パリの街角で見上げた、冬の青空。
10年ほど前から仕事で一年に2、3回、ドイツからこのヨーロッパの古い都に
来ることがあります。今から150年ほど前の日本人には、まさに見上げるような
都会だったのでしょう。それから30年ほどすると、マネ、モネ、ゴーギャン、
そしてヴァン・ゴッホなどが日本の美術、特に北斎や歌麿の木版画に決定的な
影響を受け、自然主義の空間把握、描写からとうとう離れ、フランス、ヨーロッパ
の近代絵画に新たな眼や色彩技法をもたらしたことを思い出します。
それから約100年した現代、これとやや似たようなことが今一度
起きています。
1980/90年代から今日に至るまで、日本料理の技法や素材の扱い方、
料理の視点がフランス、ヨーロッパの意欲的な一流料理人に与えた
影響は、日本で一般的に知られているよりもよほど大きいものです。
それはバリであれ、ドイツの都会であれ、現地のジェフや料理人と
話しをすると、ひしひしと伝わってくることです。
もちろん、明治初頭の一期一会のような東西文化の解遨、出逢いの深みを
現代になぞることは滑稽なことです。
当時と決定的に違うことは、日本でもヨーロッパでも世界の距離が一気に
縮まり、人や情報の交流が自由になる中で、新たな文化的発見や体験も
受容や変革の深みに至る前に、いち早く消費され、大衆化されていくことです。
料理の世界においてはそれはなおさらのことでしょう。
実際に、バリのどの街角を見ても国籍不詳のSUSHIの看板がかかっています。
ありがたいことです。
このような日本料理の平面的な浸透、国際化は日本政府
の最近の経済政策、「和食を日本の輸出産業へ」に呼応して、ますます商業化
の道を辿り、今後はさらにその経済的成功を収めるのだと思います。
一方で、日本はコンビニ、スーパーの弁当、出来合いの惣菜が日常の食卓を席巻し、
食料自給率が40%を切った国、その海も国土も放射能汚染に広範囲に覆われた国、
農業も漁業も高齢者に任され、米も大豆も醤油も味噌もますます少なくなっていく
国です。こんな話はまず海外には伝わりませんし、伝えたくもないことなのでしょう。
今、僕達が目の前にする和食の国際化、それは100年後の歴史的視点から振り返れば、
既にふるさとを失って根無し草となった食文化が、自らの幻想の中で咲かした
最期の大輪となるのでしょう。
その点では、明治以降の近代化の中で海外の国々、
とりわけ西欧諸国でもてはやされつつ、自国の中では途絶えていった日本の伝統工芸、
絵画、浮世絵などとよく似た運命なのかもしれません。
日本の食文化を支えてきた本来の部分、和食の伝統に生涯携わっていきたいと思う
僕の気持ちも、このようなことと深く繋がっていると思います。