草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

句作へのアプローチ(ゆらぎ)

2008-11-30 | Weblog
 山本健吉の『花鳥一歳<わが心のうた>』は、随分まえの本ですが、四季に彩られた日本の詩歌を紹介した味わい深い随筆集です。その中の「新古今の三才女」と題する一節に、歌を詠むときの態度について、興味深い描写がありますのでご紹介します。

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 後鳥羽院は寛平の頃にくらべ、当代に女の歌人の少ないのを嘆いて、手を尽くして探された。建仁元年(1201)に、千五百番歌合を催された時、すぐれた歌人ばかりを選ばれたが、その時まだ年若い宮内郷の君に、「今度召される者たちは、みな世に許された達人ばかりだ。お前も必ず私の面目が立つほどの歌を作ってくれよ。」と言われた。

その時彼女は、鏤骨彫心((るこつちょうしん)の歌を詠み、名手寂蓮の歌とつがえられて勝ち、院の要請にこたえた。

(増鏡)その歌は、

 ”薄く濃き野辺のみどりの若草にあとまで見ゆる雪のむら消え” (宮内卿)”

野辺の若草の薄いところ、濃いところを雪解けの遅速のあとと見たのが、こまかくて斬新な目のつけどころと言えよう。想いの苦心のあとはまぎれもないが、同時に作者の若さもはっきり見える。如何にも早春の野のさまが、絵のように浮かんでくる、可憐なスケッチだ。

 あまりの作歌熱心が、彼女の命をちぢめた。当時もう一人の才女、俊成卿女と、何かと比較された。鴨長明の無名抄に言う。俊成卿女(むすめ)が晴(はれ)の歌を詠むときは、いろんな歌集を繰り返し読んで、歌を案ずる段になって、すべてを忘れ、灯火をかすかに、人を近づけずひっそりとして詠んだ。それに反して宮内卿は、草子・巻物など取り散らかし、切燈台にあかあかと灯して、書いたり消したり、夜も昼も怠らず案じた。このことは二人の作歌態度をよく物語っている。前者が十分の準備でおのずからの歌心の醸成を待つに対し、後者はあまりに性急に、ブッキッシュ(書物上の表現や知識を多用して・・・というほどの意味)に言葉を連ねようとする。それはそのまま二人の歌に現われている。

  ”風かよふ寝ざめの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢” (俊成卿女)

 これも千五百番歌合わせの時、面目をほどこした一首。寝覚めの袖に花びらが
散り、はかない春の夜の夢まで花の香いっぱいに立ちこめる。「袖」「枕」などの
言葉で艶麗な恋歌の情緒がかもし出される。技巧的で、情景は模糊としているが、ねらった境地ははっきり描き出した。

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 もうひとりの才女とは式子内親王で、山本は当代第一と絶賛しています。それはともかく、上の二人の作歌のアプローチは、そのまま俳句の世界に通ずることのように思います。みなさんは、どんな風にして句を詠まれるのでしょうか?
 
コメント (8)
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