「僕がドイツで和食を作りながら、考えること」その2

2013年01月24日 | ドイツの暮らし




雪の中に閉じ込められたドイツ。
朝七時、今日は料理の日。
外はまだ夜中の暗さ。ドイツの冬が続いている…

雪明かりの中、定時にコッホさん到着。京都の宇治出身。
去年から姓が変わった。日本語にすれば「料理さん」。
昨年末から週に一回、僕と二人で「ドイツで作る和食」を試作している。

まずは二人で地下の食糧庫に、普段は庭に置いておく野菜を取りに行く。
外に出しておいた白菜、大根、カブの皮などの干し野菜、
水出しの昆布・椎茸の出汁ポットなどは、数日前から凍りついたまま…。

徐々に朝を迎えようとする蒼い空。雪化粧の松や樫の木々。
庭に降り積もった一面の雪。
銀白の風景の中に北国の冬、冷たく、淡くパステルカラーの
コントラストが浮かび上がる。

今日は何を作ろうか…。
まずは玄米、白米、モチ米、昆布、椎茸を水に浸けておこう。
ドイツの硬水と和食の食材はすぐには仲良くならない。
浸水時間だけでも三倍はかかる。
二つの異なったものは最初はいつも「なさぬ仲」。
親子の関係がなければこそ、互いが求め合い、結びつくには
長い時間と深い想いが必要。
文化の本当の交わりが人と人のつながりならばなおのこそ。
どのくらいの「親水時間」がかかるのだろうか。
うちの夫婦は30年。週に一度は言葉や文化のすれ違い。
料理や「食」は人の暮らしのこと。
少なくとも男女の仲ほど長い歴史がある話だ。

早朝、僕の手は動かない。ぼんやりとした夢の続き。
ひとまず、今日は「ボルビック」で鰹と昆布の出汁を新しくひいて、
コッホさんと一杯ずつお茶代わり、ほっこり…。

さて今日のテーマは酢の物、和え物、米麹。
午前中の段取りを考えながら、雪の中で凍りついた昨晩の梅雑炊を溶かして
「ありがとう、有難いこと」の意味を思う…。
夫婦の生活30年、家族水入らずのこと、ドイツで暮らすこと、和食のこと、
自分がこうして生きていられること。「ありがとう、有難いこと」



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日本とドイツの間で暮らしながら「料理すること」と「書くこと」、
自分のための覚え書き


2012年10月
『Rさん、連絡有難う!
ドイツで元気にやっています。
日本のことは、自分の家族のことのようにいつも考えています。
毎日のように自宅の厨房に立っています。
日本の一番素敵な深い部分に携わることも、この壊れて失われた国には
大切なことと思います。
それを自分の作る料理と文章で伝えていくことも、僕の人生の試みかと
思っています。』


2012年11月
『確かに時代の大きな流れ。正確にはアメリカの物質的文化を中心とした
グローバリズムと深く関係すること。
戦後日本の洋食化のスタートは米国の小麦戦略。
もちろん、もう戻る道は無い。
でも、日本に、非欧米圏の私達にとってより大切な将来は、いわゆる国際化や
表層的な多様性ではなく、自らの出自、固有性、文化的継続性との対面に
あると思う。』


『過去を振り返ること。未来を思うこと。今後のことを本当にきちんと捉え、
本当に大切なことが毎日の生活、一年、一年の中心になるようにしたい。』


『今日から日本出張。
ドイツに住んで30年。ドイツに戻る」という言葉は自然に出てくるが、
「日本に戻る」という表現はもう決して自分のものではない。
生まれ育った国にも、家族と暮らすこの土地にも、どちらにも異国と愛着の
思いがある。』


『瀬戸内明石の城跡にて。
午前12時過ぎ、時々、青空が覗く。広く、静かな城址公園の中、
二の丸から本丸を廻る。
そこから少し下ったところ、昔からの城垣にかこまれた隠れ家のような
小さな池。
秋、花、綿雲、青空、木々、緑、紅、橙、黄の葉、全てを映し出して、
風に揺れるさざ波の水面 。』


2012年12月
『日本。僕はこの国には本当に住めないと思う。多くの人々の生活が
あまりに希薄な感じ。支離滅裂な生活の中身。
人生の半分を異国の土地で過ごしたからなのだろうか、
ただ、この深い違和感は既に20才の頃、信州の山々に通っていた頃から
既に感じていたものだ。
当時から東京に戻るたびにあった、この息詰まるような感覚。』


『ドイツでも日本でも歴史の当たり前は無言の大衆。
反対ではあるが、意思表示はしない。
自分たちの毎日の生活が忙しい。長いものに巻かれたり、
様子見をしていたり。忘れていることは一回限りの命の大切さ。』


『久し振りの日曜日。ドイツの僕の村の人達が、子供達が、
父親や母親が、三々五々。静かに時間が流れる午後二時のプールサイド。
ここには日本の福島の今のことも、原発再稼働のことを知る人も、
考える人も一人もいない。
ドイツ、彼らには彼らの心配事がある。でも、国が壊れる、失われることを
怖れることは今はない。其れはだいぶ昔のこととなった。』


厳冬のパリ

2013年01月21日 | 随想

厳冬の一月、雪のパリ17区。アベニュー・ドゥ・クリシーの大通り。若き
ヘンリー・ミラーの退廃と磊落、斬新清冽な自伝的小説の舞台だったと思う。
今は知る人も少ないのだろう。僕がその本をドイツで偶然手にしたのも、もう
30年以上前のことだ。
昼食に立ち寄ったブラッセリーの窓からの雪景色。
 


雪明かりの夜。17区のアベニュー・ドゥ・クリシーから少し奥まった下町のような通り。
真夜中の孤独の中に銀白色の光。以前、よく二人で足を運んだ
ビストロがあったところ。
もう何年も昔のことだ。過ぎた時間の風景。
 


「僕がドイツで和食を作りながら、考えること」

2013年01月13日 | ドイツの暮らし

12月中旬にドイツに戻って以来、ほぼ毎日、何時間も厨房に
立っている。その中でいろいろなことを考える。
ドイツの自宅で和食を作りながら、自分の家族を超えて
ドイツ、ヨーロッパの人達にも役立つ、健やかでおいしい毎日の
食事・新しい料理の形があるだろうと思う。

日本の食の伝統、その素材への接し方、使い方、調理法などを
よく学び、ドイツ、ヨーロッパの食材、食生活に生かすことが
肝要だと思う。僕のライフワークのひとつだ。
今年の正月には子供達3人にもそのことを話し、これからの
父親の仕事の中の大事な一部になるということを伝える。
それは当面、何の経済的利益もないことを数年に亘って続けて
いくことにもつながる。「父さんの稼ぎは減るが、迷惑は
かけないようにするので覚悟してくれ。」と説明する。

今、このことを毎日、自分の中でも整理したり、更に考えを
深めたりすることを繰り返しているのだろう。
友達への手紙の中でも自然とそんな考えがにじみ出てくる。


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明けましておめでとうございます。
健やかで良い年になりますように。
Rさん、お元気ですか?

自民党が大勝した翌日、ドイツに戻りました。
呆れた気持ちと悲しい気持ちの混ざり合い、政治家やそれを
支える体制や社会構造を批判するよりも、このような状態を
生み出し、容認し、それを支えていく日本の過半数の人達には
不可解と断絶感があります。
日本の歴史や文化の中に逃げこむ訳ではありませんが、当面は
日本の食・料理文化との関わりに注力し、geistiges inneres Exil auf  deutschem Boden という感じです。

今年の1月2日、家族と息子の彼女、そのご両親に作った
「年明けそば」の写真を添付します。




僕は脱原発での下手なスピーチより、料理で人を脱原発、
脱大量生産消費・脱資本主義、シフトダウン、シンプルライフ、
質素な愉しさに誘う方が、性に合っていて、より大きな力を
発揮出来るような気がします。

適材適所となることを念じて、毎日、自宅の厨房で一人修行を
続けています。家族や友人が「おいしい」、「おかわり」と
言ってくれるのを励みとし、長き道を行く支えとしています。


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Oさん、明けましておめでとうございます。
新年早々のご連絡、誠に有り難うございます。
心のこもったお手紙、有り難く拝見致しました。
内容も詳しく読ませていただきました。早速、ご返事を
と思ったのですが、PCもタイピングも本来苦手で、なかなか
一人では用が済まないので、今日まで引き延ばしてしまいました。
申し訳ありません。

世界平和も脱原発も本当に大きなテーマだと思います。
現実的に見ればこの3、40年の間ではほぼ不可能なことだと
思います。福島原発事故、その後の日本の現状を考えると
「いま日本に生きる意味」という問いかけは実に難しく、
僕でも押しつぶされるような気持ちがします。
一方、Oさんの手紙の中に「私に出来ることは、周りの方との
つながりを、、」との表現がありました。大切なことだと思います。
僕はこの2年間日本の脱原発の活動にも直接関わることが
ありましたが、自分の人生の残りの活動時間で、出来ること、
全力を持って注力することは別にあると考えています。
その中で人とのつながりを大切にしつつ、自らの出自の文化を
伝えていきたいと思います。僕個人にはその方が目の前の直接的な
社会活動よりも、より大切なこと、またより多くの人々に役立つ
ことと信じています。

僕の場合はそのテーマが日本の食文化・料理のこととなります。
自分が最も興味があり、いつでも携わり考えているような活動の
中で家族、周りの人、それを超えた人々に長い時間をかけて
良いことが出来ればそれは幸せなことだと思います。




今年はドイツにしては年末から暖かい日が続いています。
大晦日には初めて、ドイツの近所の友人達に年越しそばを
振る舞いました。こんな感じです。ご笑覧下さい。





健やかで良い年になりますように。寒さの続く中、ご自愛下さい。



真夜中の料理

2013年01月05日 | ドイツの暮らし

新年ももう4日がすぎた。
真夜中、妻はもう二階に上がり床に就いたのだろう。

僕はまだ一人で起きている。

料理をしながら、よしだよしこさんの歌を聞いてる。12月初頭、京都で初めて
そのライブを聞いて以来、料理をする時にはまず彼女の歌をかけている。
自分が料理をする時の心の中の想いが、彼女の心の歌に重なるようなことが
あるのだろうか。

心からの歌の力。歌い出す言葉。自分の中からの声が人生の音楽であること。
いつか往く命のテーマ。一人静かに耳を澄ますこと。

手を休めて、二日前に付けた塩漬けの豚のバラ肉を炙っている。
重量に対して
3%の塩は随分と多すぎたようだ。
厚手の鍋の中でレモンと白ワインをかけた
けれども、それでもちょっと塩辛すぎる。
塩と食材の関係は
まだまだ僕の手中にはない。