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三経義疏が中国作でないことの念押し論文: 石井公成「三経義疏の共通表現と変則語法(上)」

2010年12月24日 | 三経義疏
 以前、このブログでお伝えしていた三経義疏の語法に関する拙論がようやく刊行されました。

石井公成「三経義疏の共通表現と変則語法(上)」
(『駒澤大学仏教学部論集』第41号、2010年10月)

です。予定より遅れたため、抜刷が出るのは来年となりました。PDF公開が始まれば、リンクするようにします。

 藤枝先生の中国撰述説を否定した拙論「三経義疏の語法」(『印度学仏教学研究』57巻1号、2008年12月)の詳細版ですね。朝鮮俗漢文の語法が含まれている可能性もあるため、今回は題名では「倭習」という語を用いず、「変則表現」としました。三経義疏それぞれの冒頭部分を検討し、三経義疏だけに共通していて他の諸文献には出て来ない表現が多く、しかも中国の知識人が書く漢文とは異なる変則表現が多いことを論じたものです。

 共通表現については、簡単に説明して一覧表を末尾に並べるだけにしてています。三経義疏に共通して出てくる表現を、仲間たちと開発したNGSMというプログラムで自動的に抽出し、それが漢訳経論や中国・朝鮮・日本の仏教文献ではどの程度用いられているか、私自身長く関わってきた SAT(大蔵経テキストデータベース研究会)、そして、SATと協力関係にあった台湾の CBETA(中華電子仏典協会)のデータによって検索したものです。

 三経義疏だけに出てきて他には全く見えない例のほか、『法華義疏』の種本となった梁代の光宅寺法雲『法華義記』と三経義疏とにだけ共通する表現、三経義疏と新羅や日本の文献にだけ出てきて中国文献には見えない表現などををあげて注記しておきました。『勝鬘経義疏』はS、『法華義疏』はH、『維摩経義疏』はYで表しており、H:10 とあるのは、この言い方が『法華義疏』に10回出てくる、という意味です。こんな感じの一覧表が何頁も続いています。

自有二。第一  (S:1 H:10 Y:14)  *他に、『法華義記』36例のみ
自有三。第一  (S:1 H:1  Y:9)   *他に、『法華義記』9例のみ
有二。第一挙  (S:1 H:7  Y:7)   *他に、『法華義記』2例のみ
有二。第一初二 (S:2 H:3  Y:1)
有二。第一嘆  (S:1 H:1  Y:1)
有二。第一直  (S:7 H:26 Y:7)
第一先列     (S:1 H:4  Y:3)  *他に、『法経義記』3例、
                     『涅槃経集解』1例のみ
第一可見。就第二 (S:1 H:6 Y:5)
第一初二行偈   (S:1 H:6 Y:3)
第一初三     (S:1 H:3 Y:2)   *他に、日本『因明論疏明
                      燈鈔』1例のみ
第一直述     (S:2 H:1 Y:2)
第二釈標疑云   (S:1 H:4 Y:3)
第三従是故以下結 (S:1 H:1 Y:1)

 三経義疏の科文(かもん=内容分類)は、いずれも『法華義記』の用語に基づいており、それをちょっとだけ変えることによって中国や朝鮮の文献には無い三経義疏だけの独自な形になっていることがよく分かりますね。

 日本にも無い場合が多いのは、現存する日本の他の注釈は、中国仏教が確立した隋唐の仏教文献の表現を基本としているからです。上のリストのうち、『法華義記』以外に出てくる『涅槃経集解』は、『法華義記』の少し前に同じ系統で編集された梁の注釈集成文献です。

 リストのうち、「第一可見。就第二(第一は、見るべし[最初の部分は、経文を見ればわかるだろう]。第二に~就きては……)」とか「第三従是故以下結(第三に『是故』より以下は、~を結ぶ)」などという長たらしい言い方が三経義疏だけに共通していて、現存する中国・朝鮮・日本の注釈に用例が全く見えないのは、三経義疏が同じ著者(たち)か同じ学派のきわめて近い人々によって書かれた証拠ですね。

 むろん、中国でも朝鮮諸国でも、多くの注釈が失われており、中には三経義疏と同様に『法華義記』系統の用語を使ったものもあったでしょう。上記の調査によって言えることは、「現存文献で電子化されていて簡単に検索できるものついては……」ということです。敦煌写本などはまだほとんど電子化されていませんし。

 変則表現については、『勝鬘経義疏』の冒頭の部分を中心に論じましたが、最初の数十行だけでも標準的な漢文の語法に外れた表現がたくさん出てきます。また、『勝鬘経義疏』と内容が7割ほどまで一致することで有名な敦煌出土の『勝鬘経』の注釈と比較し、文体がいかに違うかについて、以下のように書いておきました。『勝鬘経義疏』が「苦仏已過(苦は、仏はすでに過ぎている)」と、日本語の文をそのまま漢字にしたような文を書いている部分です。

「また、『苦仏已過』もおかしい。普通の漢文であれば、『苦仏』という仏が既に過ぎてしまったように読めてしまう。一方、敦煌本は、該当する箇所では、……『此苦、於仏乃是過去(此の苦は、仏に於いては乃ち是れ過去なり)」(452a)としており、意味は明瞭である。
 すなわち、Sは敦煌本と内容が七割ほど内容が一致すると言われているが、文章はこれほど違うのである。」

 むろん、語句が完全に一致する箇所も多いうえ、敦煌本にも漢字の誤記・誤写はあるものの、『勝鬘経義疏』のように語順が大幅に違っている箇所や、副詞を形容詞として用いる類の文法の間違い、平安朝の物語のようにうねうねと長く続く文などは全くありません。

 今回の論文は(上)としましたが、続篇は(下)になるか(中)になるか未定です。三経義疏の思想を扱った論文はその後で書きます。三経義疏と聖徳太子の関係の有無について書くのは、さらにその後になるかもしれません。きちんと論ずるためには、それなりの準備が必要ですので。それまでには、田村晃祐先生の『法華義疏』の研究書が出ているでしょうし。

【追記 12月24日夜】
拙論を含む論集が22日に学部事務室に届けられたため、刊行月を「12月」と記しましたが、改めて見たら、論集の奥付も論文のヘッダも当初の予定日であった「10月31日」のままでした。訂正しておきます。
【付記 2021年5月5日】
三経義疏に関する拙論については、このブログの画面右側に出る「作者の関連講演・論文」コーナーにリンクを貼ってあります。この論文については、こちら
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