社、桜や紅葉の古いお寺に囲まれて、
戦後の全ての崩壊の中から生まれた1960年代の、
その時代の象徴のような、築50年を過ぎた建売・安普請の木造住宅。
今はすっかり古くなって、そこに暮らした家族もあの世とこの世で
一家離散。

そんなところに遠くからの縁があって、やはり日本の戦後生まれの、
その社会構造や価値観がどうしても性に合わず、今はすっかり
根無し草の外国生活を送ることになった僕。

そんな自分が、まだ若い老年の入り口に求めた小さな住まい。

「日本の冬の朝は家の中が本当に冷たい、京都の東山はもっと寒い、、、」
そんなことを思いながら、濃い目の昆布水をベースに冷蔵庫の隅で
すっかり忘れ去られていたような野菜を取り出して作った野菜スープ。

もうずっと昔の子供の頃のように、冬の朝の白い息を吐きながら、
自分の人生のような和洋折衷の野菜スープを啜っていると、届いた
ドイツの冬の訪れを告げる、朝の雪景色。

二つの風土の、二つの異なった寒さ。

僕はこの二つの違いを一つにすることは出来ないだろう。
心の中の川と空からの雪が出逢うのは一回限りのことではない。
でもそれは常に一瞬のことであるように。

 

 


父と娘のヴァールハイマートー「選んだふるさと」の秋 

2017年12月03日 | 京都の一日

今年の京都は特別な秋です。

僕にとっては30なん年ぶりの、日本での日常の生活のスタート、
(まだ、だいぶ真似事だけど)

10日間だけ勉強先のウイーンから戻ってきていた下の娘には、
二番目のふるさとの秋。

京都東山の自然と歴史、左京の人達の暮らし
と人の暖かさに、日本の大好きなごはん、御馳走に、本当に沢山の
ことを感じて、今日、また一年後に戻ってくることを楽しみに、
お父さんのお弁当とたっぷりの食材を抱えて、関空から旅立ちました。

こういう日には、沢山のことに、多くの人に、知人、友人に感謝の
気持ちでいっぱいです。どうも有難う!

 

さて、最後にもう一文。

„ Don‘t fall in love with the mountain of Daimonji... ❣️ “

近くの、大きな歴史の小さな山に遠足をした時のこと、
京都の街が大好きな娘の一言でした。 

 

 


秋の永観堂でのメモー「持つことではなく、存在すること」

2017年12月02日 | 京都の一日

もう秋も終わる頃、朝の永観堂。

晩秋の京都、娘と過ごした一日。

一つ一つの紅葉には、僕も娘も他の人も大概は目もくれず、
そして、気がつけば、もう秋は終わろうとしていました。
昔、ドイツで学生をしている頃、熱心に読んでいた
エーリッヒ・フロムの「持つことではなく、存在すること」
を想い出します。

よく物を見るように。

「持つことでなく、景色や刹那の感覚をその時々に消費する
のではなく、その場にある自分と物とが共存する感覚を
ゆっくりと、ゆっくりと自分の中に取り込んでいくように。」

そんなことを考えた翌日は、一転して秋の陽光輝く黒谷さんの散歩道。
いつも通りかかる、僕と娘の大好きな仏さんの隣で。

「よく物を見るように。」 

娘にも僕の真似をさせました。

同じような姿勢をとっても、二人の考えていることはだいぶ違います。
それは、人生の時間が違うから。