前回は『勝鬘経』講讃図をとりあげたので、今回は、中国にもたらされた『勝鬘経義疏』に対して中国僧がつけた注釈について中国人研究者が日本語で書いた論文にしましょう。
前回は~だったので、今回は……というのは、トイビトのサイトに「鬼はなぜ虎皮のパンツを履くのか」などのお気楽学術エッセイを書いている連載のスタイルです(こちら)が、取り上げるのは、
楊玉飛「『勝鬘経疏義私鈔』の註釈性格」
(『印度学仏教が研究』第67巻第2号、2019年3月)
です。『勝鬘経疏義私鈔』について初めて詳しく書いたのは、中国人研究者である王勇さんの『聖徳太子時空超越ー歴史を動かした慧思後身説ー』(大修館書店、1994年)であるのも、面白いところです。
王勇さんとは、コロナになって以来、会ってませんが、日中国交回復がなされて創設された北京日本学研究センターの第一期生であって、現在の中国における日本研究の代表的な一人ですね。
楊さんは、来日して国際仏教学大学院大学で学び、中国における『勝鬘経』注釈書の研究で学位を得た若手です。
その楊さんのこの論文は、日本の僧が入唐した際に『法華義疏』と『勝鬘経義疏』をもたらしたところ、中国僧の明空が『勝鬘経義疏』に注釈をつけたものであって、長い中国仏教史の歴史の中で、中国人僧がインド以外の仏教文献について注を書いたのはこれが最初で最後ですね。
それというのも、『勝鬘経』は如来蔵思想の重要な経典であったにもかかわらず、唐以前の注釈の多くは散佚してしまっていたうえ、聖徳太子は天台宗の開祖である智顗の師匠であった南岳慧思の生まれ変わりという伝承があったため、天台宗系の僧侶であった明空が注目して6巻の注釈を書いたたのです。
入唐中にその注釈に出逢った円仁が、これを日本に持ち帰り、叡山で保存されており、近代になってから再び注目を集めるようになった次第です。
さて、楊さんは題目の論文では、太子の『勝鬘経義疏』の輪廻のあり方、生存のあり方について注目します。普通は、肉体による分段生死と、体を持たない不思議変易生死という二種類ですが、『勝鬘経義疏』は四種の分類を説きます。これに対し、『勝鬘経疏義私鈔』は「無名氏」の説に基づいて二種の生死についてのみ説明し、残りの二つには触れません。四種生死説は、伝統説から見れば誤りなのですが、賛成も反対もせず、無視するのです。
また『勝鬘経疏義私鈔』は、『勝鬘経義疏』では一切の生き物に仏性があることを認め、そうでないと草木と同じだとしていることに着目します。というのは、これはインド仏教以来の伝統であるものの、中国仏教となると隋から初冬にかけて活躍して三論宗を集大成した吉蔵は、悟った仏の目から見れば自然界もそのまま仏の境地だと説くようになっており、天台宗も唐代になると湛然などはその立場を強調するようになるからです。
『勝鬘経疏義私鈔』は、天台宗の文献を引用しており、湛然の著作も利用していますので、その立場からすれば『勝鬘経義疏』のこの部分は批判すべきなのですが、『勝鬘経疏義私鈔』は、ここでも表だっては批判しません。諸説ある部分については、「無名氏」の解釈なるものを示し、それに賛同するのみで、『勝鬘経義疏』の問題のある箇所を否定することはないのです。
このため、楊さんは、『勝鬘経疏義私鈔』は太子の『勝鬘経義疏』を尊重有していたため、賛成できない部分については批判せず、「こっそりと『義疏』の解釈を変えようとしている」と推測します。南岳慧思禅師に生まれ変わりの方の解釈ですからね。