父と娘のヴァールハイマートー「選んだふるさと」の秋 

2017年12月03日 | 京都の一日

今年の京都は特別な秋です。

僕にとっては30なん年ぶりの、日本での日常の生活のスタート、
(まだ、だいぶ真似事だけど)

10日間だけ勉強先のウイーンから戻ってきていた下の娘には、
二番目のふるさとの秋。

京都東山の自然と歴史、左京の人達の暮らし
と人の暖かさに、日本の大好きなごはん、御馳走に、本当に沢山の
ことを感じて、今日、また一年後に戻ってくることを楽しみに、
お父さんのお弁当とたっぷりの食材を抱えて、関空から旅立ちました。

こういう日には、沢山のことに、多くの人に、知人、友人に感謝の
気持ちでいっぱいです。どうも有難う!

 

さて、最後にもう一文。

„ Don‘t fall in love with the mountain of Daimonji... ❣️ “

近くの、大きな歴史の小さな山に遠足をした時のこと、
京都の街が大好きな娘の一言でした。 

 

 


秋の永観堂でのメモー「持つことではなく、存在すること」

2017年12月02日 | 京都の一日

もう秋も終わる頃、朝の永観堂。

晩秋の京都、娘と過ごした一日。

一つ一つの紅葉には、僕も娘も他の人も大概は目もくれず、
そして、気がつけば、もう秋は終わろうとしていました。
昔、ドイツで学生をしている頃、熱心に読んでいた
エーリッヒ・フロムの「持つことではなく、存在すること」
を想い出します。

よく物を見るように。

「持つことでなく、景色や刹那の感覚をその時々に消費する
のではなく、その場にある自分と物とが共存する感覚を
ゆっくりと、ゆっくりと自分の中に取り込んでいくように。」

そんなことを考えた翌日は、一転して秋の陽光輝く黒谷さんの散歩道。
いつも通りかかる、僕と娘の大好きな仏さんの隣で。

「よく物を見るように。」 

娘にも僕の真似をさせました。

同じような姿勢をとっても、二人の考えていることはだいぶ違います。
それは、人生の時間が違うから。 

 

 



京都で作るお味噌汁 ー 娘とエファさんと過ごす時間

2017年11月29日 | 京都の一日

末の娘とエファさんの三人で京都に戻ってほぼ一週間。



美弥ちゃんも半分おどけて、京都のどこかで見た様な障子の開け方を
練習したりしています。



窓から見る夕方の紅葉。

京都の小さな家で、日本では30何年ぶりかで、毎日の買い物に行って、
朝晩のご飯を作って、その間に散歩したり、洗濯したり、
遠足したり、少し仕事をしてみたり。

吉田神社も近く、真如堂までも歩いて数分、毎日、新しい
発見があります。



宗忠神社の石段を下りていくと見えてくる、僕たちの小さな家。



まだ家具やテーブル、椅子などは整えてる最中です。
日本にもIKEAがあるのにはびっくりしました。 

あと2、3日で二人はドイツやオーストリアに帰ってしまい、
僕はちょっとさみしくなります。でも、自由に羽を伸ばせる
ところもあるかな⁈
ともかく、今日の朝は一人で少し早起き。
皆んなの朝ごはんを作る傍ら、娘の大好物のお味噌汁を勉強先の
ウイーンで、いつでも自分で作れるようにと、米味噌と麦味噌の
特別詰め合わせ三種類セットを作りました。

こういうのを我ながら、手前味噌、親バカ味噌と言うのだと
思いますが、改めて、人生でとても愉しいこと、心弾むことの
大きな一つは、子供達が大きくなっても、皆んなでたっぷり遊んで、
そして、親として何か役に立つことが出来ることと思います。

それだけに日本の多くのお父さんの働き方、企業の考え方は
あまりに一方的だと思います。会社の仕事や付き合いって、
本当にそんなに大事だろうか?

僕の答えはもちろんはっきりと「ナイン!」です。

 

 


「食は日本に在り、(友)人は京都に有り」

2017年11月20日 | 京都の一日

今日、無事に京都に着きました。

 

家の近くの、吉田山の秋の風景。 

うちのエファさんは、この京都吉田の家のリフォーム工事の後、
最終の完成の姿はまだ見たことがありません。と言う訳で、
まずは玄関前で記念写真。 
そして、中に入りました。宗忠神社の石段に面した小さな家です。
ドイツの家でもお世話になった家族の友人、Kさんが丁寧に
作ってくれた家です。工費がとんでもなく膨らみ、今年の春には
二人とも困り果ててしまいましたが、今回の京都でこの金銭的問題を
何とか解決したいと思います。互いに正直に、誠意を持って。
それでも、友情が損なわれることも覚悟しなければならない
と思います。
 


宗忠神社の石段を真如堂に向かって下りていくと、茶色の杉板張りを
した壁面が見えてきます。Kさんのセンスが光るところです。



真如堂も、ちょうど紅葉の盛りでした。

長い散歩と買い出しの後は、ハリーナの友子さんのところでした。
今も昔も僕の左京のマドンナです。
(下の写真には顔を覗かしていません。きっと、キッチンの奥で
次の料理を作っていてくれたのでしょう。) 

うちのエファさんと一緒に晩ご飯をいただきました。自家製豆腐、
とんでもなく美味しかった、祝島のひじきと春菊の白和え、
小松菜の胡麻和え、どれもみんな本当に美味しかった。

「友子さんがまた、しっかりと料理に戻っている。
料理を作る時にも、自らがそのど真ん中にいる。」

なんだろう、いろいろなことがとても嬉しかった。
うちの奥さんも今日の再会を喜び、よく食べて、最後の一皿には
たっぷりのおでんをしっかりと頼んでいた。一方、僕は信州白馬、
琵琶湖東、四国四万十と、日本の山、湖、川の優しく柔らかい、
いろいろなお酒を飲んだ。
友子さんとも久し振りにいろいろな話をした。

人生はここ最近のように随分としんどいことが続いたり、そして、
今日のようにこんな嬉しいことがあったりで、だからこそやっぱり、
生きている甲斐がある。

食は日本に在り。人は京都に有り。
紅葉は多分もう遅いのだろうけど、京都に戻ってきたなぁと、
心深く思う一日でした。


こんなに素敵な柿色はいつ見たのだろうか。

2016年12月03日 | 京都の一日

こんなに素敵な柿色はいつ見たのだろうか。


数日前、年長の友人と子供達二人、美山の、少し人里離れたような
お蕎麦屋さんの縁側で見た景色です。

その翌日、皆で参加した家族
料理教室でも秋の美しい風景が食卓にありました。



そして今日は本当に良い秋晴れの一日でした。真如堂、午後の、
秋の最後の光の中、名残の紅葉が輝いていました。






幸せな一日でした。少し恥ずかしいですが、こういうことが僕達の生き
ている本来の喜びなのだろうなぁと思う一日でした。

明日も良い一日でありますように。

 


秋にはいろいろな色がある

2016年11月24日 | 京都の一日

自分の生まれ育った国に戻って三日目。
京都の街を歩き、大阪に人を訪ね ...。
此処彼処、あまりに刹那に、物質に生きるこの国の風景。
僕はそこからは目をそらし、秋の大空を見上げる。

 

秋にはいろいろな色がある。

  

秋は黄色。
秋は朝の光。

秋は静かな歓び。
自らにしたがいつつ、
今、此処にあるように。

実りの秋。
心が平らであるように。


「2016年4月 京都の春」③

2016年04月12日 | 京都の一日

2016年4月4日

夜の高野川。
今日成すべき一日の仕事を終えて、少しの酒食に満足し、出町の銭湯
の湯につかり、ゆっくりと体をほぐす。今日の宿、修学院まであと
数キロはあるだろう。東大路通をしばらく北へ、そして川の水を求めて
西方向へ。
春の雨に濡れて、春の雨音に包まれて、小さな自転車に身を預け、
夜の高野川をひたすらに走る。水辺に白く浮び上る桜の技々を次から
次へと、闇夜の中の春が僕の全身を包む。



なんと幸せなことなのだろう。


2016年4月12日

今、京都からドイツに戻る途中です。今回は友人、知人の方々、
そして新しい友人、知人に本当にお世話になりました。
皆様、どうもありがとうございます。
突然のヤーパンハウスプロジェクト、家族一同びっくりしています。
でも、とても楽しみです。
五月末にまた、京都に戻ってきます。初夏の緑の頃かと思います。

 

(2016年4月 ドイツに戻る前日、春の白川の流れ) 


「2016年4月 京都の春」②

2016年04月02日 | 京都の一日

2016年4月2日

桜満開の春の日。仕事の日。

五条通りは観光の車やタクシーでいつもの渋滞。
左右の歩道も清水の観光名所に向かう老若男女で窮屈な景色。
そんな中、日差しを避けて偶然足を踏み入れた、東山郵便局斜め
向かいの古風なカフェ。



ホッとして一息。耳を澄ませば、静かな明るい空気の中に響く
ヨーロッパの古典音楽。



京都の人はこんな時には「一人でほっこり」とでも言うの
だろうか。

店の名はナガサワTearoom 。老年のマスターが丁寧に入れる
焙煎コーヒーのアイスカフェオレがとても美味しかった。





2016年4月3日


古都、京都の春。



白川通今出川の桜の名所にて。現代日本を伝える二つの風景。



庶民の町屋は朽ちかけるまま、高級外車のガレージ代わり。
これが、戦後70年がたどり着いた「美しい日本」の姿なの
だろう。
着物を着た外人さんと記念写真を撮りたがる若者達。



ハメルーンの笛吹きの音を耳にするような感覚。


「2016年4月 特別の春 ー 京都」①

2016年03月29日 | 京都の一日

京都に着いた翌日、桜の朝。
早朝6時過ぎに目を覚まし、先ずはドイツの妻に無事到着のこと、
夜は左京区の友人と長く話をしていたこと、またいつものように
沢山飲んでしまったことなどを報告。



その後、まだ肌寒い朝の空気の中、修学院近くの宿を自転車で出発。
高野川、そして加茂川を上流から下流へ、また上流へ。



異国の友人を訪ねる旅人のような心持ちで、川を離れては小道や
路地に入り、人々の朝の様子や家々を眺めてはその毎日の暮らしに
思いを馳せ、また水の流れ行く川岸へと戻る。


朝風に揺れ、水面の光を映す早咲きの白き桜の花。




今来る春に次の春を想うような自分の心持ちをもう手放そうと思う。


「京都での一日。人生の合間、出町柳から大原へ」

2015年12月19日 | 京都の一日

京都、出町柳の冬。



川端通りで大原に向かうバスを待ちながら。



冬の風に揺れる柳の枝。



川辺で無心に遊ぶ、独りの子供。

人生の合間に、何も予定のない一日。
自らの小さな野心や心配が、徐々に遠のいていく。
冬の里を歩けば、僕の心も解き離れる刻があるのだろうか。
 
冬到来の前の大原。 







僕らの心の中に今もある、日本の里山の風景。
晩秋の彩り、眼に、心に染みるようでした。





失われたものと、なお続いていくもの。
それは自分の人生でもあり、日本の過去70年の姿でもあるだろう。


「京都から東京へ-何もなくなった街へ」

2014年05月24日 | 京都の一日

今日一日だけの京都、自転車で左京に向かう。

鴨川と高野川の合流地点だろうか、何度も子供達を連れて、
あるいは夜中に一人で自転車で行き交いをしている橋からの風景。
目に焼き付いた風景でも、地名はなかなかついてこない。
何十回通っても、僕は生活者としてではなく、旅人として
ここにいるのだろう。 それは人生の中で二つの音楽、二つの世界に
生きていくことにも通じている。





次の朝。
一年に一回、この日だけのように初夏の風が
御所の中を吹き抜けていく。今日はこの中を一日ずっと散歩していたいと思う。
それでも今日は、入院中の父を訪ねて、東京に移動しなければならない。
けれども、この目的地から僕の心が遠く遠く離れて、すでに久しいことは明らかだ。

昨日の小学生達の風景が頭の中に残っていたせいか、京都の風景の中で、
昔の隅田川、上野、東京の風景の下町を想い出し、空想の中の独り言に
異国に暮らすことになった自分の姿を重ね合わせる。

「可愛い、懐かしい妹を帝釈天に残して旅に出るフーテンの寅。
重いトランクを押しながら京都駅八条口へ。3時間もすれば東京に着く。

何でもあって何もない、寅にはそんな街になってしまった。」


秋の陽光 - 生きて暮らせる場所。

2010年11月25日 | 京都の一日
日本に着いて約二週間が過ぎた。
広島、柳井、そして瀬戸内の島々への旅を控えて、京都で三日間の
中休み。
昨日は久し振りに左京区、高野川の方に行き、友人や知り合いと
夜遅くまで談笑。僕は京都、特に左京区を暮らしの場とする人達と
出会えて、本当に良かったと思う。毎年、少しずつここに住むように
していきたいと思う。日本を出てから約30年、そのようなことを思う
初めての土地だ。



今日は朝はだいぶ二日酔い気味だったが、御所に散歩に出かける。
昨日の夜のことを思い出しながら、木々の間を歩く。
秋の陽光が降り注ぐ中、緑、橙、黄、紅に光の舞い。



こうして生命のあることを全身で感じながら、秋の一日を送れる
ことに静かな歓びと深い感謝の念を抱く。