7日;グラナダのホテルはアルハンブラ宮殿の目の前。この旅行の前半の最大の見所であるアルハンブラ宮殿の見学が本日。今日も快晴。
その前にグラナダについて一言。ざくろと言う意味のグラナダ。700年代から1492年レコンキスタと称するイベリヤ半島からイスラムが駆逐される過程で最後の砦となったのがこのグラナダであり、その拠点がアルハンブラ宮殿である。この宮殿はナスル王朝で創り上げられた。グラナダはイベリヤ半島におけるイスラムの中心として繁栄を極め、高い文化を残した。その結晶がこの宮殿である。イスラムが退いた後もこのイスラム教文化は壊されることなくキリスト教文化に継がれて行き、今日に至る。アルハンブラとは赤い城という意味である。由来は昔夜を徹して工事が行われ、松明の炎で城は赤く浮かび上がったからだと。しかし、実際には城壁には赤い漆喰が使用されていたからではないかと言われている。
開園の8時半前に既に入門し(スペイン風?)、宮殿内部の案内を受ける。主が退却して500年以上経つのに広大な敷地内の庭園も建物内部のアラベスク模様始め装飾も緻密ですばらしい。宮殿内部には一時期2000人以上の人が暮らしていたと言われる。敷地内が丘の上の街になっていたのである。
庭園内を通ってファサードをくぐり、宮殿の中心のコマレス宮に至る。写真の中庭の池に写る宮殿と空の青が眩しい。今は静寂な中に気品を感ずる。よく言われるように砂漠の人たちは水をとにかく愛し、庭園は水が主人公で造られている。建物の内部の至る所に水が導かれている。コマレス宮を出ると有名なライオンの中庭(写真)。しかし、今回はライオンは修理中で見られなかった。この中庭に面して三つのプライベートな部屋。宮殿を出たところがパルタル庭園。写真は貴婦人の塔と呼ばれる曾ての貴族の宮殿や住居である。ここでも池との組み合わせがすばらしい。
イスラムの栄華偲ばるる冬日差し
宮殿の壁褪せて歴史冬の暮
冬の日や栄枯しのぐやアラベスク
冷気さすアルハンブラや夢の跡
糸杉の雪嶺映える赤き城
グラナダにイスラム探す冬の暮
グラナダを後にコルドバに向かう。230kmの旅である。オリーブ畑がスペインに来てずっと窓外に広がる。特にアンダルシアのオリーブ畑は見事である。写真は丘の上遙かにオリーブ畑が続く。
丘うねるアンダルシアの冬うらら
山越えてオリーブ続く小春風
午後2時頃にコルドバに到着。コルドバはグアダルキビル川に沿って造られた街で、10世紀にイスラム王朝で全盛期を迎え、当時の人口は100万人と言われる(現在30万人)。遅めの昼食の後世界遺産のメスキータ(イスラム寺院がキリスト教会に改築されたもの)見学。写真のグアダルキビル川の向こうのメスキータは今でも荘厳で当時の栄華が偲ばれる。橋はローマ橋。当時のこのモスクは8世紀から10世紀にかけて造られ、25、000人収容したと言われる。内部は有名な「円柱の森」と言われる大理石と赤煉瓦で出来たアーチ状の柱が1000本当時立っていたと(現在850本)。写真は少し暗いが独特のデザインである。
コルドバの鐘塔高し冬の空
冬の陽の歴史にじむやメスキータ
メスキータを出て旧市街地の花の小道と言われる旧ユダヤ人街を散策。白壁の細い路地に所々パテイオがひらける。絵の題材には打って付けの雰囲気である。
この後アンダルシア地方最大の街セビージャへ向かう。140km走る。窓外を眺めている内にすっかり夜になり、9時半頃ホテルに到着。昼の感動と散策、時差で若干疲れ気味ではあるが、今夜はフラメンコのデイナショー。町中のタブラオと呼ばれる専用の劇場に行く。スペインは夜遅く、夜の10時が宵の口、12時頃で食事もピークとか。大きくない劇場の中で食事が終わった頃からフラメンコショウが始まった。女性、男性の踊り子、バックのギタリスト2名、歌い手1名で激しく、哀切のこもった歌声とギターの音色が狭い場内に響き、踊り子の足さばき、手拍子と相まって赤い照明の下、独特の雰囲気が醸し出される。フラメンコの由来は省くが、本当のフラメンコは劇場の中ではなく、穴蔵の中で汗が飛んでくるようなところで見るものだろう。
冬の夜や絞り出す声フラメンコ
切れ味の足のさばきや冬の床
赤きギター掻き鳴らす冬の壁