アドヴェントの夜に。

2013年12月22日 | ドイツの暮らし

クリスマス前の最後の日曜日。ドイツの何千という街で約一月続く
クリスマスのマルクト。冷たくなる耳をマフラーの下に隠し、この国で
生まれた妻と久し振りに訪ねれば、一つになることのなかった現在と過去が
同時に浮かび上がる。生きることの光と闇。その中で重ねられ、続いて行く
多くの、無数の人生。僕もその一つだと思う。
生きることの幸せと哀しさ。無言の冬の闇の中に教会の鐘の音が響き渡る
ような冬の夜。


 


2013年12月 日常の小さなメモ

2013年12月17日 | 随想

20131210 
日本、京都近郊の地で

古く新しい地に移り住んだ僕の大切な友人夫婦。
「これからも二人の道を歩いて行こうね。」




20131217 
ドイツ、デュッセルドルフ近郊

ドイツの自宅に戻って2か目の朝、村のプールから見た朝焼け。
もう冬が
目の前にやって来ている。朝の8時頃、夜が長くなる北の国の冬。


 


日本から大荷物を抱えて、ドイツへ。

2013年12月17日 | 日本の「食」

12月16日の早朝、御所西の宿を発ち、家族、毎日の仕事、そして自分の
厨房が待つ第二の故郷ドイツに向けて、約15時間空路の旅。
二つのトランクには日本の野菜、柑橘•薬味類(ゆず、かぼす、しょうが、
みょうが、三つ葉など)、きのこ(舞茸、平茸、椎茸、エノキ、しめじ)、
根菜(蓮根、牛蒡)、お芋各種(長芋、里芋、頭芋、海老芋)、
冷凍いくら500g、京都のお揚げさん大小15枚、亀岡のどら焼、干柿など、
計20kg超、ジーンズやセーター、下着を枕に仕事の資料や読み差しの本を
カバーにしても、カモフラージュのあちこちから溢れんばかり。


 



二つの内、一つのトランクには京都・鴨川近くの行きつけの花屋で手に
入れた
鉢植えの柚子の木を「ドイツの地で大きく育て!」と隠し込み、
手荷物の中にも蓮根、牛蒡、お芋さんの余りを忍ばせ、ドイツ•デュッセル
ドルフ空港に降り立つ。
税関に向けて大荷物のカートを押しつつ、
運を天に任せるとはこの心地。

 

 


日本からの食材は家族、子供達への貴重な文化遺産である。だからこそ
ヤオヨロズの神々が僕を見守っている。今回も無事、税関を通過。

ドイツの自宅、居間の窓際に鎮座する小さな日本の柚子の木。
トランクの中、窮屈だったことだろう。温暖の国から北の異国に連れて来て
しまい、申し訳ないと思う。育って行けるだろうか。なんとか育って欲しい。

下はドイツで最初の晩に家族と共に食べた夕食の写真。その後、時差と睡魔と
戦いながら、イクラの醤油漬けを仕込んでようやく床に就く。
(今回の醤油漬けには、柚子果汁、生揚げ醤油、薄口、煮切り味醂を合わせて
みたが、良く出来たと思う。子供達の大好物だ。
)








「京都市民、一人誕生!」

2013年12月10日 | 随想


日本を離れて約
30年。今日は人生の大きな節目となる日。晩秋の秋晴れ。
京都で再び、日本の一市民と半分なりました。来年からはドイツだけでなく、
日本でも少しづつ暮らしていきたいと思う。

右京区太秦の近くで住民届けをし、日本では印鑑というものが必要な
ことに目を白黒させた後は、京都生まれ、京都育ちの年上の友人と
京都住民
&日本選挙権復活記念に、鞍馬温泉へ日帰りの旅。街中から二条城、
疎水を経て、秋の陽に輝く東山を望み見て、大原、八瀬方面に約30分ほど。
突然、「鞍馬温泉は八瀬にはない!」と気がついた京都の先輩。急カーブの
方向転換で宝ヶ池、貴船方面へ。


 

鞍馬の深山、月夜の明かり、薄墨の蒼い山々に囲まれ、湯につかりながら

二人それぞれに「京都の地は懐が深い。」の想い。同じ言葉の中に
含まれた、異なった過去と未来。

「心の内は来し方行く末のことも、今生の闇の中、よろづ思い忘れて、、、」

ドイツの妻に京都市民誕生の報告をする。18の娘も電話口で「パパ、
本当に良かったね。私も嬉しい。誇りに思うよ」と弾んだ声で応えてきた。
僕には本当にありがたいことだ。

自分の生まれ出た国とその社会への関わり方はいろいろ有る。そして国と
社会は一つに重なりながらも各々に異なったものだ。
日本の場合、それはどら焼きのようなものだと思う。中心にある餡子が国で、
外側がこの社会だ。餡子は日本の和菓子を支える基本。何を作るにも欠かす
ことは出来ない。一方、どら焼きの皮はいかようにもなる。もともと洋の
素材を和式化して生まれたものだ。それでもこの外の皮が全てをダメにする
こともある。今の日本はまさにその転機だ。本当に危ないと思う。
けれども、僕は昔から餡子の方が好きだった。
祖父も和菓子の職人で、
いつも餡子を練ることを大切にしていたという。
僕も餡子の方に関わって、
それを守り伝えることに少しでも役に立ちたいと思う。どら焼きの皮も
なくては困る。
だが、それは人生をかけるようなことでは全くない。

今日は人生の記念すべき日だ。京都の一市民となって本当に嬉しい。